夏の花火と贈り物3
再生暦5020年8月31日
時宮黎――28歳
時宮奈織――19歳
「れ、黎!? なぜ照日乃に……?」
真澄が驚いて声を上げ、さすがに巴愛や知尋、昴流も唖然としている。
あからさまに不機嫌な顔でむっつりとそこに佇んでいたのは、隣国である彩鈴王国の騎士団長、時宮黎だったのだ。しかも袴ではなく、黒い浴衣を着用している。いつもきっちりと和武装を固めていた黎とはかけ離れた格好だ。
黎が溜息をつく。
「これも仕事でして。彩鈴に貢献しろだのなんだのと適当に理由をつけて、駆り出されただけです」
「そ、そうなのか……?」
「そうです。ああ、両陛下、誕生日おめでとうございます」
「あ、有難う」
「ではとりあえず、ちょっとこちらへ」
予想していなかった展開なだけに、真澄もただ頷いて黎について行く。知尋と昴流は慌てて酒のグラスを持って、巴愛とともに真澄を追いかけた。
黎が向かったのは、広場に構えられた屋台の一つだった。その屋台の店先では、小柄な少女がこちらに背を向けてがちゃがちゃと何か機械をいじっている。
「うーん、ちゃんと完璧にできてるのになあ。やっぱ、こんなのは今までになかったから手を出しにくいのかなあ……?」
「奈織」
黎が呼ぶと、その少女は振り返って笑みを見せた。だが彼女の手に収まっていたのは、無骨な狙撃銃だった。
「兄貴、お疲れぇ。そんで、いらっしゃいませー!」
奈織は両手を広げ、巴愛に抱き着いてきた。時宮奈織は黎の妹で、彩鈴の神核研究者である。普段は能天気なところがあるが、頭の回転の速さや知識の量は常人の比ではない。黎が玖暁にいるなら、彼女もここにいるのは当然だ。なぜ片手に物騒な狙撃銃を持っているのかは疑問だが、それよりも久々の友人との再会の嬉しさが勝り、巴愛は女子高生なみにきゃっきゃと奈織とはしゃぐ。
「よう、真澄! ちょっくら遊んで行かないか?」
「は……?」
真澄は怪訝そうに、屋台の裏から出てきた男を見やった。その瞬間に真澄はぎょっとして目を見開き、知尋は「おや」と声を上げる。巴愛と昴流も固まった。
そこにいたのは、こちらも思い切りお祭りスタイルの彩鈴国王、樹狼雅であった。右手に持っているのはやはり狙撃銃で、それを肩に担いでいかつい格好だ。
「ちょっ……!? こんなところで、一体何を!?」
真澄でも狼狽することはあるのである。狼雅は銃をとんとんと肩にあてる。
「見ての通り、店を出させてもらっている。先だって、彩鈴からの営業許可を求める書状を送ったはずだが?」
「……そ、その書類には確かに判を押しましたが、貴方が来るなんてことは想定していません! 他国の王を何の歓迎もなく迎えるなんて、そんなこと……!」
「阿呆。俺はお前を驚かすつもりで来たんだ。護衛なんぞ、黎ひとりで十分だ」
要するにそれを黎も認めたということだ。軽い非難の目を向けられた黎が咳払いをする。
「一応弁解させていただきます。私は、止めました。しかしこの人は、兄皇陛下を驚かせたいという子供らしい悪戯心を貫き通したのです」
「それも勿論あったが、ちゃんとした理由があるんだぞ? 彩鈴という国のことを、世界に広めなければならんのだ。これだけ多く人が集まるのだから絶好の機会だ」
「それをなぜ狼雅殿が直々にやらなければならないのですか!」
「俺が楽しいからに決まっているだろう。俺だってたまには羽目を外してみたいぞ」
ちっとも悪びれない狼雅に、真澄は諦めて溜息をついた。元々自由奔放な人なので、真澄が何を言っても無駄なのである。そのことは黎も承知で、だから彼もここまで引きずられてきてしまったのだろう。
「なんだか見たことある顔だと思ったら、黎じゃないか?」
そこに陽気な声がかけられた。振り向くと、瑛士と李生がこちらに歩み寄ってきていた。真澄と巴愛が出かけてから街に降りたふたりだが、結局真澄たちに追いついてしまったのだ。李生は生真面目に頭を下げる。黎がしかめっ面を和らげた。
「瑛士」
「なんだって彩鈴の主要人が揃ってここにいるんだ? 何かの密会か?」
「……いや。いつもの狼雅さまの悪ふざけだ」
遅れて合流したふたりに黎が事情を説明してやっている間に、真澄は困ったように話を続けた。
「それで、何の店を開いているんですか?」
「銃で撃ったら景品入手、ってやつだ」
「奈織、説明してください」
知尋に促され、奈織が巴愛からようやく離れた。
