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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
彩鈴―――険しき山脈の国
30/43

儚き明日4

再生暦5013年4月

 黎は予定通りに王都を出発し、彩鈴の東北部にある栖漸砦に向かった。栖漸砦は青嵐との国境に位置しており、以前から紛争が絶えない。ここに常駐している部隊こそが、彩鈴で唯一戦力たりえる実力を持っていると思われる。


 常住部隊の指揮官は、鞍井(くらい)(はじめ)という四十代の騎士だった。新人の黎を快く歓迎してくれて、黎にとってかなりの好印象だった。


「君が時宮か。話は王都のほうからよく聞いていたよ。これからよろしく頼む」


 王都のほうから流れてくる「話」には、勿論よくない噂も交じっているだろう。王太子に取り入っているだの、貧民だの、酷い言われようだということは黎も承知している。それでも屈託なく接してくれる鞍井に、黎は感謝した。


 黎は早速騎士部隊に配属され、訓練に参加することになった。王都で受けていた訓練とはまるで異なる実戦レベルの訓練に、黎は衝撃を受けた。体力には自信があるほうなのだが、黎でもついて行くのがやっとなのだ。


 それでも辛抱して刀を振るっているところを鞍井が目撃し、黎に歩み寄ってこう言った。


「時宮、君は割と大振りな攻撃が多いようだな」

「……そうですね。それは昔から指摘されていましたが、癖でなかなか直らず……」

「ふむ……」


 腕を組んだ鞍井は、おもむろに告げた。


「その癖を活かして、槍を使ってみないか」

「槍……?」

「ああ。実は、私は槍術師範も務めていてな。だがなかなかそれを学びたいと思う者はいない。どうだろう、君が私の技を継いでくれたら、私としてもとても嬉しいのだが」


 にっこりと笑った鞍井に、黎は無言で瞬きをした。騎士団に所属している者のなかで、槍術を扱う騎士などそういない。というより、黎は見たことがない。


 そもそも槍は、騎士ではなく歩兵が扱う代物だった。馬に乗らず圧倒的に不利な立場にある歩兵は、槍を低い姿勢から繰り出すことで馬の肢を突き、落馬させることを目的に槍を使う。戦闘から長いこと遠ざかりつつある彩鈴では、その槍術をひとつの武芸として扱う者もいる。鞍井がそうなのだ。


 鞍井の表情を見れば、それが純粋なる好意だということは一目瞭然だ。この穏やかで優しい上官が目をかけてくれる――要するに、黎を敵に回す者は鞍井始を敵に回す。


 何より槍とは――面白いではないか。


 黎は姿勢を正し、鞍井に頭を下げた。


「……ご教授、お願いいたします」


 そうして黎は、槍を学び始めたのだ。槍を扱うには相当な腕力が必要で、その点では黎は槍を扱う素質があった。下半身の筋力がある黎は槍を振るう際の体幹も安定し、きわめて正確に槍を使えたのだ。鞍井も目を見張るほどだ。


 槍と言っても、黎や鞍井が扱う槍は厳密には「(ほこ)」という。刺突に重きを置いた槍の前身ともいえる矛には、諸刃の剣状の穂先がついていた。そのために突くだけでなく、斬ることも薙ぐこともできるのだ。大人数を相手取っても、まとめて打ち払うことができる。皆に思われているほど繊細ではなく、どちらかといえば大雑把な黎にはまことに好都合な武器だった。


「君は本当に筋が良い。たいしたものだ」

「有難う御座います」


 黎が鞍井の言葉に笑みを浮かべ、頭を下げる。二週間ほど欠かさずに鍛錬を積む間に、黎と鞍井はそれなりに親しくなっていた。


「鞍井部隊長は、なぜ槍をお使いになるのですか?」


 そう尋ねると、鞍井はくるくると手の中で槍を回転させながら答えた。


「元々私は、歩兵の出でな」

「! そうだったのですか」

「ああ。そこから騎士団に推薦され、部隊長にのし上がり、この砦の常住指揮官を任された。だけど、やはり歩兵時代に使い慣れた槍は手放すことができなくてね。馬上からでも扱えるような槍術を学んできたのだ」


 どこの国でも、歩兵とは軍隊において最下級の役職だ。志願すればすぐ採用されるし、国によっては徴兵されるところもあるだろう。彩鈴は前者だが、鞍井はその最下級の役職から、実力でのし上がった叩き上げの武人なのだ。それを思うと、この上官がどれだけの武芸の使い手なのかが分かる。


