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 夜会に出る旨の手紙だけを一方的に送ってからも、エルーシアはオルキスとの接触を頑なに拒否し続けた。

 そしてあっという間にその日はやって来た。

 今日、大公が殺される。



 数週間ぶりに見たオルキスは、何とも言えない顔をしていた。

 少し疲れがにじみ出ているような、そんな気もする。

 しかし夜会のために着飾ったエルーシアを見た途端、硬い表情を僅かにほころばせた。


「綺麗だ」

「……ありがとう」


 オルキスがそっと手を差し出した。

 今まではどの夜会でもお茶会でもそれ以外の時も、頑なに手を取らずやり過ごしていたのに、懲りずにオルキスは手を差し出し続けている。

 エルーシアは今日、初めてその手を取り、腕に手を添えて並び立った。


 ヴァロア家の使用人の手によって、会場の入り口が開けられる。

 シャンデリアのきらびやかな光、夜会のためにやって来た音楽家たちの楽器の音色、ここまで漂ってくる花や香水の香りが、エルーシアを奮い立たせた。

 この三年間は、今日のためにあったのだと思い知らされる。


「エルーシア」


 行くよ、というオルキスの視線に促されて小さく頷く。

 しかしエルーシアは一歩を踏み出す前に、オルキスを見て短く告げた。


「これで、最後にしたいの」


 エルーシアの言葉に、オルキスは歩き出そうとしていた足を止めた。

 ほんの短い間思案するようにその場に留まって、そしてまたゆっくりと足を進めながら選ぶように言葉を返す。


「……分かった。後で話をさせてくれる?」


 エルーシアは頷いて、オルキスから視線を外した。

 エスコートに合わせて一歩ずつ前に踏み出す。


 エルーシアにとって、この夜会で大公が殺されることと、オルキスとの婚約関係を終わらせることは別問題だった。

 しかしその両方が、今日、何らかの結末を見せることになるのだろう。


 顔に笑顔を貼り付け会場に入り、次々やってくる招待客と挨拶を交わす。

 中にはルズベリー兄妹や、前の夜会で顔を見たオルキスの友人もいた。


「グレイ様でしたね」

「はい。ですが『様』は取っていただけた方が助かります、姫様」

「我が国の騎士様ですもの、そういう訳にもいきません。グレイ様こそ『姫』はお止めください」

「貴女の名前を口にしただけで、視線で殺してこようとする人間がいますので」


 グレイは「まだ命が惜しいのです」と言って、エルーシアの隣に並んでいるオルキスを見る。

 釣られてエルーシアも隣に立つオルキスを見上げると、ふいと視線を逸らされた。


 一通り挨拶回りが済んで乾いた喉を炭酸水で潤していると、大公家の大時計の鐘が鳴った。

 普段は鳴らないが、年に数回だけ鐘が鳴るように調整している特別な時計なのだそうだ。

 その年に数回の一日が今日で、もう間もなく花火が打ち上げられることを知らせている。


「エルーシアは王都の花火は初めてだろう?」


 この時期の花火は社交シーズン、すなわち議会が無事に終わろうとしていることを祝して打ち上げられる花火だ。

 いつからか始まったこの習慣は、貴族だけでなく平民も楽しみにするちょっとした催事となっていた。

 デビュー前にも王都を訪れたことは何度かあるが、シーズン終わりの花火を見るのはこの夜会が初めてになる。

 以前は落ち着いて花火を見ていられる余裕などあったはずもなく、実質初めての花火で間違いないとエルーシアは素直に頷いた。


「よく見えるところへ案内するよ」

「ありがとう」


 前と同じような言葉を掛けられ、あの日、大公が突き落とされた階段へやって来た。

 主会場から少し離れたところで、会場からの喧騒や音楽が僅かに聞こえてくる。

 出入りが禁止されているような場所ではないが、一般招待客は遠慮して立ち入らないような場所だ。

 二階の主会場からやって来たエルーシアたちは、階下まで真っ直ぐ続く、踊り場のない階段の一番上にいるような形となる。


 この階段を下ったところに、庭へ出る大きな扉がある。

 扉の上には月見窓も付いていて、今はそのどちらも開け放たれていた。

 階段を降りきって庭に出るもよし、階中に留まって月見窓から夜空を眺めるもよし、という大公邸のささやかな自慢の一角である。


 招待客は遠慮して入らない、とは言え全く人気がない訳ではなく、エルーシアのように大公家の人間に誘われて来たような客がいる。

 花火を特等席で見ようと庭に置かれたテーブルセットに腰掛けているのは、大公夫人とその友人たちだろう。

 エルーシアの後から大公も友人を連れてやって来て、階段の途中で立ち止まり談笑し始めた。


 これだけでも人がいれば誰か一人くらいは本当のことを知っている人間がいて良さそうだが、ここにいる人間は皆花火を見に来ている。

 今か今かと空を眺めているからか、かつてのエルーシアと同じように、背後には全く気を遣っていなかったのだろう。


 以前は、ふと用事を思い出した大公に手招きされて、エルーシアは階段を登って大公の元へ行った。

 その間にオルキスや大公の友人たちは下まで降りて、花火の打ち上げを待つ。

 エルーシアは大公と話しながら、ゆっくりと階段を降りる。

 そして、大公は背後から突き落とされたのだ。


「そうだ、エルーシア。少しいいかな」


 用事など、他愛もないものだった。

 別に今じゃなくてもいい、けれど他愛ないことだからこそ、忘れないうちに言っておこう、という程度のもの。


「父上、もうすぐ花火が上がります。その話は後からではいけませんか」

「いいのよオルキス。大公様、今そちらに参りますわ」


 以前のオルキスは黙ってエルーシアを送り出していた気がしたが、今回は引き止められた。

 しかしそれは無視して、大公の元に向かう。

 なるべく以前の通りに行動しないと、犯人が大公を突き落とさないかもしれないからだ。

 ここで逃げられると次いつ大公に危険が及ぶか分からない以上、今はっきりとさせておきたい。

 失敗して同じ未来を繰り返す羽目になったとしても、オルキスの父親である大公への危険を残したまま、自分だけ平和であればいいとは思えなかった。


 大公の友人たちと入れ違うようにして、大公の隣に並び立つ。

 エルーシアと大公の後ろに誰もいないことは、階段を登りながら確認済みだ。

 階段の上から見ると、皆花火を待って夜空を見上げていた。

 オルキスも例外ではなく、エルーシアたちからは既に視線を外している。


「エルーシア、わざわざすまないね。花火が始まるまでにはオルキスのところに返すよ。降りながら話そうか」

「はい。足元お気をつけくださいませ、大公様」

 

 大公を支えながら、ゆっくりと階段を降り始めた。

 これで、以前と同じ状況が整ったことになる。

キリが悪いので、本日中にもう1話更新予定です!

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