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風呂から上がってきたヴィスは、タオルを丁寧に巻いて出てきた。
そして汚れの落ちた髪は見事な金色で、吾輩はその眩さに遠くを見詰める他なかった。
確実に王族か上位貴族の令息に違いないではないか。
嫌な予感を頭の隅どころか外へと放り投げる。
もう知らん。なるようにしかならぬわ。
自力で歩いてくれるようになれば、タオルケットの上で寝かせる必要もない。
タオルケットも洗って干してある。
ヴィスにはソファに座ってもらい、傷口に薬を塗り包帯を巻いていく。
もう解毒効果のある薬でなくても大丈夫そうなので傷薬を塗り込むと、相沁当みたのかヴィスは涙目になっていた。
足には前と同じ湿布を貼り、包帯で固定していく。
「エルミルシェ殿は薬師として優秀なんだね。
治療や処置も的確だ。
こんなに小さいのに、凄いね」
ヴィスは心からの言葉なのだろう。
ふわりと柔らかく微笑むと、吾輩の頭を撫でた。
深みのある青い髪がさらりと揺れる。
「あっ、すまない……!
……僕には妹が居てね。
幼い頃の妹と、どうにも似たような感覚で接してしまって」
「かまわんよ。
頭を撫でられるなど、いつぶりだろうな」
吾輩は特に思うこともなく普通に返事をしたつもりだったが、ヴィスは悲しげな表情を浮かべていた。
「その……ここには本当に、エルミルシェ殿一人で住んでいるの?
答えにくければ答えなくていいけれど、家族は居ないのかい?」
宝石のような紫の瞳が心配そうに揺れている。
吾輩はなんでもないと笑ってみせる。
「家族か。
まず父は何処の誰かも知らぬし、母は吾輩を産んでから、すぐ旅に出たらしい。
生きているのか、死んでいるのかも知らぬ。
育ててくれた祖母も疾うに他界してしまってな。
静かに暮らしたくて、ここに一人で住むようになったのだよ」
「そうか……。
薬師と言っていたけれど、それで生計を?」
「そうだな」
「ということは、この山を登り下りしているの?」
ヴィスは訝しげに首を傾げる。
信じていないというよりも、信じられないのだろう。
吾輩はどう見ても十歳前後の見た目だ。
こんな小さな体とひ弱な足腰で、この山脈を行き来出来ると思えないのは当然のことだろう。
「お主を運んでくれた者が居たと言ったであろう。
吾輩は一人で住んではいるが、協力してくれる者達が居るのだ」
「……こんな山奥に?」
「そういえば、お主は礼がしたいと言っておったな。
会ってみるか?」
ヴィスは目を瞬き、暫くしてから力強く頷いた。
「その方も、僕の恩人の一人だ。
是非とも感謝を述べさせてほしい」
「くくくっ。
では、服が乾いたら呼ぶとしよう。
それまでに食事でもするか。
もう昼時も過ぎてしまっているからな」
吾輩はキッチンへと向かう。
ヴィスの体格を考えれば足りないかもしれないが、まだ毒で弱った体に重たい食事は辛かろう。
水分もしっかり取れるよう、薬膳鍋を用意した。
リビングにあるテーブルには、普段一人でしか使うことがないせいで椅子が一つしかなく、作業机の近くに置いてある椅子を持ってくる。
吾輩の身長に合わせたテーブルと椅子では、ヴィスにとって窮屈だろうが……こんな山奥で温かな食事が出来るだけ喜んでもらいたい。
「凄い……!
エルミルシェ殿は料理も出来るのかい?」
「一人で暮らしているのだからな。
出来なければ生きていけんよ。
それなりに美味い飯も作れるぞ。
冷めないうちに食べるといい」
ヴィスは丁寧に食前の挨拶をすると、匙で鍋の粥を掬った。
鶏と椎茸で出汁を取り、生姜やニンニクをすりおろして作ったスープは、旨味も栄養も溶け込んでいて美味だ。
鶏肉と米をくたくたになるまで柔らかく煮て、山芋やきのこ類、クコの実を入れた薬膳鍋は、胃腸にも優しく体の調子を整えてくれるだろう。
黙々と食べていたヴィスは、じっとその様子を見つめていた吾輩に気付いて、吾輩の鍋を見下ろした。
「エルミルシェ殿は食べないの?」
「……吾輩は猫舌なのだ。熱くて食えん」
「ふっ、ふふっ!猫舌なら仕方がないね」
それからヴィスは、鍋に手を付けずリンデンにばかり餌をやる吾輩を見て、何度かクスクスと笑っていた。
幼い子でも見るような生暖かい目で見られてしまい、暫くして温くなった鍋を食べ始めると、また笑われた。
くっ、馬鹿にしておるな?
