夏の花火と贈り物4
再生暦5020年8月31日
桐生宙――18歳
桐生奏多――26歳
蛍――18歳
「……宙か。ということは、奏多と蛍も一緒だな」
「あ、兄皇さま、その『分かり切ってますよ』みたいな反応は酷くない? もうちょっと驚いてよ」
そう言って肩をすくめて見せたのは、やはりこちらもかつての仲間である桐生宙だった。昴流が瞬きをする。
「あれっ、宙は婚礼の儀の後すぐに、蛍と旅立ったんじゃなかった?」
宙と蛍――ふたりで一緒に世界を見て回ろう、という約束を交わした、ほぼ恋人同士のふたり。宙は青嵐人で、蛍は彩鈴人であるが、それぞれ特殊な立場にある。宙の兄である桐生奏多によって青嵐は国として新たな一歩を踏み出しはじめた。そのために弟である宙も散々兄にこき使われているのである。そして蛍はと言えば、彼女は閉鎖された一族の出で、これ以上俗世間と関わることに一族が難色を示しているのだ。大切な仲間である真澄と巴愛の婚礼の儀だからということで玖暁に来ることを許されたふたりだったが、これで帰ってしまってはまた身動きができなくなる。だからこれを機に駆け落ちしてしまおう――そうして旅立ってから、まだ三か月である。
「旅の途中さ。あの後は彩鈴、青嵐と見て回ったんだけど、やっぱり玖暁の夏祭りは外せないだろ? それで遊びに来たんだけどさぁ……!」
憤然としている宙の様子から事情をなんとなく把握した李生が尋ねる。
「……で、奏多に捕まったというわけか?」
「そう! そうなんだよ!」
いささか大袈裟に宙は天を仰いだ。
「兄さんったら『青嵐の産業を知ってもらう絶好の商機!』とかいってやけに燃えてるんだ。そんな兄さんに見つけられちまった俺と蛍は、こうして客の呼び込みに駆り出されているってわけ」
「うん、確かに青嵐からの営業許可証にも判を押したが……」
真澄が難しい顔をしている。その理由を口に出したのは李生だ。
「ちょっと待て、ということは『青嵐の店』だということを隠していないということか!?」
「うん、幟が立ってるよ」
「おいおい……いくら玖暁と青嵐とで通商が成立したといっても、まだ民衆たちの中には互いの国への反感が根付いている。そんな状況で青嵐の名を掲げれば、民衆の敵意の的になるだろう?」
李生の言うことはもっともだ。彼は玖暁と青嵐の架け橋として、忙しく両国を行き来している。両国の民衆の様子を観察するのも仕事の内なので、彼が一番そのあたりをよく知っている。
だが宙は苦笑を浮かべた。
「いや、それがさ、李生さん。案外そうでもないんだよ」
「そうでもない?」
「大体の場合、元気のいい少年少女がいれば民衆は怪しまないのさ。加えて店主は、あの天然だぜ? 敵意や遺恨がまったくない兄さんの笑顔を見れば、とりあえず女性客は集まる。しかも売ってるものが売ってるものだから、まあよく集まるよ?」
「はあ……成程」
「ってなわけで、行こう!」
宙は手近にいた昴流の腕を引っ掴むと、勢いよく駆け出した。昴流が「ちょっと!?」と悲鳴をあげながらもついて行く。真澄らも顔を見合わせ、そのあとを追った。
狼雅の射的屋から少し離れたひとつの屋台の前には、女性客が行列を作っていた。青嵐物産と書かれた幟があるにも関わらず、誰もそんなことは気にしていないようだ。
「宙、奏多さんも蛍さんも見えないよ?」
昴流が苦々しく言う。宙は背伸びをして行列の向こうを見やったが、背伸びしても昴流の背に届かない宙では無意味である。
「もう少し人の流れが収まるまで待ってたほうがいいみたいだな」
宙の言葉通り少し待ってみると、女性客が少なくなってきた。それを見計らって李生が店に近づいてみる。
確かに屋台の中に奏多がいた。彼は順番が回ってきた女性客の前の作業台に向かって、何か手元で作業をしているようだ。奏多が器用に作っているそれは、赤い光沢が美しい飴細工だった。あっという間にそれは美しい薔薇の花の姿になり、奏多はその飴細工につけている棒に布を巻く。そして出来上がったそれを、目の前で感動している女性客に差し出す。
