その後 1
帰路を急ぐ馬車は、転移装置にまで順調に戻った。もう二度と見ることはない、と思っていたそれをエレナは複雑な思いで見つめる。
「この転移装置を開発したのは、私と同じ異世界から来た人だったそうね?」
何か話題を、とエレナは横に座り、手まで繋いでいるリカルドに尋ねた。向かい側に騎士たちやメイドがいて恥ずかしいと言っても、やめてくれないのだ。
「ああ、そうだ。俺の曾祖母にあたるマリア妃だ」
曾祖母と実際に会ったことがないリカルドは、教えられただろう知識をそつなく答えた。
「マリアっていうお名前なのね。どんな人だったのかなと思って。私とは全然違う……」
よくある名前なので、エレナはマリアなる女性の国籍すら予想できなかった。ただ、異世界からやってきて王に見初められ王妃になり、それまでなかった転移装置を研究、開発したものすごい女傑というイメージだけがある。
「知りたいなら、王宮の宝物庫に保管してあるマリア妃の所持品の閲覧許可を取るぞ」
「そ、そんな大層なことになってるの?」
「ああ。エレナの記録だって、いつかはそうなるかもな」
「私には無理よ、こんなもの作れない」
マリアはきっと科学者の卵とか大学で何かを研究していたとか、そんな人物だったのだろう。エレナは料理しかやって来なかった。科学者ではなく、料理人だ。身の回りに機械は溢れていても、その中身の構造は知らない。仕組みを理解せずにただ使っていただけなのだ。
「マリア妃はきっと、帰りたかったんだろうな。その執念でこれだけのものを作ったのに、結局元の世界に帰れなかったんだ。だからエレナだって帰れるはずないと思ってた。行方不明になったという報告を受けたときは本当に慌てたよ」
握る手に力を込めて、リカルドは低く声を掠れさせた。横から覗くリカルドの金色の瞳は、透き通っていた。
エレナは今さら言うつもりはないが、女神に頼ることでどうにか元の世界に帰るつもりだった。ひどい申し訳なさで胸が詰まる。
(改めて考えると、私の行動もどうかしてた。リカルドにばかり謝らせて悪かったわ)
「ごめんね」
「いいよ、エレナは謝らなくていい。別れる以外のやりたいことがあるなら、何でも遠慮なく言ってくれ。王とまではいかないが、俺にだってある程度の権力や財力はある」
リカルドは手を離したと思ったら、腕を伸ばして抱き寄せた。エレナはなす術なく、頭をリカルドの胸に預けて甘えるような体勢になってしまう。
「あの、ここではちょっと……」
さっきからずっと、向かい側に騎士たちやメイドがいるのだ。控えめに視線を足元に向けているが、たまにチラッと上目遣いになる視線が気になった。
「こうしてないとエレナが消えてしまいそうで不安なんだ」
「そんなことないのに」
エレナは自身への反省もあったので、しばらくそのままでいた。
数日後、エレナとリカルドは揃って王宮へと出向いた。許可が取れたので、マリア妃の遺品を閲覧するためである。
エレナは今まで、首都の公爵邸から霞んでみえるジーノシュア王宮を見ていた。だが、間近でみるとその大きさに圧倒的な財力を感じた。
白亜の壁をした巨大建造物なのに、随所に目が痛くなるほどの細かな装飾がされている。どこかからか、優美な弦楽器の音色が聞こえてきそうだった。
敷地が広いので、やって来た馬車のまま奥へと進む。
宝物庫は、アーチを連ねる回廊に囲まれた建物だ。リカルドと二人で入ると中はひんやりとして、高い天井にはびっしり抽象画が描かれていた。案内をするのは、宝物庫の管理を任されているというセドリックという男だった。
宝石が嵌まった剣、王笏など高価そうなジーノシュア王室ゆかりの品々が飾られていて、エレナはキョロキョロとする。
しばらく進むと、ガラスケースに収められた古びた本が数冊あった。セドリックがそっと取り出し、エレナに恭しく差し出した。
「どうぞ。マリア妃の秘密の日記帳です」
「ありがとうございます」
エレナは好奇心で鼻息を荒くしながら、日記を開いてみる。
「読めるか?マリア妃は元いた世界の言葉で書いたから、俺らには読めないんだ」
「えっと……英語ね、これ」
「エイ語?」
「私の母国語じゃないから全部はわからないけど、ある程度は」
「母国語以外でも読めるのか?意外と学があるんだな」
「意外とは何よ」
エレナは走り書きのように綴られた単語に目を細める。そこまでの英語力はない上に、活字ではない手書きの文字をあまり読んだことがなかった。