 と、そこで黎の頭にピンとくるものがあった。


「……もしかして部隊長、私を鍛えろと王太子殿下にでも指示されたのですか?」

「どうしてそうだと?」

「普通に考えて、部隊長ともあろう御方が一騎士に過ぎない私に武芸を教えるなど、少しおかしいと思っただけです」


 鞍井はくつくつと笑った。年齢の割に若く見える鞍井だが、笑うとさらに童顔に見える。そしてその笑みが、黎の言葉が真実であるという証拠だ。


「参ったな。これほど早く見抜かれてしまうとは」

「いえ、誰だっておかしいと思うと思うのですが」


 そう反論してみるが、かくいう黎も初めて鞍井に声をかけられたときに少し嬉しくなってしまっていたので、偉そうなことは言えない。「上官に声をかけてもらえた」ということは部下にとって光栄なことである。黎も例外ではなかったが、いざ冷静になってみるとおかしいことに気付くのだ。


「確かに君の言うとおり、私は騎士団長を経由して殿下からその指示を受けた。というのも、私も殿下の理想に賛同するひとりでね」

「諜報制度をなくしたい、と……?」

「ああ。更に言えば、君が五年近く前、殿下を殺そうと斬りかかってきたときに……殿下の護衛を務めていたひとりが、私だった」

「なっ……!?」


 黎の表情からさっと血の気が引いた。あの時狼雅の護衛は五人ほどいた。一瞬だったのでよく覚えていないが、黎を斬ったのは鞍井の顔ではなかったと思う。


「君を斬ったのは私ではない。だがどうか、許してくれ」


 鞍井がその言葉と同時に軽く頭を下げてきたので、黎は慌てて首を振った。


「い、いえ……あの時は斬り捨てられて当然でした。ですから、謝罪など」

「私の気が収まらんのだ。……左目の調子は?」

「今のところは問題がありません」

「そうか、ならいいのだが……」


 ほっとしたように肩の力を抜いた鞍井は、ちらりと時刻を確認する。もうすぐ日が暮れる。強い西日に、黎は目を細めた。


「――今日の鍛錬はここまでにしよう。ところで時宮、この後何か予定は?」

「特には」

「では共に夕食でもどうだ? そこでゆっくり話そうじゃないか」


 その申し出には驚いたが、黎にとっては初めて出会った同志だ。喜んで同行することにした。


 栖漸砦はそれほど大きな規模ではなく、一騎士であっても隊長位であっても、例外なく同じ食堂を使用することになっている。鞍井と黎はその食堂の奥まったところを陣取った。明らかに訳ありの密会のような様相なので、他の騎士たちは遠慮して離れた席に座っている。


「酒は飲めるか?」


 鞍井はそう言いながら、ワインのボトルを持ち上げた。黎は曖昧な表情をする。


「分かりません」

「飲んだことはないのか」

「酒を飲むなんて贅沢なことをする勇気はなくて」


 貧民街の住人にとって酒は超高級品だ。貧民はどうやっても酒など買えないし、そんなものを買うくらいなら食料や毛布を買ったほうがはるかに効率的だ。そういう事情があり、貧民街で酒を飲んだことがある者など一握りもいないだろう。


 市民街の居住権を得た黎だったが、十八歳になって成人を過ぎても、どうしても酒に手を出すことはできなかったのだ。


「では、君と初めて酒を酌み交わす栄誉は私が得られるということだな」


 楽しそうに笑い、鞍井は黎の分のグラスにワインを注ぐ。黎は内心気が乗らなかったのだが、仕方なくグラスを手に取った。


 一口飲んでみて、黎は怪訝そうな顔をする。


「どうかな?」

「……これが美味しいのかどうか、よく分かりません」

「はは、まあ最初はそんなものだろう」


 鞍井は微笑み、ふと遠い目をする。


「……もう、五年も前か」

「……部隊長は、歩兵として武功をお立てになったから騎士団に推薦されたようですが。つまりずっとこの栖漸砦に配属されていたということでしょうか」

「ああ、そうだよ。人生の半分くらいは、ここで過ごしているんじゃないかな。私にとっては家も同然だな」


 鞍井はやっとワインのグラスを置き、食事に手を付け始める。


「君と王都で会ったのは、その時丁度騎士の叙任を受けるために依織へ行っていたからだ。そこで久々に殿下にお目通りをした」

「そんな前から、殿下の同志に?」

「君より一年か二年早いといったところだ。殿下が栖漸砦に視察に来たとき、声をかけられた。私は情報部に所属していた弟を、青嵐で亡くしていたから……取り込みやすいと思われたんだろう」


 さらりと明かされた事情に、しかし黎は無言を貫いた。言葉を挟んではいけないと思ったのだ。


「国を変えるにあたって私が指示されたのは、時宮と同じだ。騎士団を使いものになるようにしろ、ってね。……殿下は本当に水面下で巧妙に手を回しておられる。確実に自分の考えをじわじわと広めている。末恐ろしい人だと思うよ」

「それは同感です」

「はっきり言うね。……でもだからこそ、殿下を殺そうとした君を、なぜ殿下自身が助命なさるのかが私には分からなかった。だが、最近はなんとなく分かってきたような気がするんだ」


