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お屋敷の人々と、肖像画

「お帰りなさいませご主人様、そちらの方はお客様でしょうか?」


 重厚な玄関扉の外に立ち、待機していたのは仕立ての良そうなジャケット姿の男性だった。ダビドより少し歳上と見え、いわゆる執事かとエレナは推測した。


「ああ、私の命の恩人だ。倒れたところを介抱してくれたから、丁重にもてなしてくれ」

「なんと。かしこまりました。お嬢様、では中にどうぞ」

「あ、あの……」


 泥だらけのスニーカー、パーカーにジーンズのエレナは気後れした。


 まごついている間にフットマンと呼ばれる若い侍従がやって来て靴を拭いてくれるが、お礼を言うと驚かれてしまう。


「すみません、私、汚くて……2日間森の中で迷っていたんです」

「そうですか、それは大変ご苦労なさいましたね」


 執事は、奇妙な格好のエレナにあれこれと質問をしなかった。むしろ、心からの歓待の表れとばかりに微笑む。


 やがて年配の女性がやって来て、個室へと連れられた。


「私のことはシモーナとお呼びください、お嬢様」


 シモーナはふくよかな体型をしたお仕着せの女性だ。彼女もまた、感じの良い笑顔を見せた。エレナは同性を見つけ、ほんの少し安心する。見知らぬ世界で、男性ばかりの状況に緊張してしまっていた。


「よろしくお願いします。私は全然お嬢様じゃないので、エレナと呼んで下さい」

「まあ、やはり内面も素晴らしいお方でいらっしゃる。ではエレナ様。失礼かもしれないですけど、異世界からのお客様ですか?」

「そうなんです。だから、わからないことだらけで……」

「何でも聞いて下さい、心配はいりませんよ」


 シモーナに手伝ってもらいながら、浴室で体をきれいにした。最初は手伝いを断ったのだが、どうやら魔法がある世界らしく、エレナはひとりで蛇口を使えなかった。使用するには、魔力を流す必要があるという。


 浴槽に浸かっているエレナを、シモーナはせっせと洗ってくれた。


 ふと、エレナは昔に読んだ物語を思い出す。不思議なレストランに行くと全身をきれいに洗われ、魔物に食べられそうになる話だ。あまりにも待遇が良すぎて、心配になるくらいにシモーナは感じが良く、マッサージは極上の手つきだ。


