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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
彩鈴―――険しき山脈の国
31/43

儚き明日5

再生暦5013年8月

 そんなことがあってからも、黎と鞍井の槍術鍛錬は続いた。今ではもう鞍井と槍を打ちかわしても、三試合に一回は勝利できるようになっていた。部隊での訓練も勿論そつなくこなし、栖漸砦に配属されてから三か月ほどで、黎に向かって「貧民が」などと白い目を向ける者はいなくなっていた。それだけ黎の実力が認められたということだ。


 その日も屋外演習に打ち込んでいた黎だったが、急にけたたましいサイレンが鳴った。初めてのことにびくりとした黎が空を見上げると、サイレンに代わって騎士の声が聞こえてきた。


『索敵部隊より報告。一時の方角、青嵐軍の国境侵犯を確認。全戦闘員は至急戦闘用意』


 それを聞いて、訓練をしていた騎士たちが一斉に準備に取り掛かった。あまりに突然のことに一瞬呆然としていた黎だが、「ぼさっとするな、新人!」と先輩騎士に背中を叩かれ、慌ただしく行動を開始した。いつもどこかのどかだと思ってしまう、黎にとっても居心地がいいと思えるようになってきたこの栖漸砦が、一瞬にして緊張した。だが、みな緊張はしていても動揺はしていなかった。彩鈴を最前線で守る騎士であるという自負があるからこその落ち着きだろう。


 戦闘用意と指示されたが、彩鈴と青嵐の国境は深い森林地帯である。乗馬して戦うのは無理があるし、大勢の仲間と連携をとるのも難しい。だからここでは実力がものをいうのだ。騎士も歩兵も変わらず、地に足をつけて出撃する。作戦よりも個人の武勇が勝敗を分ける。そのため、鞍井も歩兵として武勲を上げることができたのだ。


 その条件は敵も同じだ。少人数に分かれながら、砦に近寄ろうとしているはずだ。黎たちに課せられた任務は、敵を探し出して完全に追討することである。


 これが初陣である黎は、先輩騎士の来須(くるす)とふたりで行動するように指令が出た。来須とは同じ部隊でいつもともに訓練しており、組手でも組むことが多かったため、互いの力量は知っている。きっと、互いに背を預けるに値すると思っているだろう。


「よし時宮、ついてこいよ」


 来須が笑みとともに刀を抜く。黎も頷いて抜刀した。


「はい」


 黎は来須の後を追い、木々の間を縫うように駆け抜けた。


 背後にそびえる栖漸砦から、小規模な神核術が飛来する。城壁から神核術士が敵を狙撃しているのだ。だがあまり派手にやれば、一瞬でこの森は燃え上がってしまうだろう。加減がなかなか難しいところで、だからこそ騎士たちの働きが重要になってくる。


 何度も訓練をしたから、森の移動の仕方に問題はない。最低限かつなるべく音を立てずに走り抜ける。と、前を行く来須が無言で左へ手を向けた。それは「散開」の合図だ。黎も無言のままそれに従い、距離を置いて来須と並走する形をとる。


 来須が地面を蹴り、飛び掛かった。そこには、木の陰に騎士が隠れていたのだ。わっと声をあげた青嵐騎士が後方に飛びのこうとした瞬間、背後に回り込んでいた黎が刀を振り上げた。背中を斬りあげられた青嵐騎士が、血しぶきをあげて地面に沈む。来須はどうやら、黎が武勲を立てるために御膳立てしてくれたらしい。


「いいぜぇ、時宮! その調子だ!」


 陽気に来須が笑顔を向ける。それに頷きつつ、黎は思う。


 まだ黎たちは砦からそれほど離れていない。こんな地点に敵がいるなんて、近づかれすぎではなかろうか? 来須は何も言わない。これが普通なのだろうか。


 黎は雑念を振り払い、先輩騎士の後を追った。一騎士に過ぎない自分は、与えられた命令を果たす以外にやるべきことはないのである。


 その後も黎は来須とともに、足場の悪いこの森の中を縦横無尽に駆け回り、敵を斬って捨てた。待ち伏せし、奇襲し、というゲリラ的な戦法を繰り返すため、もう騎士も歩兵も関係ない状態だ。そうやって幾人もの敵を退けて、来須はやや移動速度を落とした。


