第121話 赤く光る右目
第121話
(これは、俺の手にゃ、負えねえわ……)
空から突如、降ってきた天狗の群れ。
柄谷も、二体の天狗を前に、苦戦を強いられていた。
ゼエゼエと肩で息をする。
その辺りの雑魚な妖怪たちとは格が違う──それを体で理解する。
この星見トンネル出口付近の妖怪たちは、がしゃどくろをはじめ、ほぼ柄谷一人で全滅させた。
だが、どうだ。
周囲の八雲班のエージェントたちは、たった二体の天狗の相手に、ほぼ瞬殺。
柄谷以外は、あっという間に全滅させられてしまっていた。
柄谷も奮闘した。
いくつかの楔は撃ち込む。
糸によって天狗たちを拘束しようとする。
だが、その怪力でいとも簡単に引きちぎられてしまう。
もちろん、柄谷もギアを一段上へと入れていた。
ただでさえ切れにくい糸。
そこに魔術を流し込み、糸自体を鋭利な刃物のようにする。
それでも、天狗の皮一枚、傷つけるのが精一杯。
天狗も無傷ではないが、その攻撃力を削るほどのものではない。
結局、圧される。
天狗たちの進撃をかわしつつ、徐々に後退させられる。
気づけば、柄谷は交差点近くにいた。
ここまで、退かされてしまった。
幸運にも致命傷は受けていないが、このままでは時間の問題と言える。
(蓮實さんは、無事なんだろうか?)
蓮實の能力は、柄谷にとっても脅威だった。
戦闘スタイルは違うが、強さで言えばほぼ同じ。
だが、一目置いた存在であり、先輩だった。
その江戸岡交差点近く。
アスファルトが、巨大なハンマーで殴られたような円形の窪みができており、そこになみなみと血が溜まっている。
蓮實の技だ。
近くには、引き抜かれた信号機が支柱ごと転がっている。
一体、この場で、どんな闘いが繰り広げられたのだろうか。
(さすが蓮實さん……)
その血の池には、元は天狗だったであろう、ミンチのように叩き潰された肉片がぷかぷか浮かんでいる。これだけの強力な敵を、きっちりと倒している。
なら、この近くにいるはずなのだが、周囲を見渡しても蓮實の姿がない。
妖怪たちと八雲班が死闘を繰り広げているのみだ。
──蓮實さん! どこだ……!
力を合わせれば、天狗二体といえど勝てる可能性は格段に高まる。
しかし、どこを見ても蓮實の姿はない。
そんな柄谷のもとへ、天狗が迫る。
カランコロンと下駄の音を響かせながら。
(蓮實さんが殺ったんなら、俺にだって勝機はあるはずだ……)
柄谷はリストバンドに仕込まれている糸の残数を頭の中で計算した。
もうすでに半分以上は使った。
さすがに使いすぎだ。
天狗は、ここにいる二体だけではない。
ここからは、慎重に使わざるを得ない。
──その上で、倒す!
ジリジリと距離を置きながら後退し、近づいてくる天狗たちの動向を予測する。
その仕草、目線、そして筋肉の力の入り具合。
あのスピードだ。よほど目をこらさなければ見落としてしまう。
脳の中で時計の針がゆっくりと進む。
歩いてくる天狗たちの足の動きもスローモーションに見える。
恐怖から来る時間の錯覚。
刻まれる時計の針は、時を刻んでいるのか。
それとも自分の死期のカウントダウンなのか。
──脚、胴、腕、さあ、どこから攻撃してくる?
ところが、天狗の攻撃は、柄谷が思うよりシンプルだった。
殴りかかってきたのだ。
まるで喧嘩のように。
ただし、とてつもない速度で。
すぐ様、柄谷は楔を投げる。
糸をその腕に巻きつける。
さらに別の楔を投げると、その糸に今の糸を絡ませた。
ガードレールの支柱にその先の楔の糸を巻く。
天狗の腕が、止まった。
(よし! 固定した!)
天狗が動こうとするたびに糸がその腕を締め上げ、血が、ぴゅっぴゅっと噴き出す。
絡み合わせた糸がガードレールに固定されているため、動こうとすると体のバランスが崩れる。
しかし、ガードレールごとその怪力で引き抜かれる恐れがある。
柄谷は即座に、もう一つの楔を投げた。
想像通り。
天狗は糸が巻かれた腕を犠牲にして、ガードレールを支柱ごと、ガコッ! と引き抜いた。
柄谷が投げた楔は、この天狗の動きを予想してのものだった。
狙ったのは、目。
天狗がバランスを崩す先まで見越した位置に投げた楔。
一直線に、天狗の右目へと飛んでいく。
(いくら天狗といえど、目玉までは鍛えられねーだろ?)
