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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
彩鈴―――険しき山脈の国
27/43

儚き明日1

再生暦5008年9月

時宮黎――16歳

時宮奈織――7歳

樹狼雅――25歳

 ――父は殺された。


 父が死んでから子供たちのためにと身を削り、女性ではとても耐えられないような日雇いの重労働を繰り返していた母も、数年して後を追うように死んでしまった。


 少年に残されたのは、ぼろぼろの家に僅かばかりの金、そして幼い妹だけだった。十六歳の少年には、重すぎるものだった。いっそ妹を殺して自分も死のうか。そう考えたことも、一度や二度ではない。本気で紐や包丁を手に取ったこともあった。それでも、自殺するのは敗北を認めたことになるような気がして、その都度やめていた。


「……どうして母さんは死んだんだ」


 ――働きすぎて身体を壊したからだ。


「どうして働きすぎたんだ」


 ――父さんが死んで、稼ぎがなくなったからだ。


「どうして父さんが死んだんだ」


 ――青嵐(せいらん)という国に諜報活動をしに行ったからだ。


「どうして諜報をしに行ったんだ」


 ――貧民街の男は、諜報員徴集に応じる義務があるからだ。


「諜報員を徴集することを決めたのは誰だ」


 ――彩鈴(さいりん)政府だ。


「悪いのは誰だ」


 ――政府だ。


「父さんと母さんを殺したのは、誰だ……?」


 少年は自問自答の思考をそこで止める。ここから先を考えてはいけない、と自制した。だが溢れんばかりの憎悪とやるせなさは、既に行き場を失っていた。


「父さんと母さんを殺したのは、……この国だ。この国の政府だ、政府の人間だ。宮廷人……いや、王族の奴らなんだ。命令を出すのは、あいつらなんだから……!」


 誰かのせいにしないと、この先生きていけない。自分の心を守るためにとった苦しい手段だった。


 再生暦五〇〇八年の年末に十七歳になる少年、時宮(ときみや)(れい)は、五〇〇八年九月現在ではまだ十六歳であった。


 山岳地帯の国、彩鈴王国の王都依織(いおり)の貧民街で十六年暮してきた黎は、同年代の少年たちより余程逞しく成長していた。自分の境遇に不満はあっても、同時に希望も持っていた。だが母が死んでからは鬱屈し、以前は見せていた笑みを殆ど見せなくなっていた。


 黎は粗末なベッドから起き上がった。時計なんて高尚なものは持っていないので、窓から差し込む日光だけで時間を計る。大体、朝の六時ほどだろう。


 もぞもぞと毛布が動く。そちらを見やると、同じベッドの中に幼い少女が眠っていた。妹の奈織(なお)だ。もうすぐ八歳になる。母が死んでから寂しいと泣くようになり、夜は必ず兄のベッドに潜り込んでくるのだ。


 無邪気な寝顔を見て、黎はふっと忘れかけていた笑みをこぼす。奈織の頭を撫で、黎は静かにベッドから降り、部屋を出る。台所と居間が辛うじてあるだけの平屋だが、過去の経験から「屋根があるだけまし」と黎は思っている。


 本来ならこの後すぐに奈織を起こして簡単な食事を摂らせ、そのままふたりでごみの廃棄場に向かうのが日課だった。廃棄場に捨てられたごみの山から、金になりそうな金属などを集めるのだ。そうして貧民街の子供たちは金を集め、その少ない金銭を持って市場で買い物をし、その日の命を繋ぐ。大人たちは日雇いの仕事を探し、労働に励む。


 だがこの日、黎はそうしなかった。部屋の隅にまとめてあるがらくたを漁り、唯一がらくたではないものを見つける。それは以前黎が見つけた古い刀だった。ごみにまみれていたのを発見し、密かに持ち帰っていたのだ。


 鞘から刀を抜く。昨夜研いであったので、今すぐにでも斬ることができる。銀色の刃が鈍く光っていた。


「……兄貴ぃ?」


 声がかけられ、黎ははっとして刀を納める。寝ぼけ眼で奈織が起きてきた。昔から「兄貴と呼ぶな」と言っているのだが、これがどうにも直らないので諦めている。


「奈織。起きたのか? もう少し寝ていてもいいんだぞ?」


 そう呼びかけると、奈織は背の高い兄に歩み寄ってきた。


「どっか行くの……?」

「……ああ、ちょっと出かけてくる。奈織は待っていてくれ」

「やだ! あたしも行く」


 奈織は黎の足にしがみついてきた。彼女は兄の微妙な感情を感じ取っているのだろうか。黎はそっと奈織を引き剥がす。


「駄目だ。ここにいろ」

「なんでぇ……?」


 最近急に涙もろくなった奈織は、早くもじわりと涙を滲ませている。黎は奈織の前にしゃがんで目線を合わせ、頭を撫でる。


「奈織。俺たちにとって『明日』は、必ず来るとは限らないものなんだ。いつ死んでしまうか分からない。でもそれでも、なんとかして生きていかなきゃいけない。お前は頭が良いから、分かるな?」


