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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
玖暁―――輝ける陽光の国
8/43

少年の日の思い出7

再生暦5008年8月


 戦況がどうか、という報告は、毎日のように皇都にもたらされた。


 桃偉率いる騎士団が向かったのは、国境の長城である天狼(てんろう)砦だ。北の敵国、青嵐神聖国を打ち破るための戦いを展開中である。天狼砦の堅牢さは周辺諸国に及ぶものがなく、まさに無敵の砦だ。それを事実として知っているとはいえ、それでも心配になるのが人の性である。戦況は有利という知らせが来ても、昴流が知りたいのは桃偉がどうなったのかということだ。


「昴流、少しは落ち着きなさい」


 と姉に窘められてしまうほど、落ち着きがなかった。自分でも、ここまで心配性だったということには初めて気が付いた。


 戦争が始まって二か月が経った。だが皇都の街並みはおかしいくらいにいつもと変わらなかった。それだけみな玖暁軍の強さを信頼しているのであろう。確かにそうだけど少しは気にしろよ、と昴流は突っ込みたい気分だ。


 だから、やっとのことで勝利の知らせがもたらされたときは、昴流はほっと溜息をついたものである。玖暁軍は犠牲少なし、青嵐軍は完膚なきまでに叩きのめしたということであった。皇都に戻ってくるまでは三、四日かかるはずなので、桃偉とはもうすぐ会える! それを思うと、昴流の心は一気に軽くなった。


 さて、今週は昴流が料理当番である。学校帰りに市場に寄って買い物をしようと、家とは反対の方向に歩いていた。こちらは大典の自宅の方向なので、珍しく帰りまで一緒だ。


「予定通りなら、騎士団の到着は今日だよな」


 大典が頭の後ろで腕を組みながら言う。昴流は頷いた。


「うん。だから今日は、桃偉さん好みの夕食を作ろうと思って」


 昴流と姉の咲良が桃偉の家に住んでいることは、大典にしか告げていない。それを教えたときの大典の驚きようは凄まじかった。騎士を目指す少年たちにとって、騎士団長の神谷桃偉は憧れの人だ。そんな人物と一緒に暮らして、しかも父親代わりだというのは羨望の的である。


「騎士団長さんって何が好きなんだ?」

「割と何でも食べてくれるけど……肉とワインを出しておけば、満足するみたいだよ」


 ぺらぺらと桃偉の趣向を暴露してしまったが、まるで騎士団長のことを珍獣か何かのように思っている大典は、その普通なことにいちいち驚いている。


 そうして路地の曲がり角を曲がった瞬間、前方から来た人間と鉢合わせした。「すみません」と謝って昴流が避けようとしたとき、その人影は素早く行動した。


「!」

「昴流!?」


 昴流の口と鼻を覆い隠すように、何かの布が押し当てられた。なんとか押しのけようとしたが、もう片方の手が昴流の腕を後ろでまとめて括ってしまっていて、身動きができない。そうこうしている間にも昴流の視界がくらっと眩んだ。布に強力な麻酔薬が滲みこませてあったのだ。


 昴流が意識を失うと、襲撃者は軽々と昴流を抱え上げた。大典が飛び掛かろうとした瞬間、背後から別の人間が大典の口を塞いだ。こちらは、単に大声を上げさせないためのようだ。低い男の声が、大典の耳元で聞こえた。


「命が惜しければ、今見たことは忘れろ。そうすれば身の安全は保証してやる」


 その圧倒的な威圧感に、さすがの大典も身動きができなくなった。ふたりの襲撃者がこの人気のない路地から見えなくなった瞬間に、緊張の糸が切れた大典は地面に座り込んでしまう。と、そこにまたしても背後から人が歩み寄ってきた。


「どっちに行った?」


 不躾な質問だったが、大典は無言で左を指差した。そこでようやく、声をかけてきた人間を見上げる。それはまだ十代後半と思われる青年だった。彼は不敵な笑みを見せると、大典を立たせた。