「だいぶ人数が多いな。これはただの索敵などではないのかもしれない……」


 その独り言に黎は沈黙を返す。答えは求められていないような気がしたのだ。


 その時、草をかき分けるような音がした。はっとして黎は足を止める。どっちの方角からだ? 気配を探っていた時間はそれほど長いものではなかったが、敵が黎に肉薄するには十分すぎる時間だった。


「! 後ろ――っ」

「時宮、伏せろっ!」


 黎が振り返るのと、来須が飛び掛かったのは同時だった。来須に押し倒された黎は地面に倒れたが、受け身をとって跳ね起きる。


 来須の刀が、黎を背後から襲おうとした青嵐騎士を斬り捨てた。敵が倒れると、引きずられるように来須も地面に膝をついた。駆け寄って来須を抱きかかえると、肩口から背にかけて深い袈裟斬りの傷があった。


「来須さんっ……すみません、私を庇って……!」

「これくらい、どうってことはねえよ。だが、さすがに戦闘の継続は無理かもしれんな……時宮、悪いが退くぞ」


 黎は頷き、来須に肩を貸して立ち上がる。確かに彼の傷は命に関わるようなものではないが、治療をしなければ刀を振るうのは無理だ。一度砦に戻り、処置を受けさせなければならない。


 だが、そう簡単にはいかなかった。前方から多数の敵が迫ってきたのである。来須が力なく笑い声を漏らす。


「今まで集団戦を仕掛けていたのはこっちなのに、一気に形勢逆転だな……時宮、お前は砦へ戻れ。お前の足なら、奴らに追いつかれずに帰れるだろう?」

「貴方を置いてはいけません」

「馬鹿、このままじゃふたりとも死ぬぞ!?」


 黎は来須の言葉を無視し、彼を木の陰に下ろした。黎を止めようとした来須だが、傷のせいで動きが取れない。黎は刀を握り直した。


「少しは、私の腕を信用してください」


 その言葉とともに、黎は軽やかに駆け出す。黎は真正面から敵を迎え撃った。最初に斬りかかってきた青嵐騎士の斬撃を、ひょいと跳躍してかわす。そして刀を振り下ろし、敵を一人撃破した。二人目、三人目と動きを止めることなく黎は打ち倒した。先輩騎士も目を見張る実力だ。まるでステップを踏んでいるかのように軽やかだ。


 が、四人目を斬ったところで、別の敵が動けない来須に迫っていることに黎は気付いた。来須は利き手ではない左手で刀を掴み、危なっかしく構えている。あれでは敵の攻撃の的にしてくださいと言っているようなものだ。


 黎は斬撃をかわすと、もっていた刀を思い切り投じた。唸りを生じて飛んだ刀は、来須に襲いかかろうとした敵の足を貫いた。悲鳴を上げて騎士が倒れ、すかさず来須がとどめを刺す。


 素手になってしまった黎だったが、彼は何ら焦っていなかった。彼が目をつけていたのは、敵歩兵と思われる男が持っている槍だ。刀を手放したことでむしろ身軽になった黎は、その歩兵騎士の懐に潜り込む。膝を跳ね上げ、槍を持つ右手をしたたかに打つと、呆気なくその手から槍が離れた。空中に飛び上がった槍を掴んだ黎は、その勢いを利用して大きく槍を振り払った。大振りなその一撃で、まとめて二人が切り裂かれる。


「こんな狭い場所で槍を振り回すなよ……!」


 来須がひやひやしながら呟く。森の中で槍を振り回すなど言語道断だ。本来槍は突くものであって、黎のように切り払う用途はないはずだ。振り回したりしたら、木に突き刺さったりしてかなり戦いにくいのだ。だが黎はふっと笑みを浮かべる。


「心配、ご無用……!」


 不敵に言った通り、黎は槍の扱いが巧みだった。木に槍先をぶつけるでもなく、器用に敵を薙ぎ払った。一対一だったら黎が不利だっただろうが、こうしてまとめて数人がかかってきたときには槍が重宝される。黎はあっという間に敵を殲滅した。


