第5章 第1次世界戦争編 G-0002 病人の反撃
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オスマン帝国首都 コンスタンティノープル 中村商店 ムスタファ・ケマル
「先生。残念です。アレキサンドリア港にて補給中のファティとトラジロウ2隻とも英国に強奪されました。英土双方に犠牲者が出ています。日本海軍軍人の下村忠助中佐も自決なさりました。」
オスマン帝国首都コンスタンティノープルに住む一人の日本人がいる。時に士官学校講師を行い、日本とトルコ間の貿易商店を経営する男である。中村寅之助。1890年に和歌山県沖で難破沈没したエルトゥールル号の遺族への寄付金を持参し、オスマン帝国皇帝に気に入られ、紆余曲折ありイスタンブールに残留。日本との唯一のパイプとなっている人間だ。
改史において彼は戦艦の艦名にもなる栄誉を預かり、その戦艦の到着式典に出席する理由もあって史実では帰国していたこの時期にコンスタンティノープルに残留していた。
「回航委員長は中佐ではなく少佐の階級ではなかったか?」
「今回の戦争に対する情報収集目的で急遽合流、同行していたようです。上官であったがために責任者職になったようです。」
「そうか…。日本国民は怒るな。当然オスマン帝国臣民も。」
「過激な新聞社はドイツとの接近、開戦を叫んでいます。」
「確かに英国のやり方には非がある。それがいずれ正される時が来る。それまで耐えるべきだ。英国との開戦は危険が大きすぎると私は思う。」
「確かにそうです。しかし、耐えるだけでは臣民は納得しますまい。」
「日本国民もだ。外交筋は相当に吐くだろうな。本国の様子は親族からの電報でわかる。こっちの国民の様子は流させてもらうぞ。」
「流している内容は監視していると思う。問題はない。見たものを打電、郵送すればいい。国民の様子程度なら国家機密でも何でもない。我々も先生に話す内容は選んでいます。」
「ハハハ。国家機密は渡せないか。当然だ。ただし、問題は日本がオスマンと戦争する事態に至るかということだ。英国は日本を表に出す可能性すら考えられる。その時は…どうなるかわからん。私は徴兵されていないが、通訳として徴集される可能性がある。その時はためらうな。戦場のこと。双方ともに恨まん。今回、恨まれるべきは英国だけ。それを理解しておいてくれ。」
「わかりました。」
大日本帝国 帝都 東京
「号~外 英国がさらにオスマン戦艦2隻を略奪!!双方に犠牲者!! 回航担当の海軍士官が自決!! 海軍士官が自決だよー!!」
新聞屋が号外を配っている。
新聞屋にとって新聞が売れることが重要。そのためには時に過激論を公表することがある。今回は明らかに反英感情を煽っている。オスマンへの英国の横暴、それを止められなかった人間の自決…。日本人はこういった話が大好きだ。
「さすが軍人さんじゃ!!」
興奮する人々。当時、自決はかなりありふれたものだった。時代遅れといわれながらもそれが日本人だった。乃木希典は有名だ。意外な線であれば、民間人でありながら戦艦 榛名 建造中に発生した故障に責任を感じ、自決した篠田 恒太朗 などは有名だ。特に今回、後者は比較された。「軍人は責任を取らんのか」ということだろう。ある意味彼の死は日本海軍の名誉を守ったことにはなる。
「英国の横暴許すまじ!!」
オスマンがかつての日本と同様にロシアからの脅威を受け独立を守らんとする国民の努力、血と汗、文字通り爪に火を点すようにかき集めた金をもって発注した艦を自国都合で一方的に奪う。10年前。日露戦争前の自分たちと同一視した。それは他国のことであろうが怒りに震える。
史実のように英国の参戦要請だった場合、国民のかなり大規模な反発が予想できる。しかし、改史では参戦要請を行ったのがフランスであったことは僥倖であった。フランスには英国以上の確執はない。
怒りは英国大使館放火事件という形で表面化するのは先のことである。
1914年8月16日 コンスタンティノープル
「見ろ!!ドイツの軍艦旗!!あれが新聞に載っていた巡洋戦艦ゲーペン!!」
オスマン帝国首都であるコンスタンティノープルに入港したのはドイツ地中海艦隊の巡洋戦艦モルトケと小型巡洋艦ブレスラウだった。英国に追われてこの時点では中立であるオスマン帝国に逃げ込んできた。市民たちはそれを興奮した様子で見ている。
オスマン帝国としてはこの2隻手に入れたい。という思いはある。
