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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
彩鈴―――険しき山脈の国
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儚き明日2

再生暦5008年9月

再生暦5012年4月

時宮黎――20歳

時宮奈織――11歳

 一度腹を括ってしまえば、黎の学習能力は驚異的なものだった。文字の読み書きはほんの二日で習得し、狼雅が山のように積み上げた書物を上から順に読破していったのだ。一週間ほどして再び狼雅が黎の部屋を訪れたときも、黎は本を読みふけっていた。


「熱心だな、黎」


 そう声をかけると、黎は気だるげな視線を向ける。


「あんたが仕組んだんだろ」

「何を?」

「ここにある本は兵学や法律、歴史、地理、そんなものばかりだ。俺を騎士にさせる準備は着々と整えているわけだな?」

「人聞きが悪いなあ。知っていなきゃ恥ずかしい常識、ってもんだ。それとも、恋愛小説や推理小説のほうが良かったのか? お前がそういう本で楽しむ姿が想像できないんだが」


 黎は憮然として書物に視線を戻す。狼雅は苦笑する。


「そうむくれるな、悪かったよ。確かにそいつは騎士として身につけておくべき教養の類だ。お前を騎士にするために読ませていることに間違いはない」

「……なんで騎士なんだ?」


 黎が疑問を口にする。この彩鈴は、諜報を行う情報部の勢力が圧倒的に強い。騎士団という組織はあるにはあるが、中立国である彩鈴に本来軍隊は必要ないものである。騎士団の権威は、情報部に遠く及ばず蚊帳の外なのだ。そんな不利な勢力に、なぜ黎を入団させようとするのだろうか。


 答えはあっさりと返ってきた。


「俺が狙っているのは、諜報制度の『改正』じゃない。『撤廃』だ。改正のためなら情報部に入ったほうがやりやすいかもしれないが、叩き潰すには対抗勢力からでないと難しい。だから俺がお前に求めているのは、お前が騎士としてのし上がってくれることなんだよ」

「……ふうん」

「ふうん、って。やる気を出してくれなきゃ困るんだが」

「そんなことをしなくても、やろうと思えばすぐに撤廃できるんじゃないか?」

「どういう意味だ」


 狼雅が尋ねると、黎は本から顔を上げた。


「王を殺して、あんたが王になればいい」

「!」

「あんたは元々第二夫人の子で、正妻のもとには王子が三人いたんだって? その三人の王子は六年前、流行り病で亡くなった。世間では、あんたが王位欲しさに、流行り病を装って殺したんじゃないかって噂されている」

「……知っていたのか」

「医者や看護師から聞きだした。ついでに、あんたの叔母さんが自分の幼い息子を王にするために、あんたを失脚させようとしているらしいってことも聞いた」

「よく調べたものだ。皮肉だが、お前は諜報員の素質があるな」


 狼雅は苦く笑ったが、すぐにその笑みを収めた。


「だがはっきりと言っておく。俺は兄たちを殺してはいない。兄は本当に流行り病だった」

「……」

「残念ながら変わり者の俺を弁護してくれるような人間はいない。お前に信じてもらうほかに俺がとれる道はないが、事実だ。……けど、第四王子だった俺にどういうわけか王位継承権が回ってきた。このことに心から喜んだのも、また事実だな」

「あんたは悪い意味で正直な人だな。余計な一言を付け加えて、自分から信用を落とす」


 黎は呆れたように首を振った。狼雅は悪びれた様子も、怒った様子もなくしれっとしている。


「自分に正直、というのも俺の信条のひとつでな。ま、信じてくれよ」

「別に、最初から疑ってなんてない」

「は? そうだったのか」

「兄を三人殺すことを躊躇わない人間が、父を殺すことを躊躇うとは思えない」


 黎はそう言って、本に栞を挟んでゆっくりと閉じる。


「でも俺は、多分あんたより酷い人間だと思うぞ」

「なんで?」

「あんたが言ってくれれば、俺は王でもその叔母でも殺せる」


 狼雅は困ったように笑みを浮かべ、黎の肩に手を置いた。


「――そんなこと、俺が絶対にさせない」

「どうだか」

「そんな手は絶対に取らん。玖暁(くぎょう)も青嵐も、隙あらば彩鈴を併合しようと心の奥では企んでいる。いま王が交代して情勢が不安定になれば、みすみす奴らにその隙を与えてしまうことになるからな。俺が具体的な行動を起こすのは、もう少し後だ」


