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安心して

「落ち着いて下さい、私は脅迫されてなんかないです!」


 ダビドの鬼気迫る剣幕に、エレナは涙がぴたりと止まった。代わりに冷や汗が背中を伝う。男に怒鳴られた経験が豊富なエレナであっても、震えそうになってしまう。


(普段穏やかな人が怒ると怖すぎよ……)


 ダビドは声を荒らげもしていないのに、ものすごい迫力である。


「ではどうしてエレナは泣いているんだ?かわいそうに、リカルドが無理に話を合わせろと言ったんだろう?」


 エレナに対しては、いつも通りの穏やかな語調へと戻っていく。しかし、まだ少しだけ声が低い。


「これはダビドが目を覚ましてくれて、しかもお二人が和解して嬉しいからです」

「何もそんな……」


 理解できない、とダビデは首を傾げた。エレナは言うべきか逡巡したが、覚悟の息を吸う。


「私の母は、ある日突然亡くなってしまいました。まだ言いたいこと、いっぱいあったんです。恩返しだってしたかったのに、何もできませんでした。だから、リカルドが少しでも気持ちを伝えられて良かったなとじんとしちゃったんです」


 ダビドとリカルドは、揃ってはっとして見せた。頬でもぶたれたかのようだ。その反応に、エレナは少し後悔する。


(やっぱりこの二人にお母さんの話題はまずかったかも)


「ごめんなさい急に」

「エレナが謝ることは何もない」

「とにかく、私はお二人に仲良くしてもらいたいんです!」

「エレナの気持ちはありがたいよ。だからと言って、好きでもない男と婚約することはない」


 ダビドはまた息子を叱る状態になろうとしている。


「好きなんです!」


 エレナは大声で叫んだ。愛の告白など今まで一度もしたことがないためか、全くロマンチックではない大声が出ていた。ダビドとリカルドは、驚いてそっくりの金色の目を見開いた。


 頬がピリピリするくらいに恥ずかしくなるが、こういうのは勢いだ、と自分で自分にエールを送る。


「初めてリカルドに会ったとき、目が合った瞬間、バチッと感じるものがあったんです!だけど、リカルドはそうでもないみたいに怒ってくるから、悲しくてあんな態度になっていたんです!」


 これらは、打ち合わせした『設定』だ。


 リカルドが主に喋り、エレナがそうそうと追従する予定だった。ダビドが目を覚ますまでの間、音声遮断魔法を使ってたっぷり練習をした。


 だが、思ったよりダビドが手強い。なのでエレナは勝手に演技プランを変更した。


「ダビド、お願いです!私とリカルドの婚約を認めてください!」


 さっき泣いたため、エレナはまだ鼻が詰まった涙声だ。ほぼ涙ながらの懇願を、優しいダビドは受け入れてくれるはずだった。ダビドはまだ目を点にしている。


「俺からも頼むよ。俺は、てっきり父上とエレナが変な関係だと思っていたから失礼な態度を取ってしまった。でも、誤解だったみたいだし、俺も本当は、エレナに会った瞬間にこの人だと感じたんだ」


 固まっていたリカルドが、やっと口を開いた。焦っているのか、しどろもどろだし、頬を赤く染めていた。これなら、照れているように見えるなとエレナは自分のアドリブに満足した。


「ふむ……」


 ダビドは考えこむように、こめかみに指を当てた。


「エレナがそう言ってくれるのなら、私はとても嬉しいよ。良かったな、リカルド」

「ああ」

「エレナは本当にすてきなお嬢さんだ。私が言うのもなんだが、大切にしなさい」

「もちろん、そのつもりだ」


 親子はしっかりと目を合わせ、会話をしている。その光景はエレナには眩しいものだった。俳優のように容貌が整っているせいもある。



 少し遅くなったが、夕食にしようということになり、エレナとリカルドは部屋を出た。


「さっきのことだけど……」


 広い屋敷の廊下を歩く最中、リカルドが呟いた。


「さっき?」

「俺を好きだって。驚かせるなよ」


 一度は治まったのに、リカルドはまた頬を紅潮させていた。


「ああ、ごめんなさい。でもリカルドのこと全っ然好きじゃないから、安心して」


 エレナは胸の辺りをおさえ、自信たっぷりに微笑んだ。なぜなら、こうして元気いっぱいに生きているからだ。女神の呪いは発動していない。呪いの解除については、いずれは行わなければと思うが、今はとにかくダビドのために時間を使いたかった。


「……そうだよな」

「リカルドは女性に好かれたくないんでしょ?嫌な思いさせてごめんなさい。でも、あのときは勢いが必要だったと思わない?」

「まあな。父上はエレナに甘い気がするな」

「それは他人だからこそよ。私のお母さんだって、話せば小言ばっかりだったし」

「そうか」




 翌日、朝食の席でダビドは思いがけない提案をした。


「リカルドにすてきな伴侶をという私の願いが叶ったことだし、泉の女神に最後のお礼を言いに行こうと思う。二人も一緒に行かないか?」


 エレナはパンに塗っていたイチゴジャムをぽとりと零した。森の中でダビドに出会って以来、エレナはそこに行っていない。しかしダビドは、どうしても行かなければと毎日お参りしていた。


「そこって忘れ去られてたような怪しい場所なんだろ?面白そうだな」


 リカルドは興味津々にフォークを置いた。なお、厨房にリクエストを出していたのか、朝から大きなオムレツを食べている。


「女神が叶えてくれたのかはわからないが、中途半端に祈りをやめると呪われるそうなんだ。私は今さら呪われても構わないが、お前たちに何かあっては良くないしな」

「ぐっ」


 呪いに関する話題に、エレナは平静を保てなかった。飲み込もうとしたコーヒーが少し気管に入る。ちゃっかり隣に座っていたリカルドが、さも恋人のように背中をさする。


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫……呪いだなんて怖いなって。ほら、私の元いた世界にはそういう不思議なことって実際にはなかったから」


 もしも3人で行った際に女神が姿を現し、エレナにかけた呪いについて喋りだしたらと思うと不安である。


 ダビドが命懸けで捧げたお供えのパンを勝手に食べ、恋をしたら死ぬ呪いをかけられた。しかもそのことを放置し、黙ったまま婚約しようとしているのだ。最悪な人間だと軽蔑されてもおかしくない。


「うーん、俺も呪いとか奇跡はあんまり信じてないな。人に取って良いことでも悪いことでも、神が直接何かするなんて滅多にないことで、結局神の力を騙った犯罪が横行した過去があるからな。現在、国が認めているのはイースィラーガ神を崇める宗教だけだ。イースィラーガ神は、現世利益を決して与えないから、平和的なんだ」


 何も知らないのだろうと、リカルドは親切に説明をしてくれた。エレナはうんうんと何度も頷く。


(やっぱり、あれは夢か幻だったのかなあ)


「うむ。私は藁にでもすがる気持ちで行っていただけだが、エレナに会えたことは私にとってもリカルドにとっても、得難い奇跡だったと思う。礼くらいはしないと」

「そうですね……」


 一縷の望みをかけて、エレナは同行することにした。


 泉の女神に心から謝罪したら、呪いを解いてくれる可能性がある。


 あるいは、あれは森の中で彷徨ったあげくの幻だったとはっきりするかもしれない。


(ダビドとリカルドは別に悪いことしてないし、最悪、被害は私だけで済むはずよ)


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