この手から零れ落ちるもの1
再生暦5019年
桐生奏多――25歳
『騎士団長が、死んだ……?』
騎士団本部に呼び出されて顔を出したなり告げられたその言葉に、桐生奏多はやっとのことで言葉を絞り出した。だがそれも、相手の言葉をオウム返しにしただけである。
相手――つい先日まで、騎士団長である奏多の父の忠実な腹心だったはずの副団長は、表情だけは神妙に頷いた。
『先の玖暁との戦争における敗戦の責任を取る、と自決なされた』
『なっ――!?』
『我らもお止めしたのだが、団長の決意は固かった。……まことに、青嵐の騎士の鑑たるお方の最期であった』
奏多は驚きの表情を消し、代わりに怒気を全身にみなぎらせた。
『――よくも、そんな見え透いた嘘を俺の前でぬけぬけとッ! 騎士団長が、父が自決をする理由などどこにもないだろう! 先の戦いは、命令違反を犯した特務師団の失態で――』
『お前が自分の父を信じるのは勝手だが、団長が亡くなったのは事実なのだ。この通り、私を次の騎士団長に任じる旨を書いた直筆の遺書もある』
副団長は奏多の前に書類を突きだした。確かに直筆の遺書だったが、それは奏多が生まれて二十二年間見続けてきた父の筆跡ではなかった。
『それは父の文字ではない! 矢吹の……あいつの指示だろう! 父の存在が邪魔になって、都合のいい理由をつけて殺したに決まっているッ!』
『根拠のない言いがかりはよしてくれ。お前は団長の遺志を蔑ろにする気か?』
『蔑ろにしているのはどっちだ!』
奏多は一歩間に踏み出し、副団長に詰め寄った。
『何故なんだ! 貴方はずっと父の腹心だった! その貴方が、なぜ父を裏切って矢吹側についた!?』
副団長はそこで初めて言葉を詰まらせたが、毅然として答えた。
『……団長の甘いやり方では、この国を守れない』
『矢吹のやり方でも守ることなどできないはずだ! 恐怖による支配というのは、父がこの世で忌み嫌うべきものだと言っていた! 貴方も父のその考えに同意したから――!』
『それほどまでに玖暁の力は強大なのだ! このままでは奴らに青嵐は呑みこまれる。今必要なのは、この大陸の中にあって揺るがない大いなる力! それを、特務師団長は持っているのだ』
副団長はそう言って奏多を突き放した。
『今この時より、青嵐神聖国騎士団の団長位は私に譲渡され、全権を握ることになった。桐生奏多、お前は新設される第十三連隊の小隊長として部隊をまとめることを命じる』
『そんな役目、俺は――』
『拒否は許さぬ。従わぬ場合、お前とお前の家族に対し相応の措置を取る。命令は絶対だ』
『……くっ』
遺されたのは、たったひとりの弟である宙。弟を狙う刃をちらつかされては、奏多もそれ以上何も言えなかった。
ただこのとき決意した。父の無念を晴らす。そのために――どんな手段であろうと、矢吹を討つ、と。
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「――ッ!」
奏多は飛び起きた。その瞬間、思いの外天井が低く、額が勢いよく天井にぶつかった。鈍い音とともに目の前に火花が散り、再び奏多は寝台に倒れ込む。痛みが酷くて呻き声さえ出ない。
「すっごい音したが、大丈夫かい?」
閉じてあったカーテンが開かれ、眩しい明かりが突き刺さる。ひょっこり顔をのぞかせてきたのは、三十代も後半に見える騎士の男性だった。
奏多は額を抑えて俯せに寝返りを打つ。
「うー……飛び起きた拍子に頭ぶつけました……」
「はっはっは、なんじゃそりゃ! お前さんも大概天然だな!」
「そんなに笑うことですか」
じとっとした目を向けると、騎士は笑って身体を起こした。と、少々早く頭を上げすぎたのか、騎士も奏多と同じ場所に後頭部をぶつけた。要するに、二段寝台の上の段だ。
「あ、啓雅さんも人のこと言えないじゃないですか」
「……ええい、起きたんなら仕事交代せんかっ」
「うわっ」
奏多は啓雅によって寝台の下の段から引きずり出された。すると室内で爆笑が起こる。
部屋の中には五つの机。そしてちょっとした仮眠用にと、カーテンで仕切られた二段寝台。家具と言えばそれしかない殺風景なこの部屋は、青嵐騎士団の第十三連隊の詰所だった。小隊長の奏多の旗下には五百人規模の騎士が配属されているが、彼らを直接指揮統率するのは今この室内にいる四人に任せていた。
筋骨たくましい啓雅。最年長の城井。若さあふれる晴貴。紅一点の凜乃。
彼らを含め、奏多のもとに集った者たちはみな、特務師団の策略により殺された前騎士団長を慕う者たちだった。その息子である奏多が反撃の狼煙を上げたことにより、まるでレジスタンスであるかのように大勢の同志が集まったのだ。
小隊長ではあるが、その大部分は奏多より年上だ。なので奏多は、彼らに敬意を払っている。
「大丈夫かね、奏多くん? 飛び起きるなんて、夢でも見たのか?」
城井が見事な顎鬚を撫でつつ尋ねる。最年長の彼はもう老人と言ってもいいほどであるが、まだまだ現役の騎士だ。昔から奏多の父の部下として戦ってくれて、奏多もよく彼のことを知っている。若い者たちを見守り、必要な時には手助けをしてくれる良い人だ。