 それではまるで『今は時期が悪いから暗殺はしないが、もう少ししたら暗殺する』と言っているようなものである。まあ黎は口で何と言っても、狼雅はそんな汚い手を使わないだろうということは信じている。


「いま玖暁には改革の動きがあるんだ。もうじき大規模な内紛になるだろう」

「改革……」


 黎は呟く。知識としてこの国の隣に「玖暁」という国があるのは知っていた。だが詳しいことは何もしない。どんな国で、誰が治めていて、今どんな状況なのか。


悪政(あくせい)(おう)と呼ばれる現皇を殺せ、という動きだ。言ってしまえば貴族と民衆の戦いだな。その先頭に立っているのは、玖暁の皇子(おうじ)ふたりと騎士団長だ」


 狼雅はぺらぺらと暴露していく。


「俺の親父、つまり彩鈴王と玖暁皇は割と親しい仲でな。親父は皇子率いる解放軍の情報を皇に流そうとしている。俺はそれを妨害して、解放軍を勝利させるつもりだ」

「……その皇子は、それだけのことをしても民衆をまとめられる器だってことか?」

「ああ。まだ十二歳なんだがね」

「十二歳?」


 黎は眉をひそめた。なんて若いのだろう。そんな少年が戦いの先頭に立つとは。都合よくその騎士団長か誰かに、旗印として駆り出されているだけではないか――?


「お前の言いたいことは分かる。皇子がただの傀儡なんじゃないかって思っているんだろ?」

「ああ……」

「喜ばしいことに、そうじゃない。あいつは傀儡なんかにはならんだろうよ。あれだけ重いものを背負わされても、絶対に屈さない。生まれながらの王者など存在しないが、あいつは生まれながらにその『素質』を十分に持っているんだ」

「結構親しいのか、その皇子と」

「まあ、父親同士が仲が良いからな。俺にとっては弟分といったところか。とにかく、玖暁の真澄(ますみ)は俺の父親と一対一で対等に話ができるほどの傑物だ。しかも、俺に好意的。俺としてはあいつが皇になってくれれば、至極やりやすい」


 真澄。それが、この狼雅が一目置く少年皇子の名か。どんな人間だろうか――と、黎には僅かに興味が湧いた。


「で、だ。話を戻すが、玖暁も彩鈴も民衆が貧困にあえいでいる状況にある。そんな中で玖暁では民衆が一斉に蜂起し、悪政を打ち破った。それを聞いた彩鈴の民も、同じことをやってみようと考えるとは思わないか?」

「……あんたが旗印になって、王を討つ……のか」

「そういうこと。親父も同じことを危惧して玖暁皇に手を貸そうとしているが、それは是が非でも俺が阻止する。そして玖暁と同じように、市民によるクーデターを起こしたい。どれだけ武勇に優れた皇だろうと、民衆の力には抗えないものなんだ」


 狼雅にとって解放軍の勝利は確実なものらしい。解放軍の勝利を前提に話をしていた。


「彩鈴と玖暁は限りなく近しい状況にあるが、ひとつだけ決定的に違うものがある。それが騎士団の存在だ。玖暁の解放軍には、玖暁皇国騎士団の大部分が参加すると思われる。だが彩鈴の弱っちい騎士団では、相応の戦果が見込めない」

「で、俺を騎士に?」

「それが結論だ」


 なぜ黎を騎士にするのか。その答えが、ようやっとここに結びつく。実戦経験の殆どない騎士を鍛える。それが黎に課せられた使命だったらしい。


 あと何年かかるのやら。黎は気が遠くなりそうだ。だが狼雅は信じられないほど辛抱強かった。物心ついてすぐに諜報制度に疑問を抱き、今日までこつこつと同志を募ってきた。そして黎が騎士として勇名をはせるようになるまで、また辛抱強く待つのである。


 その自信はどこから来るのだろうか。それが心底不思議である。


「だからお前には、彩鈴の士官学校に入ってもらいたい」

「……『入ってもらいたい』ではなくて、『入れ』と言われたほうがいっそ清々しいんだけど」

「じゃ、入ってくれるのか?」

「俺は諜報制度をなくしたい。そのために俺ができることがあるのなら、俺はあんたに協力する。士官学校とやらに入って騎士になるのがその一環なら、何の不満もない」


 黎の答えに、狼雅は頷いた。


「有難うよ。……目は、もう大丈夫なのか?」


 黎は自分の左目を覆う包帯をするりと外した。うっすらとそこには傷が残っているが、一見して以前とは変わらないほどに治っていた。機械技術の発展に伴って医療技術も最先端を行く彩鈴ならではである。


