第103話 進撃の毘沙門天
第103話
──ラ・ヨローナ。
主に中南米に伝わる悪霊であり、「悪いことをするとラ・ヨローナがさらいに来るぞ」と母が子どもに言うことを聞かせるための常套句にも使われている。
前回の『カスケード』で召喚されたサバトの悪魔・バフォメットの使い魔として、水城市民たちを次々に誘拐。その身に受けた“物理無効”の呪いにより、あのデルピュネーをも苦しめた。
だが、怪猫シャパリュによって呪いを上書きされ、デルピュネーに斬り伏せられて消滅。天界にも行き場を失ったこの魂を、魔王ベレスは見逃さなかった。使い魔として拾い上げたのだ――当然、徹底的な洗脳つきで。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
そのラ・ヨローナが、両手を突き出し、阿修羅像=平山へと襲いかかる!
『なんだァ、コイツはっ!』
阿修羅像は、ラ・ヨローナの顔を六本腕のうち三本で薙ぎ払う。
阿修羅像は触れただけで人体を破壊する能力を持つ。
その力で、ラ・ヨローナの顔面が裂け、皮膚がめくれ上がり、赤い筋肉と砕けた歯がむき出しになった。
衝撃ではない。ただ“触れた結果”として、そうなった。
だが。
次の瞬間、ラ・ヨローナはシュッと平山の前から消え失せた。
『消えた……滅んだのか?』
その言葉を発しきらぬうちに、背中に爪が食い込み、肉が裂けた。
ラ・ヨローナが背後に再び現れ、肩口を怪力でひっかいたのだ。
『こ、コイツ……! さっき顔面、破壊したのに……』
振り向きざま。
ラ・ヨローナの腕を、空手の手刀の要領で切断する。
その腕が肘からもげ、血を撒き散らしながら宙を舞った。
だがそれが路面に落ちる前に、ラ・ヨローナの姿は掻き消えていた。
『ま、また……!?』
そして次は、目と鼻の先に出現し、再び攻撃をかけてきた。
『な、なんだァ、お前は……!?』
触れただけで相手を破壊する阿修羅像。
対して、物理攻撃を完全に無効化する呪いを持ったラ・ヨローナ。
傷を受ければ、消滅。
再び姿を表した時には、完全完治。
攻撃がなかったことになる、いわば「死ねない呪い」──
さらにその動きの疾さは、デルピュネーに匹敵。
目に見えないほどの高速で、現れては消え、現れては消えしながら、敵の消耗を誘う。
つまり、どれだけ手傷を負わせても無駄。
この悪霊を、魔王ベレスは、セイテンタイセイの力を宿す使い魔・阿修羅像に使い、じっくりと観察を行っていた。
平山は阿修羅像の六本の腕をフルに活用する。
空手の有段者であり、エージェント時代は格闘最強と言われた男。
何度もラ・ヨローナは破壊される。
だがそのたびに姿を消し、完全体となって再び襲ってくる。
次にどこに現れるかも予測不可能。
出現場所もランダム。
右かと思えば左に。
下かと思えば上に。
それだけではない。
阿修羅像に負けず劣らぬの物理攻撃力の持ち主。
ついにラ・ヨローナの伸ばした手が、阿修羅像の手の一本に届いた。
瞬間。
バキッ!
壮絶な音がし、火花が飛び散る。
阿修羅像の腕が闇の中へとカン! カン! と音を立てて転がっていく。
同時に、阿修羅像に触れたラ・ヨローナの腕が破裂。
ところが、また姿を消し、次に現れた時には、完全体。
『ぐわあああああああああああああああああああっ!』
これには、阿修羅像の力を得た平山にも、焦りが生まれた。
『こ、こんな、下衆な悪霊風情に……!』
見事な踵落としで、ラ・ヨローナの頭をグシャリと潰す。
頭を破壊すれば動けなくなるのではないかと踏んだのだ。
だが。
すぐに消滅。
すぐに復活。
次の瞬間には背後に現れ、阿修羅像の肩をガッシと掴んだ。
はねのけようとする平山。
肩が外れそうになり、ラ・ヨローナの腕が壊れる。
そしてまた消滅。次には目と鼻の先に現れ、その真っ黒の目と開いた口で顔面に噛みついてくる。
(キ、キリがねえ……!)
