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道化師  作者: 夜行
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 私は元は人間だった。でもある事がきっかけで私は人間をやめることにした。

 今から7年前、私は家族を失った。両親と4つ下の可愛い妹。両親は私たちを守るために無残に殺された。ただ殺された。

 妹は私の目の前で喰われた。ただ泣き叫ぶしか出来なかった。妹がいくら叫んでも私の身体は少しも動かなかった。生まれて初めて恐怖を知ったのがその日。

 そして私も殺されると思ったとき、対道化師の組織が私を助けてくれた。間一髪だったけど、私はもっと早く来てほしかったと身勝手な事を思ったのを覚えている。

 その対道化師の組織が現在の十干機関の1つである甲政務局だ。甲の一族が私を助けてくれて、その後保護してくれた。感謝してもしたりないぐらいだ。

 甲の名前の意味するところは草木の芽生えだ。新しい息吹が象徴となっている。これは生命の発展を意味していると言われている。何があっても屈する事なく生きていく信念。対道化師にはうってつけの名前だ。

 私は甲政務局に引き取られてから、いろいろな訓練を受けた。そこで働くだいたいの人が道化師に家族を奪われて復讐を誓った者たちばかりだった。私には都合が良かった。

 絶対に妹を喰い殺した道化師を見つけ出して、この手で殺すと誓った。妹の遺体がない墓に誓った。

 それから数年が経ったある日の事だった。転機は突如として訪れた。家族を殺した道化師が判明したと政務局の人間に言われた。今でも胸が熱くなったのを覚えている。

 それが5の数字を持つピエロだった。ただしこのピエロは少し特徴的なことがあると言われたのを覚えている。深い殻に閉じこもった記憶喪失のピエロだ。

 しかし私にはそんな事は関係がなかった。仇が見つかったのだ。殺す相手が見つかったのだ。それだけで私は歓喜した。

 生きる意味を見つけた。

 しかし当然だけど私にはピエロを殺す力なんて持っていない。私は人間で相手は人を喰う化け物。真正面から行ってかなうはずがない。

 せっかく見つけた仇も、ただ見ている事しかできない歯がゆさに私は気が狂いそうだった。そんな私を見た私の育ての親である甲清四郎という男はこう言った。

『不幸な娘よ。哀れな娘よ。復讐に身を落とし娘よ。お前に輪廻の輪から外れる覚悟があるか?』

 言っている意味はさっぱりとわからなかったけど、私は本能で「はい」と答えた。

『お前は復讐を果たす為ならどこまで自分を切り売りできる? そう、例えばお前が心底嫌っている道化師と同類になる事すら厭わないか?』

 私は幼いながらその言葉の真意を理解した。そして迷うことはなかった。これから先、私の人生がどうなってもいい。ただ復讐をする為だったら、どんな屈辱的なことすら笑顔で行ってみせる。

 政務局側もはっきりと断言はしなかった。実際問題どうなるか不明だったからだ。至極単純な事だと清四郎は言った。

『化け物になるには化け物を喰えばいい』

 その頃、政務局は対道化師としてどんどん力をつけていた時だったし、相手の隙をつけば道化師を退治できるほどだった。

 そして私が連れられて行った地下の頑丈な牢獄には虫の息の道化師が1体いた。もう死を待つしかない道化師。

『復讐の想いを私に示せ』

 私は初めてその時に生き物の命を奪った。私情で奪った。別に同情はしなかった。こいつも数多くの人間を喰い殺している。そう思ったら腹が立ったほどだ。

 人殺しの訓練は受けていたから迷う事はなかったけど、やっぱり気持ちが悪かったの覚えている。生きている状態から心臓をえぐり取るあの感覚。自分の手の上で尚鼓動を続ける真っ赤なソレ。

 私はがむしゃらにかぶりついた。もう後戻りはできない。嗚咽とこみ上げる吐き気をすべて飲み込んでそれを喰った。すべては復讐の為に。

 それから私は生死の狭間を漂ったらしい。正直、自分では何も覚えていない。何度も拒絶反応で心臓が止まったとか。それでも私は死ななかった。復讐心だけが私の心臓を動かしていたのだろう。

 だけど、本当の地獄は目が覚めた瞬間からだった。

 まずは滅茶苦茶な感覚。すべてが激しい。直接脳内に響く。だから私が1番最初に欲したのは無音室だった。何も聞こえない空間。光も音も匂いもない。小さな小さな空間にいるときだけが、私の心は落ち着いた。