そして楔は見事、天狗の右目を捉えた。
血が噴き出す。
(この勢い。タイミング……! 目玉を貫き、その背後にある脳まで楔は達する!)
それが柄谷の作戦だった。
体で最もやわらかい場所から楔を侵入させ、内部の脳を破壊するとっておきの手段。
だが。
柄谷は、天狗の怪力を見誤っていた。
(嘘……だろ……!?)
確かに、柄谷の楔は天狗の目玉に触れた。
血も出た。
しかし。
天狗は、まぶたを閉じた。
その閉じたまぶた……まぶたの筋力だけで、楔を挟み込み、勢いを殺してしまったのだ。
(まぶたまで怪力なのかよ!)
──作戦、失敗。
すぐさま、撤退。
その柄谷の逃げる方向へ、もう一体の天狗が突っ込んでくる。
速い!
この拳は避けられない。
(肉体強化!)
柄谷は魔術で体を硬化した。
糸を硬化して斬り裂く刃に変える手法と同じ要領。
それなのに、その拳一発で、柄谷の鎖骨が折れた。
すぐさま、魔術で痛覚を遮断する。
(攻撃の一つひとつが重すぎる──!)
しかし他に手がないわけではない。
柄谷はありったけの楔と糸を周囲にバラまいた。
それは縦横無尽に空中を泳いでいき、天狗たちの体を再び拘束していく。
普段なら、それだけで、数十体の怪異を細切れにできた。
防御と攻撃を兼ね備えた、奥の手だ。
(一本じゃ、引きちぎられる……!)
背後へと飛びながら、柄谷は思う。
(だが、これだけの数……数本の糸で縛り上げたらどうだ!?)
この技を使うと、楔と糸を大量に使ってしまうため、その後の戦闘が困難になる。
だが今、この危機に使わなければ、“その後”なんて存在しない。
殺されて、ジ・エンドだ。
一度も破られたことがない、柄谷の奥の手。
糸使い柄谷の最終奥義だった。
それが──
『グムッ!!!』
蜘蛛の巣に捕らえられた蝶のようになっていた二体の天狗。
そいつらは──
この最終奥義の糸を、単なる力付くで、すべて引きちぎった。
視界の中で束が崩れる。いや、崩れるのではない。裂けて、消える。
(え……!?)
そのまま猛スピードで柄谷のもとへ。
あっという間に二体に囲まれる。
楔も糸も残量は、ほぼない。
その状態で、二体からの純粋な暴力が柄谷を襲う。
(ちくしょう!)
残されているのは魔力。
体中に硬化の魔術を瞬時に流し込む。
(肉体強化!)
(肉体強化!)
(肉体強化!)
(肉体強化!)
(肉体強化!)
…………
合計十倍の「肉体強化」の魔術。
自身にある魔力をすべて肉体強化に充てた。
その柄谷を襲う天狗の拳、脚。
顎を打ち上げられる。
柄谷の頭が跳ね上がった。
脇腹を蹴られる。
肋骨が折れた。
腹に打ち込まれた。
胃の中のものを吐き出しそうになった。
痛覚は遮断している。
「肉体強化」も十倍にほどこしてある。
なのに。
(……耐えきれねーかも……)
予想以上だった。
天狗。
神に近しき存在。
その力は、とても人間が対抗できるものではない。
柄谷も例に漏れず、殴られ放題だった。
しかも「肉体強化」をほどこしている分、一撃では終わらない。
じわじわと。
少しずつ。
ゆるやかに。
──壊されていく。
柄谷は殴られるがままだ。
集団リンチ。
サンドバック状態。
しかも天狗の攻撃が、あまりにも容赦がなさすぎた。
柄谷が倒れることは許されなかった。
倒れそうになると、拳や蹴りで体を跳ね上げられる。
棒立ちになった状態で、さらに攻撃されまくる。
そして吹き飛ばされそうになったら、今度は逆からの攻撃で、その場に戻される。
倒れる権利すら取り上げられている。
八雲班・遊撃隊。
八雲班でも最強と言われる遊撃隊の柄谷をもってしても、この二体の天狗にはなすすべもない。
やがて「肉体強化」の魔術が一枚ずつ剥がれていく。
一発の天狗の拳が柄谷の顔面を捉え、柄谷は背後へ吹っ飛ぶ。
さらに蹴られ、また一枚。
強力な膝蹴りを喰らって、また一枚。
そのたびに、柄谷の内臓や骨へのダメージが高まっていく。
そして、次の顔面への拳の連打。
「肉体強化」の魔術が、四倍ぐらいまでに剥がれていたことが不幸中の幸いとなった。
これまで耐えて立っていた柄谷が、ものすごい勢いで吹き飛ばされた。
皮肉にも、折れた鼻を代償にして、柄谷は、天狗二体の包囲網の外へ飛び出たのだ。
(……ラッキー……!)
