第101話 子宮に宿りし者
第101話
星城学園は、その日、再び騒然となった。
突如、消失した女子高生の首。
噴き上がる血潮。天井から降るあたたかい血の雨。
首は、なぜか、いまだ見つかっていない。
何が起きたのか、説明できる者もいなかった。
一年C組はほぼ全員がパニックとなり、気分を悪くする者や、気絶する者も出た。
急遽、学園閉鎖が敷かれ、全校生徒が下校となった。
教師たちはC組には入るなと叫び、救護に走った。
そんな中、葉山ひまりは、朦朧とした意識で帰途についていた。
目の前で、同級生の首が突如、消えたのだ。
北藤翔太の魂に、触れた直後に。
──わたしのせいだ……
激しく自分を責める。
──わたしが、北藤くんの、心に入り込もうとしたから……
星見山の坂道を、何台ものパトカーや救急車が駆け上がっていく。
そのサイレンを遠くに聞きながら、ひまりは傘も刺さずに、坂道を下っていた。
その目は、うつろだった。
自責の念もある。
だが、北藤翔太の心の在り処に触れた瞬間から、意識が濁ったままだ。
何を見ても、どこか遠い。
雷はおさまっていた。だが豪雨は止まない。
ひまりは傘も差さずに歩き、周囲の視線にも気づかなかった。
ただ足だけが、帰り道をなぞっていた。
怪異の数は、相変わらず多い。
校門にまとわりつく、大蛇のような化け物。
カーブミラーいっぱいに映る、巨大な女の顔。
そして、包帯でぐるぐる巻きにされた手足のない怪異が、星見山の長階段を転がり落ちてくる。
それでも、ひまりの足は止まらない。
星城学園の生徒たちの通学路にある長階段。武道館の横にあり、その長さは50メートルを遥かに超える。生徒たちいわく“登校の難所”。
【撮影】愛媛県八幡浜市・愛宕山。
やがて星見山の麓。
翔太が住んでいる教会の前へと出る。
そこに自転車置き場があるが、
自転車の存在を忘れたかのように、そのまま徒歩で家路へ向かう。
ふと、北藤家の教会とお屋敷を見た。
その教会部分だけに怪異がなく、淡く光って見える。
──そういえば。
父が、あの教会のことを話していた。
子どもの頃、禁句みたいに低い声で。
「文献によれば、かつてあの地からは、謎の石板が祀られていたらしい。
だが、明治になり、国際魔術会議が、その場を調査。
石板を封じ、その上に、教会を建設した。
多くの住民は忘れてしまったが、今もあの地には、怪異を妨げる結界が張られている。
その石板を守るため──そう文献には記されている」
──謎の石板って何だろう?
だが、その疑問を打ち消すように、
目の前で同級生が死んでからずっと、
意識の中で、あの謎の言葉が、繰り返し、繰り返し、響いていた。
『──主が悪霊どもを滅ぼす巫女。主だ。主が我が手足となる』
『──主が悪霊どもを滅ぼす巫女。主だ。主が我が手足となる』
『──主が悪霊どもを滅ぼす巫女。主だ。主が我が手足となる』
腹の奥から。
子宮のあたりから。
翔太の魂に触れた時から、途端にその声は大きくなったように思える。
──今は、どうだっていいや……
だがひまりは、ただただ、ずぶ濡れで道路を歩いて行った。
ひまりの自宅である八ノ宮神社がある海岸通りに入る。
ここまで来ると、もう人はまばら。
いや、この豪雨のせいか、ほぼ人影はない。
そこを、たまたま通りかかった車が、ひまりのすぐ側で停止した。
ドアが開く。
中から、中年女性が「ちょっと、大丈夫?」と、傘を差しながら出てきた。
ひまりは、ぼんやりとした意識の中で、その声の主を見る。
──あれ。……どこかで見たことがあるような気がするけれど──
その女性は言う。
「八ノ宮神社のところの娘さんじゃない! 傘はどうしたの?」
「あ……」
声を発そうとするひまりだが、思考が返事としてまとまらない。声は言葉にならない。
「ひどいびしょ濡れ。ほら風邪引くから。おばさんの車に乗って行く?