阿修羅像の力があれば、攻撃を受けることも、撫でるだけで相手を殺すことも、できるはずだった。
しかし、それが通用しない。
今度は背後上空から降ってきた。
そして気づいた時には、両脚に。
ラ・ヨローナの攻撃を受けた阿修羅像の脚が、二本とも破壊される。
当然、ラ・ヨローナも致命傷を受ける。
骨は折れ、肉が弾ける。
だが、消滅後には、完治している。
両脚を失った阿修羅像は、格好の的になってしまった。
阿修羅像に、自己修復能力はない。
気づけば、六本あった腕のうち三本が失われ、残りもひび割れていた。
顔の一つも潰される。
砕けた破片は青銅じゃない。赤黒い肉片が、湿った音を立てて混じっていた。
泥仕合の消耗戦。
だが、確実に、ラ・ヨローナは、阿修羅像を無力化しつつあった。
だが魔王ベレスは冷静だ。
セイテンタイセイの魔力が、この程度で終わるはずがない。
たとえ、その魔力のほんの一部だとしても。
(なるほど。これだけ破壊をしても魔力が削られない。まだ何か、秘密があるな)
観察を続ける。
冷酷に。淡々と。
消えて現れてを繰り返すラ・ヨローナの攻防。
やがてラ・ヨローナの伸ばした腕の先……
指先が眼窩にねじ込まれ、眼球が潰れて弾け、熱い血と粘液が噴き出した。
『ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!』
激痛。吹き出す鮮血。
視界が半分、赤に染まる。
慌ててその手を振り払おうとするも、その時にはすでにラ・ヨローナの腕は爆弾に吹き飛ばされたように消え失せている。
それから、全身が消失。
次には、すぐ真横から現れ、今度は頭を引きちぎりにかかる。
その怪力に耐えきれず、阿修羅像の首に大きな亀裂が入った。
『がああああああああああああああああ!』
ラ・ヨローナの破壊された腕の大量の血飛沫の中で叫ぶ平山。
それでもまだ、この悪霊は襲ってくる。
壊しても壊しても、取り憑いてくる。
白いドレス、白いベール。
顔を潰されても、腕を飛ばされても。
胴体に風穴を開けられても、
両足をへし折られても。
一度姿を消せば、それは“なかった”ことになる。
そして持ち前の怪力で壊しに来る。
殺しに来る。
やがて、平山は動けなくなった。
両脚に腕三本を奪われた上、首には大きな亀裂。
胴体も、いまにも崩れ落ちそうに大きなヒビが何本も入っている。
そこで、ラ・ヨローナも動きを止めた。
その場でじっと不気味に立ちながらも、微妙にゆらめき、
『ウッ、ウッ、ウッ、ウッ、ウッ、ウッ……』
と、天界へも行けぬ自らの悲劇を憂いて泣いている。
白い女、泣く女。
伝承以上の力を持った悪霊が、勝ち誇るでもなく、嘆いていた。
真っ黒な涙を、その穴のような真っ黒な目から流し続ける。
『とんでもねえ、化け物がいたもんだ……』
すでに平山に、阿修羅像に、余裕はない。
“破壊”に特化した阿修羅像の能力にとって、ラ・ヨローナの“呪い”は、まさに天敵。
平山もそれを認めざるを得なかった。
だが。
『それでも。無敵ってわけでもねェェだろォォよォォォ』
そう叫ぶと平山は、阿修羅像は、残された手のみで合唱する。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!』
同時にあたり一帯に、不穏な声が響き渡った。
平山は目を閉じる。異様な妖気がその場に満ちる。
(ほう……)
ベレスは、感嘆した。
(ようやく、その先を見せてきたか……)
そう。阿修羅像には、まだこの“先”があった。
聖魔・セイテンタイセイの魔力。
その隠し玉であった術式を、平山は展開した。
まず、平山の阿修羅像の近くに、一つの仏像が現れた。
そしてまた一体。またたく間に、阿修羅を含めて八つの仏像が姿を表した。
それはそれぞれ、天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆。いわゆる阿修羅を筆頭とする「八部衆」と呼ばれる存在だ。
当然、これにはとどまらなかった。
次には、浅草の浅草寺の門を守る風神や雷神。
さまざまな如来や菩薩。
数え上げていけばきりがない。
