第5章 第1次世界戦争編 B-0003 ロシア方面派遣軍
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来月5日、15日に試験的に主人公アリのWW1戦前作品投稿します
題名
漫画家が日清戦争前に転生しました
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時は遡り
1914年9月15日 サンクトペテルブルク 秋山好古。
秋山好古中将は第2近衛師団を率いている。第1陣の第2近衛師団と第2-3常備師団を便宜上率いている。これは近衛師団の立ち位置が常備師団よりも上位につくことからである。
この時点でのロシア軍は対独戦線に実働可能な第1・第10軍とタンネンベルクで戦力の8割以上を失い、その残存に新規兵力を加えて再編成中の第2軍(史実では残存兵力を戦力として前線に投じていたが改史では被害が史実以上にひどく、後方に回されて再建作業中。そのためこの時点では戦力換算できず)を配している。
その後方、首都サンクトペテルブルク防衛のために第6軍、同地にて新規編成中の第12軍。
実働3個軍、編成・再編成中の2個軍団。うち前線での活動は2個軍だ。
対するドイツ軍は史実において西部戦線に投じられていた第1・2軍と史実通り東部戦線で活躍している第8軍だった。つまり前線投入兵力は3個軍。ただし、うち1個軍は南下(オーストリア=ハンガリー帝国のガリシア戦線への支援)ワルシャワに向けて進軍(これは先にロシア第2軍残党により遅滞させられていたが、疲労した軍の入れ替えの間にロシア第9軍が布陣。遅滞戦闘に成功させている。) しているために正面には投入されていない。しかし、タンネンベルクでの被害による戦力差があり、もともとの補給状態の悪さ、ロシア第2軍を殲滅、ロシア第1の攻勢を断念させたことにより、勢いに乗ったドイツ軍は有利な戦況である。
事実、9月初めの史実よりも数日早まった史実でいう第一次マズーリ湖攻勢に相当する戦いでロシアは敗北。後退を続けている。
「マンネルヘイム少将の話では首都防衛をわが軍に任せ、首都防衛の第6軍を前線投入するという話もあります。編成中の第12軍でも我々の部隊を考慮すれば首都防衛には十分という判断の模様です。」
秋山好古がロシア方面軍総司令川村景明大将に報告している。
ガリシア戦線での活躍と、その代価に隊の損害が限界を超えたマンネルヘイム騎兵旅団は再編成の必要性に迫られた。同時に活躍を評価され、勲章を授与することになる。そのためにマンネルヘイムは
「あと数日で第2波の第3・4常備師団が到着、兵力は11万を超える。だが、これでも兵力不足。半個軍相当規模だ。これを正規の1個軍として戦線に投入されようもんならたまったものではない。」
「中旬には第3次編成で 第2(仙台)・4(大阪)・7(札幌・旭川)・9(金沢)・19(朝鮮北部・羅南)歩兵師団が到着する。これで総兵力22万そこまで我々は動けない。」
「それまでに我々の出番なきことを祈るしかない。」
マンネルヘイム 数日前。
「ようやく会えたな…」
マンネルヘイムは秋山好古と会っている。
「前は顔すらあわさなかったからな。」
秋山と手を取る。彼らの出会いは戦場。四平街の戦い。史実にはなかった戦いである。奉天会戦後、鉄道線を中央に左右に展開した日ロ両軍。その状態で露軍の攻勢。日本軍右翼よりも先から2人乗り騎兵を中心とした迂回部隊による攻勢を跳ね返し、日本が奉天会戦の戦果を守り切った戦いである。
この時、マンネルヘイムは迂回部隊に。秋山は日本軍予備軍にあり、迂回部隊を迎撃する。特に秋山率いる秋山支隊は時間稼ぎと迂回部隊後方を遮断、迂回具体を包囲殲滅する勢いであったが、これを阻止したのがマンネルヘイムだった。
