Joker
復讐は終わった。あっけなく終わった。簡単ではなかったけど、こんなに簡単に終わって良かったのかと私は思っている。それでも、ともあれ、復讐は終わりを迎えた。
私はそれを伝える為に甲清四郎がいる場所へと戻ることにした。今までお世話になった恩人だ。1番最初に報告をしたかった。
きっとまだ監視室にいるはずだ。ちょっと距離はあるけど仕方がない。一応私が皐月を殺したのはモニターで見ていたと思うけど、迎えに来てくれてもいいんじゃないかなぁ。でも甲清四郎はそういう人間だ。決して人を甘やかさない。
身体を引きずって建物内へと這入っていく。するとビックリ。廊下で甲清四郎と会ったのだ。
「……終わりました」
「あぁ、見ていた」
たったその一言。もうちょっと褒めてくれてもいいんだけど。
「これでこの世界も平和になるでしょうね。もう道化師はいません」
「そうでもない」
道化師がいなくなるイコール平和とは考えないらしい。らしいと言えばらしい考え方だ。
「私、今あまり実感がないんです。本当にこれで終わったのか少し不安なんです」
そんな弱音を吐いてしまった。それに対して甲清四郎は言う。
「あれは確実にピエロだった。それは間違いはないし、生命反応も完全に消えた。間違いなく消失した。道化師ピエロは確実に死んだのだ。他の世界の皐月という人間はいるのはいるだろうが、道化師になるかはまた別の話でわからん。人間のまま終わるかもしらんし、道化師になるかもしらん。それでもこの世界に戻って来ることはないだろう」
研究者としての意見。その言葉が私を安心させた。
「これから私はどうすればいいんでしょうね」
復讐は生きる意味で目的だった。それがなくなってしまったら、いったいどうすればいいのだろう。私にはその答えが到底見つかりそうもなかった。この道化師としての身体のまま、今後一生を生きていく。あわよくば人間に戻りたいと思うけど、そんな都合のいい話は存在しない。
もしかしたら、政務局が研究を続けていずれはそんな事が可能になるのかもしれないが、期待はしないでおこう。
期待して、それが裏切られたらショックだ。
「これから、か……。それならなんの問題はない」
「? どういう――」
ドン、という音がした。直接身体に響いたような感覚だった。またどっかの建物が倒壊したのだろうかと思った。
気が付けば私は天井を見ていた。
「え……?」
状況が一切飲み込めない。身体に力が入らない。皐月との戦闘で身体のガタが外れたのだろうか。音は近かった。もしかしたらこの建物が壊れる音だったのかもしれない。だから甲清四郎はここまで降りてきたのだろうか。だったら早く甲清四郎を連れて逃げないと。
背中にぴったりと張り付く冷たい壁。
頭がそれを徐々に理解していく。これはなに? 背中に壁? 目の前には天井?
私はようやく自分があおむけに倒れている事を理解した。たったあれだけの衝撃で倒れるなんて恥ずかしい。まぁそれだけ戦闘で疲れていたのかなぁ。
私は恥ずかしいところを見られてしまったと思い、甲清四郎を見る。
そこには白い煙をあげる銃をこちらに向けて静かに立っている甲清四郎がいた。
「?」
どういう……。
私は特に考えることもなく自分の胴体を見た。そこには穴が開いていた。黒い、黒い穴。そこから赤がにじみ出てくる。
「……な、にこれ」
「先ほどの答えだ。この世界に道化師はまだ1体いる。お前だ」
いや、たしかに私も道化師だけど。この人は何を言っているんだろう。早く手当てをしないと。自己回復のカードを手に取ろうとした瞬間。
ドン、とまた音がした。
それは私の掌を貫通した。
「ぁあアアァぁァあああっ」
凄まじい痛みが一瞬で身体を稲妻のようにかけていく。
それで理解した。私は甲清四郎に撃たれたのだと。
なんで? どうして?
「なぜ? それはお前が道化師だからだ。そして甲政務局は道化師を殺すために存在する機関だ。何も間違っちゃいないだろう」
自然と涙が溢れてきた。
「お前を撃った弾には薬が塗り込まれてある。どうやらしっかりと効いているようで良かった。弾さえ当たればお前たち道化師を人間でも殺せることが判明した」
頭では理解している。でもそれは確実なことだけど信じたくなかった。
裏切られた。
皐月の言っていたことが真実だった。あんなに、あんなに何度も何度も私に目を覚ませと言ってくれていたのに、私は聞く耳を持たなかった。そんな事があるはずがないと勝手に決めつけて。
「最後にお前に聞きたい事がある。どうしても知りたかった事だ。どういった気持ちだったのか、私には理解できなくてね」
女と付き合う気分はどうだった?
