第102話 人喰い阿修羅
第102話
本来、阿修羅像の正面の顔は、柔和で慈しみを感じさせる表情をしている。
美少年の佇まいをしており、その慈しみを帯びたはずの口角が、邪悪に持ち上がるのは、これが、本来の「阿修羅像」でないことは明確であった。
成宮蒼は、すでに魔王ベレスの覇気を放っている。
セイレーンも同様だ。
すでにロングヘアもその瞳の色も、紺碧の海原のように、青い。
ベレスは言う。
「さて。確か、この阿修羅像は、武闘派の攻撃を得意とする使い魔だったね」
これにセイレーンが答える。
その口元には八重歯のようなもの──いや、牙が覗く。
「ええ。触れるだけで相手の肉体を破壊する、技もへったくれもないタイプでした」
ベレスは一度、セイテンタイセイの位置を探るように、
夜空の月と星を隠す曇天を見上げ、そしてもう一度、阿修羅像に視線を落とした。
「セイテンタイセイが何を考えて、僕にこの阿修羅像をぶつけて来たのかは分からない。アレはいつも、僕の想像以外の行動を取る。ヤツの思惑を知るためにも、ひとまず、“コレ”は僕が相手をしよう」
「では、私は……?」
「セイテンタイセイは現在、完全に気配を消している。だがこの暗雲から笑い声を発し、自ら『ここにいるぞ』とアピールをしてきた。セイレーン、君には、そのセイテンタイセイを、この場に引っ張り出す役割を果たしてもらいたい」
セイレーンは一瞬、逡巡するような表情を見せた。
それも仕方がないことだ。
セイレーンは、セイテンタイセイとはまだ、手を合わせたことがない。
さらには、その『聖魔』として名高い実力も、よく聞き及んでいる。
だが、ベレスは落ち着いたものだ。
こう、セイレーンに告げる。
「いいかい? レーン。君の能力、その器用さには、僕ですら、一目置いている。君ならばアレを引きずり出すことができるとの判断のもとの指示だ。それとも、そんな使いっ走りのような扱われ方が、不満かい?」
その声音には、命令でも激励でもない、計算だけがあった。
それを聞いて、明らかにセイレーンの緊張がほぐれた。
ベレスの意図が、その言葉からにじみ出たからだ。
「いいえ。ベレスさまの真意を理解いたしました。ただでさえ、セイテンタイセイの力や行動は、謎に包まれています。今後、万が一、セイテンタイセイと全面戦争になった場合のことを考え、一度、私に手合わせをさせ、経験を積ませるというのが、ベレスさまの目的でしょう」
「さすがだ、レーン。呑み込みが早い。ゆえに僕は君を、信用している」
「承知いたしました。では、未知の敵。自身でその力、味わってみたく思います」
セイレーンは、うれしそうな笑みを浮かべた。
この冷酷で強大な魔王に、自分が駒として利用されている。
だがそれは同時に、セイレーンを今後の重大な「戦力」として考えてのことだ。
「きっと、引き続き、お役に立てる存在であり続けます」
そう言うとセイレーンは、スッとその場から姿を消した。
目に捉えられないほど早く、空高く舞い上がったのだ。
セイレーンは、一瞬で黒雲の中に到達する。
それを、ベレスは、冷静な表情で見守る。
ギシリ──
そう音を立てて、阿修羅像がベレスへと近づいた。
ベレスは再び、視線を阿修羅像へと戻す。
「さて。阿修羅像の姿をした、未知の使い魔。どう料理するべきか……」
だが、その時であった。
水城市街の方から、とんでもないスピードでこちらへ近づいてくる光が見えた。
それは、車のヘッドライト。
(邪魔が入ったか……)
魔王ベレスは即座に魔王の覇気を消し、成宮蒼のモードに戻る。
そして、すぐに道を開けた。
あの車の目的も正体も、この時点で分かりきっていた。
そして成宮蒼の思惑通り。
車は、スピードをまったく緩めないまま、
阿修羅像に向けて突っ込んでいった。
ドンッ!!!
