第127話 お前はそこで干からびていけ
第127話
街中を縦横無尽に飛び交う妖霊星。
その流星は、進路という概念を持たなかった。
交差点を囲む小さなビジネスビルの壁面を抉り、ショッピングモールを削り、パチンコ店の看板を溶かし、電柱を根元からへし折る。
街路に沿って低空を走ったかと思えば、次の瞬間には建物の上空へ跳ね上がり、そのまま町の一角を丸ごと引き裂いていく。
信号機は熱線に貫かれて爆ぜ、倉庫の外壁は紙細工のように吹き飛んだ。
その、目にも留まらぬ速さで破壊の限りを尽くす流星を、
デルピュネーは翔太たちに覆い被さったまま、逃がすまいと視線で追い続けていた。
(このままでは、わたくしの背中も削られるだけ──事態を改善せねば何も変えられません)
翔太、美優、瑚桃。
今のデルでは、妖霊星からこの三人を守るだけで精一杯だ。
妖霊星となった大天狗に意思のようなものも感じられない。
仲間であるはずの妖怪たちを巻き込み、八雲班のエージェントをも同時に焼き払う。
ただ、意味も目的もなく、街区から街区へと破壊を広げているように見える。
だが、奇跡的に高木は無事だった。
南雲麻衣を呑み込んだ泥田坊も。
シャパリュが、ひょいっと妖霊星を避けながら言う。
「さっきから観察していたんだけど、どうも妖霊星に、自我らしきものが入っているようには見えないなあ」
「どういうことでございましょう」
デルが三人をその身で守りながら訊く。
「あくまでも勘ではあるんだが、妖霊星は単に崇徳上皇の道具に過ぎないんじゃないかと思うんだよね」
「道具……で、ございますか……?」
「そう」
シャパリュは、さらにおぞましさを増した天空の雲を見上げる。
「おそらくは、……祭壇を作るための儀式」
デルが目を丸くした。
「──祭壇? まさか崇徳上皇は、その身の復活をこの地で行おうと……!?」
「ああ。そのための地ならしをしているように思えてならない。その証拠に──」
再び妖霊星が突進して来て、シャパリュはそれをひらりとかわした。
「あれは、なんらかの“文字”を、この地でなぞっているように見える」
「まさか──」
デルの言葉の後を、美優が継いだ。
「死人返しの護符!」
「美優さま……、ご存知なのですか?」
ちょうどデルの胸の下あたりで伏せている美優が頷く。
「禁呪とされた古代朝鮮の呪法よ。それに、そうなら納得が行く。
高木さんも、あの泥田坊も。あの一点には、妖霊星は走っていない。
文字をなぞっているのなら、進路に空きがあってもおかしくないわ」
「確かに」
シャパリュは、交差点の端で、泥田坊と格闘している高木を見ながら言う。
文字をなぞるのであれば、書き順をなぞっている。
文字は線で書かれるのだから、どんな文字であろうと、空白は生じる。
黒塗り一色の文字など、存在しない。
「そこでお願いがあるの!」
美優のその声には焦りの色がありありと滲んでいた。
「高木さんを、……そして、あの泥田坊の中に閉じ込められている女の人を助けてあげて!」
「え。僕がかい?」
シャパリュは目を丸くした。
「高木さん、苦戦してる……、でもシャパリュなら。シャパリュなら何とかできるでしょ!?」
シャパリュは面倒くさそうに、そちらへと目をやった。
「まあ。でも人間の割には、泥田坊相手に健闘している方だと思うけど……」
「お願いっ!」
切実な声──
はあ、とシャパリュはため息をついた。
「自分のことより、他人を助けて、か。美優らしいと言えば美優らしいかな」
「私たちにはデルがいる! シャパリュ、お願い! 高木さんたちを助けて!」
一瞬、デルピュネーとシャパリュの視線が合った。
デルは、コクリと頷く。
この三人は任せてほしい、ということだろう。
「分かった」
諦めるようにシャパリュは言う。
「妖霊星は、あの二人を助けてから、何とかするようにするよ」
◆ ◆ ◆
「南雲──!!」
高木はちょうど自身の武具である棍を、巨大な泥田坊の顔面に打ち込んだところだった。
泥田坊の顔が跳ね上がり、周囲にいくつもの泥の塊が散乱する。
そんな高木を、泥田坊は右手でがっしりと掴んだ。
そして顔の前まで持ってきて、その片目で恨めしそうに高木を睨む。
「このおおおおおお!」
高木はありったけの魔術を棍に込めた。
そして、その手首を一気に断裁する。
『ギャアアアアアアアアアアアア』と泥田坊が悲鳴を上げる。
斬り落とされた右手首と一緒に路面へ落ちる。
その高木のすぐ近くを妖霊星がかすめて行った。
その炎と熱で一気に高木の頭髪が燃え上がる。
高木は自身の魔術で、消火。そして路面に着地した。
「南雲を返せ!!」
再び、棍を泥田坊の胴体に突き刺す。
だがまるで手応えがない。
(クソッ! やっぱりだ)
高木は奥歯に力を入れる。
こいつは、泥だ。
人の怨念が、ただの泥の塊に妖の形を与えているだけだ。
試しに、胴体に突っ込んだ棍から、破壊系魔術を流し込んでみる。
泥田坊は悲鳴を上げながら、その姿をドロリと崩す。
だがすぐに元に戻る。
つまり、倒せない。
それでも高木は諦めない。
高速の突きを何度も泥田坊に浴びせかける。
「返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ!!」
ドドドドドドドドドドドドドッ!!!
