11 立太子の儀 3
フォルシーナが発した氷のような拒否の言葉に、王太子ロークスは口の端をピクピクと激しく痙攣させた。
「なんだとフォルシーナ。もう一度言ってみろ」
「お断り申し上げます、ロークス王太子殿下」
「そうじゃない! 誰が同じことをもう一度言えと言った!」
「私が殿下の妃になることは決してありません。マリアンロッテ様にも失礼でしょう」
「お、お前はぁ! 王太子たる俺の言葉が聞けないというのか! 誰もが憧れる妃の位だぞ!」
「私は一切憧れておりません。どうぞその憧れている方に、ロークス王太子殿下の妃の位をお与えになってください」
もはや絶対零度に近いほどの冷たさで言い切られ、ロークスは「ぐ……っ」と言ったまま言葉を失っていた。
雛壇に上ろうとしていたマリアンロッテも、戸惑った表情で動きが取れなくなっている。思えば彼女も顔に泥を塗られた形になるんだよな。
などと他人の心配をしているところではないな。フォルシーナがここまで強く出たのには驚いたが、それとは別に父としては彼女をかばわなくてはいけない。
椅子から立ち上がり、一歩前に出て、半分フォルシーナをかばうようにする。
「国王陛下に申し上げます。私は彼女の父として、また公爵として、ただ今の王太子殿下のお言葉に対し――」
ガシャーンッ!!
俺の言葉を遮るようにして、突如ガラスの砕ける音が響いた。
会場の後方からだ。しかも一回だけではない。ガラスの破砕音は連続で巻き起こり、会場は一瞬にして騒然となった。
目を向けると、粉々に砕けたステンドグラスの破片の上に、異形の者たちが10体ほどわだかまっているのが見える。
一見すると筋肉質の人間に近い。しかしその背にはコウモリのような翼が生え、両手には凶悪な鉤爪が鈍い光を放っている。禿頭の左右にはねじれたツノ、耳は先が尖っており、鷲鼻の下には牙が並んだ口、目は爛爛と赤く輝いている。ゲームでは『カオスデーモン』と呼ばれたモンスターで、簡単に言えば大ボスの配下、『魔族』と言われる存在である。
ゲーム後半に出てくる強力なザコであり、一般人はもちろん、衛兵程度では到底勝つことができないレベルの恐ろしい敵である。
「衛兵っ、余らを守るのだっ!」
雛壇の上から国王が叫ぶ。会場の外に控えていた衛兵が入口から入ってきて、国王一家を守るためにその前に壁のように隊列を敷く。雛壇脇の扉からも親衛騎士が10人ほど現れるが、彼らはもとより王の護衛である。
そうなると当然、客席にいた貴族たちはカオスデーモンを前にして無防備になる。
一部の衛兵が貴族たちの前に立ち、カオスデーモンに向かって武器を構える。しかしあろうことか、国王は「なにをやっておるかッ! 余と妃と王太子を守れと言っておる!」と叫んで、それら真面目な衛兵までも自分たちの守りにつかせてしまった。
「マリアンロッテ、そしてゲントロノフ公もこちらへどうぞ」
ロークス王太子が声をかけると、ゲントロノフ公は真っ先に雛壇に上がって衛兵の中に身を隠した。置いて行かれたマリアンロッテはどうしようかと迷っているようだ。それはそうだろう、明らかに他の客たちを見殺しにして、自分たちだけ助かろうという動きなのだから。それを考えれば、マリアンロッテはやはりゲーム通りの優しい人間なのだろう。
「しかしロークス様、このままでは皆が……」
「あのモンスターは魔族だ。この場の全員を助けるのは無理なんだよ」
「ですが皆で力を合わせれば」
「聞き分けがない女は嫌いだ。わかっているなマリアンロッテ」
「……っ!?」
絶句するマリアンロッテを、ロークスは腕を伸ばして無理矢理雛壇の上にあげてしまった。
「フォルシーナ、君もこちらに来たいだろう?」
しかもそれだけにとどまらず、ロークスは嫌らしい笑みを浮かべながらそんなことを言ってきた。本来なら衛兵から剣を奪って突貫していくはずなんだが、そんな素振りは一切見えない。
「お父様、どうされますか?」
それに対し、フォルシーナは完全無視で俺のそばに来る。見上げてくる目に信頼感が溢れているのは嬉しいが、俺はそこまで娘に信頼される男であったろうか。
「カオスデーモンごとき、10体いても私の敵ではない。だがここは危険だ、お前はあちらの壁際に寄って見ていなさい」
とはいえまあ、ここは格好をつけるべきところか。フォルシーナの好感度上昇は俺の最優先課題でもある。
しばらく窓際にいてこちらの様子をうかがっていたカオスデーモンが、「グギギギ」という品のない笑みをもらしながらこちらに歩いてこようとしていた。
