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幽世のリリン  作者: R09(あるク)
第二章 怨霊編~胎児よ、胎児、湖面はそこだ

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第93話 美優vsメドゥーサ

第93話


 ──津羽井つばい山の麓、名坂なざかの坂道。

 遠くで木がはぜる匂いがした。さっきの熱の名残なごりが、夜気をゆっくり押す。

 北藤翔太ほくとうしょうた海野美優うみのみゆの前に、メドゥーサ。

 そのメドゥーサのまぶたが、音もなく上がる。

 邪眼。見る者すべてを石にする呪われし瞳。


 メドゥーサの顔には笑み。

 これで、あの海野美優は石化する。

 開くその目。

 そこに落ちた人影は──











 メドゥーサの顔だった。











「ひ、ひっ……!」


 まずいっ……!

 またたくまにメドゥーサの顔半分がピシピシと石化を始める。

 たまらずまぶたを閉じ、取り乱しながら背後に飛び下がる。

 その時、左肘関節に強烈な痛み!

 それは海野美優のシラット。肘関節が見事に決まり、メドゥーサの肘をあらぬ方向にへし折っていた。


「くっ!」


 さすがのメドゥーサも呆然とする。


 ……痛い、痛い。どうして……どうして……。


 美優はメドゥーサが背後に飛んだそのスピードと同じ速さで間合いを保ち、逃げの最中に膝を固め、着地と同時に──折った。

 肘は甲冑の隙。美優はそこを正確に突く。


 そして再び間合いを取った美優の手に握られていたのは小さな手鏡。

 折りたたみ式で、女子なら大抵持ち歩くもの。

 まぶたが開く刹那に合わせ、この鏡をかざして隙を自ら作ったのだ。


「おのれ、謀った、わ、ね……!」


 メドゥーサの顔は口元を残してほぼ石。


「メドゥーサと聞いて、私が完全に丸腰で向かうと思う?」


 ミリ単位の正確な動きで技を駆使できる美優だからこそ出来た反撃。

 とはいえ、一か八か。

 けれど、根拠のない自信があった。

 その自信の源は。


 ──翔太くんを守るため!


 美優自身、驚いていた。そして自分がこれまで磨いてきた技、訓練を重ねてきた日々に感謝する。

 呆れてと驚きが入り混じった翔太の顔。

 その翔太の手首を掴む。


「今よ、翔太くん、逃げるわよ!」


 あれよあれよと引っ張られていく。

 だが、美優の足はそこでピタっと止まった。手を引かれるまま振り向いたその先で──


『見つけたわ……見つけたわ……。あの方は、こちらだわ……』

『見つけたわ……見つけたわ……。あの方は、ここにいるの……』

『見つけたわ……見つけたわ……。皆さんもこちらへ来て……』

『見つけたわ……見つけたわ……。ようやく会えました、ようやく会えました……』

『見つけたわ……見つけたわ……。ここにいらっしゃいましたのね』

『見つけたわ……見つけたわ……。探しました探しました……』

『見つけたわ……見つけたわ……。ここで通せんぼをしましょう……』

『見つけたわ……見つけたわ……。そうしましょう、そうしましょう……』

『見つけたわ……見つけたわ……。そうしましょう、そうしましょう……』

『見つけたわ……見つけたわ……。そうしましょう、そうし……』


 二車線の道路を埋めるおびただしい群れが壁となっていたのだ。

 いや、“虫”ではない。

 フランス人形のような西洋の美少女。同じ顔が何十体。

 同じゴスロリドレス。

 彼女らは四つん這いで、カサカサ、カサカサと。

 首の角度だけが不自然に固定され、眼球だけがカチリ、カチリと同時に動く。

 口は笑っているのに、歯が生えていない。暗い空洞から甘い声だけがこぼれる。

 いつの間にこの群れが背後で待ち伏せていた。

 もし、気づかず、このまま背後から襲われていたとしたら……。

 翔太も美優もゾッとする。


「あれ……あのゴスロリ少女事件の……」


 さらに上空には──


 バサッ、バサッ、バサッ、バサッ。


 白い天使像の群れが夜空で渦を巻いていた。

 小さなキューピッドの形、だが瞳孔がない。開いた目はつるんと白い、

 弓を引く腕関節。石なのにそれは可動し、引き絞られた弦からは金属の悲鳴が鳴った。

 天を埋め尽くす数。矢じりは酸の匂いを立てる。


「こっちは、例の平家谷へいけだにの……」


 前方、そして上空。

 どちらの攻撃も。


 まともに受ければ、血肉が溶ける──!


 背へ退けばメドゥーサ。

 退路はない。

 囲まれた。

 完全に逃げ道を塞がれた。


 その時だった。


 翔太がふらつく。頭がくらくらする。


(──なんで! こんな時にっ!?)