「本当、ダビドに拾ってもらわなかったら大変なことになってました」


 エレナの呟きに、シモーナは驚いて手を止めた。


「ご主人様にそう呼ぶよう命じられたのですか?」

「えっ、ダビドでいいと言われて……」


 西洋感覚で、エレナは気軽に呼んでいいものかと思っていた。何かまずかったのかと垂れてきた湯を拭う。


「隠居されたとはいえ、ご主人様は元公爵様ですよ!国王陛下の弟君なのです!」

「公爵……?」


 公爵は爵位の中で、最も偉いとエレナでも知っていた。そして、国王の弟という高貴すぎる身分にぞっとする。


「そんな人がどうして、森の中をひとりで歩いてたんですか?持病もあるみたいなのに!」

「女神の泉にお願いするときは、誰にも見られてはならないという言い伝えを守っているのです」

「お願いですか?」


 病気が治りますようにというお願いだろうかと、エレナは同情した。それで帰り道に倒れてたら世話がないというか、神も仏もあったものではない。


 それにあのいい加減な女神が幻覚ではないのなら、『恋をしたら死ぬ』という呪いが本物となる。温かいお湯に浸かりながらも、背中がぞくっとした。


「ご主人様には、ひとつだけ切望してるものがあったのです。私たちにも止めることはかないませんでした。でもそこに、エレナ様がいらして下さいました」

「待って、私にダビドの病気は治せませんよ?!」


 エレナは勘違いされているのかと、ひどく慌てた。医者でも何でもなく、エレナは料理人だ。また、言葉は通じるものの、魔力が一切ないようだからきっと治癒魔法も無理だ。


「ご主人様は、病の治癒など望んでいらっしゃいません。ただただ、残していくご令息のリカルド様に良き伴侶をと、願っていらっしゃいました」

「それも無理です!私……」


 浴槽から出ようとしたエレナの両肩は、強い力で押し戻された。ふくよかなシモーナの体重をかけられては逃げようがない。


「裸でどこに行こうというのです」


 確かに裸で逃げても仕方がないので、エレナはしばらくされるがままになった。浴室を出ると、どこにいたのか若いメイドたちが着替えを用意して待っていた。


「ドレスを調達して参りました!一通り買ってきたので、お嬢様の体型に合うものもありそうですね」


 店ごと買ってきたのかと疑うほど、色とりどりのドレスが大量にハンガーに吊り下げられている。


 もう観念したエレナは、ダビドと直接話そうと決意した。


 選び抜かれたドレスは、襟元の高い、上品なドレスだ。スカートはあまり広がらず、腰の後ろだけを膨らませるスタイルなのだが、派手すぎず自分でも似合っている気がした。


「やっぱり、磨けば光るタイプだと思っておりましたとも」


 シモーナとメイドは、髪を整えたりアクセサリーをつけたりと、せっせとエレナを飾る。


 やっと解放された頃には、エレナはげっそりしていた。


「ダビドと話をしてもいいですか?」

「もちろんです」


 階段を降りると、エレナはおいしそうな匂いを嗅ぎ付けた。風呂上がりにジュースなどは出されたが、未だに空腹のままだ。


 案内されたのは食堂と思われる部屋だった。飴色の長テーブルがあり、天井から吊り下げられたシャンデリアが煌めいている。奥の壁には、栗色の髪をした美しい貴婦人の肖像画があった。


「やあ、そのドレスはエレナにとても似合っているね。美しいよ」


 ダビドはにっこり笑って、席を勧めた。彼もまた着替えていて、森を歩いていたときよりもカッチリとしたジャケットを着ている。


「この絵は、私の亡くなった妻だ。ヴィオレッタという」

「とてもおきれいな方ですね」


 何と言うべきかわからなかったが、エレナは素直な感想を口にした。実際、肖像画の女性は芸術と言えるほどに美しい。瞳が優しそうで、若い頃のダビドと並んだら、完璧な美男美女だろう。


「ありがとう」


 称賛は素直に受け取られ、ダビドは自身が誉められたかのように笑った。


 前菜の皿や、シンプルなコンソメスープが運ばれてきて、エレナは胃が鳴りそうになった。だが口をつける前に、聞かなければいけないことがある。


「あの!ダビド……様が偉い方だってどうして教えてくれなかったんですか」

「おやおや、シモーナが話してしまったのかな?」

「はい」


 シモーナはほかの仕事があるのか、案内だけをして退室していた。


「異世界の人に、自分は国王の弟だとか元公爵だとか自慢するのは恥ずかしいことだろう。別に、自分の力で得た身分でもない」

「そんな、私には想像もつかない重い責任を負ってきたのですよね、立派だと思います」

「ありがとう。だけどもうただの隠居老人なのだから、ダビドと呼んでくれ。最近は親しい呼び方をしてくれる人も少なくなってしまって」


 ダビドは照れくさそうに頭に手をやった。その仕草が少しかわいいなと、エレナは口元を緩める。


「じゃあ、ダビド。正直に答えて下さい。私を何のために連れて来たのでしょうか?」


 ダビドの本心を知るため、彼の金色の瞳をじっと見つめた。貫禄たっぷりに、ダビドは逸らさず見つめ返してくる。


「エレナは私を助けてくれた。そのお礼がしたいだけだよ」

「本当ですか?息子さんが何とかって、シモーナさんが……」


 ダビドは持ち上げかけていた、水のグラスをぴたっと止めた。

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