「昴流のことは俺に任せろ。お前は家に帰るんだ。で、誰にも言うなよ」

「兄さん……誰なんだ?」

「俺は御堂瑛士。昴流とはちょっとした知り合いだ」


 その青年、瑛士はそう言って腰に佩いた刀を掴む。


「いいな? 必ず家に帰れよ」


 瑛士は念押しし、昴流を連れ去った襲撃者たちを追いかけはじめた。



//////////\\\\\\\\\\//////////\\\\\\\\\\



 昴流がぼんやりと目を開けると、まず真っ先に目に入ったのは灰色の床だった。床も壁も天井も一面が灰色で、とてつもなく重い空気が漂っている。しかも暗い。その原因は、この空間にひとつも窓がないからだろう。


「お目覚めか、昴流」


 声がしたので、昴流は身体を起こす。――今更ながら、縄や鎖で拘束はされていなかった。まだ麻酔薬の効果が残っていて思考は不鮮明だし行動は鈍い。拘束するまでもないといったところだろうか。


 こちらに歩み寄ってくる男性の姿を見て、昴流の目が大きく見開かれた。


「……浩毅(ひろき)、兄さん……」


 小瀧家の長男である浩毅だった。彼は、利益や利潤に固執する昴流らの父の生き写しのような男だった。目的のためなら手段を選ばず、兄弟にかける情など一片さえも持たない。もしこれで現れたのが二番目の兄である圭也だったら、昴流を連れ戻しに来たのだろうかと思うところだ。だが浩毅であるということは、これ以上ないほど悪い知らせが待っているということだ。


 殺される――。


 昴流はさっと周囲を見回した。見覚えのない、どこかの倉庫のようだ。無造作にすら見えるほど、たくさんの荷物が積み重なっている。少しだけ中身が見えたが、見えずとも想像はつく。不正に稼いだ金だ。この倉庫は、早坂家が別人名義で借りている倉庫だろう。管理は小瀧家が行っており、ここにはそれらの金銭が保管されている。


 浩毅の周りには、数人の黒づくめの男が控えている。浩毅が個人的に組織している用心棒たちだろう。話だけは聞いたことがあった。


「何の、真似ですか……」


 昴流が問いかけると、浩毅は唇をゆがめた。おそらく失笑だろう。


「それはこちらの台詞だ。早坂公爵と小瀧家を裏切るとは、一体どういうつもりだ?」


 昴流は、ここ最近オフにしていたスイッチを入れ、侍従としての頭の冴えを取り戻す。


「裏切る? 僕は別に、小瀧家から指示を受けていた覚えはありませんよ。よって、裏切る事項もないわけですが」

「お前は今、神谷騎士団長と行動を共にしているのだろう」

「そうですよ。あの人は相続権を持たないとはいえ、正真正銘の神谷家の長男。敵に回すと、厄介なことになりますよ」

「神谷など、どうでもいい」


 ばっさりと協力相手を斬り捨てた浩毅に、昴流も眉をひそめる。


「むしろ、どうやって失脚させてやろうかと策を練っていたところだ」

「……へえ。でも、不正は暴かれました。神谷家は失脚しましたよ。それで万々歳ではないんですか」

「不正を暴いたのは神谷桃偉だ。世間ではあの男の株が上昇を続けている。不正を暴くのは、我らが早坂公爵でなければならなかった」


 浩毅は昴流の頭を掴むと、壁に押し付けた。頭が酷く痛んだが、いまそんなことは言っていられない。


「だからお前を神谷家に送り込んだんだ。妙な正義感を持つお前のこと、すぐ不正を暴こうとするだろう。そして神谷家の者に見つかったお前は口封じで殺される。それを見計らって、こちらから神谷との協力体制を斬ろうとしていた。優位に立っている状況でなければ、不正を暴く意味もないのだからな」