総計、百体以上もの“戦うための仏像”が、阿修羅像の背後に現れた。
これに魔王ベレスは感心する。
おそらく、使い魔に宿しているのはセイテンタイセイの力のほんの一部。
だが、そのほんの一部で、これら破壊の権化・数百体をも操る能力を有していたからだ。
(なるほど……。あの『聖魔』。これまでも、さんざん手加減していたな……)
旧知の仲といえど、セイテンタイセイは、常に本気を見せなかった。
魔王ベレスは、セイテンタイセイが持つ魔力の再計算を始める。
(この使い魔を見ていれば、ヤツと『第三の理』との関連が見えてくると思ったが……また別の箱を開けてしまったようだ)
◆ ◆ ◆
『物理無効の“呪い”……。と言っても、これだけの数からの無数の同時攻撃ならどうだァァァァ……?』
数百体もの仏像たち。
破壊の権化たちの群れ。
だが、ラ・ヨローナは恐れをまったく知らない。
恐れという感情が、もともと欠落しているのだ。
そのまま、純粋な戦闘マシーンのように、自らその群れの中へ飛び込んでいく。
『お前らァァァァ、あの女を、引きずり回せェェェェ!』
平山の命令により、大勢の仏像たちすべてがギギッと音を立てながらラ・ヨローナを迎え撃つ。
四方八方、逃げ場はなく、夜そのものが仏像で埋め尽くされた。
さすがに多勢に無勢。
全方面からの攻撃を受け、肉体を破壊されていくラ・ヨローナ。
あちこちで、黒い血の華が咲く。
姿を消し、別場所へ現れるが、現れた場所で再び、破壊される。
なんど消失しても、攻撃をする暇もなく、壊される。
腕を折られ、胴体はねじ切られ、首を跳ね飛ばされる。
死にはしないが、何もさせてもらえない。
その様子はまるで集団リンチだ。
ラ・ヨローナの黒い鮮血が噴き上がり、砕けた骨と臓物が雨のように路面へ落ちた。
肉体が、首が、腕が、足が、次々と破壊されていく。
潰されるたび、形を失い、次に現れた瞬間にはまた壊される。
一方で、ラ・ヨローナは攻撃一つさせてもらえない。
現れたその場所で、ミンチにされるからだ。
現れるたび、体中の骨という骨をへし折られる。
内臓がこぼれる。
頭が落ちる。
体中の関節が逆を向く。
ラ・ヨローナといえど、もはや、なすすべもない。
カゴの中の小鳥であり、あらゆる場所から、黒い体液が噴き上がる。
その場は、永遠に終わらない猟奇的殺人現場と化した。
『ウウウウッ………、ウッ、ウウウウウッ、ウッ……』
次第にラ・ヨローナの泣き声に変化が訪れる。
立て続けの攻撃。休みない肉体破壊。
ついには、“哀しみ”だけではなく、“無力さ”を感じ始めていたのだ。
次第に霊力が弱まる。
姿を表してもザザザっとノイズが走る。
肉体を完全には保てなくなっている。
その泣き声はか細く、力なく、そして徐々に悲劇的な意味合いを怯えていく。
そして、これを見逃す仏像軍団ではなかった。
ついに、ある巨大な一体の仏像が、ラ・ヨローナの肉体をその手で捕まえた。
身の丈五メートルはあるだろうか。
仏神。四天王の一尊に数えられる、毘沙門天。その巨大な仏像。
これが、ラ・ヨローナの素早い動きを見切り、その右の手のひらで胴体ごと鷲掴みにした。
必死に消えようとするラ・ヨローナ。
だが消えようとした瞬間、体中に謎の魔力を流し込まれ、肉体がこの世に囚われてしまう。
消えようとした瞬間、霊そのものを掴まれ、この世に縫い止められた。
『ワハハハハハハ、捕まえたぞォォォォォォ!』
平山=阿修羅像は大笑いをした。
『そいつは毘沙門天だ。四天王の一つ。北方の守護者の像だ。ほかの仏像とはわけが違うだろォォォォ!』
ラ・ヨローナは身をよじる。
だが逃げられない。
消えられない。
「なるほど。仏神でも屈指の武神の像か……」
魔王ベレスはつぶやく。
その声には、焦りも怒りもなかった。
その魔王ベレスに向かって、平山は、勝利の宣言をした。
『こいつは、俺が今、召喚した仏像の中でも最強だ。屈強な肉体。消して破壊されない強度。セイテンタイセイさまにも負けないほどの怪力、そしてセイテンタイセイ様の仙術をも体現させられる神通力! 隠し玉中の隠し玉よォォォォォ!』
毘沙門天は、ラ・ヨローナを右手に捕まえたまま、のしのしと前へ歩み出てきた。
ビシッ、ビシビシッ!