阿修羅像をはねる。
100キロ以上のスピードでの正面衝突だ。
ガン! ガン! ガン!
たまらず、阿修羅像は、音を立てながら阿修羅像が背後へと転がっていく。
(なかなかに勇気のある人間だな)
思わずベレスは感嘆の声を上げた。
(だが今、国際魔術会議に、僕のことを掌握されるわけにはいかない)
すでに姿を見られている。
ここで、肉体を消すと、それこそ怪しまれる。
仕方なく、成宮蒼は、その場にとどまることにした。
阿修羅像は、体をカクカクと震わせ自由に動けないまま転がっている。
体表に、蜘蛛の巣状のヒビが走っている。
首の付け根、肩、腹部──要所ばかりだ。
その六本の腕を使って起き上がろうとはしているが、
力が入り切らないのか、ガシャンと再び、路面に崩れ落ちた。
阿修羅像を跳ね飛ばした車はドラフト気味にタイヤを滑らせ、その動きを止める。
その中から、背の高い青年が降りてきた。
高木英人。
国際魔術会議大熊班の、大熊の右腕的存在だ。
高木は、成宮蒼を見ながら叫ぶ。
「逃げてくれ、そこの人! その仏像は、ただの仏像じゃない! 俺は、国際魔術会議だ! すぐに避難を!」
その手には、彼の武具である棍。
いびつな紋様が青白く浮かんでいる。
(なるほど)
と、成宮蒼は思った。
あれは単なる武具ではない。
魔術探知機としての機能もある。
(あの武具で、この阿修羅像の内に宿るセイテンタイセイの力を感じ取って、ここへ急行してきたというわけか……あの棍、ちょっと厄介だな)
高木は棍の紋様を見る。
──おかしい。
変化している。
それは、そうだ。
この棍は先ほどまで、魔王ベレスとセイレーンの魔力をも感じ取っていたはずだ。
それが今は消え、別の紋様を象っている。
今、浮かぶ紋様は、ここにいる阿修羅像、その内部にあるセイテンタイセイの魔力のものだ。
(くそっ! なんだってんだ!)
しかし高木は、迷わなかった。
目の前には、あの、因縁の相手である阿修羅像。
倒すべき敵は、目の前にいる。
他に何者かが潜んでいる可能性はあった。
だがそれでも、まずは、アイツだ!
高木は、まだ立ち上がれない阿修羅像目掛けて走る。
別の言い方をすれば、何の勝機も、後先も関係なく、突進して行った。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
阿修羅像は今、かろうじて四つん這いのような状態になっている。
高木は、その腹に下に棍を差し込み、跳ね上げた。
舞い上がる阿修羅像。
その顔面に向けて、今度は下へ、渾身の力で棍を叩きつける。
火花が飛んだ。
再び阿修羅像の体は地面に叩き落された。
すかさず、全体重を乗せて阿修羅像を、背中から串刺しにする。
『ガ………ギ……!?』
阿修羅像が声にならない叫びを上げた。
「今だ! そこの人! 車に乗って逃げてくれ! 出来るだけ遠く! 出来るだけ早くだ!」
だが、成宮蒼は動かない。
(これが限界かもしれないな)
蒼には、この後、高木が殺されるイメージが見えていた。
それまで、待とう。
ちょっとした予想のズレで、国際魔術会議に応援を呼ばれると面倒なことになる。
今は、あの組織からは、観測されたくない。
ましてや、あの八雲在斗が、この地にいる間は──
◆ ◆ ◆
(くそっ! あの男、どうしてこの場から立ち去らない!?)
