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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
青嵐―――仄暗き鉄の国
39/43

あの日僕らは2

「宙! 宙っ!」


 忽然と姿を消してしまった宙の名を呼び、奏多はやみくもに走り出そうとする。かなり動転しているようだ。


「奏多、落ち着け」


 李生はあくまで冷静に奏多を制する。無理もない。奏多にとって、宙はすべてなのだ。


 奏多と宙、そして李生が騎士団幹部の息子であるということに特務師団が気付いていれば、強引に押しのけはしなかっただろう。対立勢力の身内に危害を加えれば、特務師団の活動に影響が出るからだ。しかしながら奏多も李生もそこまで有名ではなかったし、父親たちも息子を争いに巻き込むことを避けていた。そのため、ただの子供に見られたのだ。


「宙はまだ二歳だろ、そんな遠くまで行ってないよ」

「……そうだね、ごめん」


 奏多は冷静さを取り戻し、周囲を見回す。特務師団の様子に恐れをなしていた商店の人々も、「やれやれ」といった様子で商売を再開し始めている。


 奏多が焦る理由も分かる。特務師団は、幼児であろうとその命を軽んずる人間が多い。あの状況で宙が邪魔だからと蹴り殺すこともあり得る集団だ。逆に、何か必要性があれば連れ去るなんてことも平気で行う。


 そうでなくとも、神都は治安が悪い。どこぞの不良に誘拐されていておかしくない。この頃は、人身売買も行われているそうだ。


「とりあえずあたりを探そう」


 奏多の言葉に李生は頷いた。



 そうしてふたりは市場をくまなく探し、もしかして家まで戻ったのではないかと来た道を戻ってみたが、宙は見つからなかった。李生の言うとおり『二歳なんだから遠くまでは行かない』はずなのだが、二歳児を見失う時は一瞬である。


 おまけに宙は人見知りをしないタイプだから、知らない人間に連れて行かれてもにこにこしているだろう。


「いた、李生!?」

「いや」


 先程の場所で落ち合った二人だったが、状況は一向に良くならない。市場の人に聞いても、目撃情報は手に入らない。


「っ……なんで手を離したんだ、俺……!」


 奏多が自分の拳を握りしめる。


 次々と嫌な予感が脳裏をかすめてしまう。どこかで泣いているのでは? 変な人間に酷いことをされているのでは? もしかしたら、もう――?


「あの男の子なら、あっちに走って行ったよ?」


 急に声をかけられ、奏多は驚いて顔を上げた。魚屋の店主である。店主は、特務師団が走って行った方向を指差している。


「君の弟だろう? 特務師団を追いかけて行ったのを見たよ」

「本当ですか!? 有難う御座いますっ!」


 奏多は顔色を輝かせ、店主に言われた通りの方向へ走り始めた。李生もそのあとを追いかける。


 そういえば、なぜ特務師団はあれほど急いでいたのだろう。向かったのは特務師団本部の方角だ。街の巡回から戻るにしては、いささか切羽詰っていたようにもみえる。


 奏多と李生は特務師団本部へ至る一本道を駆け抜ける。どこかアットホームな雰囲気がある騎士団本部と違い、特務師団本部は物々しい装いで奏多も李生も近づくのが嫌だった場所だ。


 本部前の門のところに、ふたりの人影が見えた。その足元に小さな子供がいるのに気づいた奏多は、即座にそれは宙であることを確信した。


「宙!」


 名前を呼ぶと、宙はぱっと振り向き、笑顔で奏多の方へ走ってきた。奏多は宙を抱きしめ、ほっと安堵の息をつく。


「もう……ちょろちょろどこか行かないでよぉ」


 その様子を見て同じくホッとした李生だったが、歩み寄ってきたふたりの人影を見て彼は目を見張った。


「父さん……!」


 その言葉に奏多も顔を上げ、ぎくりとしたように硬直する。


 そう、そこにいたのは青嵐騎士団の団長である桐生、そしてその腹心である天崎。つまり李生らの父親である。桐生はふたりの息子に似ても似つかぬほど筋骨隆々だが妙な愛嬌がある男で、天崎はスラリとした長身を誇る冷静沈着な男だ。剣の上で天崎より優れている者はおらず、李生も奏多も天崎に剣を習っていた。


