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胸の痛み

「参ったな、シモーナはお喋りで」


 エレナは内心で悲鳴を上げた。ダビドは年齢的なものもあり、全くいやらしさを感じさせないので、油断していた。まさか彼の息子という線があったなんて。


「そんなに心配そうな顔をしなくても、私はエレナを息子の嫁にとは考えていない」

「えっ」


 息子の嫁候補じゃないとはっきり言われると、それはそれで傷つくエレナだった。


(まあそうよね。変なこと考えて恥ずかしい)


「ああいや、そういう意味じゃない。エレナのような素晴らしいお嬢さんがうちの息子と結婚してくれたら安心だし嬉しいが」

「だ、大丈夫です。思い上がってすみませんでした」


 赤面するエレナにダビドは慌てて、何かをかき消すように手のひらを振った。


「違うんだ。女神が私の願いを叶えて、エレナを呼んでしまったとしたら申し訳ないから……君にも向こうの暮らしがあっただろう」

「いえ、私は森で2日も彷徨っていましたから女神に選ばれたとかでは絶対にないです。勝手にこの世界に迷いこんだんです。もしも私が呼ばれたのなら、泉から女神と一緒にバーンって現れますよ、息子さんの嫁は右の人がい~い?それとも~左の人?なんて」


 エレナの身ぶり手ぶりを交えた女神の物まねに、ダビドは声を出さず、控えめに笑った。エレナも同様に笑う。


「だから、ダビドに責任を感じてもらわなくて大丈夫です。でもできたら、ここで雇ってもらえると助かります」

「雇う?エレナを?」

「申し遅れましたけど、私は料理人なんです。仕込みだって皿洗いだって、何でもやりますよ!」


 できたらここに、ずっといたいとエレナは思っていた。ダビドを始めとして皆感じが良く、居心地のいい場所だ。それは彼の懐の広さのなせる業だろうと、エレナは考えている。


「女性の料理人とは、すごいものだな。エレナのいた世界では、便利な機械があったりするのか?その細腕で料理など、大変だろう」


 細腕と言われ、おかしくなってエレナは自分の腕を触った。一般的な女性よりずっと筋肉がついているのだが、確かに体格の良いダビドには負けている。


「まあ機械もありますけど、手作業の方がまだ多いですね。それだけが理由じゃないですけど、女性の料理人は少数派です」

「やはりそうか……」

「でもちゃんとやれるつもりです!」

「わかった。では採用試験をして、合格したら正式な契約書を作らないとな。まあそれまでは私の客人だ」

「ありがとうございます!」


 いつまでも、ただの客としてはいられない。世界中どこに行っても――例え異世界でも働ける職業を選んで良かったと痛感した。


「ちなみに、ダビドの息子さんってどんな方なんですか?ダビドの息子さんなら絶対にかっこいいですよね?」


 安心すると、好奇心が湧くエレナだった。想像力を駆使してダビドと肖像画の貴婦人との子どもを想像する。やっぱりどこをどう組み合わせても、美形だ。


「はは、嬉しいことを言ってくれる。まあ、かなりかっこいいと世間では言われているよ。リカルドと言うんだ」


 シモーナから、リカルドは現在公爵として首都でばりばり働いていると聞いていた。きっと社交界とか、夜会とかできれいな女性と遊んでいるに違いない。


「心配しなくても、そのうち誰かに決めますよ。まだ結婚したくないだけじゃないでしょうか」

「それが誰を紹介しても、嫌だ興味ないなどと言うんだ。一度エレナと会ってくれたらいいんだが」

「いやあ私を紹介しても同じ……いえ、私なんて、もっともっと嫌だと言いますよ」


 会うのは危険な匂いがした。エレナは恋やお付き合いとは無縁に生きてきたが、決して無欲ではない。かっこいい男性を見て、密かに胸をときめかせるのは大好きなのだ。


 しかし、あの泉の女神から『恋をしたら死ぬ呪い』をかけられた身である。


「そう卑下することはない。エレナはとても魅力的だよ」

「はっ?」

「最初に気を失っている私を揺さぶって起こしてくれたときは、女神様がついに現れたのだと思った。あまりに美しい人が目の前にいるから」

「なに……お、奥様が見ていますから」


 ダビドが、口説いてるのかと思うほどキリッとした真顔で語るので、お世辞だとわかっていてもエレナは照れてしまった。呪いだろうか、胸の奥が微かに痛む。


「確かに、見ているな。大丈夫、私はヴィオレッタを永遠に愛しているよ」


 ダビドが笑って肖像画へとグラスを掲げるので、エレナも同じように自分のグラスを掲げ、乾杯をした。


「さあ、食べようか」

「はい」

「これからのことは、ゆっくり考えたらいい。私は、エレナを利用するつもりはないんだ。むしろ私を利用して欲しい」

「えっと……はい」


 エレナは早くも料理に夢中になっていた。シンプルな茹で野菜、ハムといったものでも、久しぶりの塩気が芯まで染みた。野菜はクタクタに煮込まれ、とても柔らかい。


(すごくおいしい!素材の味が濃いのかしら?)


