第105話 切り裂かれた射手座
第105話
大日如来の巨大な幻影を背に、セイテンタイセイは不敵に笑う。
そこから押し寄せる圧に、デルピュネーの体に緊張が走った。
『聖魔』――聖と魔が同居する者にだけ許される、例外の称号。
崇められる。だが同時に、最優先で畏れられる。幽世の“規格外”だ。
セイテンタイセイが『第三の理』に近いと言われるのは、この一点に尽きる。
デルピュネーの瞳が警戒色を発している。
善悪の物差しが通らない敵――
それを正面から測ろうとする状況は、デルにとっても稀だった。
それでも、槍先は揺れない。
そんなデルピュネーに魔王ベレスは問う。
「デル。仮に――君が完全体で、彼と当たったら。勝つのはどちらだと思う?」
口調は穏やかだ。だが質問の芯は鋭い。
デルピュネーは少し考える。
「あのお方は大妖怪。さらに、わたくしにとって未知である仙術をも操る存在にございます。ですが物理が通るとなれば、勝負にはなるでしょう。ただ……」
「ただ?」
「問題は、如意棒です」
「ほう」
ベレスは感心したように言う。
「神具なのに、あのお方が“妖怪のまま”握れていた。そこが不条理でございます」
「なるほど」
「神を相手にするのか、魔を相手にするのか――判断がずれます。だから通常の攻め方だと、遅れを取る可能性がございます」
「うん。確かに。武器の格が、相手の格を一段上げてしまう――そういう道具だ」
そう言って、大日如来ごとベレスはセイテンタイセイを視野に捉える。
「なにしろ、あの如意棒は、道教の最高神格の一柱である太上老君が作ったものだからね」
「太上老君?」
「そう。道教の始祖・老子が神格化したもの。だがその姿は、口がカラスに類し、耳の長さは七寸あり、額には縦筋が三本あった。元は人間、姿は異形。だから僕は、彼を『第三の理』に近いと見ている」
「では……」
「そういうことだ。その彼が作った武具が如意棒だ。妖怪が神具を握れる不条理は、そこに繋がる。武具に混ざっている。神でも魔でもない性質が」
「そうだったのでございますね」
「そんな武具を持ちながら、セイテンタイセイは幽世の存在であり得ている。デルが混乱するのは正しいよ」
ベレスの言葉を聞いて、デルピュネーはさらに肩に力が入った。
そのデルピュネーの頭に、ベレスはポン、と手を置く。
「だが、そこまで道理の通らない相手ではない」
ベレスはセイテンタイセイに向き直った。そして、親しげに話しかける。
「久しぶりだ、セイテンタイセイ。――五百年ぶりくらいか」
ニヤリと笑ってセイテンタイセイが答えた。
背後の大日如来が、魔王ベレスを値踏みするように、その目を薄く開ける。
「それほどだ。まさか主と、この如意棒を交える日が来るとはな」
「それは仕方がないことだよ。君は666の獣を屠りたいのだろう?」
セイテンタイセイはそれには答えず、逆に問い返した。
「あれはこの世を、この星を、この宇宙を破壊する者ぞ。なにゆえ、主はその存在を庇う。我こそ、主の意図が読み取れぬ」
魔王ベレスはうすく、笑った。
「まさか、あの、れらあじぇとかいう西洋の妖のように、獣を利用せんと考えているわけじゃあるまいな」
「まさか」
セイテンタイセイは首をかしげる。
この旧友の考えが読めない。
「まさか、だと?」
「レラージェの目的は大体予想がつく。あれのバックにはサルガタナス、アスタロトと大悪魔がいる。レラージェは666の獣をまだ種子のうちに手なづけようと考えている」
「主は違うのか」
「違うね。あんなもの、覚醒させてはいけない。災害は通り過ぎるのを待つものだよ」
「ふむ」
──魔界。王はサタン。だが“支配”には消極的だ。
その隙を嫌う者がいる。力を持つ者が群れ、互いに牽制し合う。
ルシファー、ベールゼバブ、アスタロト――「三大実力者」と呼ばれる名はある。だが序列ではない。
アスタロトはソロモン72柱の一柱。ならば頭領はベレスだ。ところがベレスは“三大”に入らない。
名目と実態が噛み合わない。魔界は、群雄割拠だ。
「腑抜けのサタンに魔界は任せておけない」
そう考える勢力が密かに存在する。ベレスはその筆頭が、アスタロトであると考えている。そしてレラージェは、アスタロトに仕えるサルガタナスの配下だ。
ここまでは、セイテンタイセイも理解している。
「ならば問う。なぜ主は――国際魔術会議を放置する?」
セイテンタイセイが核心に迫る。
「知らぬふりは通らぬ。
あれの上層が、人の論理だけで動いていないことくらい――主なら察しているはずだ」
「……察している、か。君は強引だな」
ベレスは笑うが、目は笑っていない。
「僕は、知っている。
だが君は――覚えていない」
「……何を?」
「言葉にする前に零れる種類の記憶だ。君たちは皆、代償を払っている」
「……それで、何を言いたい」
「それ以上は、今は言えない」
「ほう。そのように煙に巻こうとするならば、我の敵となるわけだが、それで相違ないか?」
異様な殺気だった。
今すぐにでもここで魔王ベレスと一線を交えようとする“本気”の迫力がそこにはあった。
だが魔王ベレスは動じない。静かにこう答える。
「いや。あれは、君が考えているような単純な組織ではない」
