駆け落ちの旅1
再生暦5020年5月
桐生宙――18歳
蛍――18歳
「宙、蛍、元気でね!」
「おう! 巴愛さんもお幸せにー!」
そんな賑やかな声が、美しい夜空の下に響いた。
時は再生暦五〇二〇年五月。この日は玖暁の兄皇・真澄と巴愛の婚礼の儀だった。
以前共に旅をした仲間として婚礼の儀に出席した、青嵐人の桐生宙と、彩鈴人の蛍。ふたりは披露宴も終了した夜半過ぎ、僅かな荷物を持って皇城を後にした。どこに行くかという当てはない。
ただ、逃げるだけだ。一年という期限付きで、ふたりで当てもなく各地を放浪するつもりだ。
皇の婚姻という嬉しい出来事の余韻冷めやらぬ皇都・照日乃の城下を、ふたりは並んで歩く。
「さあて、まずは今晩の宿でも探さないとなあ」
「……私は別に、野宿でもいいよ?」
「いやっ、しょっぱなからそれは俺が許せない」
宙が断固として首を振る。実をいうと、真澄が今日一晩の宿なら皇城を使えばいいと言ってくれたのだが、宙が固辞した。では城下の宿の一部屋を、とも提案されたが、それも首を振ったのだ。これからふたりだけで生活してまわるのだ。なるべく、自分の手で決めていきたかった。
そういう訳で手頃な宿を宙が見つけたのだが、生憎と一人部屋しか取れなかった。今日の婚礼の儀で民衆の前に出てくる真澄と巴愛を一目見ようと、各地から観光客が大量に訪れている。そんな中で部屋を確保できたのは奇跡にも等しいから、これはもうどうしようもない。宙は頭を掻き、ロビーで待っていた蛍にその旨を説明した。すると、蛍は微笑んだ。
「お金も勿体ないし、私は平気」
「ごめんな。俺はソファでも床でも寝られるから、蛍さえよければ良いんだ」
「え? なんでソファと床?」
そう質問され、宙はさらに気まずそうになる。
「いや……『一部屋』じゃなくて『一人部屋』なんだよ。ベッドがひとつしかないってこと」
「じゃ、一緒にベッド使えばいいんじゃない?」
無邪気にこんなことを言うのだから、たまらない。兄貴と同じくらい、この子は天然だ! 薄々分かっていたことだが、宙は改めてそう認識した。
宙は抵抗したのだが、残念ながら蛍の無邪気さには勝てなかったのだった。
ふたりは部屋に備え付けてあったシャワーを交代で使い、もう夜も遅い時間なので休むことになった。一度は承諾したものの、やはりなんだか気まずくなってしまった宙は『やっぱりこのソファに座るから』と申し出たのだが、先にベッドに潜り込んだ蛍が無言で自分の隣を叩くので、仕方なく覚悟を決めた。
「……うう。じゃあ、隣失礼するからな」
光の神核を消した宙もベッドの上にあがり、もぞもぞと毛布の中に潜り込んだ。ひとり用のベッドに二人で寝るのは多少窮屈だが、少々肌寒いこの日はむしろ暖かくて心地よかったり――。
『明日から、どこ行く?』
宙の口から飛び出したのは、この国の言語ではなく異国語だ。巴愛は「英語」と呼ぶ。こちらのほうが蛍は流暢に喋れるので、宙も彼女に合わせて完璧に習得していた。
『お任せ』
『お任せされても、俺もあんまりこの辺のこと詳しくないし……そうだな、とりあえず彩鈴に行こうか。事前に兄貴から旅券はもらってあるから、国境を越えるのは問題なしだ』
彩鈴という言葉を聞いた蛍の表情が、薄暗い中でも曇ったのが分かった。
『彩鈴、嫌か?』
『ううん、そうじゃないの。でも、黙って行方をくらまそうとしている私を、一族のみんなが見逃してくれるとは思えなくて……彩鈴国内にいたら、追いかけまわされるかも』
『そんなに守らなきゃいけない秘密でもあるのか』
『私たちは、存在自体が秘密だもの。彩鈴帝国の生き残りなんて、宙や真澄たち以外は誰も知らないわ』
宙は束の間沈黙した。それからおもむろに尋ねる。
『……帰りたい?』
それを聞いた蛍は、激しく首を振った。
『嫌。宙と一緒にいる』
『じゃあ、心配しないで。何があっても、必ず俺が守る。例え蛍の家族みたいな人たちでも、蛍を渡しはしない』
そう宣言すると、蛍はくすぐったそうに笑った。
『有難う。嬉しい』