まるでやけくそのように泥田坊の体を破壊しまくった。
この泥の体の先に、
泥の体の中に、
──南雲麻衣はいる。
この分厚い泥をすべて取り除けば、そこにいるはずなのだ。
「返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ!!」
無謀なあがきに見える。
だが、泥田坊は悲鳴を上げる。
痛覚がある。
痛みは感じているのだ。
泥田坊は、高木の連続の突きをやめさせようと、その大きな腕をブン! と振り回した。
高木は、宙高く舞って、その腕をかわす。
かわすと同時に、棍で泥田坊の左手の三本の指をすべて断ち切る。
だが、せっかく切り落としても、またドロドロと、指がもとに戻ってくる。
(弱点はどこだ! こんな泥の肉体、単なる概念や精神で保っていられるわけがない。どこかに核となるものがあるはずだ。それさえ破壊すれば、破壊さえしてしまえば!)
高木の形相が鬼と化す。
「南雲を、返せええええええええええっ!!!」
──その泥田坊の体内。
南雲麻衣は、そんな高木の声を、泥田坊の腹の中で聞いていた。
目の前はまったくの暗闇。
わずかな隙間を見つけ、そこでかろうじて息はしているものの、泥に埋まった手足は重くてほぼ動かすことができない。
(高木……くん……)
薄れそうになる意識の中で、麻衣は再びもがこく。
だがぬるぬる、どろどろした汚れたおぞましい泥が体中を包み込み、麻衣の体の自由を奪っている。
さらには、少しずつ溶かされていく衣服。
肌の敏感な部分もピリピリと痛み、魔術で皮膚を守ろうとするが、それをも透過して、麻衣を消化しようとしてくる。
臭い。
麻衣は思った。
妖怪の匂い。腐った土の匂い。
わずかに呼吸ができるこの小さな空間では酸素がいつまで持つか分からない。
溶かされるか、窒息するか。
麻衣の生命は風前の灯にあった。
(穢されている)
泥田坊の腹の中の、この感触に思わず南雲は身震いする。
(助からない)
もがけどもがけど、手応えがない。まるで水中に沈んでいるような状態。
体がひどくだるい。
じわじわと肌が露出していき、じわじわと体中の穴が泥に侵食されていく不快な感覚。
まるで巨大な蛇に、頭から丸呑みされたかのような、
異質で微妙なあたたかさと、唾液のようなぬめぬま感がある。
そんな中で、麻衣は必死に高木の声が聞こえる方に手を伸ばそうとしている。
(助けて……)
手を指を、限界まで突き出していく。
(高木くん! 私はここよ!)
麻衣の想いは懸命で──
「南雲──!!」
その高木の魔術も尽きかけている。
最後の力をありったけ込める。棍の先が膨らみ、絞られていく。
まるで槍のような形状になる。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
今、可能な最大級の破壊力を持った攻撃。
これを使えば、もうこの先魔術は使えない。
この最後の一手で、泥田坊の体を貫こうとする。その刹那だった。
「バカだなあ。魔力を絞り切るタイミングが早すぎるよ」
どこからか、声がした。
「危ないから、ちょっと、どいて」
──前から……!?
ただ、突くことしか考えてなかった高木には見えていなかった。
その高木の渾身の棍の先。
いつの間に前に回り込んでいたのだろう。
宙に浮かぶ猫が、両前脚で高木の最終奥義を、あっさりと止めていた。
その二つのぷにぷにの、肉球で。
「ね、猫……だと!?」
思わず体勢を崩す高木。
この猫──確か……
思考がまとまるのを、シャパリュは待たなかった。
その眼力だけで、一瞬にして高木の意識を刈り取る。
見られたら、あとあと面倒なことになる。
それだけの理由だった。
「そうそう。そうやって眠って、絞り出した魔力はしまってしまって」
突然、意識が断ち切られたため、危険な倒れ方をする高木。
それを、シャパリュが念動力の魔術で、静かにアスファルトの上へと寝かせた。
「はい。そこで、ゆっくりおねんねしといてねー」
高木が動かないのを確認して、泥田坊を見る。
泥田坊は、このシャパリュに襲いかかろうとした。
だがシャパリュにとって、泥田坊の動きなんて、なめくじが這っているのを見るかのようだった。
「ああ。面倒くさい、面倒くさい」
シャパリュはそう言うと、ためらいなく泥田坊の体内へ飛び込んだ。
ワンテンポ遅れて、泥田坊が激しく暴れ出す。
だが、すでに体内に入ったシャパリュには関係ない。
「『第三の理』かあ。この程度の力だったら、僕たちだって余裕なんだけどなあ」
のんびりと、泥の中を泳いでいった。
──やがて。
生きた人間の魂の反応を感知した。
「お。生きてる。生きてるねえ」
そちらの方へと方向転換する。
もぐらのように。あるいは水中を泳ぐように。
麻衣らしき魂の波動へ向けて、潜り進んでいく。
◆ ◆ ◆
(も、もう……。息が、できない──)
ゴボッ!
