息子、来訪
結局、自由市場で馬を暴れさせた迷惑な集団は捕まったという。「この辺りは治安が良いはずなのだが」とダビドは謝ってきたので、エレナは気にしないで下さいと何度も繰り返した。
ダビドは隠居して息子に全権を譲ったものの、この辺りは元来ダビドが治めてきて公爵領だという。責任を感じてしまったようだ。
しかし、自分勝手に騒ぎを起こしたい厄介な人たちはどこにでもいる、実際に事件を起こすまでは捕まえられない、とエレナは慰めた。そのくらいはニュースでよく見聞きしていた。
ただ、異世界に来てまで事故死しなくてよかったなあとぼんやり思うだけであった。
◆◆◆
エレナがダビドの屋敷に居着いてから、1ヶ月が過ぎた。
いつも通りエレナの工夫を凝らした昼食を楽しみ、和やかに談笑をしていた。そこに執事がやって来た。灰色の髪をきちんと撫で付けた、今や見慣れた顔である。彼の名前はディミトリで、シモーナの夫であるということまでエレナは把握していた。
「ご主人様、ご令息から手紙が到着しました」
銀色に光るトレイに、一通の手紙が載せられていた。食事の場に手紙を持ってくるのは初めてのことだったので、余程急を要するのかとエレナは押し黙った。
「リカルドから?」
ダビドは驚くでもなく、意地の悪そうな、ニヤリとした笑みを浮かべた。これも初めてのことなので、エレナは感心してしまう。
(うーん、父と息子の関係ってこんな感じなの?)
ダビドはやや乱暴に封を開け、中身を読み始めた。覗き込みたいが、エレナは我慢して空になったコーヒーカップを傾けて飲むふりをした。やがて、ダビドがクッと押し殺した笑い声を漏らす。
「リカルドが、来てくれるそうだ。エレナに是非会いたいと」
「ひえっ」
エレナにとっての悲報に、声が裏返った。ダビドとディミトリは珍しい生き物を見るような目を向ける。だが、エレナはそれどころではない。すぐそこに、命の危機が迫っているのだ。
ダビドに似た美形で独身の若い男など、今のエレナにとって危険以外なにものでもない。
「すみませんが、私は会いたくないです!ご滞在中はどこかに隠れてます!」
「しかしリカルドはエレナとの対面を熱望してるんだ。すまないが、一目だけでも会ってくれないか」
「……そう、ですね。ご挨拶くらいはしないと失礼ですよね」
ダビドに頼まれては、断れないエレナである。恩義は腐るほどあり、ダビドは明日をも知れない身だ。健康体に見えても、彼は余命宣告を2ヶ月も過ぎているという。
「わかりました」
「ありがとう。しかし、リカルドがここに来るとはな」
そういえば、ひとり息子であるリカルドは、余命僅かの父をもっと頻繁に見舞っても良さそうなものだ。
なのにエレナに会う目的で来るという。異世界人という物珍しさはあれど、ひどい話だとエレナは憤りかけた。が、すぐに好奇心だけではないと思い当たる。
(もしかして、私がダビドの財産を狙う悪い女かと疑っているのでは?)
この1ヶ月で、エレナがダビドからもらったものは数知れない。その総額すら計り知れない。服や靴、身の回り品だけではない。どう見ても高価そうな貴金属をもらってしまったのだ。
それは宝飾店ではなく美術館にありそうな、大ぶりのダイヤモンドがいくつも光り輝くネックレスだった。エレナが一生働いても買えそうにない代物だ。逆に言うと、売れば一生働かずに食べていけそうである。
受け取れないと断ったのだが、シモーナが勝手に受け取ってどこかに保管してしまった。
『必要なときまで預かっておきます』
と、シモーナはシモーナで母親のように胸を張っていた。彼女が横領するとは思えないので、エレナは諦めるしかなかった。
そのようにして、料理人として働いた報酬以上のものをもらっているのだ。
決して妙な関係はないが、リカルドから金目当ての愛人かと疑われても仕方ない。
(いいわ、敵意を持って来るのなら……迎え撃つだけよ!)
