演技がうますぎる
「頼む、お前にしか頼めないんだ」
リカルドは上から押しつけるように言い放つ。顔つきは真剣そのもので、気が動転した上での戯言ではないようだ。
「無理よ、ダビドに信じてもらえないわ」
「気になるのはそれだけか?」
「それだけ、というかそれが全てでしょう……私があなたを好きになることも、その逆も絶対あり得ない。最悪の出会いをダビドは全部見てたじゃない」
自分を守りたくなり、エレナは胸の前で腕を組んだ。目の前の男は背が高く、高圧的で、嫌になるくらいに顔が美しい。細く高い鼻筋は高貴な雰囲気を漂わせ、金色の瞳はキラキラと輝いている。
(私は内面を重視できる女……いくら顔が良くても、性格激悪で傲慢な男なら何ともない。だけどここで父親思いの心優しい美青年なんかに改心されたら困る。婚約して優しくされたりなんかしたら、ころっと簡単に落ちちゃうわ)
エレナは自分をよく理解していた。
「何とかする。俺は演技には自信がある。言っとくけどな、お前が思ってる傲慢なお坊っちゃんという人物像は全部演技だからな。俺が本気でやれば、お前に惚れた演技ができる」
両手を自分の腰に当て、リカルドはふんぞり返った。今までの人物像については図星だったので、エレナは目を泳がせた。
「あらそう、私は演技に自信がないわ」
「お前はしなくていい。俺がリードするから」
「でもそんなので上手くいくなんて……」
「あとは、本物の婚約証明書を用意する。関係性と確かな証拠、これで父上は安心してくれる。俺と婚約すること自体は構わないんだろ?」
リカルドはペラペラと滑舌良く喋り、追い詰めてくる。エレナは頭に手をやった。
「構わないけど、あなたならもっとふさわしいご令嬢がいるんじゃないの?何で私なの?」
ダビドを安心させるために婚約しろと言うのなら、エレナは経歴に傷のひとつやふたつ、構わなかった。どうせ本当に結婚する訳でもない。だが、自分では説得力に欠けている気がしたのだ。
「お前は丈夫そうだから。あれだけ怒鳴っても平然としていた」
「え、婚約者を怒鳴りつける趣味でもあるの?」
「俺に惚れられたら困るんだよ」
「すごい自信じゃない」
思わず、くすっと笑いが漏れた。まるで、傲慢な態度を取っていないと惚れられてしまうと自慢しているようだった。
「笑い話じゃない。とにかく、俺は女性から好かれたくないんだ。そういう意味でお前が適任だ」
今度は笑えなかった。リカルドが悲しそうに形の良い眉をひそめ、少し上目遣いになっている。
発言の背後に見え隠れするのは、今日知ったダビドとヴィオレッタの悲劇だ。亡きヴィオレッタは、ダビドを愛したが故に心を病んだという。
自分の母親が何も食べられないほどに苦しむ姿を見ていたのなら、女性への認識が歪んでしまうのもあり得る話だ。
「……いいわ、じゃあ婚約しましょう」
結局こうなるのか、と思いつつ、これでリカルドとダビドの気持ちが少しでも楽になるのならという気持ちだった。
「ありがとう、嬉しいよ」
もう演技が始まっているのか、リカルドは感じ良く笑った。エレナが昔どこかで見かけた、恋人同士のとろけた微笑みに似ていた。たじろぎながら、ずっと気になっていたことを注意する。
「婚約するなら、いい加減お前って呼ぶのはやめて名前で呼んでくれる?」
「ああ、エレナ」
初めてまともに名前を呼ばれ、エレナは心臓のテストを終了させた。ドキッとはしたが、まだ生きている。リカルドは、すっと右手を差し出した。
「なに?その手は」
「握手だよ。しばらくは仲良くする必要があるだろ?」
「お仕事的な握手ね」
エレナは握手に応じ、彼の手の熱さに驚く。料理人として熱いものには耐性があるはずなのに、触れたところが痺れるようだ。すぐに手を引っこめた。
「エレナの手は……」
短い握手を終えたリカルドは、不思議そうに自分の手のひらを見つめた。
「あ、荒れてるでしょう。本当の貴族の女性とは違って」
今さら荒れていることを思い出し、エレナは恥ずかしくなって手を後ろに隠した。こちらに来て労働時間が減り、少しはましになったものの基本的にはかさついている。
「いや、俺はいいと思う」
「私の手は、批評してもらわなくていいわ」
話が終わりだとして、エレナは急ぎ足で部屋を出た。その背中に、声がかかる。
「本当にいいんだな?俺は国王陛下から婚約の許可をもらうからな」
国王陛下と聞いて、ぎゅっと胃が縮み上がった。何か、とんでもない詐欺を始めようとしているのかもしれない。
すっかり日が沈んだ頃、ダビドは目を覚ました。ずっと傍についていたエレナは椅子から立ち上がり、思わず跳ねそうになった。
「ダビド!大丈夫?もう痛くない?」
「……ああ、大丈夫だ」
気恥ずかしそうに笑い、ダビドは体を起こそうとした。しかしエレナの横の人物に気付き、起きたばかりの寝ぼけまなこを全開にする。
「父上、目を覚ましてくれて良かった」
リカルドは、心から嬉しそうに微笑みかけた。リカルドも婚約のための手続きの指示を済ませてからは、同じく見守っていた。ダビドは何度かまばたきを繰り返し、夢ではないと理解したようだ。
「あ……いや、心配をかけたな」
「俺こそ、今までごめん」
リカルドが謝罪をした。やはり夢を見てるのかと、ダビドは顔を両手で擦った。擦り終わるのを待ち、リカルドは口を開いた。
「父上を責めても何にもならないのに俺は、本当に子どもだったよな。父上が倒れたとき、思ったんだ。まだ話したいことがたくさんあるって。このまま口も聞かずに永遠に別れるなんて嫌だって、怖かったよ」
「リカルド……」
リカルドの金色の瞳に涙が盛り上がり、エレナまで自分の見聞きしているものが信じられなかった。
これがリカルドの本心なのか、演技なのか、今日会ったばかりのエレナにはわからない。
それでもエレナの感情だけが勝手に打ち震え、もらい泣きをしていた。
エレナは、たったひとりで育ててくれた母を、亡くしている。エレナがフランスで料理の修行している間のことだ。心筋梗塞で亡くなったと親族から連絡を受け、帰国したときには骨壷に納められていた。
だから、リカルドの言葉は特別に響いた。
母とケンカをしていた訳ではないけれど、話したかったことはまだまだあった。
「うっ……良かった」
「エレナ、そんなに泣くなよ」
親しみを込めて、リカルドが肩を抱き寄せた。エレナは何となくリカルドの意思を読みとり、腕に誘われるまま寄りかかった。ポンポンと軽く肩を叩いて慰められるのは、とても良い気持ちだった。
「私はやっぱり夢を見ているのか?それともすごく長い間眠っていたのか?どうして二人はそんな風になったんだ……」
ダビドが声を掠れさせて呟いた。やはり、どうしても信じられないようだ。
「父上、報告があります」
「何だ?」
「エレナと婚約するための許可申請書を、国王陛下に提出しました」
「……エレナ、脅迫されたのか?」
寝起きであっても、ダビドの思考は冷静だった。心配するべき対象は、この場合立場が弱いエレナである。体力も権力もない彼女が、自分の意識がない間に息子に脅されたとあっては許せない。
ダビドの顔つきは険しくなり、往年の気迫がよみがえっていた。




