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仲直り

「順に説明してあげましょう。まず、あなたは元いた世界の、森の小道で道を間違え、遭難していた」

「そうなの?」


 間違えたつもりはなかったが、そうだったかもしれない。とにかくエレナは森の中で迷子になっていた。


「そうよ。私はダビドからのお祈りで力を得て、リカルドの最高の伴侶としてあなたを見つけた。でもそのときには、あなたは崖から転落して虫の息だったの」

「そんなはず……」


 そのような記憶は一切なかった。エレナは恐ろしいような、疑わしいような気持ちになる。


「暗闇だったし、何が起きたかもわかってなかったようね。仕方ないから私が体だけは治して連れてきてあげたのよ。でも、体と魂はふたつでひとつ。魂も傷ついていたけれど、私では治しきれなかった」

「そんな……」

「だから当分は恋なんてしたら危なかったの。こちらの世界では、あちらの世界より遥かに意思の力が実際のエネルギーとして働くのよ。その辺を説明してもよかったけど、脅した方が効いたでしょ」


 女神は得意そうに胸を張る。だがそれよりも、エレナは確認しなければならないことがあった。


「じゃあ、ダビドがあなたに祈って、こちらの世界に呼んでくれたから私は生き延びたの?」


 エレナの問いに、女神は微笑んだ。そうしていると神秘的な造形だと気付かされる。彼女の鼻や口は驚くほど小さく、目だけが猫のように大きい。


「その通りよ」

「ダビドはそれを知っていたの?」

「3人でお祈りに来たときに教えてあげたわ。安心してた」

「どうして私には教えてくれなかったの?私、ダビドに何にもお返しできなかった」


 目が潤み、少し瞬きをするだけで涙がポロポロと頬に流れた。エレナの涙腺は感情の刺激に弱くなりすぎていた。


「ダビドは、あなたにとても感謝していた。もう何にも欲しいものなんてなかったわ。彼はそろそろヴィオレッタの元へと行きたかったのよ」

「そうかもしれないけど……」


 ダビドがいつまでも生きていて欲しいと願うのは、わがままだと理解していた。彼は治療法のない病気を抱え、激痛によって苦しんでいた。


(でも、もう少しだけ見守ってくれたら)


 リカルドとの壊れた関係を思い出し、エレナは新しい涙を零した。もうあれは修復不可能だ。あんなことがあって、以前のようには寄り添えない。


 女神がエレナの両肩を揺すった。


「ちょっと、グズグズしてないでいい加減に目を覚ましなさい。生き残った人は、死んだ人の意思を継いで生きなければいけないのよ」


 何かを言い返す間もなく、エレナは目を覚ました。驚いたことに、リカルドが見下ろしていた。リカルドに膝枕をされていたのだ。


「え?」


 エレナは身を起こそうとした。が、リカルドにそっと押し返されてまた彼を見つめる。自分に都合の良い夢を見ていたのかと頭が混乱した。


 場所は、倒木にもたれて目を閉じる前と変わらない泉の前だ。空は青く眩いが、リカルドの大きな体が日の光を遮ってくれていた。


「良かった、目を覚ましてくれて」


 リカルドは涙ぐんでいた。事態がわからずにエレナは冷たい返答をする。


「目は覚ますでしょう普通に……」

「そんなことなかった。ここにたどり着いたら、エレナは倒れていた。どれだけ呼びかけても、全然起きなかった。息はしていたけど」

「あの人たちは?」


 同行してくれた騎士たちはどこにいるのかとエレナは気になった。彼らとはぐれ、とりあえず目的地に来ただけのはずだ。なぜ、リカルドかここにいるのかも合わせて質問となった。


「エレナを見失った、という報告を受けて慌てて俺が来たんだ。指輪をつけてくれていたからか、俺はここに来られた。でもあいつらは泉にたどり着けないらしい」


 エレナの頭を撫でながら、リカルドは説明をする。その感触の良さにエレナは気持ちまで穏やかに撫でつけられてしまうのだ。やめるように言うべきか迷っていた。この先リカルドとどうしていけばいいのか、わからない。


「ごめんな」

「何が?」


 ただ闇雲に謝られたくないエレナは、やはりきつい口調で聞いた。


「昨日、ひどいことを言った。エレナは俺から離れても生きていけるよ。俺が、エレナなしでは生きられないんだ」


 残念ながら問題にしているところがエレナとは、ずれていた。見上げるリカルドの顔は、真下からの視点でも整っている。眉は描いたように美麗に流れ、金色の瞳は情熱的に潤っていた。ただ、どんなに美しい顔面をしていてもエレナは許せなかった。