 そして1番重要な事。それはもちろん食事だった。道化師は何も人間だけしか食べれないという訳ではない。食べようと思えば食べれるけど、栄養が摂取できないことがわかった。私は人体実験もいいところだった。どんな実験も受けた。それこそ気が狂う実験もあったけど、もう覚えていない。あんなことを覚えていたら頭がおかしくなっちゃう。

 都合のいいことだけ、楽しいことだけを覚えて生きるのがうまい生き方だと誰かに教わったけど、もうそれも誰なのか覚えていない。

 人間も食べた。吐きながら胃に押し込んだ。感覚はまだ人間で、身体が拒否しているのもわかるけど、舌が、舌は道化師の舌になっていて、肉が美味いと感じてしまう自分が嫌で嫌で仕方がなかった。食事の度に泣いた。

 罪悪感と復讐心。

 最終的に勝ったのは復讐心だった。

 こうして私は人間をやめた。自分を実験台にして道化師のことを調べて政務局に提供した。

 私は、人の道を外れた。

 これはきっと、いや絶対に間違った道だったのは言うまでもない。きっともっと他にいい生き方があったはずだ。だけど私は1番最悪な道を選んだ。きっとこれは妹への償いなのだろう。

 あの時なにもできなかった事にたいしての償い。きっと報われる事がない償い。だけどそれでいい。その方がいいに決まっている。絶対に忘れないために私は背負っていく。

 こうして私は道化師に慣れ果てたってわけ。そしてここから本当の勝負が始まった。

 記憶喪失の道化師ピエロ。まともにやりあって勝てる見込みはゼロだと政務局は判断した。それは私も同感だったし、何も文句はない。

 真っ向から挑むのは勝ち目ゼロ。なんせ相手は5の数字を持つ道化師だ。道化師の強さは5から以下は別次元とさえ言われている。私もなんとか8までは数字を下げることは出来たけど、これ以下はもっと時間がかかる。そんな時間はない。

 私は外法で道化師になっている。いつまでこの身体が持つのかまったくわからない。悠長なことは言ってられない。

 それから政務局が根気強く観察を続けているとある事に気が付いた。

 絶対に同じサイクルの時間で韋駄天を使って別の世界に渡っている。そこに何か突破口があるはずだと睨んだ。

 その頃、私もようやく韋駄天をマスターして別世界に行けるようになった。空想の世界だ。何もかも妄想の世界だと思っていた。この目で見てもそう思う。

 世界をいくつも渡って疲弊して命を削って私はようやくたどり着いた。間違うはずがない。あいつがピエロだ。

 私はピエロを見つけた時に愕然とした。

 何をしているんだと腹が立ったからだ。

 人間の格好をして学校に通っていたから。そのまま駆け寄って殴ってやりたかった。でもそうすれば全てが終わってしまう。これはピエロの誘導の危険性も危惧できないと判断した政務局はピエロをしばらく泳がせることにした。

 外から観察するだけでは効率が悪いから、私は自ら志願して同じ学校に通うことにした。

 こんな普通の顔した人間があの凶悪なピエロ? とてもじゃないけど信じられない。まるで全部が間違いだったと言われたらそれで納得できそうなぐらいだった。

 私は政務局に強く接触を禁じられていたけど、何か得られるものもあるはずと思っておもいきって話しかけてみた。

 反応は、悪かった。

 一言でいって人見知りの根暗。おどおどしていて目も泳いでいる。話しかけてなおさら信じられなくなった。

まるで二重人格だ。

 そしてこんな生活を続けているうちにある違和感を覚えた。この学校に通っている世界を真面目に生きている。それはどういう事かというと、この世界が現実世界だと思い込んでいる可能性があるという見解だった。

 そうでも思わない限り、こんなに真剣に生きるはずがない。まぁ真剣度はかなり低いけどね。それでも真面目に生きている印象だった。

 何回か接触しているうちにだんだんと話すようになった。正直吐き気がする思いだったし、何度殺してやろうかと思ったか。それでもまだ確信が持てていないから動けなかった。

 そこで私はピエロに取り入ることにした。政務局からは大反対の雨嵐。まぁそりゃそうなんだけど、私は自分の意見を変える気はさらさらない。だってこれは私の復讐なんだし。誰にも譲る気はない。