これを逃す手はない。
あの猛攻から一瞬、逃れられたのだ。
柄谷は、即座に、封印していた自身の力を解放することを決めた。
それは──
(予備魔力、全放出!)
予備魔力。
蓮實をして、柄谷を兵として認めているにはわけがある。
柄谷は、奥の奥の、さらに奥の手を持っている。
それがこの、予備魔力──
普段使うことはない。
使うと、自身の肉体の輪郭が崩れるかもしれないからだ。
生まれつき、膨大な魔力を持っていた柄谷は、自身の肉体を保つため、必要な魔力以外の膨大な魔力を自身の魂に封印していた。
とても人間が、扱い切れるような魔力量ではなかったからだ。
使えば、自身もここで死ぬ可能性がある。
しかし。
──使うなら、もう、ここしかねえ!!!
一体だけでも強力な大妖怪・天狗。
それが二体。
命を引き換えにしてでも、こいつらに目にもの見せてやる──!
(これが、人間という形の限界を超える力だ!!!)
柄谷は、一気に予備魔力を解放した。
それを残り少ない楔と糸に流し込む。
一撃必殺!
小さな山程度ならば、この一発で、更地にできてしまうほどの威力。
これを、あいつらにぶつければ──
柄谷は、勝利を確信した。
肉体強化の魔術もすべて、この一撃へと込めた。
あとは、二体同時に、貫き斬り裂くだけ。
その柄谷の目に映ったのは。
突如、落ちてくる稲妻。
その稲妻は、二体の天狗の腕に宿り。
それぞれの剣となった。
(な。なんだ、今の……!)
そして、天狗は一気に間合いをつめてきた。
そして稲妻の剣を柄谷へと振り下ろす。
肉体強化の魔術を攻撃にすべて充てていたのが仇となった。
その間、瞬きひとつ分もない。
柄谷の楔と糸が、天狗たちに投げられるよりも早く。
天狗たちは、二体それぞれが、柄谷の右肩、左肩を切り裂き。
そして通り過ぎていった。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
柄谷の両腕が、肩から離れ、アスファルトの上に転がる。
痛覚遮断の魔術も攻撃へ全振りしていたため、激痛が走る。
「ぐわああああああああああ!!!」
アスファルトの上を転がり回る。
激痛は止まらない。
治癒魔術に使える魔力は残っていない。
すべて、斬り落とされた腕が握っていた楔と糸に置いてきてしまった。
天狗たちは、離れた場所で、そんな柄谷を眺めている。
ぶざまに、虫のように転げ回るさまを。
痛みに悶えるさまを。
次の瞬間だった。
その柄谷の体が、何かにぶつかった。
やわらかい肉のようなもの。
そしてそれを見た瞬間、柄谷の意識は、一時の“救済“を感じた気がした。
助かった、と脳が勝手に結論を出す。痛みすら薄くなる。
そこにいたのは。
──蓮實。
らんらんとその瞳を光らせている。
「は、蓮實さん……!」
蓮實さんがいる。蓮實さんと一緒なら……
柄谷の心に闘志が戻りかけた。
──蓮實さんは生きていた。
その目は闘志を宿している。
さっきの天狗の切り刻まれた死体、あれは蓮實が殺したことは明確。
(蓮實さんと一緒ならやれる。俺の力と合わせれば、この天狗、二体ぐらい……二人がかりなら……!)
希望の灯火が見えた。
しかし、その火は一瞬にして消える。
すべてを切り裂き、すべてを押し潰す最強クラスのエージェント。
その顔は、アスファルトの上に横たわってこちらを見ている。
(倒れてる……?)
