第8話 『ゴースト』vs悪魔祓い師
第8話
「ちっくしょう、キリがねえ!」
一方。
濃霧を切り裂きながら戦っていたのは、国際魔窟会議のエージェントにして悪魔祓い師──神表洋平。
群れをなす『ゴースト』。
四方から襲い来る。
「そもそも──」
黒姫が閃き、頭蓋を粉砕。
「俺は──」
返す一撃で肋骨をへし折り、
「悪魔専門なんだよッ!」
木刀の突きで喉を正確に貫いた。瞬間、血の霧が舞い、あたりは屍の海と化す。だが『ゴースト』の数は減らない。倒しても倒しても、濃霧から溶け出すように海から這い上がってくる。
こいつらを街へ向かわせるわけにはいかない! フェリーの中にも絶対に入れさせない! それが神表に課された難題。しかも敵は──不死身。
「クソッタレ……! 増える一方じゃねえか!」
苛立ちを吐き捨てつつも、神表の木刀は止まらない。
「ああもう、こんなことなら……さっきのかわいこちゃんのLINES、聞いときゃよかったぜ!」
軽口を叩いた刹那、黒姫の切っ先が『ゴースト』の顔面を砕き、白濁の霧とともに吹き飛ばす。
「置き去りにしちゃいけねえのは──助けたい女の子だけで十分だ! お前らは霧と一緒に消えちまえ!」
血しぶきが弧を描く。だが横から伸びた巨腕が黒姫を捕えた。──屈強な身長2メートルほどもある巨躯の『ゴースト』。木刀をがっしり握り込み、怪力で封じる。
「この……っ!」
力任せに引いても抜けない。大口を開けた巨躯が、そのまま神表を喰らわんと迫る。
「俺なんか食っても、腹壊すぞ」
ニヤリと笑い、神表は黒姫を捨て、両手を掲げた。
「黒姫よ、偉大なる唯一の神の言葉を刻め──ッ! 聖天火業!」
轟、と光の魔法陣が咲き、巨躯の両腕が灼熱に包まれる。骨ごと焼き裂かれ、霧すら蒸発。黄金の炎とともに、羽根の幻がキラキラと舞い落ちた。翼の根元から金砂のような光がこぼれ、潮騒のような低い響きがした。一気にこの辺りの『ゴースト』は塵になる。再生すら不能なほど細かい塵に。
──殲滅!
この時、ターミナルの広場があるであろう濃霧の向こうからは、誰かの足音と、途切れ途切れの悲鳴が上がっていた。
「……連発すりゃ、この辺一帯を更地にしちまうな」
”人間”を巻き込むわけにはいかない。ぼやきながら、次の印を結ぶ。
「──御霊光輪!」
地駆ける光輪。音が消えた。息を吸う音すら、世界から抜け落ちていた。そしてその輝きの円から光の槍が、数千本ほどあろうか──一気に噴き上がる。何十体もの串刺しにされた『ゴースト』が宙に吊られ、断末魔を。とてつもなく、残酷な光景。これが神の怒りかと誰もが祈りを捧げるような惨状。まるで中世ヨーロパの処刑場のような風景が一気にそこに広がった。
「ったく……聖力の残量が足りねえ。雑魚狩りサボったツケだな」
それでも神表の姿は圧倒的だった。一騎当千──それが悪魔祓い師・神表洋平。
だが──。
頭上から影が落ちる。
「……!?」
夜空を覆うほどの巨大な掌。
『ヒトガタ』。
フェリーが悲鳴のように軋み、中から乗客の叫びが響く。フェリーの窓越しに、顔を押し付けて泣き叫ぶ子供の影が見えた──だがすぐに霧に呑まれて消える。
(……守りきれるか?)