恨めしそうに睨んでも、それすらもおかしいのか堪えるように震えている。
当然ヴィスの方が先に食べ終わって、今度はこちらが眺められる番となってしまい、吾輩は居た堪れない思いで飯を食うことになった。
全くもって解せぬことだ。
「さて、では呼ぶとしよう」
鍋をキッチンの流しに運び、吾輩が洗い物をしている間にヴィスには着替えてもらう。
ヴィスは「もう乾いているの?」と驚いていたが、今日はいい風が吹いていたのでなと言って乾いた服を渡すと、本当に乾いている服に目をパチパチさせていた。
外に出るにあたり、ヴィスには杖代わりに傘を渡してみた。
慣れないせいか傘をつく姿は不格好だが、まぁ致し方ないだろう。
「こんな山奥で、どうやって人を呼ぶんだい?」
「まぁ来てからのお楽しみだよ。
だが、決して悲鳴を上げたり、取り乱したりはしないでくれたまえよ」
「……?」
ヴィスには意味が分からないのだろう。
困惑した表情で、吾輩が用意した庭用のウッドチェアに腰かけている。
何かがあった時のために、ヴィスの手元にリンデンを置くと、吾輩は昨日と同様、胸に手を当てて念じた。
(昨日吾輩を手助けしてくれた大熊よ。
助けてもらった人の子が目を覚まし、礼がしたいと言うておる。
何度も呼び付けてすまないが、吾輩の家に来てはくれないか)
「えぇと……エルミルシェ殿?」
何もせず佇む吾輩にヴィスが声をかけてきた。
恐らく笛を吹いたり、鳩でも呼び付けたりを想像していたのだろうが、そんなことはしない。
「まぁ待て。そのうち来る」
「何もしていなかったじゃないか」
「そんなことはないさ。
ほぅら、来たぞ」
ドドッ、ドドッ、と地面を駆ける音が響き、そうして木々の間からひょこっと顔を覗かせたのは、間違いなく昨日の大熊だった。
「なっ!?」
「礼をするのだろう?
足を痛めておるからな、座ったままでいいだろう」
「エルミルシェ殿!危険だ!早く戻っておいで!!」
「だぁいじょうぶだ。
取り乱すなと言っただろうに」
ヴィスは真っ青な顔をしていたが、リンデンが鳴いて落ち着けてくれている。
吾輩は気にせず、友好的に両手を広げ大熊を迎え入れた。
大熊はのっそりと近付いてきて、こちらを傷付けないよう、顔だけで吾輩の抱擁を受け入れてくれる。
大熊は吾輩の胸に軽く頭を撫で付け、顔を上げた。
吾輩は身長が百三十センチメートルほどしかないので、四つ足で歩く熊と差程目線が変わらない。
普通の女児がこんな至近距離で熊を見ることがあったなら、卒倒するか泣き叫ぶだろうが、吾輩にとってはこの山に生きる仲間も同然だ。
首の下を撫でてやると、嬉しそうに鳴き声を上げた。
大熊を促すように歩いてみせると、従うように吾輩の後ろを付いてくる。
そうして家の前に辿り着き、ヴィスから一~二メートルほど先に大熊を座らせた。
「……熊が、僕を運んでくれたの……?」
「いかにも」
吾輩は満足そうに頷く。
リンデンも大熊も同じ動きをして頷くものだから、ぎょっとした顔のまま三者に目線を行き来させていたヴィスも、少し冷静になったようだ。
「エルミルシェ殿は、動物と意思疎通が出来るのかい?」
「左様。
吾輩がここに一人で暮らせる理由の一つがこれだ。
山中の行き来や重たい物を運ぶ時、彼らの力を借りているのだ」
「そう……なんだね」
ヴィスは大熊へと視線を向ける。
凶暴さの欠片もない、くるんとした瞳がヴィスを捉え、愛玩動物のように首を傾げた。
「……なんだろうね。
僕の認識が誤っているように感じてくるのだけれど」
「くふっ。
認識はそのままでよい。
これを普通にするのは良くないぞ」
そう言うと、ヴィスは呆れた顔でこちらを見ていた。
吾輩が特別なだけだ、気にすることはあるまい。