 正直なところ、自分でもうまく行くとは思ってもみなかった。1番自分がびっくりしている。まじびっくり。なんとかなるもんだなぁと。案外世の中っていうのはチョロイのかもしれないとかちょっぴり思った。

 それと同時で私が生まれ育った世界でピエロと殺し合いを始めた。殺し合いと言っても本気の殺しじゃない。さぐりさぐりといった感じで殺し合いをした。力を探るのが目的だったわけだけど、1番知りたい力は結局わからずじまいだ。

 まぁ仮にそれがわかる時は本当の殺し合いに発展したに違いない。

 切り札は最後の最後までとっておくものだし。

 だから私はその他のカードを使わせることにした。


 だから私は、私を犠牲にした。


 他の世界から私を見つけ出して餌として使った。もちろんこんなこと、人間のする事じゃない。私はもう人間じゃなくなってるけど、心まで人間を捨てたつもりはない。

 それでも私はそれを行った。自分の復讐を完遂するために自分を犠牲にした。

それが私の覚悟。

ただの綺麗事。

 いや、全然綺麗じゃないか。穢れに穢れている。この世の何よりも、たぶん私の大嫌いなピエロよりも穢れている。それこそまた別世界の私が私を見たら殺したくなるぐらいに穢れているんだろうなぁ。

 それでも私はいい。落ちるところまで落ちても、復讐が終わるなら私はなんでも犠牲にできる。あの時に覚悟は決めたし、いろいろな物を捨てた。

 これが私、葉月という穢れた人間。




 ♠♣♥♦




「だから……だからと言って自分を犠牲にするなんて!」

 考えられない。

「全部あんたが悪いのよ皐月」

「――ッ」

 俺は言葉に詰まる。何も言い返せない。俺だって生きる為には喰わないといけない。それが誰かなんて覚えてないし、責任なんてものはないはずだ。

 でも、葉月が言うんならきっとそれは本当の事で、俺は葉月の妹を喰ったのだろう。だからと言って今更なにを言うわけでもないけど。

「だから――」

 その言葉には殺意が籠っていた。俺はとっさに身構える。もちろんジョーカーの、葉月は次のカードが使える時間は経っていた。

「殺してあげる!」

 本気だ。葉月は本気でそう思っている。すべてをさらけ出して落ちるところまで落ちた人間。もう人間じゃなくて道化師だけど。

 そこまで、俺の事が憎いか。

「アビリティコール・オン」

 葉月の足元に赤い魔方陣が出現した。それと同時に葉月はもう1度叫んだ。

「シークレット・アビリティコール・オン」

 赤が紫へと変わる。

「な――ッ!?」

 もう出し惜しみなしか!

 シークレット・アビリティコール。いわゆる最後の切り札。

 ババだ。

 トランプのカードには2枚だけババのカードがある。これは誰でも知っている事だ。これは道化師の切り札であって最後の手。

 シークレット・アビリティコール。

 これは道化師によって能力が違う。それぞれ固有の能力だ。これは決して誰にもバレてはいけない能力。使うときは相手を必ず殺すことが条件だ。もしバレれば、それはイコール死に直結する。それぐらい重要な能力だ。

 葉月はそれを使った。

 本気だ。本気で俺を殺しにかかっている。

 ……どうしてこんな事になった? なぜこんな状況になっている? 俺か? 全部俺が悪いのか? 俺が葉月の妹を喰ったからいけないのか?

 そんな事覚えてねぇよ。さっき葉月から指摘されたように、俺は昔の記憶がないんだから。何も覚えないのに、その罪を俺は払わないといけないのか。

「アビリティコール・オン!」

 葉月の足元がさらに赤く光輝いた。

「2重アビリティか!?」

 同時に2つの能力が使えるというババのカードだ。これは正直かなりキツイ。正直ムリゲー。だったら俺もババを使えばいいだけの話なんだが、俺の場合、かなり使い勝手が悪い能力だ。今はまだ使えない。

 葉月は右手を前にかざす。すると錬金術のように1本の綺麗な槍を生成した。まるで天使が扱うかのような光輝く槍だ。

 これで確定だ。葉月が使った2つの能力は肉体強化と具現化能力。どちらも攻撃系の能力で、そこから本気度が伝わってくる。防御の事は考えない。むしろ自分も死んでもいいぐらいの、相討ち覚悟の攻撃かもしれない。

