01 大いなる精霊イヴリシア
ブラウモント公爵邸の敷地内北には、小さな森が広がっている。
家の敷地内に森があるというのは驚きだが、現代日本でも裏山を所持する家なんてのはあったので、実はそこまで驚くことはないのかもしれない。
ともあれ俺はフォルシーナたち3人娘と、家宰ミルダート、将軍ドルトン、ドワーフのボアル親方と錬金術師トリリアナを連れてその森に来ていた。ダークエルフ忍者のアラムンドも近くにいるはずだが、彼女は基本的に姿を現さない。
森の中を歩くこと15分ほどで、直径10メートルほどの円形をした泉のほとりについた。
「ではこれから、『大いなる精霊』をこの泉に呼ぶ。この場にいる皆は、私が特に頼りにする者たちだ。ゆえに新たな公爵家の秘密の誕生に立ち会わせるが、必ず秘匿し通すようにせよ」
俺が宣言すると、フォルシーナたち以外の4人は目を見開いて驚愕の表情になる。この世界の人間にとって『精霊』はまだ伝承上の存在だからこれは当然の反応だ。もっともゲームストーリー終盤には多くの人間が知ることになるのだが。
ここで慌てたのはまた大男のドルトンだった。
「ちょちょちょ、公爵閣下、そんなとんでもない話に俺なんぞが立ち会っていいんですかい!?」
「お前はこの領の守りの要であり、公爵家にとっても紛うことなき重鎮だ。その上、これからこの泉から湧き出る『精霊水』には、ポーションという形で世話になることも多くなる。立ち会うのは当然だろう」
「そ、そう言われるとそんな気もしますが……しかし『大いなる精霊』様っていうのはちょっと……」
と無駄に小心者ぶりを発揮する将軍の横で、おっとり系美人のトリリアナは目を輝かせている。
「お館様、『精霊水』というのは!?」
「錬金術に有用な、精霊の力が宿った水のことだ。錬金術で使用する水をこれに置き換えるだけで、効能が倍ほどになる」
「そ、それってとてもすごいことなのではありませんか!?」
「革新的なものであろうな。さて、では『大いなる精霊』をこの泉に招くとしよう」
俺はマジックバッグから水晶球『水精霊の褥』を取り出すと、それをそっと泉の中に入れた。
しばらくすると泉の水がほのかに輝きを放ち始め、周囲に清浄な空気が満ちていくのがわかる。近くの草木の緑も一段と鮮やかさを増し、木漏れ日が聖なる光であるかのような錯覚に陥るほどだ。
そして周囲が完全に変質を遂げると、泉の中からすうっと、白い布をまとっただけの、水色の豊かな髪をなびかせた美しい女性、『大いなる精霊』イヴリシアが半透明の姿を浮かび上がらせた。もちろん神々しい後光付きである。
「マジか……」
「なんと……真の精霊様……」
「これはたまげたの……」
ドルトンとミルダート、そしてボアル親方が絶句し、トリリアナは両手を胸の前で組んで祈りはじめる。フォルシーナたちは2回目なので見ているだけだが。
イヴリシアは周囲を見回してから、こちらに向き直って柔らかく微笑んだ。
『マークスチュアート様、ありがとうございます。ここはとても素晴らしい場所ですね。この周囲は強い力が集まっていて、わたくしの中に力が満ちるのを感じます』
「それは私にとっても喜ばしいことだ。貴女にはこちらでゆっくりと過ごしていもらいたい」
「はい、そうさせていただきます。ところでこちらにお集まりの皆さんは?」
「彼らは私の家の中でも特に重用している大切な者たちだ。今後こちらの泉の水を使わせてもらうこともあるゆえ、貴女のことを知ってもらいたかったので呼んだのだ」
『そうでしたか。初めまして皆さん、わたくしはイヴリシア、水の精霊とお考え下さい。マークスチュアート様の庇護を求め、こちらに住まうことになりました。泉の水は自由にお使いいただいて構いません。よろしくお願いしますね』
「はは~っ!」
ひれ伏すような感じになっている男3人、トリリアナに至っては涙を流して全身を震わせている。なんか反応が大きすぎるのだが、これがこの世界のスタンダードなのかもしれない。フォルシーナたちは大人たちの様子を見てちょっと引いてる感じもあるが、単に2度目だからだろう。
『わたくしはそこまで崇められるような存在ではありませんよ。この度もマークスチュアート様がいなければ害せられていたほどの弱い力しかありません』
その言葉を聞いてミルダートが頭を上げる。
「お館様とはどのようないきさつがあったのでしょうか?」
『わたくしが魔の者に捕らえられそうになっていたところを、マークスチュアート様が助けてくださったのです。こちらに住処を移したのも、わたくしを守ってくださるから、ということなのです』
「なんと……。お館様はそこまでご立派に……」
ミルダートが感動した風に目頭を押さえている。そういう「じいや」みたいなリアクションは引退フラグになるからやめてもらいたい。ミルダートにはまだまだ働いてもらわなければならないからな。
一方でドルトンは、俺の方を見て「はぁ~」とか呆けたような声を出している。
「いやぁ、公爵閣下はなんですか、もしかして神話の英雄でも目指してるんですかい? それなら納得ですぜ」
「私は領地と領民のために必要なことをしているだけだ。私自身にそれ以上の野心などない」
「どう見てもそうは思えないんですけどねぇ。お嬢もうなずいてますぜ?」
見るとフォルシーナが腕を組んでしきりに首を縦に振っている。
「お父様は公爵領の主で収まる器ではありません。きっと想像もできないような大事を成し遂げられます」
「そのような期待はするだけ無駄だ。私はただ目の前の難事を避けるのに汲々《きゅうきゅう》とする凡俗にすぎぬ」
「いえ、お父様はきっとこの国の王、そしてこの大陸の覇者となられるお方です」
フォルシーナの言葉にその場にいる全員が俺の方に目を向けてくる。しかもそれは、驚いているというより、なにかを期待してるような視線であった。
いや待ってほしい。そんな気は毛頭ないし、そもそも俺はこの国の王になった時点で終わりな中ボスである。大体王位簒奪とかとんでもない話のはずなのに、なんでそんな「やっぱり」みたいな顔なんだろう。いや確かに以前のマークスチュアートは簒奪ムーブしていたけど。それにミルダートなんてもともと反対してたはずなんだが。
俺はかすかに世界の強制力のようなものを感じつつ、何度も「その気はない」を連呼するのであった。