 それを聞いた昴流は青褪めた。昴流は見殺しにされていたのだ。昴流を殺したということを口実にしようとしていたなど、考えるだけでも恐ろしい。


「これがうまくいっていれば、神谷が人身売買で手に入れた金も口封じのために徴集できた。まったく、お前と神谷桃偉のせいですべて台無しだ」

「……最初から、僕を利用して……」

「小瀧家に生まれた瞬間から、お前は公爵の手駒だ。務めに従うのは当然ではないか」

「当然なんかじゃない! 僕は……あんたたちの指図なんて受けない! 僕は、僕だけの人生を生きると決めたんだ!」


 昴流は叫ぶと、身体のばねを利かせて浩毅の手から逃れた。そこまではうまくいったが、薬のせいでまだ動きにキレがない。しかも、ひとりならともかく複数人を相手取ることは不可能だった。


「……ふん。お前の言葉次第では、小瀧家へ戻る許可をやろうと思っていたが……無駄だったようだな。情報の漏洩は何よりも忌避すべきものだ。殺せ」


 非情な命令が下る。用心棒たちが昴流を半包囲した。この状況が絶望的であるということを、昴流は認めざるを得ない。


「弟相手に『殺せ』って……貴族様っていうのはろくな人間じゃないな」


 唐突に、この場に似つかわしくないほど明るい声が聞こえてきた。昴流には聞き覚えがある。どこからだ、と思った瞬間には、昴流の真横にいた用心棒の一人が音もなく崩れ落ちていた。


「! な、何者だ!?」


 初めて浩毅の声が上ずった。悠々と昴流を庇うように前に立ったのは、思った通り御堂瑛士である。


「瑛士、さん……!?」

「もう大丈夫だぞ、昴流」


 瑛士が肩越しに振り返り、小さく笑って見せる。浩毅の罵声が用心棒たちに降りかかった。


「貴様ら……つけられていたな!?」

「も、申し訳ありません、旦那……!」

「弁解は良い! とっととその餓鬼ごと始末しろ!」


 勿論用心棒たちはそのつもりだった。じりじりと瑛士ににじり寄るも、瑛士は余裕な表情を崩さない。


 ひとりが斬りかかる。瑛士はひょいっとそれを避けると、相手の肩口に刀の峰を叩きこんだ。悶絶した用心棒が地面に倒れるのを見るでもなく、すぐさま瑛士は次の相手と切り結ぶ。こんな子供、と侮った結果でもあっただろう。5人いた用心棒はすべて倒されてしまい、残ったのは浩毅だけだ。


 昴流は唖然としていた。ついこの間まで刀の持ち方すら適当だった瑛士が、これほど短期間でここまで成長するとは思っていなかったのだ。これには瑛士の先天的な剣士としての素質と、たゆまぬ努力があったからだろう。


「安心しな、みんな峰打ちだ。で、そこの貴族のお兄さん」


 瑛士は言いながら浩毅に刀を突きつける。


「俺としてはあんたを斬って捨てたい気分だが、あんたは昴流の兄貴だって言うし、こっちとしても昴流の身の安全が第一だったからな。どうだろう、取引しないか」

「取引……だと?」

「この倉庫、なんか良い音する物体が大量にあるじゃないか。どうやって集めたのか知らないけど、これであと五、六個は別荘が建てられるんじゃないの?」


 浩毅の額に汗がにじんでいる。瑛士はさらに続ける。


「俺はここで見たことを、外に出たら綺麗さっぱり忘れてやる。その代わりあんたは、俺と昴流の後を追うな」

「……良いだろう」


 彼にしてみれば苦渋の決断だっただろうが、他に選択肢がなかったのも事実だ。この倉庫にある金は、早坂家の権力の象徴だ。この存在がばれてしまうという失態を、忠実な侍従である小瀧浩毅がするわけにはいかないのだ。