 奈織は小さく頷く。世辞ではなく、本当にこの妹は賢かった。物覚えは良いし、この年齢にしてきちんと筋道の通った話をする。それでも貧民である彼女は、兄の黎と同じく文字の読み書きができない。叶うならば奈織を学校に通わせてやりたい、と黎は切望している。


「だからこそ俺たちは、自分の人生に責任を持たなきゃならない。奈織、自分以外を信じるな」

「……兄貴も?」

「そう、俺のことも信じるな。自分の目で見たこと、耳で聞いたこと、感じたことだけを信じるんだ。誰かに相談してもいい、だけど最後に決めるのは奈織自身だ」


 黎はそう諭して微笑む。


「俺が毎日どうやって金を稼いでいたか、もう覚えたよな?」

「うん」

「ならきっと、大丈夫だ。お前は生きていける。この街では、子供だとか女だとかいう言い訳は通用しない。それは逆に、お前が生きる権利があるということだから」


 沈黙した奈織の頭をもう一度撫でて、黎は立ち上がった。その手にはしっかりと刀が握られていた。


「――じゃあ、行ってくるな。奈織」


 黎は家を出て、扉を閉めたと同時に走り始めた。奈織が追いかけてくるより早く行方をくらませたかったのだ。


 しばらく走った黎は振り返る。奈織の姿はない。これでいい、と黎は口の中で呟いた。そのまま彼は市場のほうへ足を向けた。


 貴族街、市民街、貧民街とはっきり階級が区別されるこの街で、貧民と呼ばれる人間が唯一立ち入れる市民街があった。それが市場である。そしてこの日、この市民街の市場にはある人物が視察に来る予定だった。


 この彩鈴王国の王太子、(いつき)狼雅(ろうが)である。現在、二十五歳だ。兼ねてから色々な意味で「変わり者」と呼ばれ敬遠されていた王太子は、その変わり者っぷりを発揮してこんな庶民の生活を見に来るのだ。黎は事前に、その情報を仕入れてあった。


 狙うは狼雅の心臓――それだけだ。


 狼雅の命を狙う理由なんて、本当はない。ただの自己満足だ。諜報活動で親を奪われ、貧しい暮らしに追いやられている少年が、それだけの理由で王太子を弑逆する――このことによって、この国が変化してくれないかと、少しばかりの期待はある。


 市場には王太子視察の報を聞きつけて民衆が集まっていた。黎はそれに紛れ、その時を待つ。そして十五分ほどして、その一行がやってきた。


 先頭には、王族として恥ずかしくないくらいに、しかし王族としては質素な和服に身を包んだ王太子がいる。その背後に五人ほどの護衛だ。朝市が視察の目的なのだ。


 王太子の狼雅は、悠々と朝の散歩を楽しんでいるという様子だ。本当に、王太子らしくない王太子だ。


「よう、おはよう。元気でやってるか? おっ、こいつは美味そうだな。ひとつもらってもいいか?」


 気さくに民衆に声をかけ、親しげだ。狼雅は頻繁にここを訪れるので、民衆とも気心が知れた仲なのだ。――だがそんなこと、黎には知ったことではなかった。


 黎は、一軒の店の前で立ち止まり、差し出された瑞々しい果実にかじりついている狼雅を睨み付けた。そして身につけている刀にそっと左手を乗せる。そして静かに民衆の間を縫って移動を始めた。


「うん、美味い。有難うよ」


 狼雅は笑みを浮かべてそう言うと、懐から銅貨を数枚だして店主に差し出した。きちんとお金を払っていたが、黎はそれを見ていなかった。その時にはすでに民衆の壁を突き破り、狼雅のために開けられた道を疾駆していたのだ。


 疾走しながら黎は抜刀する。狼雅の驚いたような顔が、一瞬黎の視界に映る。黎は刀を握りしめた。


「覚悟……っ」


 そう呟きながら、黎は刀を狼雅に向けて突きだした。狼雅の心臓を貫くはずだった刀は、しかし、狼雅が身を捻ったことによって空ぶってしまった。この瞬間に、黎は失敗を確信した。


「貴様、何者か!」


 護衛の騎士が抜刀し、黎に斬りかかる。本物の騎士の攻撃を黎が見切れるはずもなく、黎の手から刀が弾き飛ばされた。そしてよろめいた瞬間、顔の左半分に焼けるような激痛が襲ってきた。


「! っぐ!?」


 黎は地面に倒れる。視界が真っ赤に染まり、意識が途切れそうになる。その寸前、大切な妹の声が聞こえた気がした。


 気を失った黎に、護衛の騎士が刃を向ける。が、それを制したのは意外なことに狼雅だった。


「ちょっと待った」

「お、王太子殿下!?」


 狼雅はまったく油断することなく、倒れた黎を抱き起した。左目を上から斬られた黎は、顔の半分を血で真っ赤に染めて意識を失っている。民衆から悲鳴が上がった。


「……あ、兄貴に触らないでぇっ!」


 小さな少女が、逃げ惑う民衆の間から駆け出してきた。狼雅が顔を上げてそちらを見ると、少女、奈織は目に涙をいっぱい溜めて兄に近寄ってきた。彼女は結局兄の後を追って来てしまったのだ。追ったというより、当てもなく市街に出たら騒ぎが起こっていたので近寄ってみたら兄だった、というべきだ。