宙も笑みを浮かべ、それから毛布を引き上げた。
『もう寝ようぜ。明日も早いんだしさ』
『うん。お休み、宙』
『ん』
宙は頷き、目を閉じた。――別に、疾しい気持ちはまったくない。
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翌朝、ふたりは宿で軽い朝食を摂った後、市場で数日分の食料を買い込んだ。そうして彼らは進路を西にとった。一路、玖暁=彩鈴国境の『大山脈』へ。
「この道、行きも通ってきた」
「黎さんたちと合流して、一緒に玖暁に来たんだったよな? まあ、彩鈴と玖暁を結ぶ道はここしかないから、通るのは当たり前だよ」
「そうなの?」
「ああ。この道は一直線に大山脈に繋がってるんだ。多分、兄皇さまたちが皇都を脱出したときも、この道を使ったはずだよ」
宙はのんびりと歩を進めながら説明する。というのも、相変わらず蛍が乗馬できないので、馬での旅は却下となったのだ。替えの馬もない状態なのに二人乗りするのは馬に負担がかかりすぎるし、金銭面の問題もある。
蛍は閉鎖された集落の中で生きてきたので、彩鈴人であるのに彩鈴の地形を驚くほど知らない。今回はそれらを知る旅でもある。宙の構想では、半年ほどで彩鈴、青嵐、玖暁と見て回り、玖暁の南から出ている船に乗って隣の大陸にでも、という予定だ。
「ところで蛍って、彩鈴のどこで生活してたんだ?」
ふと尋ねると、蛍は首を傾げた。
「西のほうにある、山の中」
「またざっくりとしてるねえ。とりあえず、西には行かないほうがいいか」
宙とて彩鈴の地形に詳しいわけではない。だが確かに彩鈴の西部には山脈地帯が広がっていたので、身を隠すには丁度いいのだろう。
「まずは国境の街、久遠だ。そのあとは大山脈を越えて、彩鈴の王都、依織に。それからは、気の向くまま行ってみよう」
大雑把な行動計画に、蛍は微笑んで頷いた。
玖暁の国境の街、久遠は、真澄らが彩鈴へ逃れるときに立ち寄った街である。馬ならば一日かそこらで到着できるが、徒歩の旅なので、宙と蛍が久遠に辿りついたのは皇都を出て二日目の夕方だった。
彩鈴との貿易で栄えた街、というのが久遠の特徴だ。だが一目見て、宙も蛍も異常に気付いた。街の中の何軒かの住宅や店舗から、煙が上がっているのである。あれは火事の煙だ。
「なんだ、何があったんだ!?」
宙が騒然とした市場の様子を見て眉をひそめる。その間に蛍は傍にいた男性を捕まえ、事情を尋ねる。と、男性は興奮したように説明した。
「賊だよ、十人くらいの賊の集団がいきなり襲ってきたんだ! 一暴れしたら、ぱっと出て行きやがった!」
「そいつら、どっちにいった?」
宙も尋ねると、男性は南を指差した。確か久遠の南には雑木林が広がっていたはずだ。
「宙、捕まえよう」
蛍がそう訴える。戦闘になると途端に好戦的になる蛍である。宙も放ってはおけない。宙は「騎士を」と言いかけ、この久遠が自治体による自治領であることを思い出した。玖暁西部の街は、常駐の騎士ではなく住民が組む自警団が街の防衛にあたっている。
「……分かった。おじさん、すぐ久遠の自警団が来るだろうから、その人たちと一緒に消火と人命救助にあたって。賊のほうは俺たちが追いかける」
「えっ!? でも、あんな強そうな奴らに、子供二人じゃ……!」
「まあまあ、そう言わないで。腕に自信がなかったら、こんなこと申し出ないって」
宙は朗らかに笑い、蛍に目配せして共に走り出した。
街を出て雑木林に入ると、すぐ蛍がそれらしい大人数の足跡を見つけた。宙は腰帯に佩いた刀に手を添え、慎重に足跡を追う。既に周囲は薄暗くなっているが、夜目が良いふたりには何の障害にもならない。
蛍が宙の着物の裾をくいっと引っ張った。彼女が注意を促した先には、小さな光が見えた。その光は林の奥へ奥へと移動していく。
宙は左手方向を指差した。頷いた蛍が、そっと散開する。宙は抜刀の構えをとりつつ、駆け出した。
十人ほどの賊たちは、一列になって森の奥へ進んでいた。夜目はたいして利かないのか、先頭の男が持つ光の神核だけが頼りで、危なっかしい足取りだ。
