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その後 5

「今日は本当にありがとう、エレナ嬢。クリツィアがこんなに笑っているところを久しぶりに見た」

「喜んでいただけて何よりです」


 ベネデットは王太子らしい威厳があるので、エレナは固くなりながら答えた。


「どれも素晴らしい味だが、クリツィアの体調を気遣って軽めのメニューになっていたな?」

「おっしゃる通りです」

「工夫すればこんなに色々できるのに、私は伝統に沿ってウサギの煮込みさえ食べていればいいと、慢心していたんだ……反省するよ」


 クリツィアがはっとデザートを食べる手を止め、急ぎ口をリネンのナプキンで拭いた。


「別にあなたが謝ることはないのよ、だってあなたは政務に忙しいじゃない」

「だが、料理人に命じることはできた。私はそれすらもしなかったんだ。君からは言いづらかったんだろう?」


 クリツィアが瞬きするだけで、コバルトブルーの瞳は宝石のように輝いた。


「それはそうよ……私は子どもがなかなかできなかったから」

「すまない、私が不甲斐ないばかりに」

「いえ、私が……」


 シャンデリアの灯る華やかなダイニング室は、一気に気まずい雰囲気となった。


(え、ここで夫婦の話をされても困るわ)


 ちらりとリカルドに救助を求める視線を送るが、彼もまたかけるべき言葉を持っていないようだった。ぶんぶんと首を振られてしまう。


 仕方なく、エレナは咳払いをする。


「ベネデット殿下」


 呼ばれたベネデットは魔法のように親切そうな笑みを携えてエレナの方を向いた。スイッチを切り替え、まさに理想的な王太子の顔となっている。


「何かな、エレナ嬢」

「食事の場で、難しいお話はやめましょう。消化によくありませんから」

「うむ、そうだな」

「ご存知かと思いますが、本日は王宮の料理人の方々がこちらの厨房にいらっしゃっています」


 身重のクリツィアであるので、万が一にも何か起こらないようにと王宮料理人を数名呼び、調理工程の監視をさせていた。もちろんそれは名目で、実際は今日の料理の作り方を覚えてもらうためである。


「ですので、今後のクリツィア殿下の食事のご心配はいりません」

「そうだな、何から何までありがとう。あなたのような方がクリツィアの友人になってくれて、心強い」

「そのようなことを言って頂けるなんて、身に余る光栄です」


 エレナは何とか返事をしたが、内心では失礼なことを言ってしまわないかヒヤヒヤしている。


(ベネデット殿下って……)


 わざわざ比べるなど失礼だが、従兄弟でもリカルドとは違うなと痛感した。ベネデットと仲良くなれる予感がまるでしない。好き嫌いではなく、違う世界の遠い人間だと感じてしまうのだ。


 隣にいるリカルドは、いつでも受け入れてくれそうに微笑んでいた。



 ベネデットとクリツィア夫婦は満足げに何度も例を言い、仲良く王宮に帰っていった。招待は成功に終わった。


 彼らを見送ったあと、暖炉のある応接室のソファに並んで腰を沈め、エレナとリカルドは安堵の息を吐いた。


「無事に終わって良かったわ。やっぱり王族の方を招くのって大変なのね」

「エレナはよくやり遂げたよ。並大抵のことじゃない」

「たくさんの人の力を借りたもの。もちろん、リカルド。あなたの力も借りた」

「俺は場所は提供したかもしれないが、俺のものは全部エレナのものだからな、気にするな」


 リカルドは労をねぎらうように、エレナの背中をポンポンと軽く叩いた。一仕事終えたあとには、とても効く感触だ。エレナは喜んで彼に寄りかかった。気だるい雰囲気が漂うが、甘くはならない。


(差し迫った問題は一段落したから、今度はリカルドのことをよく考えなきゃ)


 歳の近い夫婦を目の前にしていると、エレナはどうしても自分の未来を想像してしまう。大聖堂で行われるというリカルドとの結婚式の日にちは、こうしている間にも近づいていた。


(私、リカルドをちゃんと好きなのに)


 リカルドから軽く触れ、エレナが受け入れて寄りかかる。そうやってお互いの好意を確かめあうが、特に言葉にすることはなかった。


 あの一件から、愛を囁きあうことも、キスもない。


 ダビドがいた頃は恋人らしい雰囲気を作ろうと努力していたが、今はその必要がない。ごく普通の、恋愛感情からの婚約者という立場はあまりに自由で、広大すぎる放牧地に入れられた気分だった。


 何をして過ごせばいいのか、エレナにはわからない。


「ルイから聞いたんだが」


 ボソリとリカルドが呟いた。反射的に俯いていた顔を上げると、彼の通った鼻筋と薄めの唇がすぐそこにあった。思いきってキスでもしたらどうかとエレナは考えるが、やはり適切なタイミングではなさそうだ。


「何を?」

「エレナはレストランを開くのが夢だそうだな?」

「そうね」

「今日のことで改めて思ったが、エレナの料理は本当に素晴らしい。レストランを開いてみるか?」


 予算の心配は一切なく、レストランを開けるとリカルドは言っていた。豪華な公爵邸や、抱える使用人から鑑みる彼の財力からすると、エレナが夢見ていた小さなレストラン程度は大した負担ではなさそうだ。


「……まだ、いい」

「もちろん、エレナのタイミングでいい。だが建物の作りを建築家と相談したり、人の来やすい出店場所を探したりしていたらあっという間に月日が流れてしまう。もう始めてもいいんじゃないか?」

「そうだけど」


 悔しいことに、リカルドは現実的な問題点を挙げてきた。以前、仕事が早いと豪語していたように既に依頼する人物にまで見当をつけているのかもしれない。


「私は、自分の力で、自分の店が欲しかったの。リカルドに全部お金を出してもらうのは何か違う」

「そうか……じゃあ俺はどうしたらいい?」


 リカルドの眉が寄せられ、高い眉骨によって金色の瞳が翳った。いつも強がりな彼らしくもない弱気な発言だ。


「エレナに事業のひとつでも委譲するか?そうしたらエレナに利益が確保される」

「その気持ちだけで嬉しいから、そんなのいいの。レストランのことはゆっくり考えるわ」


 勇気を出してエレナから両手を伸ばし、首に抱きついた。ぎこちないながらも、形だけは恋人のポーズとなった。


 そのうちリカルドがまとめていたエレナの髪をほどき、手ぐしを通す。しかし結局、そこまでだった。メイドがお茶を持ってきたので、何となく終わりとなった。



 数日経っても、リカルドは落ち込んでいるようだった。エレナが予想する限りでは、レストラン援助の申し出を断ってしまったからだ。しかし、今さらお願いするといっても無駄だろう。


(もうあれに頼るしかないわ)


 エレナは、厨房の食材管理者に頼み、多種多様の酒を用意してもらった。この国で最も飲まれているのはブドウから作られたワインだが、別の果実由来のワインもある。また、ワインの搾り滓を発酵させて蒸留したグラッパという酒に近いものもあるし、小麦由来の酒もある。


 リカルドが翌日休みの日を狙い、エレナは誘った。


「今夜は飲みましょう。私、まだ試してないこっちのお酒を飲んでみたいの」

「いいけど、俺は強いからな」


 エレナがあらかじめ頼んでおいたので、晩餐後のダイニングテーブルに、酒器や軽いつまみが続々と並べられる。リカルドは自信ありげに、口角を吊り上げた。


(ふふん、私は飲んでも飲んでも酔わない体質なのよ)

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