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抵抗

 その後、再び眠ったエレナは暑くて目が覚めた。リカルドに抱きしめられているせいだ。


 リカルドの腕からそっと逃れ、起きようかと伸びをすると手首に違和感があった。見た目に変化はないし、自由に動かせるがどうにも変なのだ。


(何これ?)


 魔力由来のものではと、じっと目を凝らしてみる。リカルドから指輪を通して魔力を供給されているエレナはすっかり魔力の扱いに慣れ、隠されたものを見破ることも可能になっていた。

 なお、隣にいるリカルドは穏やかな寝息を立てていた。


 じわじわと浮かび上がるように見えてきたのは――手枷、と呼称すべき形状だ。手首を太い輪が覆い、鎖が繋がっている。鎖の先はリカルドへと続いていた。


「リカルド!人が寝てる間に何てものを付けたの?起きなさいよ!」


 勢いのままリカルドを揺り起こすと、彼はぼんやりと長い睫毛に縁どられた金色の瞳を開いた。心のない機械人形のようにパチパチと瞬きを繰り返し、天井やエレナの顔を順に見る。

 リカルドはどうやら寝起きが悪く、また寝ぼけているようだった。エレナは仕方なく怒りを鎮め、優しく問いかけた。


「ねえ、何これ?どうして私にこんなものを付けたの?」

「ああ、これ?おかしいな、遮蔽魔法をかけてるから見破れないはずなんだけど、エレナは俺の魔力を使ってて波長が同じだからか?」 

「悪い冗談はやめて、早く外して」

「だめ?魔力の波長が違うほかの人にはまず見えないし、別に邪魔でもないだろ。何だか寝てる間にエレナがどこかに行ってしまいそうで……」


 リカルドはまだ半分眠っているのか、夢見るように儚く微笑んだ。しかしそんな顔をされても、エレナは受け入れられない。


「だめ。私はこんな変態みたいなこと、いや」

「いくらでも罵っていいけど、不安なんだ。俺、何となくやらかした気がする」

「大丈夫だから、これ以外は」

「そうかな」


 リカルドの勘の良さには感心するほかなかった。エレナは幸せを感じる一方で、怖くなっていた。


 エレナの両親は、エレナが物心つく前に離婚している。結婚が近づくにつれ、自分もそのようになるのではという想像が膨らんでいた。幸せな夫婦生活を全く知らないエレナは、この先どうなるのか予想もつかなかった。



 カーテンの隙間から差し込む光はすでに昼のように明るく、小鳥の鳴き声はいつも通りだ。



 何とか手枷を解除してもらったエレナは、とりあえずガウンを羽織って自室に移動した。身支度を手伝いにやって来たシモーナは訳知り顔でニコニコしていた。


「今日はお出かけされませんし、ゆるめのドレスがいいですよね?うふふ」

「そうですね……」


 既婚女性でリカルドと年齢の近い息子までいるシモーナ相手にそう恥ずかしがることもないはずなのだが、まっすぐ彼女の顔を見られない。

 大勢の人に注目されながら生活することにも慣れたはずのエレナだが、いわゆる秘め事まですぐに公爵邸の人々に知れ渡ってしまうのは辛かった。


(昨夜のこと、絶対に噂されてる。しばらく厨房に行きたくないわ)


 厨房のむさ苦しい男たちにニヤニヤされたら、ナイフを投げてしまいそうだった。とはいえエレナだって、過去にはそういう噂を楽しんだことがある。ホテル内で誰かと誰かがキスしてたとか、部屋に入っていくところを目撃しただとか。

 いざ自分たちが噂の対象にされてるのかと思うと、恥ずかしくて身の置き所がわからなくなった。鏡台前の椅子に腰かけて思わず身をよじると、後ろのシモーナが心配そうに頬に手を当てた。