冷静であれば、まずその違和感に気づいたはずだ。
だが、柄谷は追い込まれていた。
ゆえに、見逃していた。
蓮實の目はかっ開いたまま、らんらんと光っている。
そこまでは、いい。
そこまでは。
問題は、その顔の下。
胴体部分。
柄谷は見る。
蓮實の肉体は、胸から下が。
なかった。
「は、蓮實さ……」
限りなく深い絶望が、柄谷を襲う。
さらによく見れば、その蓮實の死体の向こう側──
別に三体の天狗が立っている。
そのうち一体の天狗が握っていたもの。
それは髪の毛。
つまり。
蓮實とともに闘っていた渡辺直己。
その生首が血を垂れ落としながら、ゆらゆらとぶら下げられていた。
「あ、あ、あ……」
──終わった。
蓮實は、殺されていた。
すでに。
天狗を一体倒した、その直後に。
三体の天狗によって──
(俺は、ここで、死ぬのか)
薄れいく意識の中で柄谷は思った。
(蓮實さんのように、体を引き裂かれ、変わり果てた単なる肉片に)
最後の命の灯火が、柄谷の心を饒舌にする。
(無残に引き裂かれ、慈悲も何もない死へと無理やり放り込まれて──)
その恐怖から意識を保っているのが不思議なぐらいだ。
だが視界はゆがんでいる。
──いや、もしかたしたら俺は。
(すでに死んでいるのかも知れない)
柄谷はそう思った。
脳は、死んだ直後、数十秒ほど生きているという。もしそれが本当なら。
(俺が今、見ているのは、この世での最後の光景)
死んだ肉体。脳だけが見る最期の景色。
──これが“死”か。
“死”とは、こうもゆっくりと、人の意識を蝕んでいくのか。
かすんでいく視界の中で、計五体の天狗が、柄谷へ迫って来るのが見えた。
終わりだ。
これで終わりだ。
俺は死ぬんだ。
ここで、人生を終えるんだ。
死ぬ直前、脳神経が麻痺して、痛みを感じないのは不幸中の幸いだった。
恐怖すらも感じないのは一種の僥倖だった。
だが死ぬにはとてもいい夜とは言えない。
生き残りたい、そんな想いはとうになくなっていた。
諦めたが故に、死へと抵抗する人間本来が持つ生存本能さえも飛んでいた。
いや、出血多量による脳の血液不足で。
本能さえも、すでに失っているのかも知れない……
ただ。
天狗の背後に赤い光。
あれは信号機の赤だろうか。
それとも別の何か……
(信号機だとしたら、つまんねえもの、最後に見ちまったな……)
柄谷がそんな風に自嘲した時である。
違う! と柄谷は思った。
柄谷は自分の目を疑った。
その赤い光が、徐々に近づいてくる。
すべてがスローモーションに見える中、確実にその赤い光は天狗の背に迫っている。
その赤い光は。
人だ。
人から発せられている。
よく見れば、その赤い光は、近づいてくる人影の右目だった。
右目だけが赤く、燃えるように光っていた。
人間とは思えない脚力で飛び上がる。
そして柄谷と天狗の間に割って入ってくる。
その人影は──
(少年……?)
そう思った時である。
「セトナクト!」
突如、その少年は叫んだ。
同時に。
そのすぐ横に、銀髪を風になびかせるメイド服姿の少女の姿があることも分かった。
どうやら少年を抱えて飛んだのはこの少女の方だ。
少女が少年に肩を貸すようにして、この宙空を飛んできた。
その少女と、少年が、この地に、降り立つ。
でも。
何の為に?
何者?
何故、ガキが?
柄谷は死の間際に、初めて、天狗たちが戸惑った様子を見た。
柄谷と天狗との間に空いた数メートルほどの隙間。
そこに、少年と少女は、脚をつけた。
メイド服の少女の美しい銀髪が綺麗に流れる。
その手には見たこともない槍。
右目だけを赤く光らせている少年。
そしてその少年がこう叫んだ。
「デル!」
それに応えるように少女が呪文のような言葉をそのやわらかそうな唇から繰り出す。
「ブチかまし、まくりメキます」
一瞬の間があった。
だが、次の瞬間には、少女はその手にした槍で天狗たちを薙ぎ。
一瞬で五体の天狗たちを、腹から、真っ二つに斬り裂いた。
そこで柄谷が見た人影は──
天狗五体を、一撃で倒した、白銀の長髪をなびかせる少女。
そして右目を赤く輝かせる少年。
消えた葉山ひまりを追い、ようやくこの場に辿り着いた、デルピュネーと北藤翔太だった。