 翔太の頭に過去がフラッシュバックしていた。

 それは小学生時代のことだ。

 子どもの翔太が悪ガキに囲まれている。全員が翔太より発育がよく、体は二周りは大きい。

 そして蹴られる。足が無数に飛んでくるように感じた。

 その痛み、悔しさ、絶望。

『なんだよ、こいつ、弱っちーの!』

 見下ろす顔、顔、顔。それはすべて黒い影で、目と口だけが白く笑っていた。


 そして翔太の足は止まっていた。

 動けない……。

 でも、その手首を引く強い力が、過去の映像にヒビを入れる。


「こっちよ!」


 美優だ。

 美優もつまづきながら翔太を引っぱる。

 翔太は思う。


 ──いつも俺は、美優に救われてきた。今も。


 ダメな自分が嫌だ。今になって役立たずになるなんて。

 足手まといにもほどがる。

 動け!

 動け!

 動け!

 

 だが体は凍ったようにぎこちない。思惑と肉体の歯車が空回っている。

 美優はそれでも翔太を、この場から連れ出そうとする。

 でも……。


(ダメだ……! 時々襲って来るこの絶望、消えない! こんな時に! なんでっ!)


 美優は察していた。

 翔太の心の傷を。

 美優は知っていた。

 翔太が人一倍繊細で、優しすぎて、だからこそ、相手を憎むことでトラウマから逃れられないことを。

 涙がにじみそうになる。

 だが、今はそれどころではない!


 美優は振り返らずに言う。


「大丈夫! 私について来て!」


 その言葉に再び、つらい記憶に光が差す。

 過去の傷が、また、ガラスのようにヒビ割れる。


「よし! いい子! 翔太くんは大丈夫。きっと動ける! いつだって君は、耐えてきた」


 ピシピシッピシッ──


「耐えられたのは強さ。そう。翔太くん。あなたは強いの。そして今は、──もっと強い!」


 過去の映像が一気に砕け散った。

 粉々になった破片が翔太の頭上に振ってくる。


 そうだ、俺にはいつも美優がいてくれた。

 美優がそばにいてくれたから耐えられたんだ。

 俺は強いんじゃない。

 美優が強さをくれたんだ!


 翔太の体が動く。走れる。ついていけるようになる。


「そうよ、そう! 行くわよ! いつだって翔太くんは立ち上がってきたんだから!」


 振ってきた過去の傷の破片は、いつの間にか、真っ白な羽根になっていた。

 ふわふわと漂いながら落ちてきて、翔太の頬を優しく撫でる。


「だから──だから私、翔太くんのこと……信じられる!」


 そう言った美優が向かったのは──あろうことか、メドゥーサの正面。


「あ、ら。往生際、が悪いの、ね」

「そうかしら?」


 メドゥーサは折られた肘をもう一方の手でゴキゴキと動かす。

 そして──ハマった。折られていたのではない。関節が外れていただけだ。


「でも……戻って来てくれる、なんて光栄だ、わ。やっぱり勇敢なの、ね、好きよ、あなた、みゆちゃ、ん……?」


 先を走る美優の背中。

(何やってんだ、俺……!)

 翔太は完全に我を取り戻した。いつもより早い。

 魔術回路で脈打つラーのイーナリージアが背骨を走る。

 これか。と思う。

 ラーの力は肉体だけではない。

 精神をも強化してくれる。


 そしてカッと前を見た。


 見ると、いつの間にかメドゥーサは、自分の石化を解いていた。

 ちょっと目を離していた隙に。どうやって──?


(これは──呪いの解除、その手順……この化け物、隠し持っているな)


 だがその詮索は今じゃない。

 今は攻める時。

 美優はメドゥーサの目前で低くしゃがんだ。そのまま体を軸に伸ばしきった左脚で回し蹴りを放つ。メドューサの脚を刈るつもりだ。

 しゃがんだのは視線を合わせないため。

 また、まぶたを上げられたらたまらない。

 そして美優の速度はメドゥーサを上回った。この美優の奇襲を、メドゥーサは見事に食らう。

 そして、すり抜ける。

 そのすり抜けたはずの美優のもとへ──


 毒蛇。


 いつの間にか、メドゥーサの美しい長髪は無数の蛇へと化していた。

 そのうちの一本が美優の肩めがけて跳ぶ。牙から滴る毒が地面を焦がす。

 まだ美優は気づかない。

 蛇が大口を開け、美優の肩をかもうとした瞬間。

 その鎌首を掴んだのは、背後を走る翔太だった。

 そして美優から遠ざけ自身の目の前で力を込める。

 握りつぶす。

 ラーのイーナリージアで強化された握力が、蛇の骨ごと粉砕していた。


「──!?」


 肉が潰れる音、温い体液。うなじに飛沫。美優が振り返る。

 ──え。

 何かがあった。

 そして、おそらくは、それを翔太が救ってくれた。

 ──一体、何が……。

 その美優の視界にもメドゥーサが入った。

 頭髪がいつのまにか無数の蛇となっている。

 完全に化け物。伝説通りの姿──!