 槍を下ろした黎は、来須のもとへ駆け戻る。来須は肩をすくめた。


「……ほんと、大した奴だよ」


 黎は来須に手を貸した。来須が立ち上がろうとしたとき、彼の顔色が変わった。


「! 時宮、まだいるぞ!」

「!?」


 来須は自ら黎の手を振り払う。黎は背後に迫りくる敵意を察し、振り向きざまに槍を振るった。確かな手ごたえ。だが斬ったはずの人間はそこにいない。


 どこにいった。黎があたりの気配を探ると、傍にあった大木から人影が飛び降りてきた。それは紛れもなく、青嵐騎士だ。影も見えぬほど神速の勢いで黎に肉薄したその騎士は、黎に打ち払われた勢いを使ってあの木の上まで跳躍したのだろうか。


 歳はまだ若い。黎より一つ二つ若いといったところだろうか。すらりと背が高く、戦地にいるというのにその顔に焦りや闘気といったものは欠片もない。


 普通の青嵐騎士とは何か違う。黎は直感的にそれを感じ取った。来須が声を低める。


「気をつけろ……」


 黎は小さく頷き、槍を手に移動を始めた。応じて、青嵐騎士もゆっくりと弧を描くように歩く。その手には刀があった。


 黎が間合いを計り、飛び掛かろうとした。攻撃態勢を整えたのは黎が明らかに先だったが、実際に攻撃に移ったのは敵のほうが早かった。


「! くっ」


 一瞬で懐に潜り込まれた黎は、苦し紛れに槍を振るう。敵はその攻撃を刀で受け止め、重い一撃を叩きこんでくる。やはり、手ごたえが違う。この騎士は、強い。


 だがこの騎士の神速の動き、構え、斬撃の癖には見覚えがあった。それは以前、黎が青嵐に潜入していた時。騎士団で一部の人間が使っている剣術の流派がこれと同じだった。もう廃れた流派だと言っていたが、確かに黎はこの流派を見たことがある。


青嵐(せいらん)武技(ぶぎ)瞬刃(しゅんじん)(りゅう)』だ。敵の懐に一瞬で潜り込み、相手に気付かれるより前に確実に殺す、そんな神速の流派。


 膂力では黎が勝っていた。まともにぶつかった槍と刀だが、黎が押し切った。相手の刀が真っ二つに叩き折られる。よろめいた騎士に追撃したが、敵は後方に一転して斬撃を避けてしまう。さあどうする、と身構えた瞬間、なんと敵は逃げるでもなく黎に突進してきた。


(何を狙っている!?)


 黎は戸惑った。そして本能のうちに敵の動きを避ける。そして悟った。敵は、黎の膝を狙っていた。


「関節か。時宮、気をつけろ! そいつはお前の手足を叩き折ろうとしているぞ!」


 来須がそう警告の声を発する。膝を折られてしまえば黎は成すすべがない。例え生き残れたとしても、膝が壊れては一生立てない可能性も出てくる。


 恐ろしい男だ。


 黎が槍を一閃する。敵は上半身を反らせてそれを避けたが、避けきれなかったのか、その頬に一筋血が伝った。だが、やはり敵は表情を変えない。


 もう一度――黎がそう体重を前にかけた瞬間、敵の動きが止まった。


桐生(きりゅう)


 そんな声が聞こえた。来須でも、敵でもない。新手の青嵐騎士だった。黎が身構えたが、その新手も若い騎士も、攻撃はしてこない。


王冠(クラウン)の戦況が芳しくない。こっちに移ってくれ」


 その言葉で、敵騎士は闘気を収めた。そして黎を振り返る。


 彼はにっこりと、笑みを浮かべた。まるで悪意などないというような、涼しげな笑みだ。


「……また、いずれ」


 それが初めて聞いた、この恐ろしい敵の声だった。


 ふたりの青嵐騎士はその場を去った。黎はしばらくその場に立ち尽くす。そして、記憶の中からある言葉を思い出す。


 桐生。


「……確か、青嵐騎士団の団長の名が、桐生……」


 彼はその縁者だろうか?