神社まで送って行ってあげるわよ」
そう言って、せっかく頭上に掲げてくれた傘も、
一体何の意味があるのか、今のひまりにはわからない。
思考が混濁して状況を理解できないでいるのだ。
ひまりは傘を見上げていた視線を、やたら親切なこの中年女性に戻した。
何か、話しかけてきているようだが、耳から入ってくるその言葉は靄に包まれて雑音のようにしか聞こえない。
それよりも、ハッキリと、あの声だけが聞こえる。
『──主が悪霊どもを滅ぼす巫女。主だ。主が我が手足となる』
そのせいか、中年女性の声は、ひまりの頭をさらに濁らせるだけだった。
その時だった。
ひときわ大きな雷が、水城市のどこかに落ちた。
轟音が響き渡る海岸沿い。
中年女性も思わず「キャッ!」と悲鳴を上げて耳を抑え、目を閉じる。
その中年女性を、ひまりはただただ、ほぼ意識もない状態で見続ける。
「ひどい雷……。もう雷は通り過ぎたと思ったのにねえ」
そしてその中年女性が再び目を開けた瞬間。
ひまりは、その女性と初めて、まともに目が合った。
その瞬間、中年女性の顔がくもった。
ひまりの瞳……
意識がほぼなく、混濁し、誰を相手にしているかわかっていない彼女の瞳。
そこに、中年女性は、言葉にはできぬほどの“闇”を感じた。
それは比喩的な表現ではない。
言葉通りの“闇”──だ。
「あ、あんた……。その目……」
中年女性の顔がにわかに青ざめる。
まるですべての光を吸い込んでしまうかのような瞳。
そして、後ずさろうとした瞬間だった。
『──主が悪霊どもを滅ぼす巫女。主だ。主が我が手足となる』
ひまりの腹のあたりから。
『──主が悪霊どもを滅ぼす巫女。主だ。主が我が手足となる』
子宮のあたりから。
『──主が悪霊どもを滅ぼす巫女。主だ。主が我が手足となる』
鉤爪のある、巨大な手の“影”が飛び出した。
「──あ」
それは、その中年女性にも見えたようだった。
そして。
その巨大な手の“影”は、思い切り振りかぶると。
その中年女性の肉体と車を、激しく、斜めに引き裂いた。
同時に、影は素早く、ひまりの腹の中に戻る。
中年女性は何が起こったか分からなかった。悲鳴を上げることも出来なかった。
ただ肉体を、車ごと真っ二つに裂かれ。
音を立てて、海へ吹き飛んでいった。
水しぶきが上がり、すぐに雨に紛れた。
その路面に残った血しぶきは、この豪雨が少しずつ水に溶かしている。
これを見ている人は、誰もいなかった。
女と車が沈む泡だけが、背後で消えていく。
ひまりは海岸通りを、また歩き始めた。
フラフラと。
ゆっくりと。
体中から雨水を滴らせながら。
666の獣によって魂を汚染され、闇が活性化してしまった“瞳”を前に向けて──
◆ ◆ ◆
星城学園周の喧騒は、その日の夜には、市内をも巻き込んで、さらに大きくなっていた。
雨は上がっていた。
だが、まだ残る嵐の香りを引き裂くように、パトカーのサイレンの音が響き渡った。
パトカーは、それぞれ、スピーカーで喚いていた。
「住民の皆様は外出を控え、報告あるまで自宅で待機していてください」
そのアナウンスが、夜の街のそこかしこから聞こえていた。
そんな中、一台の車が、水城市内をぐるぐると走り回っていた。
成宮蒼だ。
セイレーンが運転する車に乗り、後部座席から街の様子をつぶさに見て回っている。
運転席からセイレーンが言った。
「やはり、車で正解でしたね、ベレスさま。国際魔術会議が空にまでレーザー光を射出して警戒している」
水城市の至るところから、光の筋が空に向かって伸びている。
水城市を覆う雲に丸い光輪を作りながら、雲の腹を動き回っている。
空を飛ぶ怪異を警戒しているのだ。
国際魔術会議はすでに、これを怪異事件として、警察とは別動で捜索していた。
「ああ。おそらく、空にも、何らかの結界も発している。そこに引っかかってしまっては、我々の存在が彼らにも伝わってしまう。仕方がなかった」