ラ・ヨローナの肉体に何度も稲妻のような青い光が走る。
なんとか消えようとしているのだ。
だが、この毘沙門天像は、他とは違う。
『聖魔』の力を、ほんの一部でありながら、使用できている。
いわば仙術で、呪いを「緊縛」した状況にある。
『お前ら、相手が悪かったなァァァァ。お前らごとき“魔”の者が、“セイテンタイセイさまに勝てるわけがないのだ!』
しかし、まだ魔王ベレスは、眉一つ動かさない。
そして、ただ一言。
「ラ・ヨローナ、動けるか?」
問いかける。
ラ・ヨローナはなんとか肉体消失を狙っている。
だが、どうしてもそこから逃れることはできないようだ。
『動けるわけなかろう!』
平山は高笑いをした。
『我々、この仏像群は、仏や神そのものではない。だが、その身にいくつかセイテンタイセイさまの仙術を宿している! 中でもこの毘沙門天は折り紙つきだ! この女の悪霊が俺たち仏像の天敵だと思ったらしいが、残念だったな! お前の見誤りだァァァ!』
「ふむ……」
毘沙門天は、ズシン、ズシン、と魔王ベレスの方へ歩を進めてくる。
『セイテンタイセイさまが出てくるまでもねえェェェ! お前が何者かは知らぬが、我ら仏像群と、何より、この毘沙門天がある限り、勝ち目はねええェェェ! セイテンタイセイさまに逆らった罰、ここで受けやがれェェェ! クソガァァァァ!』
苦しみの泣き声を上げ続けるラ・ヨローナ。
一歩ずつベレスの方へと向かってくる最強の仏像・毘沙門天。
その巨体は、ついにベレスを見下ろす場所まで近づいてきた。
ラ・ヨローナは、やはり、動けないようだ。
『その女の悪霊ごと、お前も叩き潰されて死ぬがいい! 妖怪でありながら神の地位にまで上り詰めたセイテンタイセイさまの力、ここで思い知るがいい!』
だが、ベレスは退かなかった。
ただ、そこに立ち続けていた。
『ヒュー。勇気があるな。それは認めてやろう。その覚悟、賞賛に値する! だがお前が何者だろうが、勝負はすでに決まってる。せいぜい苦しまずに殺してやれ、毘沙門!』
魔王ベレスは、攻撃して来ようとする毘沙門天を見上げている。
そして次に一言、ボソリ、と、こう言った。
「そろそろいいぞ、デルピュネー」
シュッ!
魔王ベレスの前にエメラルドグリーンの魔法陣が現れる。
そして次の瞬間。
魔法陣から目にも留まらぬスピードで“何か”が、飛び出し、それは一瞬で、毘沙門天像の肉体を。
一閃。
一刀両断にした──!
毘沙門天像は上下に断たれた。
断面が光り、遅れて崩れる音だけが落ちてきた。
──風のように現れ、最強と呼ばれる仏像を真っ二つにした者。
それは、メイド服を着ていた。
白銀のロングヘアをなびかせていた。
そして翡翠の宝石をあしらった槍を手にしていた。
その少女が涼しい目で、平山=阿修羅像を見ている。
まったく恐れを知らぬ無垢な処女のように。
『な……!?』
驚がくする平山。
あの最強の仏像が。
毘沙門天像が。
こんなにも。
こんなにも、簡単に……!?
思わず後ずさった。
それは他の仏像たちも同じだった。
その少女は、涼しい鈴のような声で、こう言った。
「ブチかまし、まくりメキます」──!