貴族たちは完全にパニック状態である。出口に行こうとするが、そちらからもカオスデーモンが出現して退路を断たれる。そうなると雛壇の方に逃げてくるしかないのだが、衛兵が槍を構えているので近寄ることができない。もはや会場からは悲鳴どころかすすり泣きまで聞こえる始末だ。
俺はその中を歩いていく。公爵である俺はこの場でも帯剣が許されている。もちろんこのイベントがあるのはわかっていたので、腰にあるのは儀礼用ではなく、実戦用のミスリル製の剣である。
「お、おおっ! そうだ、ブラウモント公がいたか! 頼むぞ、そいつらを1体でも多く倒すのだ!」
国王が後ろで何かを喚いている。
俺はカオスデーモンの前に出ると、ミスリルの剣を抜き放ち、その切っ先を先頭にいるカオスデーモンに突きつけた。いわゆる『挑発』というスキルである。これでカオスデーモンたちは俺を集中して攻撃するようになる。
「来い、格の違いを見せてやろう」
自然に出た煽りセリフがゲームキャラとしてのマークスチュアートそのままなのは我ながら笑ってしまう。
「ナマイキナ人族ガッ! 魔族タル我ラニ敵ウナド、思イアガリモ甚ダシイワ!」
挑発された先頭のカオスデーモンが、顔を醜く歪めながら、翼をはためかせて飛んでくる。五本の爪が赤く輝いているのは『ヒートクロー』という攻撃スキルだ。鉄すら熱で溶断する、恐るべき必殺の斬撃。
だがその爪が閃くより速く、俺はそのカオスデーモンの脇を通り過ぎていた。その首が胴から離れ、驚愕の表情を浮かべたまま宙を舞う。首を失った胴はその場に力なく崩れ落ち、光の粒子となって消えていった。
「弱すぎる。これでは剣の錆にもならんな」
これは俺の勝ちセリフだ。もちろんゲームではこれを聞く即ちゲームオーバーである。
「おお、さすが『蒼月の魔剣士』ブラウモント公……!」
貴族の誰かがそんな恥ずかしい俺の二つ名を口にする。
「ナルホド、大キナ口ヲキクダケハアルッ!」
俺を強敵と認めたのか、カオスデーモンたちが赤い光をまとう。『ヒートアップ』という身体強化スキル。だがまあ、焼け石に水でしかないが。
その後の戦いは、戦いにすらならなかった。俺の剣が一閃するたびにカオスデーモンの首が飛び、1分もたたないうちに11体のカオスデーモンは全滅した。床に残るのは11個の魔石と、爪や牙といったゲーム的なドロップアイテム。
『神速』を得た中ボス相手では、後半ザコのカオスデーモンなどこの程度である。ちなみにゲーム中だと、マークスチュアートは主人公ロークスがどこまで戦えるか観戦していた。さすがの裏切り糸目公爵である。
「これがお父様のお力なのですね! 私、とても感動をいたしました!」
駆け寄ってくるフォルシーナには先ほどの『氷の令嬢』の雰囲気はない。俺は笑顔の娘を抱きとめてやり、「大事ないか?」と案じる言葉をかけてやる。
「はい、私は大丈夫です。しかしお父様と共に戦えなかったのを残念に思います」
「お前には才能がある。すぐに私の隣に立てるほどの魔導師になれるだろう」
ゲームだと主人公パーティ最強魔導師だしな。
俺の励ましにフォルシーナはニッコリと微笑んで「お父様の期待に応えられるよう精進します」と宣言した。
そうこうするうちにようやく異変に気づいたのか、多くの衛兵や騎士が会場に入ってきた。中にはゲームでもお世話になった女騎士団長の姿もあるので、この後の処理は任せて大丈夫だろう。
問題なのは、気味の悪い笑みを浮かべてくる国王と、不機嫌そうな顔を隠そうともしない王太子だ。
「おお、さすがは三大公にして『蒼月の魔剣士』と呼ばれたブラウモント公、あの程度の魔族など歯牙にもかけぬとはな。貴殿にこの場を任せて正解であった。後ほど褒美をとらせよう!」
「ふん、あの程度のモンスターなど俺一人でも十分だったのだ。だが未来の妃の父に花を持たせるのも、上に立つ者の度量というのものか」
あまりにゲームとキャラクターの違うこの主人公父子には違和感しかない。しかもこのイベントだけで、どちらもかなりのクズ感ただよう言動を見せているし。もっとも主人公についてはゲーム的にも可能性はなくもないのだが。
ともかくフォルシーナは王太子の言葉を前に一瞬で『氷の令嬢』に戻り、俺は恭しく一礼をしてみせた。
頭を上げた時、誰かが熱のこもった視線を俺に向けてきていることに気付いた。
それは王太子の後ろに立っていた、メインヒロインの一人マリアンロッテだったのだが――
「『蒼月の魔剣士』マークスチュアート様。なんと素敵な……」
本当にその二つ名だけはどうにかならなかったのか、創造神よ。