 驚いている美優へ、ふいに翔太は言った。


「──飛ぶぞ」

「……え?」


 美優は何のことか分からなかった。

 だが翔太の方は。

 イーナリージア全開。魔術回路がはち切れんばかりに脈打つ。

 神経が焼ける。魔術回路が痛覚そのものに巻き付いてくるような痛み、激痛。

 これがリスク。

 修行不足の自身のミス。

 冥船メスケトトの呼吸、夜の冥府を船で渡る太陽神ラーの力を取り入れるあの儀式。

 四拍吸い、十二拍で肺を凍らせ、六拍で吐く。

 その循環が、魔術回路の痛みを和らげてくれる。

 まだこの訓練を始めて間もない。だから真の力は1000分の1も発揮されない。

 だが──

 やる。

 やれる。

 耐えられる。

 行く!

 なぜなら。


(美優は、俺が、守る……ッ!)


 バンッ!


 地が割れ、二人の体がふわりと浮く。

 翔太は美優を抱き上げる。突然のことに美優は翔太の体をがっしりと掴む。


「え……わ……翔太くん、何これ……」

「いいから、しがみついて!」


 その言葉に美優は翔太の首に腕を回した。


 さっきの破裂音は、翔太の踏み込みの威力だ。アスファルトにはヒビ。

 そこには粉塵が待っている。

 宙に浮いている、まるで空を飛んでいるかのようだ。

 高さは十五メートルほどか。

 すかさず追う蛇が伸びるが、すんでのところで届かなかった。


「速……い……?」とメドゥーサは悔しがる。


 そして、再びまぶたを開けようとするも。

 その頃には翔太と美優の背は、夜の闇の中へとかき消えていた。


 一方、下降に入る翔太と美優。

 夜空から林へ。林が結構な範囲で燃えている。

 何かがあった。

 デルとペルセウスの闘いの最中に。

 だが、翔太と美優の思惑は、一致していた。

 美優がメドゥーサに立ち向かったのも。

 翔太が激痛をこらえて宙を飛んだのも。

 狙いは一つ。


 ──デルのところへ……!


 天使像が二人を追随する。矢の先から白い蒸気が尾を引く。

 だが矢の軌道は届かない。

 すでに林の木々直上に二人の姿はある。

 風がゴウゴウと鳴る。着地まで、あと数秒。


「まったく、美優は危なすぎる! 人間が神話上の怪物に勝てるわけないだろ!」

「どうもこうも、もう頭、真っ白よ! 私だって翔太くんを護ろうとしたの!」

「ああ、すごいよ美優は。まさか、あのメドゥーサ相手にシラットでダメージを与えるんだもんな」

「翔太くん……」

「え? 何?」

「……着地、どうするの?」

「え?」


 次の瞬間、二人は林へ突っ込んだ。

 

ガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサ!  


 翔太は体を丸め、必死で美優が傷つかないよう守る。  

 枝が、木々が。  


 バキバキッ! バキバキッ!  

 ザザザザザザ! ザザザザ!  


 肌をひっかいて、2人の皮膚を突き破ろうとしてくる。


「きゃああああああああああああああ!」  


 この衝撃に叫ばずにいられない美優。  

 そして。  

 翔太は美優を抱えたまま着地した。  

 そのために踏みしめた足が滑りそうになる。


(え……?)  


 ──土がガラス化している。必死にバランスを取った。

 なんとか転ばずに済む。


 それにしても……(なんだ、この熱気は?)


 熱い。

 すぐ目の前で林が炎に包まれている。

 ここで、何かがあった。

 何があったのかは分からない。

 

 分からないが、土がガラス化するなんて尋常なことではない。


 ◆    ◆    ◆


 そんな初々しい少年少女が落ちていく姿を遠くから眺めているメドゥーサ。


「あれが……“獣”の力……」  


 ポツリと言う。  

 そして。


「いえ、違う、わ。何か、混ざっちゃって、る……。あれ、は、神性の、力……」  


 ふふっと笑った。


「面白くな、ってきたわ、ね」  


 そして足元を見た。  

 鏡だ。  

 美優が彼女を追い込んだ、あの忌々しい折りたたみ式手鏡。  

 割れて粉々になっている。


「だって、あの、娘も……」  


 まぶたを閉じたままのメドゥーサは意味ありげに微笑んだ。  

 髪はすでにもう美しい長髪に戻り、林から拭いてくる風にキラキラとなびく。

 そして口元にかかりそうになる髪の毛を気にする様子もなく、言った。


「きっと、“ヒト”、じゃ、ない……」


挿絵(By みてみん)

メドゥーサイメージ

現在、ここまでリライトしております。この先はまだ手直しが終わっておりません。

時間ができしだい、一話一話、ブラッシュアップしたものをお届けする予定です。

よろしくお願いいたします

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