第128話【前編】 ねじきられる首
第128話は長くなりすぎたので、前・中・後編に分けました
第128話【前編】
「さあてと……」
泥田坊がいた路面だけが、焼き尽くされた炭で黒く沈み、
そこにはかろうじて人の体をかたどった焦げ跡が残っていた。
「これで、準備は整ったかな。あとは妖霊星を、何とかしなきゃだけど」
シャパリュはそう言って、もう一度周囲の戦況を見た。
泥田坊は、もういない。
完全に燃え尽きた。――これで終わりだ。
高木と南雲は、シャパリュが紡いだ球状の結界――それは薄膜の虹を帯びた、まるで巨大な泡のような守護域──に包まれ、すでに戦域の外へと運ばれている。
八雲班のエージェントの姿もない。
妖霊星に灼かれたか、あるいは軌道の衝撃により弾き飛ばされたか。
――そのどちらかだろうな。
天狗や妖怪たちの活動も、ほぼ止まっているように見える。
いや正確には、動けてはいるものの、その場から一歩も移動できないようだ。
その仕組みを見極めるため、視界をわずかに深層へと沈める。
焦点を“霊脈”へと合わせた。
──なるほど。
シャパリュの今の目であれば、その“霊脈”の流れがはっきりと見える。
妖霊星が通過するたび、彼らの妖力は容赦なく吸い上げられている。
それだけではない。
呪式の一部として地に縫い止められているようだ。
──つまりは、贄とされたか。
シャパリュの瞳が、わずかに細まった。
次に自陣だ。
デルピュネーは、翔太たち三人を庇うように我が身を呈して、覆いかぶさっていた。
背に、衝撃を散らす魔力壁を張っている。
──もっとも。
それでは、妖霊星相手だと、緩衝材程度の効力しかないだろうが。
そのデルピュネーに、シャパリュは確信めいた問いを投げた。
「デル。あのスピード――そろそろ、目が慣れてきた頃だね?」
デルピュネーが顔を上げる。
いい目だ。現状をしっかりと把握している。
その瞳でデルピュネーは、コクリと頷いた。
「はい、シャパリュさま。
わたくしの試算では、あの妖霊星の移動速度は、秒速およそ九十メートル。
空力加熱による発火温度は、一万℃を超えていると見ます。
――ですが、捉えられない速度でも、熱でもございません」
「うん、よくできました」
シャパリュは、ポムポムと肉球で拍手をした。
試算は一致。
誤差はない。
──ならば、次の展開だ。
「それじゃあ、まず僕がアレの動きを止める。
その間、デルは現状を維持。翔太たちの安全を確保。
最後に、君が妖霊星を破壊する。
この流れで、いいかい。デル」
「はい、異論はございません。シャパリュさま」
デルも同じ結論に至っていたのだろう。
即答だった。
「わたくしの今の役目は、翔太さま、美優さま、瑚桃さまを、
あの妖霊星と、残敵から守り抜くこと。
シャパリュさまが妖霊星の無力化を終えるまで、
翔太さまたちのことは、すべて――わたくしにお任せください」
この二体の使い魔のやり取りを聞き、
デルに覆いかぶさられたまま、翔太がやや不穏な声を上げる。
「大丈夫か、デル。もしかして、お前たちにとって俺たちが足手まといになっているんじゃ……」
「いいえ。そのようなことは、決してございません」
デルピュネーは、翔太へと視線を移動し、優しく微笑んだ。
「蒼さまの作戦に変更はございません。
再度告げますが、翔太さまの魂──それそのものが、
わたくしたちと『第三の理』をつなぐ“橋”になっているのです。
翔太さまのおかげで、シャパリュさまも、わたくしも、
あの怪異たちとの対峙が有利に働くよう、本作戦はその前提で組み立てられております。
つまり、妖霊星にも、残った妖怪や天狗たちにも、
例の刻印の影響が、すでに及んでいるということでございます」
瑚桃がいる。だからこその言い回しなのだろう。
デルは、魔王ベレスのことは「蒼」
666のことは、「例の刻印」と言い換えた。
怪異に直面しているという現実を、少しでも和らげるための言葉選び──
実際、瑚桃はわずかに震えている。
いくら軽口で強がって見せても、中身はまだ中三の少女なのだ。
そこへ、シャパリュがふわふわと近づき、補足した。
「まあ、翔太についてだけで言えば、ゲームでいうところのバフとデバフだね。
君がいるだけで、僕たちが強化され、敵は弱体化する。ゆえに翔太がこの場に必要。
──この言い方なら分かりやすいだろ?」
「バフ、デバフ……」
理屈は分かる。
だが、問題はそこではない。
自分の中に巣食う、666の獣。