「はいはーい。要するにこれは、銃火器の宣伝ね。世界のエネルギー源は九割以上が神核で、火薬なんて時代遅れすぎるものなんだけどさ。去年のことがあってから、神核に頼りすぎるのはどうなのよってことで、彩鈴では銃火器の製造をしているの。移動式砲撃台から、この狙撃銃、そんで掌サイズの拳銃まで。どれも性能はお墨付きなんだけど、いかんせん馴染みがないから売れない売れない。そういう訳で、この狙撃銃で遊んでもらおうと思ったわけ」
さすがに奈織の説明は筋道が立っていて聞きやすい。真澄は無言で腕を組んだ。
そもそも、なぜ彩鈴は銃などという軍需武器の開発に力を入れるのか。この大陸に存在する三か国――玖暁、彩鈴、青嵐は完全に停戦協定を結び、平和な時代が幕を開けた。だが、それを妨げようとする無粋な輩が、世界にはまだ存在するのである。海を隔てた先に存在する国。歴史書には何度か、敵として登場する国がいくつもある。真澄らの父の代、さらにその前の時代にも、それらの国は海軍を組織して玖暁領海を侵してきた。海軍を持たない玖暁軍は、海からの攻撃に対処できないのだ。
そこで銃という、自衛の武器が必要になる。銃火器は確かに珍しいから、敵も恐れをなして撤退するだろう。防衛のためとはいえ武器を手放せないやるせなさを、真澄は感じている。
奈織はおかまいなしに銃を構えた。
「さてと、じゃあ遊び方を説明するね。まずはこの地面に引いてある線に立って、銃を構えるでしょ。で、引き金を引く。真正面にある的を倒すことができたら、的に書いてある番号に応じた景品をあげるよ。銃弾は柔らかい素材で、人間にあたってもちょっと痛いくらいで済むから、心配しないでね」
「……痛いのか」
「さすがにこの弾速で飛んできたら、痛いと思うよ?」
地面に引いてある線からおよそ三メートル先に、段状になっている台座が置いてある。その台座のそれぞれの段には数字を書いた木の板が置かれていた。
「つまりこれって、射的よね?」
巴愛が尋ねると、奈織は首を傾げた。代わりに反応を示したのは狼雅だ。彼は巴愛が異世界、厳密に言うと過去の人間であることを知っている。隠し通せずにばれてしまった、というほうが正しい。
「お嬢ちゃんはこの遊びを知っていたのか?」
「は、はい。お祭りの時の定番でしたから」
「ふうむ」
「……我が国の皇妃に『お嬢ちゃん』などと呼びかけるのは、やめていただけますか……?」
真澄の声音が一気に氷点下まで落ちた。狼雅は肩をすくめ、「悪かったって」と謝る。奈織が苦笑いを浮かべた。
「じゃ、今からこの遊びは『射的』ね。ほい、兄貴。見本をどうぞ!」
銃を投げ渡された黎が、なぜだかとても嫌そうな顔をした。それでも無言で線の上に立つと、銃を構える。その姿は見事に様になっており、服装が浴衣姿ということもあって違和感はまるでない。黎は目を細めつつ、引き金を引いた。
――が、銃弾もどきは的を射抜かず、そのやや右をすり抜けて台座にあたった。妙な沈黙が訪れ、その中でこらえきれなかったのか瑛士が「ぷっ」と笑ってしまう。
「……っ! 笑うな、瑛士! ただでさえ初めて銃に触って、しかも私は左目が見えていないんだぞ!」
「言い訳とは見苦しいなあ」
狼雅がぐさりと言葉の棘を黎に突き刺す。奈織がやれやれといった態で、兄の手から銃を取り返す。
「兄貴ぃ、銃の反動で最後に照準がずれたでしょ。正しくは、こう!」
奈織が引き金を引いた。真っ直ぐに飛んだ弾は奈織の真正面、台座の三段目にあった「十二」の札を倒した。巴愛が思わず拍手をしてしまう。
「さすがですね、奈織さんは。でも、今の口ぶりからするとその狙撃銃の開発に奈織さんが関わっているみたいに聞こえましたね。貴方は神核研究者だったのでは?」
昴流の指摘に、奈織が銃を下ろして頷く。
「今だって神核研究者だよ。でもさ、神核は便利だけど、それに頼るばかりじゃいけないって分かったからね。神核に代わるエネルギーを見つけるために、いまちょっと神核の研究はお休み中なの」
――奈織の考えも、変わったということである。
「で、どうだ真澄? やるか? この国の皇が自ら手に取ってくれたら、他の民衆たちも続々と続いてくれると思うんだが」
狼雅につつかれ、真澄は溜息をついた。
「貴方は私に銃を売りつけたいんですか、それとも小金を稼ぎたいんですか?」
「どちらかというと、いまは小金を稼ぎたい。ちなみに、銅貨二枚でいいぞ」
真澄は懐から銅貨を二枚取り出し、黎に渡した。黎はそれと引き換えで真澄に銃を差し出す。
「景品ってなんですか?」
知尋の問いに、狼雅はにやりと笑う。
「当ててからのお楽しみさ」
線の上に立った真澄は、並べられた番号札を見やる。狙撃に関しては奈織や知尋が絶大な技量を持つだろうが、真澄は殆ど狙い撃つということをしない。