神表の胸を、一瞬だけ不安がかすめた。
「全力出して、フェリーまで沈めちゃしょーがねえ……。仕方ない。まあ、都市伝説の怪物とタイマン張るのは初めてだが……」
黒姫を横に構え、剣先に左手を添える。背にバッと天使の羽の幻が広がり、キラキラと揺らめく。
「これで行くッ!──重地解放!」
重力から解き放たれ、神表は宙を翔ける。全身が光に包まれ、木刀すら聖剣のように輝いた。
「脚ッ! 体幹ッ! 腕ッ! 筋力増加ァ!」
自らの各部位を強化。同時に、神表が叫んだ肉体の部位が爆ぜるように発光する。
「『ヒトガタ』の真似事風情が……どうせ紛い物だろうよ!」
巨腕を駆け上がり、肩を踏み台に跳躍。八相に黒姫を構え、輝く大天使の羽根で、天高く舞い上がる。神表の得意の構えと一撃だ。
「正体がなんだろうが──頭をかち割りゃ黙るだろうがよッ!」
必殺の斬撃が振り下ろされる。夜空を裂く閃光。羽根が舞い散り、霧を吹き飛ばし──。そこには“死”の香りが一気に噴き出した。
誰もが勝利を確信した。そう。神表自身も。だがその瞬間。
「……う、わ……」
体が空中で硬直した。
何が起こったか分からない!
羽根が一斉に砕け散り、光ごと消える。
暗闇が、押し寄せるように戻ってきた。
次に神表を襲うのは、呼吸すら奪うほどの圧。
「なっ……!?」
全身が鉛のようになり、重力に叩き落とされる。
ドガァァン!
波止場に背中から叩きつけられ、肺から空気が絞り出される。血を吐きながらも必死に顔を上げた。
「……こ、これは……?」
まさか、大天使の力が打ち消されるなんて……!
その神表の目に映ったのは──夜空を覆い尽くす禍々しい影。ただの闇ではない。それは“光を拒む闇”だった。人の目では形を捉えられず、見た瞬間、脳のどこかが拒絶反応を起こす。言葉にならない“何か”が、視神経を逆流して思考を侵す。
理性が警鐘を鳴らすより早く、脳が理解を諦めていた。
その闇は形を持たず、だが瞬きするたび幾何学模様の触手のような影に形を変えていっている。背筋を氷柱で貫かれるような感覚。そして、これまで味わったことのない“限りなき絶望”に似た恐怖が、神表を覆い尽くした。
つまり、これは──
(……ま、まさか、魔王……クラ、ス……!?)
……音が消えた。波も、風も、霧さえも。世界が息を止めた刹那、神表の心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いた。あとで神表は思い出すことになる。
(あの瞬間、自分が誰なのかさえ思い出せなかった)
そして──
潮風が逆流する。
闇を裂いたのは、不気味なほど明るい管楽器の音。祝祭のファンファーレ──いや、それは祝福ではなく、悪夢の開幕宣言。
二足歩行の猫たちが、半透明の姿で列をなし、ラッパを吹き鳴らしながら進んでくる。ラッパを吹く猫の口は金属と融合していて、笑っているのか鳴いているのかさえ分からない。黒猫、白猫、三毛、縞──色とりどりの猫が執拗に視界を埋め尽くす。
旋律の一音ごとに、世界の輪郭がゆらぎ、色が剥がれ落ちる。彼らは歌うでもなく、笑うでもなく──ただ、“存在”そのものが不快に感じられた。港は、猫たちの行進と禍々しい影に完全に支配される。神表の手の中で、黒姫が”危機”を感じ、かすかに振動する。震えている。
「クッ……この『黒姫』が……怯えてやがる──!」
何を見ているのかを理解しようとした瞬間、思考が足場を失って滑り落ちた。
あまりに根源的な“異質”の前では、知覚そのものが嘘に変わる。
ゾクゾクっと神表の背筋に悪寒が走った。感じた。分かった。そして確信もした。やばいことが起こりやがった……
今。
ここに。
『ゴースト』や『ヒトガタ』の他に。
──とんでもない大物が新たに顕現した!
そしてその瞬間、港の照明が一斉に爆ぜ、月光さえ黒く染まった。