「異世界の料理人の口に合うといいんだが。一応、今日は消化に良いものを出すよう言ってあるので、手の込んだものではないかもしれない」


 心配そうにダビドが見守っていた。合わせてくれているのか、彼もエレナと同じメニューを食べていた。


「おいしいです!本当に、最高の味です」


 エレナはコンソメスープを静かに口に運ぶ。


(おいしいけど、コンソメスープをこんな風にそのままって久しぶりだわ。最近じゃあジュレにしたり、別の料理のベースにするくらいだもの。でも、このスープは確かに一品料理)


 次に出てきた肉料理は、簡単に骨から外れるほど柔らかく煮込まれた鳥肉だった。鶏ではないようだが、丁寧に処理をされて臭みが全くない。中には豆や香味野菜が詰められていた。


 デザートまで食べてからエレナは、嘆息を吐いた。


「満腹かな?」

「まだ食べられます……」

「ふふ、そのくらいにした方がいい」

「あの、どれも本当においしかったんですけど、明日にでも私が料理をしてもいいですか?」


 お腹が満たされたからか、活力が漲っていた。風味豊かな食材を使い、どのような料理ができるのか。考えるとワクワクした。


「もう少し休んで体調を整えなくていいのか?」

「大丈夫です。ぜひダビドに私の料理を食べてもらいたいです」

「それは楽しみだ」


 エレナはダビドと話をしながら食事をし、より一層打ち解けた雰囲気になっていた。


 食後のお茶まで終え、軽い腹ごなしにとダビドは屋敷を自ら案内した。


(家の中を歩くだけで運動になるなんて、やっぱり真のお金持ちは違うわ)


「――それで、ここをエレナの部屋にする予定だ。気に入らなかったら違う場所にするが」


 ダビドが扉を開けると、壁紙が小花柄の室内が目に入る。先ほど、入浴や着替えをした部屋とはまた違うようだ。女性の客人を想定していたのか全体にかわいらしい雰囲気をしている。


「気に入らないなんて、とんでもない。屋根のあるところに泊めて下さるだけでありがたいのに、すごく素敵で、嬉しいです」

「屋根のないところに泊めるという発想はなかったな。エレナの世界では良くあるのか?」


 日本語特有の言い回しに、ダビドは目を丸くした。


「も、ものの例えです」

「そうか、必要なものがあれば、このベルを鳴らすように。すぐに誰か来る。それじゃあ、ゆっくり休んで」

「はい、お休みなさい」


 さっさと部屋から出ていくダビドの後ろ姿を、寂しい気持ちでエレナは見つめた。この世界で一番最初に出会った人物であり、今は彼を頼るしかない身の上のせいだろうか。


 去っていく姿は、ひとり置いていかれるようで、胸が締め付けられた。


「あ、そうだ」

「え?」


 ダビドが足を止めて振り向いた。表情を取り繕う暇もない、素早い身のこなしである。


「また、そんなに心配そうな顔をしなくてもいい。もし私が明日にこの世を去ったとしても、エレナはこの世界で決して困らない。執事にもう頼んだから」

「何ですか!そんな心配はしてませんよ」

「お休み」


 笑って、今度こそダビドは去っていった。エレナはとりあえず広いベッドに横たわって、感触を確かめる。


「最高じゃない、このベッド」


 シーツはさらさらと滑らかで、ベッドへの沈みこみ具合も丁度いい。かつての従業員寮の安ベッドとは雲泥の差である。


(でも一番最高なのは、ダビドよ。優しいし、紳士!もうダビドこそ神様ってくらい。でもどうしたらいいの?料理くらいはできるけど、私はほかに何もできない)


 悩んだエレナは、ベルを鳴らして人を呼んだ。すぐにやって来たのは、シモーナであった。


「遅くにごめんなさい」

「いいえ、どんなご用でも申し付けて下さいな」


 身の回りの用品で足りないものでもあったのかと、シモーナは明るく笑って胸を叩いた。


「……ダビドの病気について、詳しく教えてくれますか?本人には聞きづらくて」


 エレナの問いに、シモーナは途端に顔を曇らせた。残念そうに首を振る。


「ご主人様のご病気は、ヘルシェル病と呼ばれる不治の病です。手の施しようがありません」

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