外したら恰好つかないなあ。内心で真澄はやや情けないことを考えている。が、ここまで来たからにはやってやらなければならない。
「巴愛。何番が良い?」
「え? えっと、じゃあ十五番」
巴愛が選んだのは、真澄の真正面の札だ。真澄が頷き、銃を構えた。
「弾は三発だ。うまく当たれば、景品が三つ取れるぞ」
狼雅はにやにやと笑っている。真澄と巴愛の仲睦まじい様子を見て思わず笑みがこぼれたのか、それとも何か悪戯が待ち構えているのか。
狙い澄まして真澄は引き金を引いた。パン、と乾いた音がする。そして一瞬後に、十五番の木札は銃弾に当たって倒れていた。
「おお! さすが真澄さま」
瑛士が手を叩く。真澄は照れくさそうに笑った。
「さて、じゃあ次は何番にする?」
「一番はどうです?」
知尋が少々意地悪く提案する。一番の札は最も下の段の、左端に置いてある。狙いにくい位置だ。
「いいだろう」
真澄は快く応じ、引き金を引いた。またしても一発で札が倒れる。その次は巴愛が二十三番を頼んだが、これも呆気なく射抜いてしまった。観客に回っていた仲間たちが感嘆の声を上げる。
「これは天賦の才というべきなんでしょうかね」
李生の言葉に瑛士が頷く。
「きっと真澄さまは、初めて触れた異国の武器でもそつなく使いこなす人だ」
「それもあるだろうけど、巴愛の前だから外すことはできないという重圧のおかげでもあると思うよ」
知尋がほろ苦い笑みを浮かべる。
「まったくお前は大した奴だよ。じゃあこれが、一番と十五番と二十三番の景品だ」
狼雅が屋台の奥から三つの箱を取り出す。それを受け取った真澄は箱を開けてみて、目を見張った。
「……狼雅殿、これが景品ですか?」
「ああ」
真澄の苦々しい口調に、一体どんながらくたが入っていたのかと思った巴愛が真澄の手元を覗き込む。そして同じように彼女も目を見張った。
三つの箱の中には、ガラス製のグラス、美しい宝石のついたイヤリング、同じく小さな宝石がちりばめられた小物入れが入っていたのだ。とても銅貨二枚でもらえる景品ではない。
「これはどう考えても損ですよね?」
「まあな。けど俺たちの目的は、彩鈴って国を知ってもらうことなんだ。彩鈴は神核の産出量が少ない分、鉱石がよく取れる。それを宣伝するためだから、多少の赤字は気にしないよ」
そういう訳だから、もらってやってくれ。狼雅は気前よくそう言って、それらの高価な品々を真澄に渡した。
「今度はちゃんと行商隊を組んで玖暁に行かせるさ。その時は、よろしく取り計らってくれよ」
「……分かりました。必ず」
真澄は頷くと、巴愛を振り返った。
「これは君にあげるよ」
「え!? でも、真澄が取ったものなのに……」
「私にはあまり必要のないものだからな。巴愛が使ってくれたほうがいい」
巴愛は少し迷っていたようだったが、やがて嬉しそうに笑みを浮かべ、狼雅が袋にまとめてくれたそれらの景品を受け取った。
「……有難う!」
大事そうに袋を抱えた途端、まるで万雷の拍手が沸き起こった。ぎょっとして振り返ると、屋台の前には大勢の市民が群がっていたのだ。冷やかしの声だというのはすぐさま分かる。
狼雅が真澄を外へ押し出し、自分も民衆たちの前に立った。
「お前ら、この皇さまみたいに恰好よく恋人や嫁さんを喜ばせてやりたくはねえか!?」
おおっ、と男性諸君の中から歓声が上がる。
「よーし、入れ!」
狼雅が客を呼び込み、あっという間に行列ができあがった。今まで興味はあっても手を出せなかった市民たちは、彼らの皇が射的で遊んでいるのを見て安心したようだ。屋台から押し出された真澄らの元に、黎と奈織が歩み寄ってくる。
「おふたりとも、店番はいいんですか?」
李生の問いかけに、奈織が頷く。
「うん、王さまが真澄たちと遊んで来いってさ」
「へえ、黎はこういう祭りで騒ぐのは苦手だと思っていたんだがな?」
瑛士のからかいの言葉に、黎は憮然とする。
「勅令だからな、臣下としては従わざるを得ない」
「そんな大層なものではないと思いますけどね」
昴流が突っ込む。知尋がくすりと微笑んで腕を組んだ。
「さて、じゃあどこに行きますか? 私たちはあらかた見て回りましたが、黎と奈織は初めてでしょう?」
「うん! いろいろ見て回りたいけど、とりあえずお腹空いたなあ」
奈織がそう言ってぼやいた。――と、そこへ。
「ねえねえ。みんな散々遊んでたみたいだし、ちょっとこっちに寄って行かない?」
「……ん?」
先程黎が現れたときと同じく、真澄たちはそこに立つ人物を見て唖然としたのだった。