◆◆◆
すぐにその日はやって来た。ワープ装置を使えば、遠方にある首都から、この辺境の街までの移動は一瞬だという。もっとも、ワープ装置は大型でどこにでもあるものではない。首都に2ヵ所、この街に1ヵ所であり、それ以外は馬車移動となる。
リカルドの到着は昼前なので、エレナは昼食の用意を一旦止めてエントランスホールで待機していた。何度も深呼吸をして、気持ちを整える。
馬車が到着し、執事や使用人が出迎える声が扉から漏れ聞こえてきた。
屋敷の外まで出なくて良い、とダビドに言われていたのでエレナは中で待っているのだ。
使用人が扉を開け、外の風が舞い込んだ。前庭の草や花の匂いに交じり、微かな香水の香りが鼻をくすぐった。
食べものならよくわかるが、香料に詳しくないエレナには判別できない、甘さと爽やかさのあるものだ。しかし初めて嗅いだのに、夕方に外を歩いて帰るときのような懐かしさのある香りだと思った。
「初めまして、リカルド様。お会いできて光栄です」
足早に侵入してきた長身の男に対し、スカートの裾を持ち上げ、エレナは挨拶をした。一応練習したものである。
「ふん、お前が父上に言い寄る女か」
遥か頭上から、涼やかな声がかけられた。
エレナは彼を見上げ、ぱちりと目が合ってしまう。リカルドは、息を呑むほどの超絶美形だった。髪は栗色できりっと上がった眉、ダビドに似た金色の瞳。引き締まった口元には、迸るような色気。
(ああでも、美形だけど感じ悪くて最高ね!何ともない!)
心から微笑むエレナに、リカルドはたじろいだ。
「何がおかしくて笑うんだ?俺を馬鹿にしているのか?」
「リカルド、口調を改めろ。エレナに失礼だろう」
渋く、低い声が響き渡る。いつの間にか、ダビドが玄関ホールを見下ろせる階段の踊り場に立っていた。そのまま階段を降りてきたが、リカルドは何も言わない。親子は無言で睨み合う形になった。
(え?いきなり親子ケンカされても困るんですけど)
リカルドは、久しぶりである父に元気そうだなとか、仕事がどうとか、当たり障りのない話題すらしない。また、ダビドも黙っていた。
「すまない、エレナ。私は息子を甘やかして育ててしまったようだ」
やっと口を開いたダビドだが、話しかけたのはエレナに対してである。
「私のことはお気になさらず。でもリカルド様がダビドにあまり似ていらっしゃらないので、安心しました」
「私に似ていなくて安心とは?」
「えっと、うっかり惚れてしまうことがなさそうだからです!」
冗談めかしてエレナは真実を言った。ここ最近の心配が吹き飛び、少々気が緩んでいた。
「おやおや」
ダビドは肩をすくめ、今までの緊張をほぐすように笑った。だがリカルドは嫌悪感も露に、美しい顔を歪めた。
「なるほど、そうやって父上を誑かしているのか。だが俺が来たからには、これまで通りにはさせない」
「失礼ね、誑かしているだなんて。私とダビドは友人関係です」
「父上の名前を馴れ馴れしく呼ぶな!」
リカルドは凄まじい怒声を発した。美形の怒り顔は迫力があるが、エレナには響かなかった。
「ご本人の了承済みでーす」
男が圧倒的に多い料理人の世界で、幾度も怒鳴られてきた経験が生きていた。こんなのは、ただの恫喝である。ダビドもすぐ横にいるので、気が大きくなって挑発的に眉を上げる。
「な、何て女だ」
リカルドは信じられないとばかりに頭に手を当てる。美形にしか許されない苦悩のポーズだが、似合っていた。
その後、エレナは厨房へと退避した。ダビドとリカルドの間には確執があるようで、挟まれたくはなかったのだ。