「はい、薔薇の飴細工ができましたよ」
「あ、有難う御座います! ところで、この棒の布は……?」
「それはちょっとしたサービスです。ハンカチにでもしてください。……それはね、青嵐の特産品である染物なんです。可愛い柄もたくさん用意してありますから、興味をお持ちになったのなら是非隣に」
奏多は極上の笑みと共に、右手の屋台を示す。そこでは蛍が、大量の手拭いや風呂敷を売りさばいていた。奏多の笑顔につられて、ふらふらと飴細工以外の買い物までしてしまっているのだ。
「おい、奏多」
客がいなくなってから李生が声をかけると、奏多がうんと伸びをしながら李生に笑みを向けた。
「ん、やあ李生。こんなところでどうしたの?」
「それはこっちの台詞だ。何をしてるんだ?」
「飴細工屋をやってるんだよ」
「そんなことは見れば分かる」
相変わらずのやり取りに李生が溜息をつく。真澄らが歩み寄っていくと、奏多は立ち上がった。
「これはみなさん御揃いで。お久しぶりですね」
「ああ、久しぶりだ奏多。まさか貴方が玖暁で飴細工を作って売りさばいているとはな」
真澄の苦笑交じりの言葉に、奏多も苦笑を返した。
「いや、飴細工はおまけなんですけどね。俺が本当に売りさばきたいのは染物のほうです。でも馬鹿正直に『青嵐の染物』なんて言ってもお客さんは来てくれないでしょうから、まあ余興ってことで」
「兄貴ぃ、考えていることはこっちと一緒なのに、奏多のほうが商売上手だよ!?」
奈織が黎の腕を引いた。黎は苦々しい表情になる。
「私たちのほうは、あの手法では損しかしないからな……」
その間にも巴愛は見本として陳列されてある飴細工を見て目を輝かせていた。主に動物や花を模ったものだが、綺麗に着色されてあって美しい。
「すごい、綺麗……」
「何か作ろうか、巴愛?」
「え、いいんですか?」
「勿論。あ、大事な仲間から金をとろうなんて思ってないから、安心してね」
奏多はにっこりと笑って作業に取り掛かった。奏多の言葉を聞いた瑛士がじろりと黎を見やったが、黎はまったく悪びれない。
「金をとったのは狼雅さまだ、私じゃない」
「お前、最近言い訳と責任逃れが多くなったな」
「気のせいだ」
すると隣の屋台から蛍が歩み寄ってきた。宙と店番を交代したようだ。
「みんな……!」
「蛍ー!」
巴愛にしたのと同じように、奈織が蛍に抱き着いた。抱き着くというのは奈織のスキンシップなのだ。蛍が奈織を抱き留め、嬉しそうに笑う。
「蛍、元気にしていたか?」
真澄の問いに、蛍は頷く。
「すごく元気だよ。色んな街を見て回れるの、とっても楽しいから」
「危ない目にあったりはしていないか?」
「たまに野生の獣と遭遇したり、盗賊退治に出かけたり、一族から追手が来たりしたけど、宙が守ってくれたから」
「……獣に、盗賊に、一族の追手?」
真澄が呆れたように問い返す。これ以上詳しく聞かずとも、彼ら二人がかなり危険な目にあっていることは明らかだった。だが当の蛍は朗らかだ。
「私を連れ戻そうと、追手が来るんだけどね。宙がいつも撒いてくれるの。そうやって逃げたりするの、楽しくて」
「そ、そうか。楽しいならいいが、あまり無茶はするなよ?」
「うん」
そんな彼女の様子を見て、巴愛が微笑む。
「……蛍、なんか明るくなったみたい」
傍にいた昴流が頷く。
「そうですね。出会った当時は、あまり感情の動きがなかったといいますか……あんな風に砕けて話すことも笑うこともありませんでしたね」
「今は普通の女の子だもんねぇ……」
巴愛は感慨深げだ。元々蛍が無口で感情に乏しかったのは、蛍が普段使っている言語と真澄らが使っている言語が違い、自分の言葉に自信が持てなかったからなのだ。蛍が普段使う言葉は巴愛で言うところの英語で、中学一年生並みの英会話力を総動員した巴愛が話し相手をするうちに、彼女は心を開いてきた。その中で宙も蛍から英語を学び、彼女と何の気兼ねなく話せるようになっていた。蛍が宙に心を砕いたのは当然だ。今では、たどたどしかった蛍の日本語もかなり上達している。
