夏の花火と贈り物2
再生暦5020年8月31日
鳳祠真澄――25歳
鳳祠巴愛――20歳
鳳祠知尋――25歳
御堂瑛士――29歳
天崎李生――25歳
小瀧昴流――23歳
時は移ろい、再生暦五〇二〇年八月三十一日――。
この日は日本で言うところの「国民の祝日」であり、玖暁各地で朝から街を挙げての祭りが執り行われていた。何の祭りかと言えば、玖暁の皇である真澄と知尋の生誕祭である。元々八月三十一日というのは皇都で大量の花火を打ち上げる祭日として定められており、その『花火の日』が『皇の生誕祭』に名前を変えて国民の祝日となったのは、ここ十年ほどのことである。花火を見るのが好きだという双子の皇の意向もあり、皇都での花火の打ち上げは毎年行われている。
ただ、昨年五〇一九年のこの日、玖暁は敵国の占領下にあったため、皇の生誕を祝うことも花火を打ち上げることもできなかった。それから一年経って復興した玖暁では、一年ぶりの祭りにだいぶ前から民衆は気合いを入れて準備をしてきたようだ。
この祭りは夜が本番だが、朝から出店が出て賑やかだ。この日ばかりは騎士も廷臣たちも、職務を離れて自由な一時を過ごすことが許される。若手の騎士は何日も前からこの日を待ち望んでいるのだ。玖暁の各地、時には隣国からも観光客が大勢皇都を訪れて祭りを楽しむが、皇都の民で通の者は、朝昼晩と三回街に出てそれぞれの時間帯で祭りに参加するのである。
そんな風に浮かれているのは、実をいうと真澄と知尋も同じなのである。が、彼らはさすがに職務を放り出して、という訳にはいかない。夜に思いきり羽を伸ばすために、午前中の間に仕事を終わらせてしまおうと躍起になっている。仕事を持ってくる矢須も気を遣ってくれて、いつもより書類の束は少なめだ。そんな気遣いに感謝しつつ真澄は本日の仕事を終え、日が暮れはじめたころには自室に戻っていた。通常真夜中を過ぎて帰宅――皇城の規模を考えれば『帰宅』が適切な表現だ――する真澄からすれば、異常ともいえる早さだ。
「ただいま、巴愛」
「お帰りなさい!」
巴愛が微笑んで真澄を出迎えた。今日の彼女は浅葱色の和服だ。暖かい色が似あう彼女だが、こういう爽やかな色も新鮮で美しい。朝から彼女は上機嫌で、お祭りごとが大好きなのだと言っていた。それを抜いても、こんなに早い時間から真澄と一緒にいられるのが嬉しくてたまらない。
「今日は本当に早いのね」
「ああ。まあ、年に一度の祝日だからな」
「もう……そこは『誕生日だから』って言うところでしょ?」
苦笑した巴愛は、ソファの上に置いてあった何かの包みを持ち上げる。両手に乗るくらいの軽い『何か』が、綺麗に包装されている。
「はい。お誕生日おめでとう、真澄」
差し出されたその贈り物を前に、真澄はきょとんとして瞬きをした。
「俺に……か?」
「当たり前です。来年の誕生日にはちゃんとした贈り物をしますからって、去年連城の街で言ったでしょう?」
昨年のこの日、真澄は青嵐の手から奪還した連城という都市にいた。それを思い出し、「そうだったな」と頷いてその包みを受け取る。
「開けてもいいか?」
「勿論」
包装紙を解いていくと、柔らかな布地が手に触れた。これは、と思いつつそれを広げてみる。
それは深い蒼色の和服――要するに浴衣だった。ベースの深い蒼より少し薄めな色で、細く縦縞が入っている。いよいよ驚いた真澄が顔を上げ、巴愛を見つめる。
「まさか、縫ったのか」
「うん。葵生に手伝ってもらって、結構前から少しずつ……あたし、裁縫とか得意じゃなかったから縫い目が不揃いなところもあるんだけど……」
「いや、綺麗にできているよ。すごいな……浴衣とは手作りできるものだったのか」
根本的なところから真澄は驚いているようだ。そこまで驚かれてしまうと、逆に巴愛が恥ずかしくなってしまう。
「ま、真澄に何をあげればいいのか分からなかったし、いつも身につけていられるものも着物くらいしか思いつかなくて……その、他の人にもらったものに比べれば、すごく安物なんだと思うけど」