だが、高木もそれどころではない。
高木は、阿修羅像を串刺しにした棍をグリグリと前後左右へと動かした。
貫いたその傷跡を中心にして、上半身から下半身を引きちぎる算段だ。
阿修羅像はもがき苦しみ、キーキーという虫のような声を上げる。
六本の腕と脚をバタつかせている姿は、まるで死に際の蜘蛛のようだ。
まるで命乞い。助けてくれと言わんばかりにもがいている。
「逃さん!」
高木はそこに、自身の魔力を流し込む。
麻痺性の捕縛用の魔力。
阿修羅像の体が電流に打たれたように、手足を伸ばし、痙攣する。
(いける……!)
だが、阿修羅像の痙攣は、長くは持たなかった。
すぐに冷静さを取り戻すと、再び六本の腕を使って立ち上がろうとする。
そしてこの時、高木は、聞けるはずのない、あの男の声を聞いてしまった。
『高木ィィィ。お前にしちゃァ、なかなか、やるじゃァねえか……』
「……!?」
途端に、高木の背筋にゾッと衝撃が走った。
同時に阿修羅像の首がグルリ! と回転した。
そこにあった顔は──
『アクセル全開で跳ね飛ばしてからの攻撃、か……。なかなかいい作戦だったぜェ……』
そう。
この顔は。
「ひ、平山さん!?」
大熊班でも一、二位の攻撃力を誇っていたエージェント・平山剛の顔だった。
「そ、そんな……死んだはずじゃ……」
確かに平山は、首を引きちぎられ、死んだ。
だが、その生首はケタケタと笑いながら、いずこかへと消え去った。
その平山の生首が、
今、この阿修羅像の内部に取り込まれている。
思わず高木は動揺する。
平山はこれを見逃さなかった。
平山剛、いや阿修羅像は、背中に手を回し、自身を串刺しにしている高木の棍を握ると、グッグッと引き抜き始めた。
「そ、そんな! なんで平山さんが、阿修羅像に……!」
『わっはっはっはっはっはっはあ!』
あっという間に高木の棍を体から引き抜いた平山は、
その棍ごと高木を投げ飛ばす。
高木の肉体がアスファルトに叩きつけられ、
カラン、カランと棍がアスファルトに転がる。
『もっと楽しましてくれよォォ、高木ィィ。俺ァ、あの時、ただ負けたんじゃねェ。最強の肉体を手に入れたんだァ。阿修羅像。この化け物じみた体をよォ……』
「ダメだ、平山さん! 悪魔に魂を売っちゃダメだ! これ以上、魂を、魂を食われちゃ、ダメだ!」
『気持ちいいんだぜェェェ。さすがの俺もあの時は、死を意識したさァァァ。でも、違ったんだな。阿修羅像は、俺を選んでくれたんだァ。もっともっと、強い力が欲しいってよお。もっと楽しい闘いをさせてくれるってよォ』
「違う! あんたは死んだ! 首の行方はわからなくなったが……、でもちゃんと肉体は埋葬したんだ。その魂の安寧を祈って、葬儀も行った!」
『ところがどっこい。俺は死んじゃいなかったんだなァ。おい、高木よ。……おしゃべりはもうこの辺でいいだろ。その棍を手に取れよ。俺の正拳突きを防いでみろ』
「無理だ……無理だ……、平山さんとやるなんて……。だって、仲間だったのに……」
『いいじゃァねェかァァァ。旧友同士、本気でやり合ってみようぜぇぇぇ!』
阿修羅像=平山が高木に向かって全速力で走る。
その姿はまさに悪鬼。六本の腕の二つが、平山得意の空手の構えを取る。
そして強烈な正拳突きが高木に向かって放たれた。
高木は拾った棍を盾に、それを防ごうとする。だが。
瞬時に高木の姿が消え、平山の正拳突きは何者かの手のひらに受け止められてしまった。
『な……!?』
それは魔王ベレスの手だった。
ベレスが、平山の正拳突きを軽々と片手で受け止めていた。
高木はベレスに、一瞬で意識を飛ばされ、その片腕に抱きとめられている。
意識は──ない。