「ですがやはり、空から探すよりは効率が悪い。あの学園での事件を起こした源の存在の痕跡が、なかなか見当たりません。匂いが雨で流されてしまっています」
「あの時に感じた闇の波動は、均等にこの周辺地域全体から発せられたものだった。事件の中心地は学園でも、そこから、その何者かがどこへどう移動したのか、知るには、痕跡をたどるしかない。なにせ、僕にも判断がつきにくい“闇の力”だった」
「では、やはりレラージェさまのものではない、と?」
「逆にレラージェだって驚いているはずだ。これまで感知したことのない力が突如、発現したのだからな。昨日今日、この地に顕現したレラージェが、第三の理について知っている線は薄い。今ごろ、ヤツもその存在について水面下で調査を始めているはずだ。なにせ、自分を脅かす、それほどに大きな力だったからな」
「第三の理の活性化、ですか……。陰皇が関与している可能性は?」
「それはないだろう。もしアレが動いたとしたら、こんな被害では済まない」
「確かに……」
「この町どころか、この世界そのものの存亡の危機となっていたはずだ」
セイレーンはこまめに街を塗って走る。
途中、警察の検問にも会ったが、催眠術で、何なくやり過ごせた。
ベレスは当然だが、セイレーンも完全に人間に擬態している。
青の髪も瞳も、今は黒に変えていた。
外国人の容貌では怪しまれてしまうからだ。
セイレーンはハンドルを切ると、次に、海岸通りに出た。
その先へ進めば、隣町へ向かう大きなトンネルがある。
だがこの辺りは民家が少ないばかりか、人通りもほぼなく、街灯も少ない。
波が岸壁にぶつかる音に包まれ、ベレスを乗せた車は奥へ奥へと進んでいった。
そしてちょうどトンネルの近くまで差し掛かった時である。
「ベレスさま」
セイレーンが声を上げる。
暗闇の中、車のヘッドライトに突如、人影が浮かんだのだ。
だがその人影には、腕が六本。
細い華奢な体躯が道路の真ん中で、道を塞いでいる。
「そうか。セイテンタイセイも、いたんだったな」
そう。車のヘッドライトに浮かび上がった影は。
かつて、国際魔術会議の大熊班を半壊させた、
──あの、阿修羅像だった!
「どうやら、我々を待ってくれていたようだな」
「どういたしますか? ベレスさま」
「どいてくれと言ったところで、通してくれるはずもないだろう」
「では、跳ね飛ばしますか?」
セイレーンは、あくまでも好戦的だ。
「いや。いい。止めてくれ」
ベレスはそれを制した。
「それに、幽世の中でも、セイテンタイセイは、もっとも第三の理に近い存在の一体だ。話したいこともある」
その阿修羅像の直前で、車は、キッと音を立てて止まった。
ヘッドライトに浮かび上がった阿修羅像は、不気味なほど静かだ。
「レラージェと相討ちで滅んでくれるかと思ったのだが……。まさか先に僕の所へ来るとはな」
「セイテンタイセイ……あの『聖魔』と事を構えるということですか」
「厄介な相手だが、知らない仲じゃない。歓迎してくれるなら、それに応えてみようじゃないか」
「ですが、この感じ……明らかに殺気を伴っています」
「そうだな。セイレーン、君も手伝ってくれるかい?」
セイレーンは頷いた。
その時、月をも星をも覆う分厚い雲の中で、セイテンタイセイの笑い声が響き渡った。
魔王ベレスとセイレーンは、それぞれ車を下りる。
セイレーンの髪と瞳が、黒から青に戻る。
セイテンタイセイの笑い声は、いまだ雲の中から聞こえる。
国際魔術会議の結界を、どうかいくぐっているのか。
「相変わらず、よく分からないヤツだ」
「まだ、姿を表す気は、ないようですね」
「ああ。あのバカ猿。まずは、この人形で、僕たちと遊ぼうって算段なんだろう」
その時、ヘッドライトに照らし出された無機質なはずの阿修羅像の表情が、
──わずかに笑った。