 騎士たちが警戒するが、狼雅はにっこりと笑ってみせた。


「そうか、お前の兄ちゃんか。心配するな、死にはしないよ」

「ほんと……?」

「ああ。おい、医者を手配してくれ」


 騎士たちは唖然としていた。それは当然である。王太子の命を狙った不届き者を治療するなど、まったく理解不能なことなのだ。だが狼雅の口ぶりからすれば、『民間人を斬った騎士』こそが悪だと指摘しているようだった。その証拠に、硬直している騎士を狼雅は睨み付けたではないか。


「……頼むから、医者を呼んでくれ。治るもんも治らなくなる」

「わ、分かりました」


 騎士が駆けだす。狼雅はその間に自分の和服の裾を引きちぎり、黎の傷の止血をする。奈織も心配そうにその様子を見守っていた。



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 ――結局黎は、殺そうと思っていた狼雅に命を助けられてしまった。しかも、奈織まで保護してくれたのだ。黎としては狼雅に恩を返さなければならない。そしてなし崩し的に、狼雅は黎を自分の陣営に引きずり込んでしまった。


 病室に閉じ込められている黎は、やることもなくぼんやりとベッドに寝そべったまま窓の外を見ていた。左目は包帯で覆われているので、視界は著しく狭い。だがこれも自業自得の産物で、一生付き合っていかなくてはならない痛みだ。傷は治るが近い将来、左目は失明するだろうと狼雅に言われたのである。


 やることはなかったが、考えることは多かった。これからどうなるのだろう、という大きな不安、そして小さな期待。今分かっているのは、狼雅が心底諜報制度を嫌っていること、そして黎を最大限に利用しようとしていることだ。利用価値がなければ、貧民の少年を庇護下に置くわけがない。


 それにしても、と黎は自嘲の笑みを口元に浮かべる。諜報を憎むあまり殺そうとした王太子が、まさか自分と同じく諜報を憎んでいた人物だったとは、なんと傑作だろう。彼だけが、今の彩鈴で諜報を廃止する唯一の希望の光なのだ。黎は自分からそれを消そうとしていた。その点では本当にほっとしていたが、狼雅の真意が読めない以上、彼を容易く信用することはできない。


 何より気がかりなのは奈織だ。いま彼女は狼雅の庇護下で暮らしているが、妹と引き離されたのは黎にとって甚だ不本意だった。たったひとりの肉親である奈織を守るのは、自分の使命なのだ。だが黎はその使命を一時放棄しかけた。引き離されているのはその罰だと納得しようとしても、やはり心配は尽きない。


 狼雅は奈織の生活の安全を保障すると言ってくれた。ならばそれに見合う働きをしなければならない。狼雅の真意など、後回しだ――。


 狼雅が黎の病室を訪れたのは、暗殺未遂事件から三日後のことだった。部屋に入ってきた狼雅は大量の書物を抱えていた。それらを病室内のテーブルに置いた狼雅は、ふうっと息を吐く。


「ああ、重かった。よう、黎、元気にしてたか?」

「……まあ、元気だけど」


 黎は胡散臭げに狼雅を見やった。狼雅は「良かった良かった」と呟きながら、紙とペンを黎の前に差し出した。ベッドのサイドテーブル上に置かれたそれを見て、黎はぽつりと呟く。


「何?」

「読み書きの勉強だ。これから何をするにも、まずは文字を理解しないとな」

「あんたが教えてくれるのか?」

「ああ、手取り足取り」

「暇なんだな」

「そう、暇なんだよ」


 あっさりと肯定した狼雅は、傍の椅子に腰を下ろす。


「一足先にお前の妹に文字を教えてやったが、恐ろしく賢い子だな。なら兄貴であるお前も、多少なり学ぶ力はあるということだろう」

「! 奈織は……いま、どうしてるんだ」


 僅かに身を乗り出すと、狼雅は笑う。


「城の別館に暮らしてもらっている。俺が信頼する侍女と部下がついているから心配はいらない。お前が退院したら、ふたりで宿舎のほうに移ってもらうよ」


 狼雅はさらさらと、真っ白な紙に文字を書いていく。幼児が最初に文字を学ぶときと同じく、ひとつずつ大きく文字を並べていた。黎にはまだ、それらの意味も読み方も分からない。


「で、そのうち奈織には学校に行かせてやろうと思っている」

「学校……?」

「それがお前の望みなんだろ? 約束は必ず守る、それが俺の信条だ」


『約束』。まさか王太子の辞書に、約束を守るという項目があったことに、黎は驚いていた。あんな口約束を覚えていたとは。


「……じゃあ、俺は?」


 問いかけると、狼雅はにやりと笑った。その笑みを見て、黎は薄気味悪さを感じた。


「お前は、騎士になれ」


 聞かなければよかったと、後悔することになる。

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