「見過ごそうと思ったのだがな。面白いものが見れたので、僕も参加させてもらうよ」
ベレスは言う。
「殺した人間の魂と能力を取り込み、さらにパワーアップする。同時に相手を混乱させる手段にもなる。次はこの人間の能力を食らわんとしたようだが、お前は厄介な使い魔になりそうだ。少し、試させてもらえるかな」
これに、阿修羅像の平山の顔がにやありと、笑った。
『俺の体に、触ったなァァ?』
同時だった。
平山の拳を受け止めたベレスの右腕が、バンッ!と、一気に弾け飛んだ。
その破壊は、魔術でも衝撃でもない。
“触れたものを壊す”という、単純で残酷な理だった。
『わっはっはっはっはっはァ! この体に下手に触れたものは無条件で破壊されるようになっているのよォォ! お前も高木と道連れだァァァ!』
「ああ、そうだったな。忘れていたよ」
ベレスは落ち着き払って、肘から先がなくなってしまった自身の傷口を見る。
血が勢いよく噴き出し、周囲の路面を鮮血で染めていく。
『とどめだああ! 高木と一緒に、俺に呑み込まれろ!』
ドン! と平山=阿修羅像が大地を蹴った。
アスファルトが割れ、弾け飛ぶほどの脚力。そしてスピード。
平山は一気にベレスの頭を刈り取りに行こうとした。
──以前、自分が阿修羅像にそうされたように。
だが、平山の手は、見事に空を切る。
『な……!?』
見ると、ふわり、とベレスは背後に飛んでいた。
軽く十メートル。
『なっ……!?』
あれほどのスピードの攻撃をかわされた。
だが何より。
弾け飛んだはずのベレスの右手が、もう再生している。
『貴様……何者だ……』
ベレスは高木の肉体をアスファルトの路面に下ろすと、自身の再生した手の様子を見る。
握ったり開いたり。調子はいいようだ。そしてこう話す。
「セイテンタイセイの力を借りながら、僕のことは知らないのか。なるほど。意識までは、その体に残しておけないんだな」
『なんだとォォォォ?』
「いや、ちょうどいい。バフォメット戦の時に手に入れたものがある。彼女は、お前との相性も良いはずだし、ちょっと試しにここで使ってみようと思う」
そして、静かに、
魔王ベレスは、その名を、まるで前から決まっていたかのように呼んだ。
「ラ・ヨローナ。気味の出番だよ」
途端に、ベレスの前方に魔法陣が浮かんだ。
その魔法陣から、何かが浮き上がってくる。
その者は、白いベールを頭からかぶっていた。
その肌は恐ろしいほど白く、そして白い異国の花嫁衣装を着ていた。
『な、なんだ、それは……?』
平山は、大きく動揺する。
「紹介しよう。彼女が、僕の新たな使い魔となった中南米の悪霊。ラ・ヨローナだ」
『新しい使い魔……?』
「さあ。いいかい、ラ・ヨローナ。これが君の初仕事だ。ちょっと、ヤツの相手をしてみてほしい。この阿修羅像の動きを見て、もっとセイテンタイセイの秘密を知っておきたいんだ」
ラ・ヨローナは相変わらず嗚咽をもらし続ける。
「泣く女」=ラ・ヨローナ、その名の通りの仕様だ。
『泣いてるじゃねえか……、こりゃ、最初から俺の勝ちは決まったようなもの……』
平山が、そう凄んだ時である。
瞬時に、“ソレ”はその場から消え。
次には、平山の目の前に現れた。
『な……』
瞬間移動。
平山の目と鼻の先。
白いベールの奥にある蒼白の顔が、子供のように泣きじゃくっている。
その目には白目がなく闇のように真っ黒だ。
平山は、それを、目の前でまじまじと見せられ──
ベレスと阿修羅像が戦っている現場。
【撮影】愛媛県八幡浜市殿勘定。海沿いの道をまっすぐ進んだ先にある。このトンネルを抜けると保内町。左へ進むとシーロードと呼ばれる海岸通りへと向かう。そこには「おさかな牧場」と呼ばれる釣り堀が。旬の魚を釣ることが出来る。