「あら、クッションをお持ちします?それとも腰に貼る湿布をご用意しますか?」

「だ、大丈夫です!」

「そうですか。それにしてもエレナ様がお元気になられて、本当に良かったです」


 元気になったというのは、一時期の落ち込んでいたときと比べてのことだ。あのときは、このような体験をするなどと考えもしなかった。


「エレナ様は今の私の生きがいですから。何だか私は第二の人生をもらえたみたいで」


 そう言ってエレナの髪を梳かすシモーナは、彼女の語る通り最初に会ったときより着実に若返った。丸みのある頬は赤く、元気が溢れていた。


「シモーナ、もしかして痩せて服を新調したんですか?」


 ふくよかというには少し過剰だったシモーナの肉付きは健康的に引き締まり、最近は服にゆとりがあった。

 今日は体にぴったり合ったものになっている。


「あら、そうなんです。わかります?実は、クリツィア殿下用のメニューの試作品、古参の権力で私が頂いておりまして、かなり痩せたのです。また戻るかなあと思いつつ、やっぱりだらしない恰好はできませんから」

「そうだったんですね。継続するなら、私が賄いメニューについて進言しますよ」


 エレナが頼まれた『たくさん食べても太りにくい料理』は味や見た目を良くするために、大勢の人員と材料をつぎ込んで試作した。

 それらは公爵邸で働く女性陣の中で取り合いになっていたとは聞いていたが、シモーナはしっかり食べていたようだ。公爵邸はもちろん賄いも豪華なため、年齢が上がるにつれ、ふっくらした女性が多い。


「いいんですか?!そうして頂けると助かります!あれは効きますねえ、満腹感があるのに翌日の体がすっきりして、軽くなったせいか膝の調子もいいんですよ」

「膝の調子が悪かったんですか?」


 そんな素振りは見せずにいつも笑顔のシモーナだったので、エレナは驚き、自分の世話などさせて申し訳なかったと思った。


「少しですよ、少し。年齢のせいだと思ってましたけど、体が重すぎても良くないんですね。ねえ、エレナ様。私、ああいった素晴らしいお料理は世に広めるべきだと思うんです」

「もしかしてレストラン開業のことですか?」


 この世界でダイエット料理のレストランなんて需要があるのかエレナは疑問だった。


「いえそうではなく、エレナ様。本を書いてみませんか?」

「料理本ですか?」


 それこそ需要があるのかエレナは首を傾げてしまう。ダイエット料理本とは、とても贅沢な発想だ。飽食の日本ならともかく、このジーノシュア国はどうなのか実は知らなかった。


「本を出せば絶対に売れますよ。ジーノシュアは温暖な気候で豊かな土地です。税も適正ですから、働きさえすれば誰でもお腹いっぱい食べられます。そうすると三十代くらいからみんな、肥満に悩むのです。高貴な女性が細い体型を理想とするのも、太ることが容易だからですよ」

「なるほど……」


 エレナは数少ない外出の場面を思い出していた。ダビドと出かけた市場で見た、ロングスカートを着た一般の女性たち。いわゆる中年女性がふくよかなのはエレナの世界でも普通なので見落としていたが、ジーノシュアが豊かな国という証拠であった。


「エレナ様のあの料理は革命的ですよ」

「そんなに褒められると照れますね、他人が考えたものを再現してるだけですし」

「どんなに偉大な発明も、基礎は他人の考えたものですよ」

「そうかもしれませんね」


 シモーナに乗せられ、エレナはその気になり始めていた。マリア妃の日記の翻訳もあるが、平行してレシピをまとめるくらいはできそうだ。


「じゃあやってみようかと思います。料理本を出せば

 広く色んな人に食べてもらえますもんね」


 特に儲けが欲しいわけでもないエレナは軽く考えていた。自費出版をしたらいい。まだ手をつけていない、ダビドからもらった財産もある。大事に取っておくつもりだったが、永久に眠らせておくより、料理の本を出すために使う方がいいだろう。


 シモーナと話をしたことで気分ががらりと変わり、エレナは機嫌良く食堂へ向かった。


 そこにはすでに朝と昼兼用の食事が用意されていた。リカルドは髪を整えて着替え、さっぱりとした顔で着席している。


(お休みの日なのに、すごく決まってるわ)


 外出用の服ではなく柔らかい素材のシャツ姿なのだが、リカルドは妙に輝かしく見えた。少しの間離れただけなのに、リカルドは会えて嬉しいとばかりに笑いかけた。エレナもまた、胸がざわめいてしまう。間近で見ても、テーブルの向かいから眺めても、全く隙のない美貌である。


「早く食べよう、一緒に食べたいから待ってたんだ」

「そう、待たせちゃってごめんね。シモーナとお喋りしてたの」

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