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改史 大戦  作者: BT/H
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第5章 第1次世界戦争編 F-0001 時間稼ぎ

またPCの調子が悪いです。執筆ペースも落ちています。元の月1ペースに戻るかもしれません。


F=ガリシア戦線


 オーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国の国力差は圧倒的である。その上、オーストリア=ハンガリー帝国はこのガリシアとセルビアの2正面戦線といつ戦争が始まってもおかしくないイタリア戦線を保有する。


 オーストリアハンガリー帝国総司令部 1914年8月3日

「騎兵斥候の集めた情報のもとにロシアへの予防攻勢を実施する。セルビア戦線勝利までガリシアを防衛する。」

参謀総長フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ上級大将は作戦を指示する。

「皇太子フランツ大公の仇討の邪魔をするロシアを許すな。正義はわが手にあり。」

 作戦の指示は最後には演説になっている。だがその多くが白い目で見ている。セルビアにはすでに攻勢を開始したのにロシアには何もしていない。開戦から1週間もの間だ。

 さらに演説用になっていることに多くの将校は白い目で見ている。これにはサラエボ事件で死亡したフランツ大公が彼の後ろ盾であったこと。フランツ大公の2度の推薦あってのことだ。一度解任されたのちに再任された際の推挙もフランツ大公だったということである。これには政治思想が関係している。正しくは似ていた。フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフは軍人の中では極めて強い政治的思想を持っていた。オーストリア=ハンガリー帝国の支配階級民族の一つであるハンガリー人に対する態度である。

オーストリア=ハンガリー帝国はもともとオーストリア帝国だった。この当時の支配階級は総人口の24%しかいないドイツ人のみだった。しかし、度重なる戦争で国力は衰退。被支配民族の権利確保を目的とした反乱が発生することが見込まれた。多民族国家のオーストリアは被支配民族との差をなくすか被支配民族の中から支配民族への取り立てを行うか。この2者択一を迫られ、権利放棄を嫌ったドイツ人は後者すなわち総人口の20%を占めるハンガリー人を支配階級として認めたのだ。

 フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフもフランツ大公もハンガリー人を警戒もしくは嫌悪していた。これは支配階級だったハンガリー人の要求拡大が原因であろう。そしてその力をそぐことに注力した。特にフランツ大公はハンガリー人を除く被支配民族に寛容だった。被支配民族の中で工業力の優れた地域を支配するチェコ人を妻にし、同時にチェコ人の支配階級化を画策していた(ドナウ連邦構想) のがその例であろう。

 そしてセルビアへの干渉の増大それはその例の一つであろう。フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフはセルビアをとりこみ、支配民族として認めることでハンガリー人の比率を下げる構想を持ち、そのために対セルビア強硬派だった。これは支配階級に上げる民族の違いこそあれど支配階級化という構想そのものはフランツ大公と似ている。しかし、フランツ大公はそれの行き過ぎをいさめていた。そのために慎重論者とされる。しかし、セルビアへの干渉は賛成だったろう。そうでなければフランツ大公自身もセルビアに行ったりはしないだろう。

 実際はおそらくフランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフをはじめとする軍の対セルビア強硬派の手綱を握るかのように慎重論を述べていた。そうでなければ2度も強硬派の首魁のような人物を参謀総長職へ推薦するわけがない。作者は想定し、その想定の中で記述してゆく。

「しかし、一部の軍人はその様子を冷淡に眺めていた。」


1914年8月4日 ガリシア戦線 参謀本部

「騎兵斥候の情報収集結果です。」

 参謀の一人が地図を見せる。

「犠牲が出ただろうに…すまなかった。」

 騎兵による斥候は時代遅れだ。各国ではすでに偵察用航空機の運用が始まっているためである。騎兵斥候しか手がなかった時代ではないのだ。

 オーストリア=ハンガリー帝国はそんな旧式である騎兵斥候を運用していた。ただしくはこのガリシア戦線に騎兵斥候しか派遣できなかったというべきか。

 改史では史実において航空偵察を全く重視していなかったオーストリア=ハンガリー帝国軍でもドイツ帝国や革新的な皇位継承者フランツ大公の政策、軍の近代化強硬派の要人フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ参謀総長の尽力で航空隊の編成が始まっていた。この時に使用された機体はオーストリア=ハンガリー帝国で製作された戦前の傑作機ダウべである。史実でも1910年ごろにオーストリア=ハンガリー帝国陸軍が20機の発注を実施している。史実では第1次世界大戦開戦時の第1線級機の保有数は36機。おそらくこのダウべ含めである。しかし、改史では200機近い機数をそろえている。