甲清四郎はそう言った。
「お前は女だ。そしてピエロである皐月という道化師も女だ。別にお前は女が好きという訳にはないだろう。なのに復讐のために女と付き合う気分はどうだったのかと思ってね。しかしこの場合、女で良かったのかもしれんな。相手が男だったら確実に肉体関係を迫られていただろう」
私は何も答えなかった。
「答えられんか。まぁそれでもいい。さて、最後に冥土の土産を教えてやろうか」
まだ何かあるんだろうか。もうどうでもいい。何を言われてもどうにもならないし、何も思わない。
私はそう思っていた。しかし、甲清四郎は最後に私の世界がひっくり返ることを口にした。
「お前が仇だと思っていた道化師ピエロ、まったくの別人だ」
「……ぇ?」
「お前の家族を殺した道化師はピエロではないと言ったのだよ。まぁ嘘も方便というやつだな。結果この世界の道化師を殺せたのだから、私の嘘は正しかったというわけだ」
なにを――。
「お前の家族を殺した道化師なんぞ知らん。どっかにまだいるんじゃないか?」
何を言って――。
「お前はな、
何度もお前の身を案じて助けてくれようとしたピエロを殺したのだ。
唯一の仲間を殺したのだよ」
もうこれ以上にない言葉だった。すべて嘘だった。全部全部が嘘だった。そして甲清四郎の言う通り、私は唯一の理解者であろう仲間を間違って殺してしまった。
皐月の顔が脳裏をかすめる。あっちの世界で人間として生きてきた皐月の屈託のない笑顔が何度も何度も私の頭に蘇ってくる。
ごめん、ごめんね皐月……。その想いが涙と一緒に溢れてくる。
「さて、そろそろ終わりにしよう。私は忙しいのだ」
銃口が私の顔に狙いを定める。
「さらばだ、道化師」
引き金が引く瞬間、私の胸元から1枚のカードが飛び出した。
私と甲清四郎の間で止まりくるくると回っている。
「なんだこれは」
なにこれ?
回転は徐々に遅くなり、ぴたりと止まる。
そのカードは紛れもなくババのカードだった。
ありえない。私がババを2枚とも使ってしまったし、回復するには早すぎる。
そんなときだった。
『シークレット・アビリティコール・オン』
聞きなれた声が聞こえた気がした。
ババのカードは眩く光る。しかしそれも一瞬のことで、光はすぐに消えた。
「なんだったのだ、今のは」
私はおもむろに“立ち上がった”。
「え?」
自分の身体に異変が起きている事に気が付く。それは先ほど撃たれた傷が綺麗さっぱり消えていた。
“なかった事になっている”。
さらに私の目の前に私の全カードが出現した。
「全部、揃っている?」
カードたちが円を描き、ゆっくりと回転している。そのカードで私のカードはすべて回復していた。もちろんババの2枚のカードも回復している。
「馬鹿なッ、こんな事が!」
甲清四郎は声を荒げるが私は冷静だった。この現象、見覚えがある。
皐月のババの能力だ。そう理解したとき、私は幻影を視た。
『俺の2枚目のシークレット・アビリティコール。それは自分以外の相手に適用される』
皐月は確実に死んでいる。あれが偽物で私のピンチに駆けつけてくれたとか、そういうのではない。これは確実に私の妄想だ。
すべてをなかった事にする能力。
あの状況で……。あの状態で、皐月は最後まで私の事を想ってくれていたのだ。きっと人間は私を裏切る。そのときの為に皐月は最後の力を振り絞って、私のババのカードを仕込んだ。
なのに私は――……。
『なぁに、気にすんじゃねぇよ。終わった事だ』
幻影がそんな事を言ってくる。私の背後に回って後ろから囁いてくる。
『これからの選択肢はお前が決めろ』
「選択肢?」
『あぁ、そうだ。選べ。カードは俺のババですべて回復している。そして目の前の人間はお前を裏切った。そしてお前は――道化師だ』
目の前にいる人間は銃を撃ってくるがどれも当たらない。弾が尽きても青ざめた顔でカチカチと引き金を引いている。
『選べ。逃げるか……戦うかだ!』
逃げるか戦うか。
騙され裏切られ、都合がいいのは自分でもわかっている。全部人間たちに非がある訳じゃない。それでも――。
私は目の前でクルクル回るカードたちの中から、無造作に1枚のカードを取り出した。そのカードは道化師が描かれているババだった。
「ふっ……」
私は――道化師だ。
「シークレット・アビリティコール・オン!」
目の前の円を描いているカードたちは形を変える。ぐにゃりと中心をねじって左右に円が2つ。
無限のマークだ。それが私の身体に吸い込まれていく。
「私は、道化師だ。醜い醜い道化師だ」
化け物は化け物らしく生きていこう。どんな姿形になっても生きていこう。生きて償っていこう。今さら目が覚めた事に自分に腹が立つ。
もっと早く気が付いていれば。皐月とこっちの世界でも仲良くできたのかもしれないのに……。
何を言っても、何を考えてもすべて遅い。
「皐月、もう1度私に力をかして」
この哀れな道化師を導いて。これからの1歩は最初の1歩になるだろう。私は1度死んだ。人間としての私は1度死んでいる。生まれ変わっていない。死に変わったのだ。
これからが本当の1歩になるだろう。大丈夫、きっと応えてくれるはず。
そして――、幻聴が聞こえる。
『おうよ』
幻聴のはずなのに、その声ははっきりと耳に届く。
暖かい夕日のような声が私の身体を突き動かしたのだった。