「葉月……」

 俺はどうすればいい? 何が正解なのかまったくわからない。

「正解なんて――」

 小さな葉月を殺されて、彼女だった葉月は人間じゃなくて道化師で、ジョーカーで、ずっと俺と殺し合いをしていた憎い敵で――。

「あんたが死ぬ事よッ!」

 葉月は地面を蹴った。肉体強化もしているのでそのスピードはすさまじく早い。これはキングのカードか。さっき使った肉体強化のカードはクイーン。この時の為に残していた。

 どんどんと葉月が近づいてくるが、俺は未だに迷っている。このまま死んだ方がいいのだろうか。そうしたら葉月は笑って喜ぶだろう。

 葉月の具現化した槍が俺の顔面目掛けて飛んできた。俺はそれを無意識のうちに避ける。その瞬間にどうして避けたのかと自分で自答した。

 葉月は長い槍を器用にくるりと回転させて2撃目を狙う。

「さっさと死ねッ!」

 葉月がそんな言葉を使うことに驚いた。きっとこれが本当の葉月なんだろうけど、とても信じられない。

 信じられない?

 信じられなかったら……どうする?

 そんな事は決まっている。

 信じなければいいだけだ。

「俺は……信じない!」

 具体的にどうするか。これが本当の葉月だとは到底思えない。偽物だって可能性もある。だったら会いに行こう。この場を生きて、あの世界に。

 濁った俺の目は再び光を取り戻していく。

「アビリティコール……オン!」

 俺の手には大剣が握られていた。葉月と同じで具現化能力を発動させた。さすがにあの槍に肉体強化で勝つ自信はない。あの槍に対抗できる武器が必要だ。

 ギィン、と金属たちが花火を散らす。

 俺は大剣を下から上に振って葉月の槍を薙ぎ払う。大剣は当たり前だがそれなりにデカイし重い。それに薙ぎ払われると、重さで持って行かれる。葉月もそれは例外ではない。

「くっ」

 いったんお互いに距離をとる。この場は一応凌いだが、こちらが劣勢なのは変わりがない。今のは、葉月が完全に油断していただけだ。肉体強化も使っているから、その力も乗せたら俺はひとたまりもないだろう。

 勝機はどこにある?

 わからない見当たらない。この場合、勝つ必要はどこにもない。この場を逃げ切る事が優先される。

 でもまぁ、単純な話、

「逃げ切れるかなぁ」

 今の葉月から逃げ切るのは容易ではない。でも自分の目的の為にやるしかない。

 葉月は自分から距離を詰めてくる。向こうとしてはカードの時間が終わるまでに勝負を決めたいところだろう。俺としてはなんとかカードの時間が終わるまで時間稼ぎをしたいところだ。

