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リカルドの提案

(うーん、何なのこの空気……)


 親子間に流れる微妙な空気にエレナは気づいている。しかし、何も知らないふりをして笑ったり、おどけたりするしかなかった。


 エレナの作った昼食を、いつも通りダビドは絶賛した。


「このオムレツというのは、本当においしいな。すぐにできるとは言っても、何年も修行したエレナの腕があってこそじゃないか?」

「ええまあ、手首が痛くなるくらいには焼きましたけど」

「やはりな、すばらしい技術だ」


 リカルドも一口食べて、意外と素直に瞳を輝かせた。


「うまい。玉子のほんのりとした甘さが、酸味のあるソースに合ってる」


 と、こと細かに味を描写してまで絶賛したのだ。エレナは呆気に取られるしかなかった。


(試してみてまずかったら出ていけって脅してなかった?何を食べてもまずいって言うのかと思った)


 エレナの驚きを鼻で笑いつつ、リカルドはパクパクと食べ進める。


「……誉めてくれるとは思わなかったわ」


 ケンカを売るなとさっき自分で言ったのだが、ひとことくらいはとエレナは呟く。


「俺はゆで玉子のあの匂いがあまり好きじゃないが、これなら全然気にならない。伝統ある金の玉子スタンドが使えなくなるが、朝食は毎日これにしたくなるな」


 リカルドはなぜか勝ち誇ったように微笑んでいる。あんなにエレナにつっかかったことは都合良く忘れたようだ。あるいは、若さ故の柔軟さともいえる。


 しかし、彼らはエレナには話しかけるが、父子での会話を決してしない。


(困ったものね)


 エレナは昼食の準備中に、厨房で父子の難しい問題を聞いた。話してくれたのはルイだが、今日まで聞かなかったことを後悔するような話であった。


 ダビドの妻であり、リカルドの母であるヴィオレッタは、13年前に亡くなった。


 なぜ亡くなったかというと、心を病み、ものを食べられなくなったせいだという。最期は、枯れるようにして息を引き取った。そこまで思い悩んだ原因は、恐らくダビドだろうと言っていた。


『ヴィオレッタ様は心からご主人様を愛していらっしゃいました。少しでも美しくなろうとして、心を病まれたのです。でもご主人様が冷たくされたとか、浮気された訳ではなかったのですよ。ただただ、戦争でご主人様が家を空けている時期が多かっただけなのです……』


 不幸なできごとだと、ルイは繰り返した。


 ダビドは国王の弟であり、武力と魔力に優れた将軍であった。そのため、他国からの侵略や、国内の反乱には先陣を切って戦った。国弟ダビドが出撃すると、自軍の士気は多いに上がった。国王の次に尊い身分の者が、命を危険に晒すのだ。ダビドは英雄視された。


 兵力で勝る大国に攻め入れられたときでさえ、ダビドの活躍により勝利をもぎ取ったという。


 ダビドの体格が良いのも、周囲からの尊敬がありすぎるのも、そういった過去によるものだった。


 しかしリカルドは、母の心を苦しめた張本人としてダビドを憎んだ。ヴィオレッタ亡き後もダビドは戦地に赴き、溝が埋まることはないまま時は流れた。


 ダビドは戦争で魔力を使いすぎた副作用により、ヘルシェル病という不治の病を発症したが、親子の和解はされていない。


 そこに颯爽と現れたエレナに、全ての期待がのし掛かっているのだ。


 この別邸の使用人たちは皆そろって、エレナに夢を見ている。


(何で私が親子の仲を取り持ち、しかも結婚までしなきゃいけないの。私はただの料理人なのよ!)


 ダビドには恩があるが、誰しもできることとできないことがあるとエレナは思う。


(何にせよ、修行とか勉強なしにはできないわ。私は人間関係のプロじゃないし、恋愛だってしたことないんだから)


 それでもエレナを中心にぽつぽつと会話は続き、いつの間にか雰囲気は和やかになっていた。緊張状態は長く続くものではないし、単純に腹がふくれた効果があった。


 食後の紅茶を飲み終わり、ダビドが席を立った。エレナも席を立とうとしたとき、ガタッと激しい音がした。


「父上!」


 リカルドが機敏に父を支える。エレナは何事かと、動けなかった。一瞬食あたりかと思ってしまったが、ダビドは苦しげに顔を歪め、今にも倒れそうになっている。


「な、何でもない……病気のせいだ」


 それだけ言うと、ダビドは痛みを堪えるように息を止める。そのまま息が止まってしまいそうで、エレナは蒼白となった。彼の余命宣告はとっくに過ぎていて、いつ死んでもおかしくない。


「薬は?!」


 痛み止めの薬を出そうとダビドのポケットを探るが、どこにもあの丸薬は見つからない。


 騒ぎを聞きつけた執事のディミトリが、液体の薬を持ってくる。飲ませると苦悶の表情はいくらか和らいだが、ダビドはがくりと脱力した。昏睡状態に陥っているようだ。


「これは強い痛み止めですので、使いすぎてもいけないのですが……」

「でも、まだすごく苦しそう。もっと使ってはいけないの?」


 もっと飲ませてとエレナが詰めよるが、ディミトリは首を振った。


「いけません。薬の影響で呼吸が止まってしまいます」

「そんな……」


 ダビドは寝室へと運ばれた。その間、エレナにできることは何もなかった。ただ立ちつくし、見守るばかりだ。


 食べたばかりなので、枕を複数使って上体を起こした方がいいと助言くらいはした。


 ベッドに寝かされたダビドの横に付き添っていようかと室内の適当な椅子を持ち上げたところで、リカルドに呼び止められる。


「ちょっと二人で話をしたいんだが」

「でも、ダビドが心配で」

「すぐに終わる話だ。お前が応じるなら」


 ショックで判断力が鈍っているエレナは、とりあえず早く終わらせようと頷いた。


 リカルドは、慣れた様子でメイドたちに付き添いを命じた。一人はベッド横、もう一人は部屋の外で待機させ、万全の体勢を整える。





「話って?」


 空いている客間で立ったまま向かい合い、エレナは迷惑そうに問いかけた。ただひたすら、早く話して終らせて欲しかった。


「その……何というか」

「うん」

「思った以上に、ショックだった。父上の弱った姿なんて俺は初めて見た」


 それは、ご心痛お察し致します――と言いかけてエレナはやめる。あまりにも定型的すぎる。しかし、ショックを受けたのはエレナも同じだ。


 初めてダビドと出会ったときの比ではない。


 あのときは見知らぬ人だったので倒れている人を見つけてしまったと、無我夢中だった。今やダビドは大切な人になっている。ダビドの存在が大きくなりすぎて、突然の事態に動くことすらできなかった。


「どうにかして、父上の目が覚めたとき、安心させてやりたいんだ」

「そうね」

「ひとつ提案なんだが、俺たち婚約したことにしないか?」

「何言ってるの?」


 あまりにも急すぎる話だ。エレナは正気かとリカルドの瞳を見つめた。

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