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お料理を作ります

 ヘルシェル病、という聞いたことのない病名にエレナは戸惑った。やはり本人に直接聞かなくて良かったと思う。


「ダビドは薬を飲んでいたようだけど、あれは効かないんですか?」

「痛みや苦しみを抑えるだけのものだそうです。根本的な治療法は、ありません。心臓の近くにある、魔力を扱う核が壊死していくのです」


 またしてもエレナの聞いたことのない器官、そして症状だ。


「いつまで、ダビドは……」

「お医者様が宣告した余命は、とっくに過ぎていらっしゃいます」


 エレナは力が抜けて、壁にもたれかかった。自分がどうにかできるとは全く思えない。そもそも知識がないし、時間的猶予もない。


「そんなに危ない状態なのに、ダビドひとりで森に入って、女神にお祈りなんてしてたんですか?」


 代わりに出てきたのは、シモーナを責めるような質問だ。彼女には何の責任もないし、ダビドの意思で行っているとわかっているのに、つい口から出てしまった。


 シモーナは、悲しそうに微笑んだ。


「ご主人様は、いつ旅立っても良いように何もかも準備されています」

「そんな」

「死を覚悟した人の気持ちは、この歳になってもわかりません。ただ、子どもを心配する気持ちだけはわかります。私にも子どもがいますから。親というのは、子どもがいくつになっても何だか頼りなくて心配なのです。民間信仰の女神様にでもすがりたい気持ちがわかってしまうから、私たちに、ご主人様をお止めすることはできません」


 子どもに言い聞かせるように、優しくゆっくりとシモーナは話した。


「ひとり息子のリカルド様に、すてきな伴侶ができること。ダビド様はそれだけを願って、女神様に祈っていらっしゃいます」


 羨ましいな、とエレナは唇を噛む。


 シモーナの子どもと、ダビドの息子が羨ましかった。エレナを心配してくれる両親は、もういない。父親は物心ついたときにはいなかったし、養育費もろくに振り込まないと母親がたまにこぼしていた。


 その分母親との絆は固かったが、エレナがフランスに修行に行っている間に突然、亡くなってしまった。心配をかけていたのだろうかと、今になって悔やまれる。早く一人前になって、恩返しをしたかったのに。


 色々なことがありすぎて、ベッドに入ったエレナは落ち着かなく何度も寝返りをした。森の中ではまともに眠れなかったし、体は疲労困憊しているが、疲れすぎて上手く眠りに入れなかった。



 ◆◆◆


 翌朝、シモーナたちに身仕度をしっかり整えられてエレナは食堂に向かった。そこには朝日を受けて、映画のワンシーンのように決まっているダビドが座っていた。書類を眺めているだけで、人生の艱難辛苦を味わい、乗り越えてきた賢者のようでもある。



「おはよう、エレナ。よく眠れたかな?」

「おはようございます。お陰様でばっちりですよ」


 運ばれてきた朝食は、簡単なものだ。カフェオレと焼き立てのスライスしたバケット。エッグスタンドに立てられた半熟卵と、ベリーと思わしきジャム。


(やっぱりフランスに近い文化なのかな。あちらも朝食は簡単なのよね。まあいくらお金持ちでも、毎食豪華じゃあ太っちゃうし……)


 ちらりと、ダビドの引き締まった体つきを観察する。加齢によって太りやすくなるというが、下手すると軟弱な若者よりいい体つきに見えた。ヘルシェル病は激しい痛みを伴う発作が現れるが、そのとき以外は全く症状がないという。