そんな列に、横合いの暗がりから人影が飛び出した。右からは刀、左からは拳が飛んできて、挟撃された賊が悲鳴を上げる。混乱は恐怖を呼び、人から人へそれは伝染する。襲ってきたのがたったふたり、しかも少年と少女であることに気付けぬまま、賊たちは刀の峰で昏倒させられ、顎を蹴りあげられて吹き飛ばされる。
数十秒で賊を叩きのめした宙が、落ちていた光の神核を点灯させた。そして男たちを照らしてみて、大きく目を見張る。
「……! こいつら、青嵐騎士か……!」
薄汚れてぼろぼろだったが、賊の着ている服は確かに青嵐騎士の着物だった。蛍は手についた埃をほらっていたが、宙の言葉を聞いて不思議そうな顔をする。
「どうしてこんなところに、青嵐騎士が?」
「それは……」
宙が説明しようとしたとき、彼の後方から眩い光が当てられた。思わず目を細めた宙が振り返ると、そこには多数の人間がいた。目を凝らしてみて、その一団の先頭にいる人間に気付く。
「うわっ、黎さん!?」
「やはり、お前たちか」
彩鈴騎士団の団長、時宮黎が、困ったような表情でそう呟く。
「十七、八の少年少女が賊を追いかけて行ったと聞いて、まさかとは思っていたが。まあ、心配は無用だったようだな」
「ご、ごめん、心配かけちゃったのか」
黎はゆるゆると首を振り、宙たちが伸した青嵐騎士の傍に膝をつく。
「……青嵐騎士か。玖暁軍の追撃を逃れたはいいが国に戻れず、夜盗に身を落とした、と言ったところだな」
「――なあ、黎さん? これ、管理不足とかで国際問題になるかな……?」
不安げに尋ねる。現在の崩壊状態の青嵐の代表者は奏多だ。もし青嵐が責任を負うことになったら、それは奏多の罪である。だが黎は微笑んだ。
「兄皇陛下が、そんなことをすると思うか?」
「……いや。そうだよな、兄皇さまだもんな」
「そういうことだな」
黎は部下の騎士たちに、青嵐騎士たちの捕縛を命じた。宙として少々ばつが悪い部分がある。つい数日前に皇都で別れたはずの黎に、まさかこんな早く再会することになってしまうとは。黎を含め、国王である狼雅、そして妹の奈織は彩鈴へ帰る途中だろう。帰る道がひとつしかない限り、徒歩の宙と蛍が馬に乗っている黎たちに追いつかれてしまうのは当然だった。黎たちも久遠の街の惨状を見て、解決のために動いてくれたのだ。
「とにかく、お手柄だったな、宙、蛍。皇都への連絡や事後処理は久遠の自警団と私たちに任せて、ふたりは休ませてもらうと良い」
滅多にもらえないお褒めの言葉に宙は微笑し、次いでまだ子ども扱いされていることに気付いて消沈したが、それは表情には出さない。国家に属さない流浪の旅人である自分にできることなど、限られているのだ。
「うん、そうさせてもらう。蛍、行こう」
蛍は頷き、宙と共に歩き出した。
街に戻ると、待機していた奈織や狼雅とも再会を果たした。この後どうするのかと問われ、彩鈴の王都に行くと告げると『なら一緒に行くか?』と狼雅が提案してくれた。有難かったが、それは拒否した。蛍も実をいうと大人数の旅が得意ではなかったので、周りを騎士に囲まれて隊列を組むというのは遠慮したかったのだ。
賊騒ぎは収まり、久遠の街は夜の静寂を取り戻しつつあった。賊を討伐してくれた宙と蛍に礼をしたいと、街の代表らしき宿屋の主人が部屋を貸してくれた。なんでも真澄らが彩鈴へ逃れる際に使った、有難い部屋だとか。残念ながら毎日真澄らとは寝食を共にしていたので、「へえ、そうなんだ」程度の感動しかなかったが。
今夜はちゃんとベッドがふたつあり、ふたりはそれぞれベッドに潜り込んだ。宙は頭の後ろで腕を組みつつ、ぽつりと呟く。
「……もっと大人にならなきゃな」
その呟きが聞こえたらしい蛍が、僅かに顔をこちらに向ける。
「今のままでも、宙は頼りになるよ」
「――有難う、蛍」
宙は笑みを浮かべる。そして目を閉じながら思う。
――でも、それに甘んじちゃ駄目なんだ。黎さんや瑛士さん、兄皇さまや弟皇さまと、肩を並べられるくらい強くならなければ――。