 だがもうひとつ、聞き逃せない単語があった。来須が痛みすら忘れて立ち上がる。


「時宮! あいつ、いま王冠と言ったな……!?」

「はい、私も聞きました……」

「まずいぞ、奴らの狙いは戦力の分散だったのか! だとしたら、狙いは鞍井隊長か……!」


 栖漸砦の防衛部隊の司令塔である鞍井。彼を倒せばこの部隊は弱体化するし、砦は陥落してしまうかもしれない。敵はそれを狙っていたのだ。しかし、まさか青嵐の最精鋭である王冠を投入するとは。


 ――鞍井に勝ち目はあるのか? それを考えると、ひゅうっとあたりの気温が下がったかのように、黎の身体に震えが奔る。


「砦はもう目の前だから、俺はひとりで戻れる。時宮、お前は鞍井部隊長と合流してくれ!」

「分かりました。お気をつけて……!」


 黎は頷き、槍を手に身を翻した。


 その頃鞍井は、昏い赤の着物を着た強敵と戦っていた。青嵐の最精鋭部隊、王冠だ。王冠ひとりによって、鞍井の護衛として傍にいた味方は一人残らず倒され、いまだに立っているのは鞍井だけになっている。だが青嵐側の被害も尋常ではなかった。同じように王冠が率いていた騎士の部隊も、鞍井によって壊滅させられたのだ。


「しぶとい、奴めっ……!」


 王冠がそう喘ぎつつ、刀を振るう。鞍井は無言でそれを受け止め、受け流す。森での戦いは明らかに鞍井に分があった。王冠の攻撃力は凄まじいが、当たらなければ意味がない。この冷静な槍使いは、周囲にある木を最大限に利用して敵の攻撃をかわし、相手を疲労させていたのだ。体力が常人の倍近くある王冠でも、これではひとたまりもない。


 王冠の足がもつれる。すかさず鞍井は、槍を突きだした。その槍は王冠の肩を貫き、穂先は背中側にまで突き抜けた。王冠はぎゃっと悲鳴を上げて地面に倒れる。


 王冠は自己回復能力も化け物並みだ。とどめをささなければ、すぐに立ち上がってしまう。鞍井が槍を持ちなおして一歩踏み出た瞬間、何かが神速の速さで飛び出してきた。


「! 何っ!?」


 何が何だかわからぬうちに、鞍井は地面に押し倒されていた。したたかに背を叩きつけられ、苦痛に喘ぐ。だが身体はびくとも動かない。自分の上に、若い青嵐騎士が跨っていたのだ。その騎士は鞍井の右肩に掌を置き、ぐっと力を込める。


 その一撃で、鞍井の右肩の骨が砕けた。あまりの激痛に、鞍井の意識が一瞬で飛びそうになる。この一連の動作はすべて流れるように行われた。なんという体術だろうか。


「貴様っ!」


 そこへ黎が駆けつけてきた。鞍井を押さえつけている、桐生と呼ばれた青嵐騎士に向けて槍を突きだす。桐生はひらりとそれを避け、倒れたままの王冠の傍に着地する。そして軽々と王冠を背負うと、一目散に退散してしまった。あとを追いたいところだったが、今はそれどころではない。黎は槍を放り出すようにして、鞍井の傍に膝をついた。


「部隊長! 大丈夫ですか!?」

「ああ、時宮……右肩を完全に壊されたが、それ以外は平気だ」


 鞍井の表情は険しい。常人離れした王冠を打ち負かすほどの力量を持つ鞍井でも、あの青嵐騎士の速さには敵わなかったのだ。


「……あの怪我では、王冠と言えどもすぐには回復できないだろう。敵は退けた、我々の勝利だ」


 鞍井が立ち上がり、それを黎が支える。鞍井は黎に笑みを向けた。


「有難う。初陣としては強い相手揃いだったが、君の働きに感謝するよ」


 こうして、黎の騎士としての初陣は幕を下ろした――。

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