 目が合ったところで微笑まれ、エレナは合わせて笑う。ダビドは満足そうにカップを置いた。


「やはり誰かと一緒だと、いつも通りのメニューでもおいしく感じるな」

「いつもおひとりで召し上がってたんですか?」


 屋敷には多くの使用人がいるのだから誰かを座らせればいいのに、とエレナは単純に考えた。


「みんな遠慮してしまうんだよ」

「あっ、遠慮がなくてすみません」

「そのままでいい。そうだ、エレナの契約書に書き加えよう。私と一緒に食事するのも仕事だ」


 先ほどダビドが確認していたのは契約書の下書きだったようだ。端に置いていた羊皮紙を持ってきて、文言を確認しだした。


「待って下さい、お仕事にしちゃうのはちょっと……」


 怪しい匂いを嗅ぎ取って、エレナは苦笑した。一緒に食事したり、趣味程度に料理をしてお金をもらうのでは、愛人のようになってしまう。


「その辺りは口約束でお願いします。なるべく、一緒に食べましょう」

「ああ、そうか」


 契約書の下書きを見せてもらうと、文字はエレナが知っているものと全く違うのに、不思議と意味がわかった。ダビドが言うには、祖母もそうだったらしいと頷いた。



 ◆◆◆


 食べ終えたばかりだが、早速エレナは厨房へと案内してもらった。主人であるダビドが自ら赴き、彼女をよろしく頼むと言って、去っていった。


 紹介された料理長だというルイは、20代後半ほどの、かわいらしい感じの男性だった。髪は黒く、たれ目がちの目をしている。勝手にベテランの頑固そうな料理長を想像していたエレナは、拍子抜けしてしまった。


「えっと、エレナ様……何から始めたら良いでしょうか?異世界の料理人の方なんですよね?」


 かなり緊張した様子でルイは話しかけてくる。顔つきは童顔よりだが、上半身はたくましかった。この世界には体格の良い男性ばかりなのかな、とエレナは思う。


「私が教えて頂く立場なのですから、気軽に話して下さい。とりあえず、いつもダビドに何を出しているか、献立表の記録があれば見せてもらえますか?」


 まずはダビドが普段どのようなメニューを食べているのか、何を好むのかを知る必要があった。


「はい、献立表ですね」


 すぐに、分厚い本のようなものが渡される。気弱そうでもルイは一流の料理人らしく、献立は明細に記録されていた。どのような食材を使ったか、主人の反応はどうだったか――


 後ろでもじもじしているルイが気になるが、エレナは黙って読み進めた。食材は豊富だが、驚くことに元いた世界と同じ名称で読み取れる。玉ねぎ、人参など実際の文字の綴りは違っても、ちゃんと意味がわかるのだ。


 しかし、かなり素朴な田舎風料理という印象を受けた。『煮込み』という単語が頻出している。フランス料理ではブイイール、ブレゼ、ポシェ、ミジョテと液体の量やオーブンを使うかどうかで区別されている。


 自分の翻訳機能が間違っているのかと、エレナは首を傾げた。日本語にはない単語だと翻訳がおかしくなるのかもしれない。


「ダビドは、病気の影響であっさりしたシンプルな料理しか食べられないのですか?」

「いいえ、食欲は旺盛でいらっしゃいます。ヘルシェル病は、発作時の痛み以外は体に不調が出ませんから」

「ではどうして、晩餐は煮込みが多いのですか?」

「時間のかかったものは、格式ある料理とされています」


 ルイは重々しく続ける。


「ご主人様は、王室育ちの尊いお方です。晩餐に簡単な焼き物など出せません。このお屋敷では朝と昼は簡単なものとされていますが、夜は格式に則る必要があるのです」

「うーん……」


 時間さえかければ高級で格式ある料理なのか、とエレナは首を傾げた。だがそれでもやりようはある。ソースに手間をかければいい。エレナは厨房を見回した。


(真空調理器とか、圧力鍋とか、フードプロセッサは当然ないのよね。じゃあその辺を手でやれば手をかけたってことになるかしら)


「とりあえずやってみましょうか。ダビドは、私の世界の料理を食べてみたいと言ってくれましたから、格式は多少無視しても大丈夫だと思います」


 エレナはいくつもある包丁から、手頃なサイズのものを取り出して握った。どんな世界でも、包丁というものはそう変わらない。

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