「英国から追い出すように外交圧力があるらしい。」
「英国!!我々の地と汗の戦艦を奪いやがってこれ以上のことをすれば我々だって」
「それ以上はよせ!!」
「だがよ」
「イギリスとやりあう状況になれば日本とも戦争になる…」
エルトゥールル号の遭難から20年以上それでも覚えている人間はいる。
ロンドン
「いい加減にしろ!!我が国の兵士を殺してさらに2隻略奪して何が契約だ!!」
トルコ代表が怒鳴っている。
「申し訳ない。我が国が2隻を届けられなかったことをお詫びする。」
「契約はわが国だ。」
日本は申し訳なさそうにして、英国は開き直る。
日本側としては英国は同盟国である。しかし、同胞である下村少将 (戦没扱いになり、2階級特進) の死の遠因を作ったのは英国であり、最悪なのは交渉担当の日本の英国駐在海軍武官が下村との同期だったことだった。腹の底では煮えくり返っている。しかし、今後の戦争を考えるとそうはいっていられない。今後欧州派遣艦隊の整備拠点は英国になるのだから。
「それなりの代価なき場合、禍根を残すことになる。」
「代価は戦後払う。」
「払えるか信用できない。」
英国が何かしらの担保を差し出せばよい状況かもしれない。だが英国自身も何を担保にすればわからない。いくら担保を提案しても担保にならないと突き返させる。それもそのはず、誰にとっても必要なものはこの時点の英国には手放せないものだ。
「オスマンに逃げ込んだ独艦を引き渡せ。貴国は中立国として信用できない。」
英国は進まない議論に話題をすり替える。英国はかなり強硬だ。おそらく史実以上。
だが英国にも言い分はある。オスマンに入港した2隻のドイツ艦は退去要請も武装解除もされなかった。これは中立国ではあまりあり得ないことだ。史実において日露戦争時、旅順艦隊所属艦で、日本との交戦で敗走、本隊から取り残され、中立国であった当時の清国に逃げ込んだ戦艦ツェサレーヴィチは武装解除、戦後、ロシアに返還されている。(改史では返還時に多少の金品を要求)、最近でもフォークランド紛争時中立国に着陸した爆撃機は武装解除、交渉の結果、終戦間際に退国している。この武装解除すらされないことは異常だった
それ以上にこの2隻を追っていた英国艦はドイツ艦がダーダネルス海峡の通過が認められたのに対し、通過が認められなかった。締め出しを食らった。ドイツ艦をかくまっているとみられてもおかしくはない。
通常、この場合オスマンがある程度不利であるが、改史ではこれに対する報復としてオスマン帝国に引き渡されるはずだった艦から追い出された水兵たちが事実上の捕虜扱いで拘束されている。まさに人質状態であること、オスマン帝国海軍人員の教育を目的として入国していた英国海軍軍人たちの引き上げ(軍艦購入費用に含まれている) が交渉を強行にしている。当然だオスマン帝国側からしてみれば契約違反。だからこそ交渉は双方ともに加熱する。だが会議は何も決まらない。
『会議は踊るされど決まらず』だった。
しかし、変化はあった。トルコがドイツ艦を購入、同時にドイツ人を訓練教官として雇うことにしたのだった。
その結果、交渉は物別れになる。踊りすらしない状況になった。
1914年10月29日AM8:00 オスマン帝国 英大使館
「この宣言内容を急ぎ本国とエジプトに遅れ!!」
大使館員が走り回っている。大使が持っているのは先ほどオスマン帝国から渡された通告書である。
「急げ戦争になるぞ!!」
人々は走る。しかし、英国本国は午前5時人々は起きていたが動き出す前。対応策の決定に至るまでも時間がかかる。
「事態が起きるまでに間に合うのか…。」
彼らはつぶやくしかなかった。
1914年10月26日 AM8:00 エジプト エル=アリーシュ
「前進開始!!」
現在のイスラエル国境付近の港町エル=アリーシュここに布陣していたオスマン帝国軍が前進を開始した。多数の歩兵、荷物(多くが水)を背負った多数のラクダ。彼らは西に向かう。
1914年10月26日 AM8:00 (1時間後) オスマン帝国 イズミル
「オスマン艦隊の出航を確認。」
ギリシャとの間にあるエーゲ海に面するイズミルはオスマン帝国第2の港湾都市である。この港湾にはオスマン帝国艦隊が集合していた。
編成は戦艦ハイレディン・バルバロッサ(ド級)、エルトゥールル、トーゴ―(2隻とも超ド級)、ヤウズ・スルタン・セリム(旧ドイツ艦ゲーペン)を主力としている。それに随伴するは巡洋艦5隻、駆逐艦8隻、その他に数隻の輸送船だ。