「問題はない」

「そいつは良かった。これからよろしく頼むぞ、黎」


 狼雅が黎に手を差し出す。黎は躊躇いながらも、その手を握ったのだった。



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 翌年の五〇〇九年五月に、狼雅の話した通り玖暁では市民クーデターが発生した。それにより皇は自刃し、皇子である真澄、そしてその双子の弟である知尋(ちひろ)が皇として即位した。こうしてふたりが皇になるというのはさすがに狼雅も驚いたようだったが、「知尋は皇弟(おうてい)という座に収まっている人間じゃないな」と納得していたようだ。


 玖暁でのクーデター成功を知った彩鈴の民の間にも、不満の声がくすぶり始めている。狼雅はこの小さな火種を消さないように、しっかりと守っていくつもりだ。


 そしてさらに時は過ぎ、再生暦五〇一二年四月。


 黎はと言えば――。


「――おいこら、奈織っ! いつまで寝ている、遅刻するだろうが!」

「あー……あと五分っ」

「阿呆! そう言って昨日も遅刻して、俺がお前の担任に頭を下げる羽目になったんだぞ!?」


 安息の生活ですっかり弛み、我が儘猫になってしまった妹の世話に手を焼いていた。


 あれから黎と奈織は、王立士官学校の敷地内にある寄宿舎で生活していた。黎はそこから敷地内の士官学校へ、奈織は隣接している王立学園へと通っている。寄宿舎での生活なので、食堂に行けば毎日食事をもらえて、寝具も服も揃っている。生まれて初めての贅沢に、黎も身体が慣れてしまうのは自覚していた。だが奈織のほうがそれはより顕著で、なまじ頭の良い彼女は入学してすぐ主席の座を奪い取り、悠々と快適な学校生活を楽しんでいる。


 貧民街生活では毎日六時起床が当たり前だったが、今の生活だと七時半に起きても余裕で始業に間に合ってしまう。それをいいことに、奈織は惰眠をむさぼるようになったのだ。


「そりゃあ、このベッドがふかふかで気持ちいいのは俺も認める! 俺だって叶うなら昼過ぎまで寝ていたいぞ! だがな、せっかく王太子の好意でこんなに快適な生活を送らせてもらえているのに、それに甘んじるのはどうかしている!」

「兄貴ぃ、本音がだだ漏れだよぉ」

「兄貴と呼ぶなといつもいつも……!」


 黎は盛大に溜息をつく。奈織は面白ゆるく毎日を生きているが、別に堕落しているわけではない。勉強だってちゃんとするし、友達とも遊んでいる。ただ完全に、やる気のオンとオフを使い分けていて、その差が激しいのだ。


 奈織がくるまっている毛布を、黎は無情にも引っぺがした。四月とはいえまだ肌寒い朝、奈織が「やだー」と悲鳴を上げる。黎はお構いなしに奈織を引き起こすと、自分の真正面に座らせた。


「……いいか、奈織。人間は順応する生き物だ、この生活に慣れてしまうのは仕方がない。けどほんの三年前まで、俺たちはどこで何をしていた? この時間は金属探しを終えて換金も済ませて、朝市でその日の食料を物色していたぞ? それを思い出せ。俺たちと一緒に金稼ぎをしていたあいつらに申し訳なくなって来ないか」

「いやあ、別に? ほら、運は実力のうちって言うじゃない」

「運じゃない、これは運なんかじゃないぞ!? 俺が身体を張ってだな……!」

「身体を張って殺されに行ったんでしょ?」

「違うっ」

「もう、朝から大きな声出さないでよぉ。目が覚めちゃったじゃん」


 奈織はがりがりと短い髪の毛を掻き毟り、ベッドからやっと降りる。黎は脱力した。


 あの可愛い奈織はどこに行ったのだろう? そう思うと虚しい。


 あと一年で士官学校を卒業する二十歳の黎は、急激に可愛げを失った十一歳の妹に説教を喰らわす毎日である。この三年間狼雅にはほったらかしにされているが、下手に介入されるよりはいい。この仮初の平穏を楽しもう――どうせいつか、暇だなんて言うこともできなくなるくらい、忙しくなる。


 お腹空いたぁ、と嘆く奈織に、大した意味もなく拳骨を落とした黎は、痛がる奈織を引きずって食堂へ向かった。それを目撃した隣室の同級生が、「またやってるな、兄貴!」と野次を飛ばす。いつの間にかついた渾名は、「兄貴」だったのだ。

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