「裏の裏があると?」
「ある。――それも複数だ」
「……なんと」
「現場は、本気で人を守っている。
だが上層は違う。
あれらは、“守る”という言葉を、別の意味で使っている。
表向きの報告書と、実際の行動が食い違う。
それが、何度も起きている。
人間の組織の顔をしているが、
下手に潰すと、表の人間だけが死に、裏だけが残る」
「裏が残る……だと?」
「もっと明確に言おう。秩序から外れたものは、守る価値がない……
そう考える者が、意思決定の席にいる」
ベレスは腕を組んだ。
セイテンタイセイの笑みが消えた。
「……“秩序”を優先する連中、というわけか。そこの見解は一致しておるようだ」
ベレスは続ける。
「ただ、下の連中は本気で“人を守っている”よ。そこは事実だ。君は殺したがね」
「それは、どこに上の者が混じっているか分からぬからだ」
「いや、逆だ。現場に、疑い始めた者もいる。だが確信までは届いていない」
「我と同様というわけか……」
「まあ、そういうことだ。あと、まだ君にも言えないが、その”秩序”は、君が知る”秩序”より、古い。僕が探しているのは、その札──。古の、誰もが忘却の空へと還してしまった記憶」
「我らが忘却しているというのか」
「いずれ、分かる時が来る」
それ以外、ベレスはそれには答えない。
手札は簡単に明かさない、というヤツだ。
「だから、最悪の事態を考えて、今、僕は、666の獣を自分の保護下に置いている。刺激を避けるため。なにより、国際魔術会議のヤツらに触らせないためだ。あれは今はまだ種子の状態にある。芽が出なければ覚醒はしないと踏んでいる」
「その理由を聞こう」
「あれはエジプトの太陽神ラーの転生体に取り憑いている」
「ラー? あのエジプトの太陽神か。見かけぬと思ったら……」
セイテンタイセイは腕組みをする。
「そう。だがラーはそれほど弱い神ではない。むしろ最強クラスだ。666の獣といえど、そう簡単には取り込めない」
「そうであろうな……」
「そこでだ。僕はその転生体のラーの力をさらに強めるための技を今、教え込んでいる。獣がラーを食い尽くすのを妨げるためにね。つまり、僕の狙いは、獣が覚醒する前に、ラーの転生体である、北藤翔太を、寿命により消し去ること」
「お主が語っているのは理想論に過ぎぬ」
「そうかもしれない。だから僕が保護しているというわけだ。あれが、なんらかの刺激で、半覚醒状態になるのは前回、見たのでな」
「半覚醒だと? では、その計画、絵に描いた餅になりかねぬ」
「そうでもないさ。それに、奴が覚醒したなら、僕が……」
月が雲間から現れた。
月光がベレスの顔を照らし出す。
その表情はいつも通りに穏やかでは会ったが、その瞳は、“悪魔”そのものになっていた。
「殺す」
「……!」
デルピュネーは思わず、ベレスの顔を見る。
「なるほどなるほど。うむうむ。道理はわかった」
セイテンタイセイが如意棒をくるりと回転し、構え直す。
「あれの覚醒を阻まんとするお主の努力、それは称賛に値する。だがそれならなおのこと、国際魔術会議は、今のうちに壊滅させるべきではないか?」
「…………」
ベレスは答えない。
ただ、笑った。――それが答えになってしまう種類の笑みだ。
「……主。まだ何か隠しているな」
「隠しているんじゃない。今は言えないだけだ」
セイテンタイセイが眉をひそめる。
「そうか。まあ、よい。手法は違えど、我とお主、最終的な目的は同じというわけか。どうやら完全なる“敵”とはなりそうもないな」
「ああ。僕もこの宇宙を破壊されるのは防ぎたいからね」
「ソロモン72柱の頭領である、お主が、か?」
セイテンタイセイはいかにもおかしそうに笑った。
「こいつは傑作だ。魔の者が、この世を守りたいなど。それこそ、サタンとやらに聞かせてやりたい」
デルも、すべてを理解しているわけではない。
だが、セイテンタイセイと同じ違和感を抱いていた。
国際魔術会議は、正義の顔をした刃だ。
そして今、目の前の二柱は――その刃の「扱い方」で割れている。
「では我ら。ここは休戦の流れとなるかな」
「ああ。誤解が解けて何よりだ」
その時だった。
セイテンタイセイの背後の大日如来の幻影が目を光らせた。
「待て、ベレスよ!」
セイテンタイセイが夜空を見上げる。
曇天にもかかわらず、降ってくる星がある。
あの流れ星は“凶星”。――来訪の合図だ。
「射手座の方角か……」
魔王ベレスがその流れ星を見て言う。
「来るぞ。セイテンタイセイ。準備はいいか?」
そう、言い終わらないうちに。
猛スピードで“何か”がセイテンタイセイへ向けて降ってきた。
「なんっ……!?」
セイテンタイセイは、その者の刃を、如意棒でしっかと受け止める。
激しい金属音が鳴り響き、その衝撃波で、デルピュネーの銀髪が流れた。
デルピュネーの瞳が再び、強いエメラルドグリーンの光を放つ。
「まだ、闘おうとおっしゃるのですね、あなたは……!」
デルピュネーから大きな魔力が一気に噴き出した。
そこにあったのは屈強な肉体。
身の丈、三メートルはあろう、巨人。
それは、復讐の女神に狂わされた悲劇の神。
そして、その巨体は“ペルセウスの再来”と呼ぶに足る圧を帯びていた──!