「はい、でーきた」
軽い声とともに巴愛の前に棒が差し出される。棒の先には、青に着色された小鳥の飴細工が取り付けられていた。鳥の目や羽根まで精密に表現されている。
「わあっ、すごい! 有難う御座います!」
喜んで飴細工を受け取る巴愛を見て、李生が呆れたように腕を組む。
「……本当に奏多は、呆れるくらい手先が器用だな」
「手先が器用と言うのもあるが、芸術的な才能もあるからこそできるんだよな?」
瑛士の問いに奏多は頷く。
「あの男、刀と絵筆だけで世間を渡り歩けると思いますよ」
あるときは傭兵として弱き者を守り、またあるときは人々の生活やその街の風景を描く。確かに奏多ならそれだけで生きていけそうだ。
そのあと彼らは奏多の商売を助けるために、染物を物色して気に入ったものを購入した。若者向けの明るく可愛らしい柄も多く、そういったものを見るのが大好きな巴愛はおおいに楽しんだ。そういう女性の買い物に付き合うのが苦ではないらしい真澄も色々と手に取っていたようだ。思えばこんな風にのんびりと買い物をするのは初めてだろう。
「あっ、そこのお姉さん、ちょっと見ていかないか? とんでもなく綺麗な飴細工を作ってるんだ。お望みどおりの動物や花を、目の前で仕上げるよ。興味湧いた? それじゃ、こっちだこっち」
文句を言いながらも、兄譲りの愛想の良さで宙はきっちりと売り込みをしている。やはり宙は働き者である。来年交換武官として玖暁に来てくれるのが楽しみだと李生が微笑んでいた。
また客が殺到し始めた飴細工屋の前を離れた真澄らが、さてどうするかとまた考え始める。
「まだ花火も続きますし、みなで露台に出てちょっとした宴会でもしませんか?」
そう提案したのはやはり知尋だ。歩き通しだった彼らを気遣ってくれたのだろうが、知尋本人がゆっくりと花火を見ながら酒を楽しみたいという気持ちもあるだろう。花火に興味はないと真澄は言っていたが、知尋は男四人の中では割と風流な感性の持ち主だ。
昴流が苦い顔をする。昴流は知尋に付き合わされて酒を飲みかわすことが多くなっており、自分が酒に強くないということを嫌でも自覚させられているのだ。勿論、昴流は一般的な男性に比べると酒は強い。だが知尋の前では比較の対象にならない。
「あ、じゃあ、おつまみが必要ですよね。さっきいいお店を見つけたんですよ」
巴愛がくるりと踵を返した。――と、その瞬間。
巴愛の膝がかくんと折れた。そのまま前のめりに倒れそうになるのを、瞬時に駆け寄った真澄が妻の身体を抱き起す。
「巴愛!?」
「あ……ごめんなさい。ちょっと、眩暈がして……」
真澄は巴愛を支えて立たせる。すぐに他の仲間たちも集まってきて、倒れた人が人だけにちょっとした騒ぎになる。
巴愛を傍の長椅子に座らせる。知尋が彼女の前に跪くと、そっと巴愛の額に手を当てる。
「……そういえば少し顔色が悪いようだけど、熱はないね。気分は悪くない?」
「えっと、ちょっとだけ……」
「すごい人混みだったから酔っちゃったのかな?」
そう尋ねたのは、巴愛が倒れたのを見てすぐさま飛んできた宙である。屋台のほうを見れば、奏多と蛍もこちらへ駆けてきた。店の客たちも皇妃が倒れたということに動揺しているようだ。
人に酔ったと宙は言うが、正直自分がそこまで細い神経の人間だとは巴愛は思っていない。異世界に落ちてきてもあっさり順応した巴愛である。
知尋は巴愛をじっと見て何か考え込んでいる。それからおもむろに立ち上がる。
「ねえ巴愛。もしかして……」
そう前置きした知尋が、巴愛の耳元で何か囁く。すると巴愛は急に真っ赤に頬を染め、それから小さく頷いた。知尋は苦い笑いを浮かべる。
「やっぱりね……」
「おい知尋、何がやっぱりなんだ? まさか巴愛の命を狙う輩が、何か呪術的なことでも――」
真澄の動揺っぷりは相当なものだった。知尋は呆れたように溜息をつくと、不意に手を伸ばした。そして真澄の頭を軽くはたいたのだ。