本来なら宇宙を滅亡へ導く“破壊”。
それが、今この場でだけは、デルやシャパリュたちの助けになっているという皮肉。
自身を縛る鎖が、状況を打破する“鍵”として扱われている。
整えたはずの心の配列が、
無理やり組み替えられたような違和感が拭えない。
ゆえに胸の奥が、どうにも落ち着かない。
「ねえ……アタシは、どうしたらいいの」
瑚桃も、自身がここにいる理由を見失いそうになっている。
「アタシは、ひまりちゃんの目を醒ますのが役割だったはず。
でも、そのひまりちゃんが消えちゃって……もしかして、今アタシ、いらない子?」
「いえ。ご安心ください」
デルは瑚桃に優しく笑いかけた。
「かすかにではございますが、確かに気配がございます」
「ホント!? じゃあ、ひまりちゃん、死んじゃったんじゃないんだ!」
自身の存在価値で悩んでいたはずなのに、ひまりの命を気に掛けるのが瑚桃らしい。
「ええ。亡くなられておりませんよ。
だからいずれ──
ひまりさまの従姉妹である瑚桃さまの血の力が、
必要とされる刻が、必ず訪れます。
ですから今は、ご自身の命を最優先に。
その刻が来るまで、わたくしが、必ずお守りいたします」
このやり取りを聞きながら、美優は改めて、自分の役割を胸の中で反芻していた。
──私がここにいる理由。それは……
翔太くんの意識を「守護」に固定し、太陽神ラーの力を安定化すること。
もちろん、その「守護」は瑚桃ちゃんにも及ぶだろうけど、
私の中の『マグス』の素質が、いずれこの場で問われるような気がする──
美優のそれは、予感めいたものだった。
自身の心の中で、いくつもの囁きが、ざわめきのように広がっていくのを感じる。
だが、とりあえず見るべきは、今。
何よりも優先すべきことは、ただ一つ。
――翔太くんが内に抱える、666の獣の意識を、決して覚醒させないこと。
美優はその想いを噛み締める。
その直後──
(……え?)
ざわめいていた“内側の声”に、
別の震えが、かぶさった。
空間そのものが、同じ波長で震え始めたのだ。
空気が、低く唸った。
直後、地面が内側から細かく叩き上げられた。
「──来ます!」
デルの声は短く、鋭い。
不穏は、確信へと変わる。
妖霊星が、再び――
この一帯へと、軌道を折り返している。
それに呼応するように、シャパリュが前に出る。
「さて……じゃあ作戦通りで行くかな。つまりは、ここからは僕の出番だ」
デルピュネーの強さも神話級だが、シャパリュもこれに劣らない。
ふわふわ漂う姿からは可愛さしかないが、
数多くの英雄級を葬ってきた、底しれない怖さがある。
妖霊星の速度は、秒速九十メートル。
見えた瞬間には、“終わる”速さだ。
しかも、妖霊星はこの地に、
死人返りの呪符を描きながら駆け抜けている。
軌跡は、意味を持って文字通りに折れ曲がるが、
その文字の形が判明しない以上、予測はつかない。
(まあ、何度か試せば……五回に一回くらいは、捕まえられるだろう)
そう割り切ると、シャパリュは両手両足を大きく広げた。
追わない。
待つ。
動きを読むより、軌跡に割り込む。
その方が、捕縛率はわずかに上がる。
唸りが、急速に膨張する。
空気の密度が変わる。
視界が白く焼き切れ――
衝突の瞬間を、迎えるはずだった。
――そのはずだったが……
突如、視界の中心に、別の影が割り込んだ。
『ガアアアアアアアアア!!!』
咆哮が、空を裂いた。
(──嘘だろ!?)
視界いっぱいに広がったのは、
身の丈三メートルはあろうか、筋肉の鎧に覆われた背中だった。
その巨躯が――
直径十メートルはある妖霊星を、真正面から抱え込んでいる。
──ガシンッ!!!
衝撃は、遅れて音になる。
それが、秒速九十メートルの世界。
流星の熱が弾かれ、火花が宙を散る。
その中心に立っていたのは――
「……ちょっと待て。お前、なんでここにいる?」
妖霊星を受け止めていたのは、一人の屈強な青年だった。
頭には、冥府王ハデスより賜りし「隠れ兜」。
腰には、半月状の巨大な刃を持つ「ハルペー」。
足には、翼を宿す「空飛ぶサンダル」。
その巨躯は宙に浮いたまま、両手両足を大きく広げ、
抱え込むように流星の熱と衝撃を受け止めている。
デルピュネーの全身に、鋭い緊張が走る。
デルは一度、この青年と刃を交えている。
その異常なる強さを、身をもって刻み込まれている。
そしてその肉体に、半分、全能神ゼウスの血が流れていることも。
それは──
「……ペルセウスさま……!」