泥の隙間の酸素がつきた。
麻衣は、呼吸をすることを諦めた。
そして、抗うことをやめて、そのまま泥の中へと沈んでいく。
ゴボッ……ゴボゴボ……ゴボッ……
もう、疲れた。
服が溶かされ、皮膚も火傷したかのように痛む。
でも、もうどうだっていい。
──私は、ここで死ぬのだから……
沈んでいく。
泥の中を沈んでいく。
まるで底なし沼にでもはまり込んだかのようだった。
だんだんと泥が重く、固くなっていく。
迫ってくる、死。
どうせなら、穏やかに迎えたかった。
息ができない苦しさが、否が応でも自分が生きたい、息を吸いたいと、“生”を望む。
──皮肉なものね。
苦しいのに、落ち着いているのが不思議だった。
これが、「諦め」というものなのかもしれない。
ふふっと笑おうとした。
だが泥が口の中に入ってくるだけだ。
じゃりじゃりする。
臭い。まずい。
──ああ。高木くんの連絡先、聞いておけば良かったな……
それがまったく無駄なことだと知りながら、そんなことを思ってしまう。
意識が遠のく。
同時に苦しみも。
いよいよ終わり。
そう思えば、楽になった。
だから、何かが自分の腕に触れても、何も気にならなかった。
それは、小さいが、やわらかな、ぷにっとした肉の感触だった。
──ああ。なんだか、気持ちいい……
そのやわらかな感触が、麻衣の腕を掴もうとしている。
──えっ!?
南雲はハッと意識を取り戻した。
酸欠で気を失いかけていたのに。
(た、高木、くん……?)
突如、頭の部分に空洞ができて、誰かの顔が飛び出してきた。
だがその目に映ったのは、人ではなかった。
「やあ」
──ね、猫……!?
そこからは一瞬だった。
シャパリュは南雲の手を引くと、そのまま猛スピードで泥田坊の体内を突き抜け、一気に背中から空へと飛び出した。
宙空に浮かぶ、シャパリュとほぼ半裸の南雲麻衣。
同時に妖霊星が猛スピードで泥田坊に突っ込んでいき、その肉体を真っ二つにした。
それを下に見るシャパリュは、麻衣をぶら下げたままで言う。
この地は、安全地帯だったはずだった。
だが、妖霊星がこの場を通過したということは──
「なるほど。文字には書き順ってのがあったよね」
書き順。──つまり、間一髪だったととか、とシャパリュは思った。
泥田坊は、体を妖霊星によって引き裂かれ、それでももがき、泥をつないで肉体を再生しようとしている。
「完全な安全地帯なんてほぼないってことか。まあいいや。これで心置きなく、君を始末できるね」
シャパリュは念動力で高木の体を浮かせた。
そして手元にいる南雲麻衣と並べると、そこにシャボン玉のような膜を作った。
高木と麻衣が入れられたその球は、すーっと、この危険地帯を抜けていった。
安全な場所へ、ここからはるか遠くの場所へ。
それを見送るシャパリュ。そして。
「さあて、と」
泥田坊が再生しながら、体を捻って上空のシャパリュを見上げていた。
「次はお前の番だ」
言葉と同時だった。シャパリュ得意の業火が泥田坊の体全体に着火した。
『がああああああああああああ!!』
突如、火達磨になる泥田坊。
泥をも燃やすシャパリュの炎。
泥田坊の肉体からどんどん水分が抜けていき、その肉体が少しずつ細く、小さくなっていく。
炎に包まれながらもがき暴れるが炎はますます勢いを増していく。
泥田坊の肉体のほとんどは水分だ。
その水分があっという間に蒸発していき、まるで飢餓を起こした人間のように骨と皮になっていく。
だが容赦はない。寧ろシャパリュはさらに炎の勢いを強めた。
そのあまりの炎に、泥田坊は一度だけ大きく痙攣した。
それを最後に、二度と動かなかった。
やがて炎の中に、いくつかの怨念が姿を表す。
田を奪われた翁の呪い、怨念、後悔が宿った悪魔の種もみ。
おそらくこれが泥田坊の核部分であろう。
それもシャパリュの炎により泥田坊の肉体とともに焼かれていく──
水分を奪われ、ほぼ人間と同じ大きさぐらいになってしまった泥田坊。
シャパリュの炎の残り火がパチパチとくすぶる中で、シャパリュは冷たく、こう言い放った。
「死んでいけ。干からびて。どうせ干からびて亡くした命──元に戻るだけなんだからいいだろ?」
泥田坊にその声が届いたかどうか。
次に、最大級の炎が一瞬で天まで上り詰め。
最後に──
アスファルトの上に、大きな人型の消し炭だけが残った。




