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その後 4

 それからエレナは、忙しく日々を過ごした。


 まず、信頼できる助手が必要だったので別邸に残したままになっていた料理人ルイを呼んだ。


 ルイはやっと呼んでもらえたことに喜び、エレナに再会すると尻尾を振りそうにはしゃいだ。尻尾はないが、ルイは黒くつぶらな瞳もあいまって犬系の雰囲気がある。


「待ってましたよこの時を!!」

「呼ぶのが遅くなってごめんなさい」

「いいんです、十分に休養されましたか?これからはボクがエレナ様の手足となりますから!!」

「ありがとう。王太子妃殿下のためのメニュー作りだから、がんばりましょうね」

「はい!例のものもたくさん作っておきましたよ!」


 ルイは小さな包みを掲げ、得意そうに笑った。中身は、ルイが精製に精製を重ねた板ゼラチンである。豚の皮や骨から抽出し、製菓に使えるレベルまでになっている。


 エレナが大まかな作り方をルイに教えて以降、ルイはゼラチンの精製にはまっていた。別邸で時間はたっぷりあったので、作り貯めしていたという。


 ここまでの純粋なゼラチンはジーノシュアの王族でさえ、まだ口にしていない。エレナはもちろん、甘酸っぱいゼリーを作る予定でいる。


「やっぱりゼリーはダイエットの定番よね」

「僕も試食しましたけど、確かにお腹がいっぱいになりますね」


 話しながら、ルイと共に厨房へと向かう。しばらく包丁も握っていない身なので、エレナは少し緊張していた。


(ちゃんと料理できるかしら)


 本邸の厨房は客を招くことを想定し、別邸よりも広く施設は充実している。そのため厨房で働く人員も多いのだが、エレナはまだ彼らの顔をろくに見たことがなかった。

 その上リカルドから話は通してもらっていたが、将来の公爵夫人という立場なので通りすがりの使用人にすら、いちいち頭を下げられてしまうのだ。


「あ、そうそう本邸の料理長はボクの父です。だから特に衝突する心配はないですよ」


 エレナの緊張をほぐそうと、ルイがへらっと笑った。


「そうだったの?」

「はい。ここの料理人ともほぼ知り合いです。今回の件が上手くいったら、遠慮なくボクを料理長に任命してくださいね。父はそろそろ引退していい年齢です」

「ううん……」


 エレナは困って意味のない声を漏らした。公爵邸の人事権はエレナにないが、リカルドに頼めば何でも聞いてくれそうだった。


 泉から帰って以降、リカルドはとても甘くなってしまったのだ。婚約者のふりを始めた頃から優しかったが、今は何かを恐れているかのようだ。


(そのままのリカルドでいいのに。そのうち慣れて油断してくれるかな)


 急ぐような問題でもないので、エレナは厨房に入った。整列していた料理人、補助メイドたちが一斉に挨拶をする。


 勢いに気圧されながらも、エレナは微笑んだ。


「ここにいる間は、私も一介の料理人です。皆で、よりよい料理を作り上げましょう」


 はい、と皆の元気のよい返事があった。この緊張感のある場所こそ、エレナの戦場だ。生きている実感がした。



 日中は料理の試作に専念するが、夜はマリア妃の翻訳作業をした。宝物庫の管理人セドリックから、マリア妃の日記を魔法で写したものが届いたのだ。それをジーノシュア語へと訳していく。


(マリア妃が亡くなったあと、誰も読めなかったから誤解を生んだのよね)


 内容をじっくりと読み解くと、マリア妃の恋心などがほとんどだった。あとは何てことのない日常の記録である。


「みんな、マリア妃が帰りたくて転移装置を作ったと誤解してるからこっちもがんばらないと……」








 10日後、ついにエレナは『たくさん食べても太りにくい料理』を完成させた。手伝ってもらって招待状をクリツィア王太子妃に送り、日程が決まった。ベネデットが同席したがり、夫妻でやって来るという。