「なぁ葉月、ちょっと聞きてぇ事あんだけど」

 俺の問いに葉月は答えない。むしろ聞こえてないんじゃないかと思うぐらいだ。それぐらい集中している。

 俺は大剣でなんとか葉月の攻撃を防いでいるが、これも長く持ちそうにない。防戦一方だ。

 自然と足は後ろへと下がっていく。

 そして徐々に攻撃が当たっていく。気が付けば俺は至るところ傷だらけだった。致命傷がないだけまだマシか。

 2重アビリティはキツイ。簡単に言えば4以下の数字を持つ道化師と同等のレベルだ。あとどれぐらいの時間が残っている? もうそんなに時間は残されていないはずだ。

 きっと葉月もそろそろ焦っている。

 でも最初にミスを犯したのは俺の方だった。無意識に後ろに下がっていたので、足を瓦礫にとられた。一瞬足に意識が飛ぶ。

 そこを見逃す葉月ではない。

 大剣が正面にあるから槍を軸にして横に回り込み、俺の腹に蹴りをねじ込んだ。それは見事に当たり、俺は身体をくの字に折った。

「ぐへ――ッ」

 そのまま葉月は俺を空高くへと蹴り上げる。腹を思い切り蹴られたことで意識はそこにいく、大剣を手放してしまった。空中じゃ身動きもとれない。

 やばいな、これ。

 そのまま葉月は俺を追ってきた。

「皐月、終わりよ」

 奇遇だな。俺もそう思うぜ。

 葉月の槍が俺の身体を貫いた。

「ごぺ……」

 血の味がする。口いっぱいに血の味がする。口の容量におさまりきらないほどの血は、逃げ場を求めて外へと飛び出した。当然重力に従って下に落ちる。

 葉月の顔にびちゃっと俺の吐いた血がかかるが、葉月はそれでも目を閉じたりするという愚行はおかさなかった。

 なんだよ、完璧じゃねぇか。

 これ以上にない完全勝利だろう。復讐を見事に果たした葉月は笑いもしない。まだ完全に終わったとは思っていないんだろう。

 そしてそれはその通りだ。

 切り札は最後の最後までとっておくもんだ。

「……シ、シークレット……アビ、リティコー……ル……オン!」

 俺はババを取り出してそれを口にした。俺と葉月の間でババが光り輝く。

「な――ッ」

 光が触れたものが消えていく。葉月の槍が消えたのだ。まだ時間が残っているが、それでも消えた。

 俺たちは重力に従い地面へと落下した。

 葉月は自分の槍が消えたことに驚き、すぐに距離をとった。俺もそれにならい距離をとる。

「がはっ、ひゅー……ふっ」

 胸を押さえて息を整える。大丈夫だ。生きている。ゆっくりと立ち上がって前を見ると葉月は驚愕していた。

 2重に驚愕していた。

 まずは俺の傷が綺麗さっぱり消えていた事。

「力が……解除されている……?」

 2つ目。葉月の能力が消えていること。自分の手を見ながらそれを考える。

「どういう事……」

 これが俺のババの能力だ。

「すべてをなかった事にする」

「なん――」

「すべてをなかった事に出来る能力だ。範囲は狭いがな。それは俺自身と範囲にいる相手にも適用される」

 すべてをなかった事にする。傷はなかった事に。相手の力もなかった事に。全部ゼロの状態に矯正的に戻す。それが俺のババの力。

「そんな事が――」

 チートもいいところだろうが、それがババだ。なんにでも成りえる最後の手。

 俺は空中に自分の前にカード“53枚”を輪っか状にして葉月に見せつけた。使ってまだ回復してないカードがすべて揃っている。

 それを見た葉月は目を見開いた。

 今使ったババ以外のカードが確かにそこにあるからだ。

「使ったカードもなかった事にする」

 最初の状態に戻す。これは俺だけだ。クールタイムもすべてリセットされている。しかし葉月はもちろんカードは回復してないし、クールタイムもまだ残っている。

 事の重要さに葉月は気が付いた。

 つまり何もできない状態で目の前に立っているのだ。それはもう詰んでいる。

「アビリティコール・オン」

 俺の足元が緑色に輝いた。葉月がそれを意識すると同時に俺は後ろへと回り込んで、先ほどのお返しとばかりに腹に一撃入れた。

「がッ……」

 そのまま膝をついてうずくまる。俺はそれを冷たく見下ろす。

「葉月、終わりだ」

 先ほどの台詞を言い返す。葉月にとっては屈辱以外のなにものでもないだろう。しかし更に俺は屈辱を与える。

 俺は高く飛んでその場を離れた。

 殺せる状況でそれを見逃す。葉月は確実に俺を殺せると確信していたし、それが逆転して死を覚悟しただろう。それを見逃す。

 屈辱だろう。

 でも今はそれでいい。状況を1度整理する必要があるし、今の俺に葉月を殺す覚悟なんてこれっぽっちもない。冷静に、1度冷静になって状況を把握して出直そう。それからでも遅くはないはずだ。

 お互いがババのカードを使ったが、ババはもう1枚ある。正直なところ、次の再戦までに今使ったババが回復してくれる事を祈ろう。ババは他のカードと違って特別だ。いつ回復するかはまったくの不明。

 俺の場合2枚目のババはあってないようなものだし。

「韋駄天……か」

 目を瞑り意識する。あの世界へと――。





 俺は、僕はゆっくりと目をあけるとそこには平穏な日常があった。

 ゆっくりとベッドから起き上がる。全部夢――? 長い間夢を見ていた気がする。でもなんとなくわかる。あれは夢じゃない。全部現実なんだと理解してしまっている。

「ぅ……うっ……」

 こっちでの僕は弱い。人間の僕は脆い。自然と涙が溢れてきた。今覚えば確かに不自然な事だらけだ。1軒家に住んでいるのに誰もいない。親なんて見たこともないし、思い出せない。小さい頃の写真なんてあるわけがない。