 これらの機体を偵察に投入する予定だったが、セルビア戦線の初戦が渡河作戦であるため砲兵の進出が遅れ、歩兵部隊が味方砲兵の射程外になりやすいことからこの機体に爆弾を積み陸軍の支援をすることにした。

 結果、ガリシア戦線に向けるべき航空機が消失してしまったのだ。

 この結果、ガリシア戦線は史実通り犠牲を伴う騎兵斥候に頼ることになってしまったのだった。


 1914年8月7日 ガリシア戦線

 オーストリア=ハンガリー帝国軍はロシア帝国軍に向けて進撃を開始した。布陣は北から第1・4・3軍。それに相対するのはロシア帝国軍北から第9・4・5・3・8軍。さらにオーストリアハンガリー帝国軍はセルビア戦線から転用予定の第2軍が最右翼(南側) に展開する予定である。これが史実の編成だ。

 しかし、改史では第7軍が編成、第8軍も編成中だった。これらの軍団はハンガリー人部隊である。

 オーストリア=ハンガリー帝国の成り立ちについては記した。しかし、ハンガリー人は支配層とはいえドイツ民族の下に置かれているこれを是正しようとするのは当然のことだろう。しかし、予算や兵役・言語の関係上ハンガリー人には兵役が存在しなかったと思われる。史実では総人口の0.29%しか徴兵できなかったのだ。当時のオーストリア=ハンガリー帝国内のドイツ人人口割合は25%。男性では12%。40人に1人以下の徴兵比率である。史実ではこれを是正するためにチェコ人で編成されたチェコ軍団などの編成も行われている。

 ドイツ人の徴兵比率を上げることはできるが多数のドイツ人の生命が失われた場合、自国の維持に問題が生じる。そこで改史ではハンガリー人にも徴兵かかけられた。ハンガリー語のみしか話せない兵士なので配備部隊が限定され、さらに戦力の統合による再編成も不可能になっている。

 これらのハンガリー人の軍への参加を促進した人物には開戦直後、艦隊配属になった皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の侍従武官のちのハンガリー帝国摂政ホルティ・ミクローシュが代表である。

 それでもハンガリー人の徴兵対象人口は少なく、開戦に伴い、新規に訓練を実施する兵士も多数存在するほどである第7・8軍のうち第7軍に戦力を集中、

 この第7軍は史実で第2軍が展開した領域に第8軍は編成完了次第、第7軍支援できる位置に配属。今後編成されるハンガリー人部隊も同位置に配属されることになるだろう。

 ただし武器は、シュタイヤー=マンリッヒャーM1895の製造が追いついていないので銃弾が共通のGew98やGew88などが供与され運用していることもある。

「ロシアに勝てるわけがない。」

 史実よりも強力になっているオーストリア=ハンガリー帝国でもこの見解だった。そのうえ近年のバルカン戦争での実戦経験があり、少数ながら精鋭を擁するセルビア軍も相手にしなければならない。

 史実ではこの両国に対して均等に戦力を分散した。これは開戦初頭セルビア戦線に多数の兵力を集め、ロシアの参戦に伴い、ロシア戦線に戦力を引き抜いたことによって発生した。同盟国のドイツ帝国が仏露の両国に挟まれていることを考慮し、各個撃破を目標に作戦を立案したのと対照的である。

 改史では均等に戦力を配分したのは変わらなかったがセルビア戦線の初頭の戦いで勝利し、橋頭堡を確保するまでの残留は許された上にドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の策謀でセルビア戦線の先行撃破のめどは立っていたのだった。


 それでも史実通り、時間稼ぎのため攻勢に転ずることになる。



 期間が開いた上に短くて申し訳ありません。次の更新は2週間後を予定

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