 ロランディ公爵邸に王太子夫妻が来訪するとなると、本人たちの気さくな関係性はともかく大がかりなものとなった。


 花の種類、花瓶の位置などの飾りつけ、皿やカトラリーの選定など、おもてなしの準備には決まりがある。


 そういったことにまるで知識のないエレナは、公爵邸の侍女長カトリーヌに任せきりとした。40代半ばの、控えめな女性である。


 クリツィアが到着する前にダイニング室の確認だけさせてもらうと、詳しくわからなくても、美しく上品なものと感じられた。匂いの少ない小ぶりな黄色い薔薇、白く光沢のあるリネン、ロランディ公爵家の紋章の描かれたプレートが調和していた。


「素晴らしい飾りつけですね、ありがとうございます」


 エレナは素直に称賛した。

 ロランディ公爵家は長い間、女主人不在となっているため、カトリーヌに一任されていたのだ。彼女は胸を張った。


「全面的に任せて頂けてやりやすかったです。良ければ、これからも一任してください」


 若干の嫌みが混じっていたが、やる気があるのだろうとエレナは理解した。仕事にプライドを持っている人の発言だ。もしも本当の貴族育ちであれば関わりたがるだろうが、エレナはその道のプロに任せるのが一番だと思っていた。


「頼りにしています」


 エレナの素直な発言に、カトリーヌは顔を赤くした。


「勿体ないお言葉です。これからはエレナ様が公爵夫人なのですから、敬語はおやめください」

「結婚したらそうします」


 カトリーヌに対して、密かに好感を抱いた。


(いい侍女長で良かった)




 ベネデットとクリツィア夫妻が訪れ、エレナはリカルドと共に出迎えた。


「本日は、ようこそお越し下さいました。僭越ながら私がクリツィア殿下の体に良い料理をご用意しました」


 リカルドやベネデットは、『太りにくい料理』という趣旨を知らない。エレナとクリツィアはそっと目を合わせ、忍び笑いをした。


 料理は前菜から始まるコースだが、全てカロリーを抑えたものだ。見た目は通常の料理であっても、カロリーを低くする工夫が施してある。


 ダイエット向きの赤身の牛肉を限界まで叩いて伸ばしカルパッチョとしたり、塩味もギリギリまで控えて酸味で補完した。


 基本的に肉で作られるテリーヌは色鮮やかな野菜のみで作った。なお、固めるためにルイ特製のゼラチンは役に立った。


 魚料理は、ダイエット向きと言われる青魚だ。そこにクリツィアが特に熱望していたものを添えた。クリツィアは、ジャガイモを千切りにして魚を包んだ料理の、ジャガイモの部分だけを食べたいと言っていた。


 それはフライドポテトだろうなとエレナは察したのだ。エレナがいた世界で、なぜか妊娠すると食べたくなる候補にいつもある。箱入り令嬢のクリツィアがそんなものを食べたことはないはずだが、なぜか欲していた。


 エレナは、カロリーを抑えつつ例の味に近づけるため、ジャガイモを細切りにして塩水に漬け、オーブンで低温焼きにして、ほんの少量のラードをまとわせ、またオーブンで表面をカリッとさせた。


「すごくおいしい、これこそ私の求めていた味よ」


 クリツィアは満開の笑顔で食べ進める。エレナは心から満たされる感じがした。


 脂が人体にはほぼ吸収されない羊を使った肉料理のあとには、デザートだ。小麦粉をほとんど使わないシフォンケーキや、カルシウム豊富でやはり小麦粉の少ないチーズケーキ、色とりどりのゼリーなど用意した。


「どれも見た目が華やかで、斬新で、心が踊るようだわ。それにこの透き通ったゼリーはプリンやムースと違って、食後でもくどくなくて、おいしいわ」


 クリツィアが語ったところによると、最近は妊婦にいいというウサギ肉の煮込みばかり食べさせられているという。エレナは心底同情している。


 食事中、じっとクリツィアを見守っていたベネデットがエレナの方を向いた。

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