当然、英国諜報部によりオスマン艦隊の出航は監視されている。その報告は電信に乗って英本国に伝えられる。
1914年10月26日 AM8:00 (2時間後) マルタ島 英地中海艦隊司令部
マルタ島に停泊している英国地中海艦隊司令部は騒然としている。イズミルからオスマン艦隊が出航した知らせを受けてのことだ。
「セルビア救援艦隊の状況は!!」
状況は最悪。地中海艦隊は全てとある任務で出払っている。セルビア救援だ。史実よりもほぼ1年早く参戦したブルガリアはセルビア戦線の戦局を決定づけた。セルビア側の敗戦だ。
しかし、敗戦したセルビア側もただで負けるわけにはいかない。少なくとも住民を避難させなければならない。
その点ではセルビアは懸命だった。敗戦が決定的になる前に同地域の同盟参戦国であるモンテネグロ軍とともに市民の避難を進めていた。連合国はこの避難民を港から安全な地域に非難させなければならない。しかし、避難民が渡らねばならない海はアドリア海。すなわち、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の勢力下に近い。護衛しなければ拿捕されることになる。十分な戦力で護衛しなければならない。この護衛には人道的な必要性で当時中立を宣言していたイタリア海軍も護衛に参加している。イタリア海軍の仮想敵は長年オーストリア=ハンガリー帝国海軍であった。(フランス海軍になるのはWW1後) すなわち互角の戦力を有する上にセルビアの同盟国イギリスやフランスの地中海艦隊も護衛に参加している。連合各国はもちろん、イタリアすら避難民輸送用の船を手配。避難先の港湾、救援物資をも手配している
なお、日本海軍の『大翔』はこの避難民輸送任務での参加である。これには欧州派遣部隊輸送部隊もエジプト領アレキサンドリア港に入港しだい、部隊を下したうえで投入されている。
このセルビア民間人救援および敗走中の軍の救援部隊の送り込みは至上命題だった。地中海にあるすべての連合国海軍戦力が注がれていたといってもよい。その分他地域の戦力は減少する。
「オスマンは中立ではなかったか!!」
「いや宣戦布告はされていない。宣戦布告なしで開戦することは条約(1907年万国平和会議にて明文化)違反だ。」
「艦隊の目的はなんだ!!」
「一番近い装甲巡洋艦『ディフェンス』を向かわせろ!!」
「救援艦隊を差し向けようにも…間に合わない。」
「ポートサイドの2隻は動かせないのか!!」
「機関部品の一部が抜かれている。海兵も足りない!!」
英国艦隊の騒ぎは収まることはなかった。
1914年10月29日 AM7:00ポートサイド 港湾部
「戦艦2隻の修理は完了しました。」
ポートサイドに停泊している2隻の戦艦。もともとはオスマン帝国海軍戦艦ファティとトラジロウである。この2隻は第1次世界大戦開戦とともに英国が日本からオスマン帝国への回航中に接収した船である。しかし奪取されたほうもただで奪取されるわけではない。回航担当の日本軍人が機関室の部品を1つ盗んだうえで船から逃げたのだ。その結果それを知らないで機関を始動した英国人船員が事故で死傷した。2隻ともに。
これの修繕のために本国から部品急ぎを取り寄せ、修理を行っている。(これを輸送したのが先述した装甲巡洋艦『ディフェンス』だった) その関係でこの2隻の英本国回航は先送りにされた。
昼夜問わず、修繕作業をしていた工員たちは甲板上に出てくる。皆疲れ果て、顔を東に向ける。朝日を見て目をしかめる
「眩しいな。」
多くの作業員がそう見た。
「なんだ?」
一瞬何かが光ったような気がした。それに気が付いた人間は近くにある伝声管に口を当てる。
「北東方向に反射光を確認。確認されたし。」
その声は艦橋からマスト上の観測所まで行く。
「英国国旗掲揚の戦艦2隻以上。接近。2列縦列陣形。いや護衛艦艇がさらに2本の縦列陣形を編成している。煤煙の量から後方から多数の艦艇が接近の模様。」
とのことだった。
「英国旗か。戦艦2隻ならまず味方だな。」
報告を聞いた工員は2隻の戦艦のことを一時頭の中から消去した。彼の頭には地中海で活動できる敵艦の情報が入っていることから2隻の戦艦が同時に運用でき、この海域に展開できる国家が自国もしくは同盟国、中立国しかないと思い込んでいた。
それが、彼らの油断だった。
予想できる結果ですね。ある程度は