「交渉成立だ。帰るぞ、昴流」

「は……はい」


 昴流は頷き、さっさと歩き出す瑛士の後を追った。その後ろ姿を見ながら、浩毅は唇を噛みしめる。


 あんな子供はすぐに殺せる。そう思って今日は見逃すことにしたのだが、入り口でくるりと振り返った瑛士が口を開く。


「いつでも殺せるから今はいい……とかは思わないほうがいいぜ。もし神谷団長がいるときを狙ったら、そっくりそのまま騎士団を敵に回すことになるだろうからな」

「ぐっ……」


 図星を刺された浩毅は返す言葉がなくなり、今度こそ完全に瑛士と昴流を見送ることになった。


 倉庫があったのは皇都の郊外だった。もう日は暮れてしまっている。


「瑛士さん……有難う御座います」


 昴流が礼を言うと、瑛士はにっと笑った。


「当然のことをしただけさ。昴流こそ怪我はなかったか?」

「大丈夫です……」


 その答えに瑛士は頷き、まだ少しだけ明るい西の空を見つめる。


「――お前、侍従家の小瀧だったのか」

「……はい。黙っていて申し訳ありませんでした」

「いや、別にいいんだが……ああいう人間と頭を使って話すのは、どうも苦手でな。お前はすごいんだな」

「僕の場合は、職業柄致し方なく……ですからね」


 そう呟いた昴流は、軽く頭を振った。スイッチを切り、侍従の自分を頭から追い出す。


「でも瑛士さん、どうして僕のところに来てくれたんですか?」

「お前が友達と一緒にいたときに拉致されたところから見ていたんだ。丁度そこを通りがかった偶然に感謝だな」

「! そうだ、大典は……!?」


 急に慌てだした昴流に、瑛士が笑う。


「あの子なら家に帰したよ。今日はもう遅いから、明日会いに行けばいい。学校の同級生なんだろう?」

「そ、そうですね。無事なら良かった……」


 昴流はほっとしたように息を吐き出した。


 ――そこから先の記憶が、昴流にはなかったのだった。



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 夜、帰宅した桃偉は真っ先に出迎えた咲良に尋ねた。


「昴流は!?」

「限界だったのか、薬の効果か、ぐっすり眠っています。瑛士さんが連れて帰ってきてくださったんですけど……」


 帰還した桃偉は、出迎えの群衆の中に瑛士がいることに気付き、彼もまたこちらに歩み寄ってきた。その弟子の口から、昴流が襲われたということを聞いたのだ。気が気ではなかったのだが騎士団長としての務めもあり、帰るのはこうして真夜中になってしまった。


「瑛士には感謝だな……」


 桃偉は安堵の溜息をつき、昴流の部屋の扉をそっと開けた。室内は勿論暗く、ベッドに昴流が眠っている。確かにぐっすりと熟睡しているようにしか見えない。


 絨毯が敷かれた床に胡坐をかいて座った桃偉は、手を伸ばして昴流の額に手を当てる。熱はなさそうだ。その髪の毛を撫でてやると、昴流が身じろぎした。


「なんだ、起きちまったか。悪かったな」

「……桃偉、さん……?」

「おう。ただいま、昴流」


 昴流は驚いて覚醒した。ばっと飛び起き、桃偉をまじまじと見つめる。


「お、お帰りなさい……ってあれ、僕はなんで家に……?」


 その昴流の様子に桃偉は苦笑した。


「瑛士に負ぶわれて戻ってきたらしいぞ」

「あ……そういえば、麻酔を嗅がされていましたから……すごく眠くて」

「じゃ、もう少し寝ろ」


 桃偉が昴流をゆっくりとベッドに横たえる。昴流は頷き、桃偉を見上げた。


「桃偉さん……怪我、ないですか?」

「ああ、この通りぴんぴんしているぞ」

「良かった……」


 昴流はほっとして、目を閉じた。


 意識が途絶える瞬間、憎々しげな桃偉のつぶやきが聞こえた気がする。


「……あいつら……っ。どこまでやれば気が済む……! ……貴族だけ変えたって、元が変わらなきゃ何の意味もない……! もう、手はひとつしかないな……やるしか、ない」

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