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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
青嵐―――仄暗き鉄の国
38/43

あの日僕らは1

再生暦5004年1月

天崎李生――8歳

桐生奏多――10歳

桐生宙――2歳

 空は青一色に染め上げられていた。この季節、この街の空は常に灰色の雲に覆われており、雪がちらつく。だというのに、この気持ちのいい快晴は、本当に珍しい。


「いい天気……」


 寝台に横になったまま、目を開ければ窓越しに見える空。空の青さが若干眩しく、李生(りおう)は瞳をすぼめた。


 時は新年を迎えたばかりの再生暦五〇〇四年。世間では、繰り返される隣国玖暁との戦いに緊張が高まっていたけれど、戦場から遠く離れたこの青嵐の首都『神都(しんと)』では、概ね平穏な日常が続いている――。


 ふわ、と無意識的に欠伸がこぼれた。真冬だというのに今日はそこまで寒くないし、これから春が来るといわんばかりに日差しが心地いい。穏やかな昼下がりは、火の神核による暖房の利いた部屋で昼寝でもするのが一番だ。うとうとと目を閉じかけた――丁度その時。


 凄まじい足音とともに、何者かが部屋の外の階段を駆け上がってくる音が聞こえた。びくりとして寝台の上に飛び起きた李生は、そのまま自室の閉じられた扉を凝視する。


 ばん、と扉が開け放たれる。そこにいたのは、李生より少々年上らしき少年。息を切らせ、肩で呼吸をしている。


「か、奏多(かなた)?」


 呼びかけると、奏多は無言で李生のもとに歩み寄り、その手を強くつかむ。


「李生! 助けてくれ!」

「なに?」


 助けてくれとはまた物騒である。緊張して奏多の言葉を待っていると、奏多は俯けていた顔をあげて心底真面目な顔で言うではないか。


「今日の夕飯の献立が決まらない!」

「……」


 李生は奏多の手を振り払いざまに、その頭をはたいた。奏多は「痛い」と言いながら蹲る。


「献立くらいでそんな必死になるなよ! それより、(ひろ)はどうしたんだ」

「ああ、宙なら家で留守番――」

「馬鹿っ、なんで二歳児を留守番させとくんだよ!」

「だって、すぐ隣だしいいかなあって」

「良くない!」


 李生は部屋から飛び出して一気に階下まで駆け下りた。そして「出かけるの?」と声をかけてくる母親に曖昧に返事をして、外に出る。すぐ隣の家、それが奏多の住居である。


 鍵はかかっていなかった。不用心この上ない。玄関を開けて室内に入ると、今年で二歳になった奏多の弟の宙は、ソファの上でぐっすり眠っていた。


 ほっとして脱力した李生のもとに奏多が追いついてくる。奏多はにっこりと笑う。


「ほら、起こしちゃいけないと思ってさ」

「そういう問題じゃないだろ」


 小声ながらも李生は吐き捨て、溜息をついた。


 青嵐神聖国騎士団の団長、桐生(きりゅう)。その腹心として名が知られ、青嵐独特の剣技『青嵐武技・瞬刃流(しゅんじんりゅう)』の師範を務める天崎(あまざき)。その息子が、桐生奏多と桐生宙、そして天崎李生だった。


 騎士団長の桐生と部下の天崎は古い付き合いで、親友同士であった。共に下町出身で、現在も下町に住居を構えて生活している。互いの家が隣同士という徹底ぶりである。父親同士が仲の良いのであるから、その息子たちが親しくなるのも当然の結果であった。


 奏多は李生より二歳ほど年長で、現在は十歳。今年で十一歳になる。にもかかわらず、奏多はどこか性格が抜けており、日々年下の李生が苦労する毎日である。


 李生は奏多を振り返る。


「……それで、献立が決まらないってどういう意味?」

「今日、父さん帰ってくるの遅いんだってさ。だから夕飯の用意は頼むって言われてて」


 現在は玖暁との戦いが緊張状態にある。軍幹部である奏多の父も李生の父も忙しく、まともに帰宅できる状態にはない。


 加えて、奏多と宙の母は亡くなっている。宙を産んですぐ、彼の命と引き換えにしたように亡くなったのだ。父子家庭で育った奏多はその年にして大概の家事を習得しており、食事の用意から宙の世話まで、すべて父がいないときは奏多が行っていた。


 なので、奏多が「夕食の献立」を考えるのは不思議ではないのだが――。


「そのことを思い出したのがね、五分前」

「献立考えるの諦めるの早すぎだろ」

「李生、何食べたい?」

「……魚」

「えー、やだよ。俺魚嫌いだもん」


 じゃあ聞くな、なんて当たり前の突っ込みはもはや李生はする気力がない。


「とりあえず市場に行ってみればいいじゃないか。食材見ているうちに、献立が決まるかもしれないでしょ。俺が宙のこと見てるから」

「えー」

「今度は何がご不満ですか」

「俺が宙のこと見てるから、李生買い物行ってきてくれない? 安いもの買って来てくれれば適当にご飯作れるしさぁ」

「ふざけんなお前」

「百歩譲っても、ひとりで行くのは嫌だなぁ」


 何を百歩譲ったんだ、宙の面倒を見ることか?