 黎は目を見張る。「なぜ狼雅は自分を助けたのか」。それは今でも最大の謎だ。狼雅に聞いてもはぐらかされるし、何を期待されているのかも正直分からない。それをこの部隊長は知っているのだろうか。


「その、理由は?」

「純粋に、君を助けたかったんじゃないのかな」

「……は?」


 その言葉に、思わず黎は素っ頓狂に問い返してしまった。鞍井はフォークを指先でくるくると回す。――どうやらこの人は、棒状のものはなんでも回したくなってしまう人らしい。


「君の身なりから、君が貧民街の住人であることは一目瞭然だった。しかも殿下にとって年下。貧民街というのは、彩鈴政府や貴族にとっての負の遺産だ。そんなところで生きている君を、殿下はきっと見捨てられなかったんだ」

「ちょっ……そんなわけがないです。あんな男に限って、そんな情が働くなど」


 思わず「あんな男」と言ってしまったが、鞍井は諭すように微笑んだ。


「君もきっと分かるよ。樹狼雅という王太子はとんでもなくずる賢く、打算的で損得勘定で動く人間だが、ひょんなところで何の裏もない良心が働いてしまう。そして弱いものには、とことん優しい」

「……」

「殿下は以前から貧民街の現状をなんとかしようとしていた。だが国王陛下や貴族らの圧力もあり、表だって動くことはできなかったんだ。そこへ君が現れた。君の存在が、殿下の理想により現実味を持たせた」

「現実味、ですか」

「すべての人が等しく生きる、という理想だ。君に騎士になれだのなんだのと言ったのは、建前みたいなものだろう。殿下は本当に、君を実の弟のように可愛がっているよ」


 黎は居心地が悪くなった。狼雅がとんでもなく狡猾な人間であることも、たまにお人よしなくらい優しいということも、黎は知っている。が、だからと言ってそれをこうも大々的に話されてしまうと、黎はなんと答えていいのか分からなくなるのだ。


「ま、そんな風に君を大事に思うあまり、強権を発動して私に君の指導をしろと言ってきたんだろうけど」

「……そ、その話はもういいです!」

「ん、そうか?」

「鞍井部隊長が私に槍の指導をしてくださるのは、殿下の指示だったということで納得しましたから」

「ああ、そういう風に受け取ってしまったのか。すまない、勿論殿下の指示でもあったが、それだけで私は君に槍を教えようとは思わなかったよ」

「他に理由が?」


 鞍井はにっこりと微笑む。この手の笑みは駄目だ、と黎の直感が警告する。どうせろくでもないことしか言わない、聞いたら後悔する、と。


「君が殿下を襲撃したときの、あの心臓を狙った突き! あれは素晴らしかった、きっと槍を扱う才能がある、とそう思ったんだ」

「つ、突き……?」


 思った通り、黎は脱力した。まさかそんなところで評価されるとは。すると面白がっていただけの鞍井の声音が変わった。


「……時宮。貧民街での暮らしを、私に教えてはくれないか?」

「え?」


 黎は脱力した身体を元に戻す。


「……初めてです、そんなことに興味を持つ人は。殿下でさえ、詳しく聞いてはこなかった」

「辛かったことを無理に聞かないというのも、ひとつの思いやりだろう。だが私は、想いというのは口に出して初めて軽くなると思っている。君が王太子殺害を決断するくらいまで追い詰められた、その当時の暮らし……私に話してみてはくれないか。そうすることで、君の苦しみを少しでも知って、その辛さを未来へ活かすための手伝いをしたい」


 黎と向き合うその真摯な言葉に、黎は目を閉じた。この人になら、打ち明けてもいいのかもしれないと思うのだ。


「分かりました。ただし条件が」

「なんだ?」

「私だけが楽しくもない思い出を語るのは、いささか不公平です。是非部隊長の苦労話もお聞きしたいのです。貴方の理論をお返しするなら、私にも部隊長の重さを分けていただくべきということですね?」

「成程、ごもっともだ」


 鞍井は苦く笑い、黎の提案を受け入れた。


 そして黎は話し始めた。幼いころからどうやって生活してきたのか、両親が亡くなってからはどうしていたのか。それらを語りつくすと、今度は鞍井が話を始めた。聞いてみれば、鞍井も貧しい生活を強いられていたということが分かった。貧民街ではないが市民街の最底辺で生活し、金を稼ぐために幼くして歩兵部隊に志願したのだという。そして、やがて歳の離れた弟はもっと稼ぎの良い情報部に入り、青嵐へ諜報へ行って殺された。何かと共通点の多い悲惨な少年時代に、ふたりは一気に意気投合した。


 これほど一気に話したのは初めてだ。一生分話したような気もする。


 どうやら酒には強い体質だったらしい黎は、結局酔いもせず、鞍井とともに夜更けまで語り明かしたのだった。

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