「それはいい。私は、無理やり力ずくでキスされたことが許せない」

「ごめん」

「というか、あの流れはキスだけでは終わらなかったでしょ」

「本当にごめん」

「乱暴な人って、後から急にいい人みたいに謝るって聞いたことあるわ。一応未遂だったけど」

「一生かけて償う。二度とあんなやり方はしないって証明する」

「ほかのやり方はするみたいに言わないでよ……」


 居心地が悪くなってきて、エレナは身を起こそうとした。リカルドはもう力を込めたりはせず、エレナのしたいように背中を支えた。膝を突き合わせて向き合う形になり、これはこれで話がしづらかった。


「それからもうひとつ確認させて。リカルドは、私をお母様の代わりにしたいの?」

「違う、だったらあんなことしないだろ。母上の影響は俺から完全には消えないけど、エレナは違う存在だとわかってる」

「じゃあ私をどう思ってるの?」


 何と答えられても、受け止めるつもりでエレナは質問した。


 成り行きで婚約はした。だが今は、エレナとリカルドの間に関係を続ける理由は何もない。慣れだとか、哀れみを滲ませようものなら改めてはっきりと関係を断つつもりだ。リカルドは眉を寄せ、苦しそうに答えた。


「好きに決まってる」

「信じられない」

「一生かけて証明する」


 一生をかける、というのが今のリカルドの中でお気に入りなのかと笑いそうになった。同時に、泣きそうになった。嘘でも演技でも、エレナは信じたかった。なぜこんな短い言葉に心が揺さぶられるのか、不思議でならなかった。


「俺はそんなに立派な人間じゃないから、義務感だけで優しくできない。この指輪を渡したのも好きだからだ。わかれよ」


 リカルドはエレナの左手を取り、指輪を撫でる。照れ隠しなのか口調は段々乱暴になったが、手つきは優しかった。


「エレナは俺のこと好きじゃなくても、いいよ。俺は母上似だから、一度好きになったらもう変えられないんだ。お前がいないと何食べても味気ないし、毎日ギリギリで動けるのも、エレナを支えなくちゃって思ってるからだ」

「好きになるなって、最初にリカルドが言ったんじゃない」


 エレナは心に浮かんだ数ある言葉の中から、最もよくないものを選んだ。リカルドの前では、悪い面ばかりが表に出たがる。


 リカルドは少し上目遣いになった。


「そうだけど、それはエレナのおかげでやっと少し楽になれたんだ。でもさ、エレナは父上がやっぱり特別に好きなんだろ?」

「ああ、もうまだ言うの……」


 リカルドもまた同じなのかもしれない、とエレナは自分の髪を乱した。冷静さを失い、感情的な悪い部分ばかりがつい出てくる。


「あのね、ダビドへの思いはそういうのじゃないの。男女で好きだからって、必ずしも恋愛感情になるわけじゃない」


 邪推されて悔しくてたまらないが、エレナは怒りが出過ぎないよう苦労して告げた。リカルドはまだ疑いの眼差しを向けている。


(確かに、私だって逆の立場なら嫉妬したわ)


 エレナはリカルドの手を強く握った。腹が立つのに、なぜか愛しい。左右に絶え間なく揺れる感情が心臓の鼓動を速くさせていた。


「私は男性の趣味がすごく悪かったみたい。リカルドみたいにどうしようもない人じゃないと本気の恋愛感情にならない」

「ははっ、俺もそうだ」

「何それ!」


 思わず大声になるエレナだが、素早く抱きしめられてそれ以上は不満を言えなかった。胸が切なくなるリカルドの匂いがした。


 広くたくましい胸だが、彼の心臓もまたドクドクと鳴っていた。エレナと同じくらいに速い。共に生きてくれそうな、力強い鼓動だ。


「エレナ」

「うん」

「キスしてもいい?」

「今はいや……」

「そうか」


 リカルドは残念そうに頭を撫で、それを合図に抱擁は終わった。


(本当にいやって言ったらやめてくれるの?でもそれって、いつかはしてもいいって私が言わなきゃいけないってことよね)


 来たるべき未来を想像してエレナは顔を赤くした。リカルドは何を考えているのか真顔だった。


「行こうか。同行させた騎士たちが心配してる」

「あっ、うん」


 二人揃って泉を離れるうちに、森のざわめきが戻ってきた。木々の葉擦れの音や、小鳥の鳴き声、それから羽虫たちがときどき耳元をかすめる。


「閣下!夫人!ご無事で良かったです!」


 騎士たちは安堵も露わにエレナとリカルドを出迎えた。


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