エピローグ
7年後、エレナとリカルドはそれぞれ馬に乗り、なだらかな草原を駆けていた。
エレナの乗馬技術はすっかり上達し、今なお元気いっぱいの牝馬ファリケとの信頼関係も出来上がった。
時間を見つけてはブラシをかけ、おやつを与え、リカルドからもたまに乗馬を習った努力が実ったのだ。
今日はお互いに休みを取り、懐かしいロランディ公爵家の別邸に来ていた。
二人が初めて出会った場所である。別邸の周囲は草原となっているため、馬を走らせるには最適の場所と言えた。
「うーん、空気がおいしくて最高ね」
エレナは青々とした草の匂いが好きで、思い切り深呼吸をした。
「この空気がエレナの料理よりうまいか?俺には全く味がわからないが」
「ものの例えよ」
リカルドはわかっていて冗談を言い、エレナもわかっていてつんと顎を上げる。それぞれの歯車が噛み合い、順調に回る状態はずっと続いていた。
結婚後しばらくしてエレナの開いたレストランは、ジーノシュア国において知らぬ者はいない有名店となった。
料理は高級路線ではあるが、客によって価格を変えるため誰でもひとときの夢を見られる場所だと、憧れを持って語られる。
ロランディ公爵家が儲けを度外視して最高の素材を集め、公爵夫人が最高の料理を振る舞うのだ。死ぬ前に行ける天国だとも冗談まじりに囁かれている。
ただし、席数は少ないので王でさえ予約して数年待ちといった状態だ。その噂もまた、店の格を上げるのに役立っていた。
丘を越え、別邸に戻ると庭からにぎやかな声が響いた。
「父上、母上、見て!」
「どんぐり、こんなにいっぱい集めた」
二人の間には男の子のエレンドと、女の子のカメリアが生まれた。エレンドが6歳、カメリアが5歳になり、毎日元気いっぱいに駆け回っている。
エレンドは特にリカルドに似ていて、子供の頃はこうだったのだろうと思わずにいられない。素直に泣き、笑い、わめくのだ。
カメリアはそんな兄を見て、要領よく育っていた。しかしエレナに似たのか、気が強すぎて困ってしまうときもある。
そして不思議なことに、二人はダビドにも似ていた。エレナの母に似ている瞬間すらあった。赤子や幼児にどうして彼らを見いだせるのかはわからないが、ふとした瞬間に重なった。
それと同時に彼らの愛情が、ようやく理解できるようにもなった。胸の中でずっと冷凍保存されていたものがとろけるように広がり、エレナの心を満たした。
笑ってくれるだけで、どれだけ嬉しいか。見返りなど求めるわけがなかった。
「おお、いっぱい集めてすごいなあ。俺たちはちょっと夫婦の時間を過ごしてるから、乳母に見せてきてくれるか?」
「うん!」
「わかった」
リカルドが二人の頭を撫でて褒めると、エレンドとカメリアは一目散に駆け出した。彼らの小さな体はエネルギーを収めるのには不十分で、走らないといられないようだ。
「元気だな」
「本当にね」
満足のため息をつき、リカルドがもらった大量のどんぐりを庭に出してあるテーブルに置いた。艶のあるどんぐりはコロコロと揺れ、やがて止まる。
エレナとリカルドは用意されていたアイスティーを飲むため、椅子に腰かけた。
「なあエレナ」
「なに?」
アイスティーで喉を潤し、エレナは機嫌よく答えた。幸せだなと思っていた。
「この世界に来てくれて、ありがとう」
「どうしたの?改まって」
「幸せすぎて怖くなるときがあるよ。エレナが来てくれなかったら、俺はたったひとりで今も生きていただろうから。あの広い公爵邸で、どうしてひとりでいられると思っていたんだろうな。父上が心配するのも当然だった」
こんなに平和なひとときに、何を不穏なことを言い出すのだろうとエレナは困り笑いをする。
「私もそうよ。仕事と自分、それだけ。お金が貯まらなくてレストランすら開けなかったかもしれないのに、今は素敵な夫と、子どもと、レストランがある」
夢にすら描かなかった生活の中、愛する人はいまだに情熱的な眼差しをする。リカルドの金色の瞳には、いつもエレナが映っている。
「幸せと思ってくれるか?」
「もちろん」
「じゃあ、元の世界に帰らないでくれよ。どこにも行かないでくれ」
年を重ねても、相変わらず美しく整った顔貌と、たくましい肉体。その上最強の魔法使いで公爵でありながら自信なさげにリカルドは哀願した。
仕方のない人だ、とエレナは椅子を動かし、リカルドのすぐ隣に座りなおした。最早初めて出会ったときのリカルドとは別人になってしまった。
エレナも同様に別人となった。二人がお互いに育て合い、良くも悪くも今の関係である。それでも愛情は育ち続けている。
「私があなたと子どもを置いてどこかに行くと思っているの?」
それなりに愛情表現はしているつもりだったし、仕事が忙しくても大事なところではリカルドを優先させてきた。
エレナの気持ちは十分に伝わっていると思っていた。しかしそうではなかったのだ。エレナがかつて、リカルドにつけた傷は治っていなかった。
「思っていないけど、たまに理由もなく不安になる」
「私の7年間の妻としての努力は、あまり実らなかったようね」
リカルドはびくっと肩を揺らし、一気に赤面した。言わなければよかったと後悔を滲ませていた。
「ごめん、違うんだ」
「いいの。私たちはまだまだこれからだから。7年なんて、夫婦としては始まったばかりだもの。数十年経てば、不安も何もかも忘れて空気みたいな存在になれるわ」
「空気はないと生きていけないじゃないか」
「そうね」
リカルドの冷えた手を取り、甲を包むように両手で温める。怒っていないと暗に伝えているつもりだ。
「以前、リカルドが言ってくれたじゃない。この燃えるような愛を一生かけて証明するって」
「ちょっと違ってないか?」
「いいから。あれって結構真理だったと思うの。私も一生かけて証明するわ」
これからエレナが何を言うか、期待に金色の瞳を潤ませてリカルドは待っていた。
子どもには見返りを期待しないが、エレナとリカルドの間には常に需要と供給が必要だった。
エレナ自身もまた、彼の懇願が愛の証明のようで嬉しく感じている部分がある。
「愛してる。あなたに会えて、本当によかった」