 宙は、父親の姿を見つけて一直線に走って行ってしまったらしい。


「まったく、宙がひとりで本部の前をうろついているのを見たときは肝が冷えたぞ」


 桐生の困ったような顔に、初めて奏多が俯く。子供なら最初に思うであろう『叱られる』という恐怖が、弟の無事を確認できてほっとした瞬間に襲ってきたのだ。


「ご、ごめんなさい……」

「まあ大事にならなくて良かった。それに奏多に全部任せてしまっている無責任な俺のせいでもあるしな」


 桐生はそう笑って、俯いている奏多の髪の毛をくしゃくしゃに掻き回す。奏多も少し笑った。


 その隣で、李生は父親を見上げる。


「父さんたち、何してたの?」

「少し、ここに用があってな」

「特務師団に……?」


 事実的に対立している特務師団の本部に、騎士のトップふたりがやってくるなど只事ではない。幼いながらも、李生はそれを理解していた。


 天崎がちらりと桐生を見やる。視線による無言の問いに、桐生は深刻な面持ちで頷いた。不思議そうにそのやり取りを見ていた李生に、天崎は少し微笑む。


「……李生、お前を探しに行くところだったんだ。すまないが、今日は俺と一緒に帰ろう」

「え? 父さんも帰ってくるの?」

「ああ、仕事が早く終わったからな」


 李生はぱっと表情を明るくしたが、単純には喜べなかった。いつも仕事がいそがしく、まともに一緒に過ごせない父親だ。勿論一緒にいられるのは嬉しい。だがそれが『普通ではない』ことは、すぐに察することができる。


 奏多に別れの挨拶をしろと諭され、李生は奏多を振り返る。


「じゃあ、奏多……また明日!」

「うん、じゃあね」


 奏多も笑って手を振り、天崎と共に歩き出した李生の後ろ姿を見つめる。



 ――今はまだ知る由もない。


 李生の姿を見たのは、これが最後だったなどと――。




 ふたりの姿が見えなくなってから、奏多の肩をぽんと桐生が叩く。見上げると、にっと父は笑った。


「俺たちも帰るか」

「うん。宙、手繋ごう。もう離さないでよ?」


 奏多と宙がしっかり手を繋いだのを見てから、ゆっくりと父と息子たちは歩き出す。茜色の西日が、目に痛いくらいだ。


「いいねぇ」

「うん、綺麗な夕陽だね」

「奏多、今日はなんだ?」

「魚だよ」


 これで会話が成立してしまうあたり、ふたりはやはり親子なのだった。



★☆



 煮魚を作りつつ、奏多はその他の料理もてきぱきとこしらえる。母親さながらの手際の良さに感心しつつ、桐生はリビングで宙と遊んでいる。


「父さん、禁酒でもしたの?」

「なんでだ?」

「だっていつも、早めに家に帰ってきたときは必ずお酒飲んでるじゃない」

「ああ……なんか今日はそんな気分じゃなくてな」


 宙を肩車して歩き回っている桐生は、歯切れ悪くそう言った。奏多は「ふうん」と呟きながら、煮魚を鍋から皿へと移す。我ながらいい出来だ。


「じゃあこれ、李生にお裾分けしてくるよ」


 桐生家と天崎家では、そうやって夕飯をお裾分けし合うことがしょっちゅうあった。今日は買い物に付き合ってもらったし、宙のことで迷惑をかけたので、少し奮発だ。李生も魚を食べたいと言っていたことだし。


「駄目だ。行くな、奏多」


 急に聞こえた父の声に、奏多は驚いて立ちすくむ。そんなことを言われたのは初めてだ。いつもなら止めるどころか、『足りないだろう』とお裾分けを追加するくらいなのに。


「……李生たちは、今夜忙しいんだ。だから行っても会えないんだよ」

「じゃあ、明日にでも」

「それも……駄目だ」


 奏多は桐生を見上げる。目を逸らす父の顔と、さらにその上から不思議そうに見下ろしている弟の顔。奏多は静かに尋ねた。


「……父さん、何隠してる?」

「何も隠してないぞ」

「嘘つかないでよ。李生たちがどうしたの?」

「……」

「父さん」


 語調を強めると、桐生は溜息をついた。元々奏多には頭の上がらない父である。そっと宙を床に下ろしてやってから、一言告げる。


「李生には、もう会えん」

「……え……?」

「二度とあの家族には会えん。少なくとも、このままだと」


 奏多の思考が停止した瞬間、彼の真後ろにあった窓がぱっと赤く光った。はっとして振り返ると、窓の外、王城のすぐ傍にある建物が炎に包まれているのが遠目に見えた。


「! あれは、特務師団本部……!?」


 外に飛び出そうとした奏多の腕を、父が掴む。


「行くな、奏多!」

「李生が関係あるんだろ!? 李生が、李生がっ」

「李生はもういないと言っただろう!」


 父の言葉に、奏多は耳を貸さなかった。力づくで桐生を振り払い、そのまま玄関から外に飛び出す。すぐ隣の天崎家に、明かりはついていない。誰もいないのか。


 奏多は玄関の扉を叩いたが、人が出てくる気配はない。ノブを掴んでみると、それは簡単に開いた。鍵がかかっていなかったのだ。


「李生!」


 室内に入って名前を呼んでも、返ってくるのは沈黙だけ。


 見慣れた室内。家具はいつもと全く変わらずそこにある。いつだってここに来れば、優しい李生の母が出迎えてくれて、李生が二階から駆け下りて来てくれたのに。


 今、ここには誰もいない。


「なん……で……?」


 隣の自宅から、宙の泣く声が聞こえた。突然の兄と父の怒鳴り合い、そして建物の火災に驚いたのか。それとも、沈痛な想いを察したのか――。



 李生と、その両親はこの日を境に消息を絶った。

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