互いに意識し、戦後、秋山が捕虜から情報を聞き出し、マンネルヘイムは部隊の編制から秋山支隊であることを見破る。そして互いに逢ってみることにするが、双方、入れ違いになり、10年。
「それにしても双方逢おうと思った時に逢えんのに逢えんと思った時に合うとはな」
双方が笑う。
マンネルヘイムが軍務旅行で日本に向かい、日本についた時には秋山は西回りで世界を回るために日本を発ち、ロシアにいた。双方置手紙をして時間を経てそれを読む。それからの文通がある。
「まあ、仕事の話だ。双方部下が多いのでな。」
「ああ。南のオーストリア=ハンガリーとやりあってきたが、南はロシア有利だが膠着。プシェムィシル要塞を補給拠点とした河川防御と塹壕戦を組み合わせた防御陣形に苦戦している。それに奴らはいざとなればカルパチア山脈に撤退するという戦術も使える。冬季の高山での作戦行動は双方犠牲が大きいだろうが、連中に地の利がある以上、不利と言わざるを得ない。連中の後方ではおそらく、野戦陣地が構築されているはずだ。」
「多重化された野戦陣地は恐ろしいな…南山、旅順、奉天では野戦陣地相手でも大損害が出ている。」
「だがあちらからも攻めづらい。戦線は膠着している。問題は北と中央。北はわかりやすい。タンネンベルク、マズーリと敗戦、後退をしている。正面戦力の第1・10軍は戦力が消耗しつつある。再編中だが、総兵力の増強は急務。再建中の第2、編成中の第12は動かせない。あと残るは首都防衛の第6軍。」
「おいおい首都防衛を他国に任せるのか?」
「まだお客様だし、日本軍の兵力は未集結。それに再編、編成中の軍もいるんだ。これだけで2個軍ほどの戦力にはなるだろ。それに1カ月もすれば3個軍が戦力に数えられるようになる。それまで耐えればいい。」
「…それまで耐えられるといいが…連中もわかっている。兵力が回復する前に仕掛けてはこないだろうか?
「だから第6軍を前進させる。時間を稼がなければならん。」
22万というのは当時の日本にとって極めて大兵力です。何しろWW1時代の日本陸軍非動員時総兵力に匹敵します。
作中、フランス方面軍、ロシア方面軍、青島攻略軍合わせて30万を超えていますが、これは日露戦争時の総兵力に匹敵します。
これだけの兵力の供出は列強の費用負担が前提という交渉が成立しています。そうでなければこんな大兵力の派遣などできません。史実において連合国(英仏)は50万規模の陸軍派遣を要求していたといわれています。
なお、作中、このような大動員を可能にしたのは段階的動員法が成立していたこと、(E-0001話を参照)が原因。
なお、動員可能な成人男性人口を計算してみると、
日本列島の徴兵対象男性人口 1歳あたり約46万人(当時の徴兵対象年齢)
朝鮮半島の徴兵対象男性人口 1歳あたり約12万人(1944年時点の44歳男性人口が12万人)
台湾 の徴兵対象男性人口 1歳あたり 不明
ただし人口比が1913年日本列島約5340万人、朝鮮半島1920年1700万人弱、台湾380万人弱人口比からして 台湾は2万人~3万人程度はいる計算。
1年のうちに徴兵可能年齢に達する人口は 合計60万人程度 と推定
改史徴兵人口計算
平時18個師団 近衛3、常備5、通常師団10 戦時定数2.2万人
平時充足率近衛6割(1.32万人)、常備5割(1.1万人)、通常4割(0.88万人)
内兵役兵 近衛1.2万人、常備 0.88万人、通常
表にすると
戦時兵数2.2万 平時充足 内兵役 兵役兵総数
通常師団 4割 0.88万 0.80万 8.0万
常備師団 5割 1.10万 0.88万 4.4万
近衛師団 6割 1.32万 1.20万 3.6万
合計16万人