「はい……昔の夢を。父が死んだと、騎士団長に告げられた時の夢です」
その言葉に、凜乃が不安そうに奏多を見る。彼女は数少ない女騎士のひとりだが、とてもそうには見えないほど華奢で可憐だ。
「桐生団長が亡くなった時の……」
「――もう三年も経つのに、ちっとも忘れることができないんですよ」
父が死んで、三年。
この三年間、奏多は玖暁ではなく彩鈴との紛争に関わっていた。玖暁にはあまり関わりたくなかったという意識の表れだ。
「俺が守りたいと思ったものは、全部、なくなっていく――」
丁度、掌から掬い上げた砂が零れ落ちていくように、儚く。
親友の李生を引き止めることができなかった。自分の父も守れなかった。そして弟の宙も。
次に失うとしたら、ここの仲間たちか。
「そんなしょぼくれた顔をするな!」
「いたっ」
思い切り背中を叩かれ、奏多は我に返る。晴貴は陽に焼けて爽やかな笑みを見せた。比較的仲間内では晴貴と年が近いので、奏多も友人のように思っている。
「確かに団長は亡くなったが、その思いは俺らが引き継いだんだ。覇気のない顔をしていると、団長が殴りに来るぞ!」
「……そうだね」
笑顔を見せると、仲間たちもほっとしたようにうなずいてくれた。
凜乃が椅子から立ち上がり、奏多に一通の手紙を差し出した。
「はい、奏多くん。天崎さんからの手紙が届いてたよ」
「ありがとう、凜乃」
奏多はその場で封を切り、内容を確認していく。相変わらず暗号で書かれた文章だったが、散々読んだのでもう目で追うだけで意味が理解できるようになっていた。啓雅がしみじみと呟く。
「手紙のやりとりも頻繁になってきたな」
「ええ……玖暁と青嵐との戦況は微妙な均衡を保っています。天狼砦での戦いはすでに三か月を超え、玖暁としても厳しい状況にあるはず。敵の手の内は、少しでも多く把握しておきたいところでしょう」
自分の机に座った奏多は、便箋を取り出してさらさらと意味をなさない文字の羅列を書き連ねていく。何の法則もなさそうに文字を並べるこれこそ、奏多と李生の間でしか通用しない暗号だった。
「まあ、青嵐軍に増援を派遣する余裕などなさそうですから、今回もまた玖暁の勝ちになるでしょうね」
淡々と味方軍の敗北を断定した奏多に、晴貴が腕を組んだ。
「しかし大丈夫なのかい、その天崎って人は。戦時中に手紙なんて出しているのを誰かに見られたら、軍での立場が危うくなるだろうに」
「李生は今や玖暁騎士団団長の懐刀と呼ばれる男だ。『守りの要』として、兄皇陛下の側近をも務めている。そんな大物に、いくら青嵐人だからっていちゃもんをつける人間はいないと思うよ」
そう、玖暁に亡命した李生はどういう訳か出世して、皇の側近を務めるほどになっていた。騎士団の中で団長に次ぐ発言権を持つ李生は、戦場にあっても鬼神のような戦いざまだという。
そのことを、李生本人からの手紙で奏多は知ったわけではない。そもそも、李生も奏多も、お互いの現状などは一切伝えていないのだ。しかし、意図して対玖暁の戦闘に参加しないようにしている奏多とは違い、李生の名声は嫌でも耳に入ってくるのだ。
かつて騎士団で、青嵐武技・瞬刃流の師範を務めた騎士、天崎。その息子の李生はいま、敵国玖暁の将だ。『天崎』の名は、裏切り者の代名詞として国内で憎まれている。
(……でも、実際に裏切り者なのは俺のほうだ)
李生への誹謗を聞くたびに、奏多はそう思う。
奏多がしていること。それは、『青嵐軍内部の情報を李生へ開示する』こと。売国以外の何物でもない。
その汚名を着てでも成し遂げたい野望――。
つまり、玖暁を勝たせたい。矢吹という男のせいで狂った青嵐という国の体制を一度破壊し、組み立て直したかったのだ。
そのために奏多は、玖暁軍を利用しようとしている。どうにかして矢吹を戦場に引っ張り出し、それを李生らに討ってもらう。玖暁の支配下に置かれれば、皮肉なことだが青嵐は救われる。玖暁の皇の公明正大かつ聡明な人柄を、奏多はよく知っていた。彼ならばきっと、矢吹という独裁を行う支配者がいなくなったこの国を、見捨てはしない。
青嵐の誇りなどとうに失くした。そんなことより大切なのは、明日を生きる民たちの生活。それを確立するためには、敵を自国へ招き入れることだって奏多は辞さなかった。他国の皇や親友を利用することだって、躊躇はしない。
――奏多は普段の言動から、天然だとか温和だとかと評されることが多い。が、腹黒く冷酷な一面もある。激情家な一面もある。皆が思っているより、かなり危険な思想の持ち主なのだ。
そして奏多のもとに集った者たちは、みなそんな危険な思想に共感してここにいる――。
自らの手は汚さずに事を運ぶつもりはない。奏多自身も、隙さえあれば矢吹の命を獲ろうと狙っている。しかしそもそも青嵐騎士の奏多は特務師団の中に入ることなどできないし、入れたとしても矢吹は滅多に人の前に姿を現さない。さて、どうしたものであろうか。
「……」
すっかり沈黙し、字を書く手も止めた奏多の肩を、凜乃が叩いた。
「ひとりで、抱え込まないでね。私たちもいるんだから、ね?」
「……ん、ありがとう」
奏多は微笑んで頷いた。様々な思いがせめぎ合う中で、ここにいることが奏多にとって一番の安らぎだった。