(やばい、リカルドとセドリックさんにすごく期待されてるけどそんなにわかるかな)
辞書もないので、わかる単語しかわからないのだ。それでも、日記帳の最初のうちは知っている単語が並んでいた。
「彼女が結婚した王様……結婚当時は王子様だったのね?カルロスというの?」
「その通りだ」
「ふふ、彼女は王子様がすごく好きだったみたい。かっこいい、嬉しい、こんな人に会えて幸せって書いてある」
次第に夢中になって日記を読んだ。マリアは、この世界の誰にも意味を読み取られないと安心していたのだろう。日記帳に話しかけるように、赤裸々な気持ちが綴られていた。
「ああでも……不安もあったみたい。やっぱり王子様との結婚なんて荷が重いし、周囲の人からもこっそり嫌がらせを受けたって」
「何だと?許せないな。エレナ、もし何かあったらすぐ俺に言えよ」
「う、うん」
リカルドが顔を険しくし、ガラスケースに拳を軽く叩きつける。力加減をしているのだろうが、あまりの剣幕にガラスが割れるんじゃないかとヒヤッとするほどだ。
(私は素晴らしい功績を残したマリア妃の前例があったから歓迎されてるけど、彼女は史上初めての異世界人だったものね、大変だったんだわ)
更に読めるところだけを何とか読み進めると、エレナは目に飛び込む単語を見つけた。
「あっ」
「ど、どうした?何て書いてあるんだ?」
「どうされました?」
リカルドとセドリックが固唾を呑む。
「いえ、えっと……」
エレナは説明できずに顔を赤くした。マリアは、カルロスとの性行為についてまで細かく記していた。
(私、どうしてこんな部分だけ読解力が上がるの?なぜかすごくわかる単語ばかり)
「教えてくれエレナ、どんな内容なんだ?」
「だ、だからその……カルロス王子と……寝室で結ばれた感想的なこと」
気まずい沈黙が訪れた。リカルドは赤面してギュッと瞳を閉じ、セドリックは咳払いをする。
「人の日記なんて勝手に読んじゃいけませんね、ありがとうございました」
エレナはぱたりと日記帳を閉じる。ここに重要な秘密などなかった。ただ偉大な功績を残したマリア妃に、大いなる親近感を抱けた。彼女も悩んだり恋に揺れ動く普通の女性だったのだ。
エレナが、自分にできる何かを探してみようと思うには十分だった。
セドリックがもうひとつ咳払いをした。
「その辺りは翻訳しなくても構いませんが、それでも私はエレナ様に、この日記帳をジーノシュア語に翻訳して頂けたらと思います。次に異世界の方が来るのはいつかわかりませんし……」
「ざっくりした概要しか訳せませんが、それで良ければ」
「ありがたいです。我々にとっては、解読の手がかりすらない言語ですから」
そんなことを話していると、宝物庫の入口からかっちりした服装の、侍従と思しき人がやって来た。何の用事だろうとエレナはリカルドを見る。リカルドでなければ、呼ばれる心当たりはない。
「ご歓談中に恐れ入りますが、ロランディ公爵閣下」
「どうした?」
ロランディ公爵とは、リカルドの爵位である。リカルドは急に、堅苦しい雰囲気を纏った。
「王太子殿下と王太子妃殿下より、ぜひ婚約者様と4人でお茶を楽しもうとの御言葉です」
「約束してないが。急な誘いは失礼じゃないか?」
リカルドは不快そうに片眉を上げ、明らかに断ろうとしている。エレナは驚くほかなかった。
(王太子殿下って、公爵より身分が上じゃないの?違うの?そんなあっさり断っていいのかな)
侍従は顔色ひとつ変えずに食い下がった。
「ごもっともでございます。ですが、王太子殿下の御言葉をお伝えします。婚約者の方と改めて話をするよい機会だ、必ず来てくれると信じている、とのことです」
「ふん」
リカルドが首を傾げてエレナを見つめた。
「だとさ。エレナはどうしたい?面倒なら断ってもいいが」
「えっ……行きます、喜んで」
判断を任されたのなら、エレナは行くと答えるしかなかった。面倒そうなので本心から行きたい訳ではないが、ここで断っては心象が悪くなる。
王太子ベネデットと、王太子妃クリツィアはダビドの葬儀で挨拶だけはした仲である。
(何で急に呼ばれたんだろう……)
エレナは緊張でドキドキしながら、今日の服装を見下ろした。シモーナや公爵邸のメイドたちが着飾らせてはくれたが、偉い人たちとお茶会をする想定ではない。嫌がらせだったらどうしよう、と心配になった。