これには真澄を含めてその場にいたみなが驚愕した。兄を皇として立たせ続ける知尋が、まさか真澄の頭を軽くとはいえはたくとは。
「ち、知尋……?」
「少しは落ち着いてください。そんなに動揺しては、父親として到底やっていけませんよ」
「……ちょっと待て、今何と言った……?」
真澄が身を乗り出す。知尋が微笑む。
「私は医者ではありませんから、正確なことはなんとも言えませんけどね。でも、だるさや眩暈、吐き気といった症状に加えて、巴愛の今月の月のものが来ていないとなれば、もう疑う余地はないでしょう?」
「そうだったの、巴愛!?」
奈織が尋ねると、巴愛は顔を赤らめたまま頷いた。
「う、うん……今月は遅いなって、ちょっと不安に思ってたんだけど……」
「そ、その時点でそうかもしれないと疑うべきでは……?」
昴流が控えめに言う。真澄がぎゅっと巴愛の手を握る。
「本当……なのか?」
「とりあえず城に戻ったら医者を呼びましょう」
知尋のその言葉が真澄に現実味を持たせた。にこにこと笑いながら、瑛士が医者の手配をするために急いで城へ駆け戻っていった。真澄はそっと巴愛を立たせる。
「真澄……!」
巴愛が呼びかけると、真澄は巴愛と向き合った。そして笑みを見せる。
「……今日は本当に、最高の誕生日だ」
真澄は優しく巴愛を抱きしめると、軽くキスをした。巴愛がまたしても真っ赤になり、周囲を取り囲んでいた人々が歓声を上げる。こうして皇妃懐妊の報は、公式発表の前に民衆に知れ渡ってしまったのである。
城に戻って医師の診断を受けた巴愛は、やはり妊娠したということを告げられた。今は不安定な時期だから絶対安静にしていろと指示され、巴愛は大人しく寝台に横になっていた。
医師を見送った真澄が寝室に入ってくる。そして南向きの窓のカーテンを開けた。そこからは美しい花火が見える。もう花火大会も佳境に入っており、クライマックスに向けて徐々に派手で巨大なものを打ち上げていた。
「ごめんね。せっかくのお祭りなのに……」
巴愛が申し訳なくなって謝ると、真澄は微笑んで首を振った。そして寝台に腰かけて巴愛の手を握る。
「謝ることじゃない。むしろとても嬉しいよ。……苦しかったり、辛かったりしたら、遠慮なく言ってくれよ」
「有難う」
巴愛は首を窓のほうへ向けた。彼女の瞳には色鮮やかな花火が映っている。真澄もそれを目で追った。
「あたし、頑張ってこの子産むから。真澄も、お仕事で手を抜かないでね?」
ともすれば政務など放り出して巴愛につきっきりになってしまいそうな真澄である。巴愛が先手を打つと、真澄は苦笑した。
「分かっているよ。父となるのに、ろくに働かずにいるなどという醜態は晒せないからな」
巴愛も微笑む。なんとも不思議な気分だった。ほんの二年ほど前には、まさか自分が未来に来て、この国の皇さまの妻となるなどと考えもしなかった。幼いころから巴愛の人生には、思いがけない出来事が多すぎる。どうして自分だけ、と嘆いた時期も確かにあった。
だがこの玖暁という国では、真澄の隣では、そんな風に嘆かずに済む。それだけみなが暖かくて、優しいからだ。
かくして――。
翌年、再生暦五〇二一年初夏。皇夫妻の間に世継ぎが誕生した。生まれた男児は柚輝と名付けられ、玖暁国民の祝福を受けた。
皇子となった柚輝は、父から剣術と政治を学び、母から神核のない時代の生活を学んだ。知尋、瑛士、李生、昴流といった面々からも惜しみない愛情を注がれ、両親に似て勇敢で聡明な少年へと成長していく。勇皇と呼ばれる鳳祠真澄の血統は、ここからまた続いていくのである。
真澄と巴愛の一代記は、のちに玖暁で最も有名で最も人気のある逸話として、語り草にされていく。その出会いから、どれだけふたりが人間として強かったか、またどれだけふたりが互いを愛し合っていたのか――後世の少年少女たちは「あんな恋愛をしてみたい」と口をそろえて言ったのだとか。




