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目をゆっくりとあける。まるで底なし沼から這い出たような感覚だ。脳は霧霞がかっている。それが徐々に晴れていく。
「ぅう~」
夢は見なかった。まばたきを1回しただけのような感覚。それでも時間は数十分と過ぎている。それを見て、ああ寝ていたんだと確信できた。
「もうちょっと寝たい」
寝る子も育つと言うし、もうちょっと寝れば身長が伸びる気がする。そうすれば葉月と並んでも僕の背の方が高いと一目瞭然だろうに。
ちょっぴり自分の背が低いことを気にしている僕だった。
「とりあえず教室に戻ってから寝よう」
寝る気満々。
ふらふらと保健室を出て自分の教室に戻る。
「おや?」
そこで異変に気が付く。朝立ちがなおっていないとかそーゆーんじゃない。
僕の教室がやけに騒がしかったのだ。
「どーしたんだろ」
とりあえず中に這入ってみる。すると教室の中は騒然としていた。
「とりあえず探せ!」
「どこを!」
「一旦落ち着いた方が」
「先生呼んでこようか」
などと色々な言葉が飛び交っている。
まったく状況を把握できない。何が起こっているんだ?
僕はクラスで大人なしめのクラスメートに勇気を振り絞って声をかけた。
「あ、あの、これは一体……」
「あ、あぁ、なんだか金剛寺さんの財布がなくなったって……」
金剛寺さんとはお金持ちで有名な人。家がかなりデカイとか親が会社をいくつも経営してるとかそんな噂を聞いたことがある。箱入り娘の生粋のお嬢様だ。
「それはまた……」
災難だな。一体いくら入った財布を無くしたのだろうか。ってゆーか財布自体も高そうだな。
「クラス全員いるな! すまないが自分の机の中とカバンの中を一応見てくれ。その辺に落ちていた財布を適当に机やカバンの中にいれた可能性もある」
まぁ机のそばに落ちてたら、そらその人のかと思って入れちゃう事はあるかもしれないなぁ。
クラス全員が自分の机とカバンの中を調べていたので僕も当然のように周りに流される形で自分の机とカバンを調べてみる。
机の中は異常なし。教科書しか入っていない。次にカバンだ。
そのときにクラスの前の方で生徒が騒ぎ出した。それに目を奪われるが右手はまるで他の意思があるように動いていた。
そしてある物を取り出した。僕は気を取られていたのでそれがなんなのかを確認せずに取り出した。
それは財布だった。もちろん僕の財布ではない。デッカイ煌びやかな如何にもお金持ちが持っていそうな財布だった。
「あ、あった」
と声を出してしまったのは失敗だったのかもしれない。かと言ってこのまま隠すのも後々自分の首を絞めることになるだろう。
つまり詰んでいた。
僕は小声で言ったつもりだったのに言葉を発した瞬間は誰も喋ってなくて全員がその言葉を耳にした。
「あ、あった、よ?」
それまでの空気は一変した。先ほどは間違って机やカバンの中にあるかもしれいと言っていた。それはつまり、仮にあったとしてもその人が盗ったとかそういうんじゃなくて、ただの間違いの可能性があるから気にするな、って感じだったのに、今のみんなの視線は明らかに盗った犯人を見る目だった。
……なにこのベタな展開。
全員が固まって動けなかった中で1人だけ僕に急いで近づいてくる生徒が1人。財布の持ち主である。金剛寺さんだ。
言葉も交わさず視線も交わさずに彼女は僕の手から財布を無造作に奪っていった。奪うという表現は少し違うか。これは彼女のものだし。
そしてひったくっていって直ぐに財布の中身を確認する。
「……中身は、全部あるわ」
いやそりゃ盗ってる訳ないじゃん。まぁ良かった良かったこれで一件落着だね。と思ったのはどうやらこの場で僕だけだった。
「なんであなたが私の財布を持ってるのよ」
いや、それは僕が聞きたいんですけど。さっきも言ってた通り、僕のカバンの近くに財布が落ちていて誰かが間違って僕のだと思ってカバンに入れたんじゃないかな?
と声に出して言えればよかったんだけど、口下手でほとんどクラスとなじんでない僕は何も言えなかった。それが一層怪しかったんだろう。
「あなたが、盗ったの?」
教室はさっきとはまるで逆で嵐の前の静けさのように静まりかえっている。このあと本当に嵐が来そう。って冗談言っている場合ではない。
何か、何か言わなければ状況は悪くなる一方だ。
わかっている。わかってはいるが言葉が出てこない。
「あ、いや……」
頭ではわかっていてもその信号が脳から口へと伝わらない。状況は1秒経つごとに悪くなっていっている。頭の中はフル回転していても回転しているだけでいっこうに処理が進んでいない。たったの数秒なのにとてつもなく長い時間に思えた。
そんな時だった。
「おい、どうした?」
教室の入り口から声が聞こえた。全員が無意識にそちらを振り向く。それぐらいに声が通っていた。そこにいたのは紛れもなくあのねちっこい生徒会長、と葉月だった。
「え? どうしたの?」
タイミングは、最悪なんてもんじゃない。けど葉月はきっと味方になってくれる。
1人の生徒が2人に事情を説明する。2人は話を聞き終わってこちらに視線を向けた。その視線は最悪なものだった。
生徒会長は悪意の笑みを浮かべていた。それを見た僕は一瞬で悟った。はめられた。これは、この状況を仕組んだ犯人は生徒会長だ。僕を陥れる為に力技に出たのだろう。そしてそれが見事にハマった。
最悪だけど、これはさして重要ではない。そんなことよりも葉月の視線が大丈夫信じてる、という眼差しではなく、明らかに軽蔑の眼差しになっていた事だ。
「……え? あれ……?」
そこに希望の光はなかった。
何かを2人で話している。見て取れるのは葉月の絶望とした、僕に裏切られたかのような顔だった。それを優しく慰める生徒会長。
僕の目は2人に釘付けだった。まわりが何かを言っていたが、そんなものは耳に入らなかった。虚空を見つめるように、2人が教室から出ていく後姿を静かに目で負う事しかできなかった。