 葉月が言っていた。

 記憶喪失の道化師。

「僕は……いったいなんなんだ……」

 でもまだだ。全部確かめるまでは信じない。僕は大急ぎで制服に着替えて家から飛び出した。行く先はもちろん学校だ。まだ時間には余裕があるけど、僕は走った。走り抜けた。

 そして校門の前で立ち止まって人を待つ。言うまでもなく葉月だ。もし仮にあっちの世界が現実なら、あの話が本当ならここで殺し合いになるかもしれない。

「それも、ありか」

 こっちで力が使えるかまだ試してないけど、どうでもいいと思った。本当に葉月の言っていることが証明されたら、もうどうなってもいいと思った。

 そんな事を思っていると。

「よう」

 声をかけられて急いでそっちを振り向く。

「なんだよ顔に余裕ねーな」

 そこに居たのは奥村くんだった。

「あっ」

「その顔は人違いだったって顔だな。そらすんませんねぇ、あのお嬢さんじゃなくて」

 あのお嬢さん。一応存在はしているらしい。

「いや、ごめん」

「なんだよ。またケンカでもしたか?」

 まぁ間違ってはないけど。

「まぁ、そんな感じ」

 うまく笑えただろうか。

「ご苦労なことで。んじゃ先行ってるぞ」

 ひらひらと手を振りながら奥村くんは学校内へ這入っていく。

「あっ、奥村くん!」

「ん?」

「この前、ありがとう!」

 奥村くんは返事もせずに、気にすんなよとばかりに手をまたひらひらと振った。本当にイケメンだなこの人。こんな人が色んな世界にいるんだろうか。

 少し気持ちが軽くなった気がした。

 それからいくら待っても葉月は学校へはこなかった。携帯を取り出して連絡をしてみるも繋がらない。それはイコール――。

「はぁ、まじか……」

 全部真実。最後にある事を試す。これで本当の最後だ。

 僕は自分の右手を胸の前に出して目を閉じる。もちろん手には何も持っていない。集中して、あっちの世界の感覚を同調させる。

 ゆっくりと目を開けると、何も持っていなかった右手には1枚のカードが指の間に挟まれていた。

「…………」

 ババの道化師がのったカード。

 まるでカードがお前は道化師だと言わんばかり。

 俺は学校へは這入らずにそのまま帰った。もうここに来ることもないのかもしれない。そう思えば少しは名残惜しい気もするが、今となっちゃどうでもいいわな。

 もうこの世界に来ること自体がないのかもしれない。この世界は道化師の存在を知らない。俺が人間として育った世界を、あんな糞みたいな世界にしたくない。だから俺はもうここにはこない。

「ばいばい」




 ♠♣♥♦




 俺があの夢の世界だと信じていた世界に1番最初にやった事は、こっちの友人に会うことだった。

 マリー。

 今更どのツラさげて会いに行くか悩んだけど、きっとあいつなら何事もなかったかのように迎えてくれるだろう。

 こっちの世界は久しぶりに雨が降っていた。びしょびしょになりながら家の屋根をかけていく。頭を冷やすのにちょうどいい。

 見慣れた住宅街が見えてきた。俺は迷うことなく1軒の家に侵入する。窓は雨が降っているに全開に開け放たれていた。

 俺は何も言わずに中へと這入って行き、マリーの前に腰を下ろした。

「聞きたい事がある」

 マリーは何も答えない。

「本当に、本当にこの世界も現実なのか」

 俺の声と雨音だけが聞こえる。

「俺は、人を喰う化け物なのか」

 雷の音まで聞こえてきやがった。

「俺は、どうすればいい……」

 あー、どっか近くで落ちたなこりゃ。

「何か……答えてくれよ、マリー!」

 俺が雷のように叫んでもマリーは何も反応を示さなかった。目を瞑りピクリとも反応しない。それでも俺は会話と言えない会話を続ける。

「前から1つ疑問に思っていたことがある。なぜジョーカーは人間の味方をするのか。それは解決した。元人間だからだ。まぁお前に言わせりゃ、道化師は元人間なんだろーけどよ。そう言えばお前、前に言ってたよな。人間だった頃の記憶はあるか。ねーよ、そんなもん。俺はどうやら記憶喪失の道化師らしいんだ。前のことなんてこれっぽちも覚えてねぇし、思い出そうとも思わねぇよ。あぁ、話がそれたな。続きだ。元人間だったからと言って今も人間に味方できるもんなのか。まぁ葉月の場合は復讐する目的があるから出来るかもしれねぇけどよ。“人間側はそうじゃねぇかもしれねぇ”。人間は狡猾だ。利用できるものはなんでも利用しようとする。しかも相手はあの甲政務局だ。良い噂なんて聞いたこともねぇよ。まぁ、葉月もそれをわかったうえであそこにいるのかもしれねぇが。俺は葉月は騙されていると思ってんだよなぁ……。人間の常套手段だろ? あいつはもう道化師だ。人間には戻れない。人間にとって道化師は敵でしかない。だったら――今後どうなると思う?」

