4 聖女メルヴィ
四回目のお茶会で、セレナはヘンリを相手にする力も出ず、一流のお菓子さえも喉を通らないくらいに疲れ果てていた。またしても居眠りしたセレナが気がついた時、部屋にはヘンリの姿はなく、部屋に差し込む日差しは傾き、食器やお菓子も片付けられていた。起こしてさえももらえなかったことにはさすがに溜息が出た。当然次の講義にも遅れていたが、探しにも来なかったのは、王子の当てつけに便乗したのだろう。
ぐっすり眠れたからいいか。
次の次の講義が何だったか思い出せず、これで帰れることを期待しながらセレナは部屋を出た。
その日大聖堂に戻ると、聖女メルヴィが待ち受けていた。
「あなた、殿下とのお茶会で寝ていたらしいわね」
「どうしてその事を…」
「あなたのだめっぷりは有名よ」
さすが伯爵家の情報力。とは言え、今日の出来事が既に王城の外に漏れている事実にはちょっと危ういものを感じる。意図的に漏らしているとも思えるが…。
「そうなんですよ。私、自分でも自分のだめっぷりに限界を感じていて…」
ふと弱気を漏らしてみると、メルヴィが少し表情を変えたのがわかった。これは、いけるのでは? セレナはそのまま弱気モードを続けた。
「ストレスのせいか、だんだん聖なる力もちゃんと発揮できなくなって、このままじゃ二年後、婚姻を結ぶ時まで聖女でいられるかどうか…」
実際、聖なる力が突然なくなることもある。それは国として最も憂慮されることだ。
「外国語はさっぱり駄目だし、国内の地方の名前はようやく覚えてきたものの、平野とか川とか、見たこともない土地の事なんてわからないし、外国までいくとどっちに何の国があるのかさえよくわからなくて、正直…、もうだめ…」
両手で顔を押さえ、その場にうずくまると、あれほど毎日笑顔でネチネチと嫌味を言っていたメルヴィが本気で怒りだした。
「そんなこと、知っていて当然レベルじゃないの! 何甘えたことを言ってるの。中等部で知っているレベルのことさえ身につけず、よくも王子の婚約者だなんて」
「だって…、私、村の学校しか行ってないし」
「それって、…平民の…、初等学校?」
こくりと頷くと、途端にメルヴィのテンションが下がり、怒りから哀れみの目に変わった。
「いくら女神様の神託って言っても、あまりにあまりじゃないですか…。聖なる力も弱まってきてるし、このまま力がなくなっちゃえば婚約をなかったことにしてもらえるんじゃないかと」
すぐに同意してもらえると思っていたセレナだったが、
「何弱気なことを言ってるの!」
と逆に叱責された。
「王家の決定事項がそう簡単に覆ると思ってるの? 甘い、甘いですわ。例えその可能性があったとしても、婚約から逃れられない時のことを考えて、最善を尽くすべきよ」
そして、いきなり手をつかまれたかと思うと、メルヴィの自室に連れて行かれた。同じ大聖堂の聖女の部屋でありながら、そこは面積も中身も全く違う豪華な部屋だった。
キョロキョロと部屋を観察するセレナを強引に椅子に座らせると、メルヴィはその正面に座り、まるで尋問をするかのように
「今習っていることをおっしゃい」
と、今の授業の内容と進捗状況を細かく聞き出した。
セレナは聞かれたことをうろ覚えながらも答え、いかに自分が物覚えが悪いかを蕩々と語ると、
「わかりました。明日から、王城の教育は早々に切り上げて、ここにいらっしゃい。いいわねっ」
と、有無を言わさぬ命令に思わず頷き、翌日から王城の教育が終わった後はメルヴィの指導を受けることになった。
嫌味に時間を取られるよりはまし程度に思っていたが、意外にもメルヴィの教え方は城で学んでいるよりわかりやすかった。
「王城で王妃教育に携わる者が、あなたほどの低レベルの知識の者に教えたことなどあるもんですか。貴族なら学校に上がる前に身につけているレベルよ」
メルヴィは自身が使っていた中等学校の本を取り寄せ、セレナのペースに合わせて説明してくれ、一週間もすれば国内とすぐ近辺の国の現状程度は理解できるようになっていた。
王城の教育係も、笑ってごまかしたり的外れな答えばかりだったセレナが少しは授業を理解し始めたことに安心し、何があったのかと聞いてきた。セレナは素直にメルヴィのことを伝えた。
「実は、自分がわからないところを聖堂にいる聖女メルヴィ様に伺うと、丁寧に解説いただけて、理解が深まりました。とても助かってます」
教育係もメルヴィのことは知っているらしく、
「ハールス伯爵家のメルヴィ様ですか? 聖なる力に目覚める前は学園に通われ、優秀な成績を修めていた方です」
と評判も上々だ。無理が通るかな、と心配しつつも、
「自分の理解を補うために、できればメルヴィ様と一緒に授業を受けたいのですが…」
と聞くと、
「…そうですね、いいでしょう」
と、一緒に講義を受けることを認めてくれた。
大聖堂に戻り、メルヴィの部屋に行くとすぐに
「王城の教育係の先生にメルヴィ様に教えていただいていることをお伝えしたら、講義の同席をお認めいただけて…。もしよろしければ、一緒に授業を受けていただけると助かるのですが」
とお願いしてみると、メルヴィは一瞬固まり、目をぱちくりさせていたが、
「し、仕方がないわね。一緒に行ってあげてもよくってよ」
と、了承の返事が返ってきた。あえて目は合わせず、つんとすました振りをしていながらも、チラリと見たメルヴィの表情はいつになく上機嫌で、生き生きとしていた。
メルヴィは教育係がその名を知る程度に優秀な学生だったが、ある日聖なる力に目覚めたために聖堂で暮らすことを余儀なくされ、王立学園を中退することになり、学びを諦めていた。
元々向学心旺盛なメルヴィは真面目に講義を聴き、セレナがわからないところを易しく解説してくれ、また自身も積極的に質問をして知識を深めていった。メルヴィ自身忘れかけていた学ぶ喜びをセレナが与えてくれたと気がつくのにさほど時間はかからなかった。
やがて
「今まで、意地悪してごめんなさいね」
と、素直にセレナに謝る気持ちを呼び起こすことができるようになった。