「だからって、寝ている宙をひとりにしておけないだろ」


 至極まともに言ったのだが、奏多はおもむろに手を宙に向けて伸ばした。何をするのかと思えば、宙の柔らかいほっぺたを人差し指でつんつんとつつき始めたのだ。


「ちょっ、何して……!」


 宙は結構敏感らしく、ぱっと目を開けてしまった。そんな宙を見て、奏多は満面の笑みを浮かべる。


「よぉし起きたね宙ー。ちょっと待っててね、外寒いし上着取ってくるからぁ」

「奏多、お前最低だよ……」


 軽い足取りで、自分と宙の分の上着を取りに行く奏多の後姿に、李生はそう呟いた。


 そういう訳で李生は、寝起きだというのになぜか上機嫌な宙と、その手を繋いでこちらもまた上機嫌な奏多の後を、とぼとぼとついていくことになったのだった。



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 市場は賑わっていた。威勢のいい売り文句を発する売り子の言葉をすり抜けつつ、奏多は弟の手を引きながら店先の商品を眺めていく。


「いやー、こんなにあると目移りするよねぇ」

「ちゃんと献立考えながら歩いてる?」


 李生は半信半疑で、上機嫌な奏多の顔を見やる。


「なんかますます決まんないんだよ」

「意味ないだろ」

「ねえ李生、ほんとに何食べたい?」

「だから魚……」

「だから魚やだって言ってるじゃん、何度も言わないでよ」

「じゃあ何度も聞かないでよ。大体、そういうのは俺じゃなくて宙に聞くべきだろ」


 奏多は宙を見下ろす。


「宙ー、今日の夕飯何食べたい?」


 宙は顔を上げ、兄によく似た満面の笑みを浮かべて答えた。


「おさかな!」


 奏多が沈黙し、李生が吹き出す。本当に魚が食べたいのか、それとも兄たちがその単語を連呼していたから言ってみただけなのか。とにかく、奏多はぐうの音も出せなくなってしまった。


「今日は魚で決まりだな、奏多?」

「……仕方ないなあ。煮魚でいいよね」


 ようやく奏多も腹を括り、魚屋を目指して足の向きを変えた。と、李生がすばやく手を伸ばして奏多の腕を掴み、くるりと反転させる。


「魚屋はこっちでしょ」

「そうだったね」


 けろっとして再び歩き出す奏多の背中を、李生は溜息交じりに追った。


 魚といえば煮るか焼くか。生で食べるという風習は玖暁の南の方でしかない。というのも、流通がなかなか不便で鮮魚など市場に届けられないのである。なので、魚の食仕方など限られてしまう。


「宙、どのお魚がいい?」

「うーんと、これ!」

「これ小骨が多くて面倒なんだよね」

「これは?」

「冷めると固くなるから、きっと宙は嫌になるよ」

「じゃあ、こっち?」

「美味しいんだけどちょっと値段が……ねぇ?」


 並べられた魚を見ながらことごとく弟の要望を却下していく奏多は、「値段が」と言いつつちらりと視線を上げた。ばっちり店主と目が合う。にっこりと微笑んだ奏多に息を詰まらせた店主は、頭をがりがりと掻いた。


「わ、分かった分かった、まけてやるよ……」

「ありがとうございます」


 無邪気な笑顔とともに飛び出す棘は思い切り店主の胸に突き刺さったようで、あっさりと店主は奏多に負けた。李生はそんな二人の様子を呆れながら後ろから見ている。


 十歳ほどの少年たちが市場で買い物をしていようと、物珍しそうな視線を向ける大人はいない。この神都では、割とよく見かける光景だからだ。子供だからといって甘やかされない、それが今のこの国の実情だった。子供たちがそれだけ苦労を強いられ、年齢に比べて精神的に少しばかり大人なのは環境のせいである。


 とはいえ、奏多と李生ほどしっかりしている者は、そうそういないであろう。特に奏多は昔から『お兄ちゃん』だった。親同士が家族ぐるみの付き合いをしていたこともあり、奏多は二歳年下の李生の面倒をよく見てくれた。そして今は、弟である宙の面倒も見ている。不真面目そうでいて、実際は頼りになる存在なのだ。


「よぉし、魚は入手。あとはおかず用に何か見繕ってー……」


 数匹の魚を買い込んで魚屋を後にした奏多は、宙と李生を引き連れてまた市街を歩き出す。節約節約と言っている割に、桐生家の食卓の品数はいつも多い。節約よりも食事の栄養バランスのほうが奏多の中では重要なのであろう。


 と、急に後方がわっと騒がしくなった。振り返ると、大勢の男たちがかなりの勢いでこちらへ歩いて来ていたのだ。昏い赤の装束に身を包んだ、物々しい集団だ。李生が眉をしかめる。


「特務師団だ……」


 特務師団は、青嵐騎士団とともに国の軍部の一翼を担う組織である。騎士団が戦争のために存在するのだとすれば、特務師団は治安維持および極秘任務のために存在する。そして二つの組織は対立関係にあり、騎士団に父親が属する奏多も李生も、特務師団の横暴な態度に好感は持っていなかった。


 彼らが神核エネルギーの人体注入などをはじめ、『王冠(クラウン)』という通称で呼ばれるようになるのは、もう少し先の話である。


「随分鬼気迫ってるねぇ、何かあったのかな」


 奏多はそう呟きつつ、宙の手を引いて道の脇へはけようとした。が、特務師団本当にかなり急いでいた。


「どけ、餓鬼ども!」


 先頭にいた男が思い切り奏多とぶつかる。その拍子に、奏多の手から宙の小さな手がするりと抜けた。奏多が真っ青になる。


「っ! 宙!」


 宙の姿は特務師団の隊列の向こうへ見えなくなってしまった。慌てて飛び出そうとする奏多を、李生が引き止める。特務師団は、邪魔をする者は自国の一般人でも斬り捨てることで有名だったのだ。治安維持を目的としている集団とは思えないほどである。


 特務師団によって視界が遮られてしまったのは、ほんの数十秒のことであった。しかし彼らが通り過ぎた後、宙の姿はどこにもなかったのだった。

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