 俺はゆっくりと立ち上がった。

「俺は葉月の目を覚まさせる。あいつはきっと人間にいいように利用されているだけだ。絶対そうに決まっている。あいつが俺の事をどう思ってようがこの際もうどうでもいい。だけどな、あいつは今度道化師として生きていくんだ。人間は敵で食料でしかない、化け物は化け物らしく生きていくしかない。俺がそれをわからせる!」

 俺のやる事は決まった。いつの間にか雷と雨はやんでいた。俺の心も晴れやかだ。

「達者でな、マリー」

 最後に名前を呼んだが、反応はない。きっともう会う事もないだろう。この数日で色々な事があった。濃厚な数日間だった。それをいつか笑って話せるようになりたい。

 その時、また俺の話を聞いてくれ。

 俺は二度と来ることがない家を飛び出した。




 ♠♣♥♦




 次にやる事。それは葉月を見つけ出すことだ。いつもは追われていたが今回は逆。なんとしてでも早めに見つけ出したい。

 ババが回復する前になんとかケリをつけたいと思っている。あいつの2重アビリティは厄介だ。しかもまだもう1枚ババが控えている。もし仮にババのカードを2重で使われたと思うと背筋が凍る。こっちもババが1枚なくて痛いっちゃ痛いが、それも仕方がない。

 それにあいつのカードは半分以下になっているはずだ。かたや俺はババのカードを使ったから満タンにある。好機ではないが、これは好機だろう。今しかない。

 だからいつも追ってくる葉月が追ってこずに、静かに隠れてカードの回復を狙っている。今度は俺がそこを叩く。

 しかし、どうやって見つけ出せばいいのやら。でもおおよそ当たりはついている。

「どーせ政務局にいるんだろ」

 敵陣へと飛び込む。まぁそれぐらい意表を突かないと勝てねぇか。

「で? 政務局ってどこにあんだ?」

 はてさてどうやって見つけ出すか。まぁネットで調べればすぐ出てくるんだろうけどな。でも残念ながら俺はこっちの世界で携帯なんて持っちゃいない。1番手っ取り早いのは奪うこと。ついでにメシも喰おう。

「なんだ、1石2鳥じゃんかよ」

 それに騒ぎを起こせば葉月がやって来るかもしれないしな。1石3鳥の可能性だってある。

「久しぶりの狩りの開始だ」

 本当は子供がいいけど携帯持ってない可能性だってあるし、ここは無難に大人にしておくか。でもなるべく若い俺好みの女にしよう。

 街中に行けば人間なんて腐るほどいるし、そこで騒ぎを起こせば葉月の耳にも届くだろう。

 俺は白昼堂々と人間を襲った。こそこそ隠れないで騒ぎを起こすって気持ちいいな。とりあえず先にメシだ。腹がいっぱいになったら携帯を拝借しよう。

 ひとしきり喰ってカバンをあさるが携帯は見つからなかった。

「まさか持ってねぇのかよ」

 今の時代そんなことはねぇ。俺はあたりをきょろきょろと見ると携帯が落ちていた。どうやら襲われたときに携帯を持っていたらしい。携帯を拾い上げると画面はバキバキに割れていて壊れていた。

「…………」

 まぁ俺のせいなんだけどさ。つーことは2人目を頂かないといけないってことか。

「喰いきれるかなぁ」

 あー楽しい。

 しかし騒ぎを起こしても誰も現れなかった。

「こっちの狙いはバレている。誘いにはのってこないか。じゃこっちから行きますかね」

 ネットで調べれば政務局の場所はいとも簡単に判明した。俺は猛スピードで向かう。きっと監視されているだろうし、今頃あちらさんは俺が向かっている事に気が付いて大慌てだろうよ。

「見えた!」

 ほどなくして政務局が見えてきた。まるで高層ビルの刑務所のような作りだ。

「けっこーでけぇなぁ」

 さぁ、最終ラウンドの始まりだ。





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