「他の人? こんな風に誕生日の贈り物をもらったのは、これが初めてだぞ」
「え!?」
皇である真澄への贈り物は、山のように積み重なっているものだとばかり思っていた。それこそ巴愛と出会う前は、『是非私を皇妃に』という貴族の令嬢たちが貢物を繰り返していたのではないかと。
「昔から、物は受け取らないようにしていたんだ。瑛士などは『物より食い物でしょう』とか言ってお勧めの店に連れて行ってくれて、夕食を馳走になることが多かったが」
「どうして、物は受け取らないの?」
「……誕生日の祝いにと贈られた装飾品に、小さな毒針が取り付けられていてな。触れる前に気付いたから良かったようなものの、それ以来あまり交流のない人間からの好意は無闇に信じないようにしてきた」
途端に重苦しい話になってしまい、巴愛が沈黙する。真澄は微笑んだ。
「だから、こんな風に誕生日を祝ってもらったのは初めてだ。有難う……とても嬉しいよ」
「ほ、ほんと?」
嬉しそうに笑った巴愛を見て、真澄もさらに笑みを深くする。こんなに心のこもった贈り物は、本当に初めてだったのだ。そんなものを愛する人からもらえたことが、何よりも嬉しい。
「……やはり君が隣にいれば、歳をとるのも悪くないな」
二十五歳となった真澄は、そう満足そうにつぶやいた。
その後、ふたりは軽めに夕食をとった。このあと夜になってから街に出て色々と立ち寄る予定だったが、さすがに屋台の食べ物で夕食を済ませるわけにはいかなかったのだ。皇と皇妃ががつがつと食べるのもはしたない。
真澄は早速、巴愛が仕立ててくれた浴衣を身につけた。見事に真澄の背丈とぴったりだ。すごいな、と思ったが、考えてみれば巴愛と生活しているこの部屋には真澄の着衣が普通にあるのである。それと比べながら作ったのだろう。真澄は浴衣一着を作るのにどれだけの時間がかかるのか詳しく知らないが、かなりの時間と労力を費やしてくれたはずだ。
そのあとふたりは、部屋の露台へ出た。皇都の南を流れる川のほとりで一万発近い花火を打ち上げるので、南向きのこの露台が絶好のスポットなのだ。
「花火を見るのもお祭りも、本当に久々!」
まだ花火は始まっていないが、僅かに聞こえてくる祭りの歓声で巴愛の気分は早くも高揚しはじめている。
「俺もここまで浮かれた気分になったのは久々だ」
真澄はそう言ったものの、ちらりと見上げた真澄の横顔は「浮かれている」という感情とは真反対の落ち着いた笑みを湛えていた。本当に素直に感情が表に出せない人なんだなと思うと同時に、少女のようにはしゃいでいる自分が恥ずかしくなった。
「一昨年はこの露台にテーブルを出して、俺と知尋、瑛士、李生の四人で花火を見たんだ。けど、あの四人で集まっても興味は花火より酒と食事に向いてしまってな。この日以外にも玖暁では割と花火を打ち上げることが多かったから、正直いつでも見られると感じていたんだが――」
手すりに寄りかかった真澄は、暗い夜空を見上げた。
「去年は一度も花火を見なかった。それがなんだが悲しくて……だから今日と言う日を本当に楽しみにしていたんだよ。これは他国に誇れる玖暁の文化で、今年は復興の象徴でもある。巴愛にそれを見せてあげることができて――いや、俺の隣で一緒に見ることができて良かった」
根が真面目で堅苦しい真澄は、ふたりきりになってもやはり真面目だ。これで「やばい、いますげえ嬉しい」とか真澄が言ったらあまりのギャップに驚くけれど、もう少し砕けてもいいのに、とは思う。
――まあ、これが真澄らしいところで、巴愛が好きなところなのだけれど。
真澄は懐から懐中時計を取り出して時刻を確認する。十九時丁度である。
「そろそろ始まるな」
その言葉で真澄は目を凝らす。「あのあたりだ」と真澄が指差した場所を凝視していると――空へ駆けあがる、一筋の光が見えた。
一瞬消えたその光は次の瞬間、雲一つない夜空に大きな音とともに巨大な赤い花を咲かせた。それを合図に、次々と大量の花火が打ち上げられる。
「すごい! 綺麗……!」
巴愛の目が輝いている。真澄はそれを見て頷く。
地元の河川敷で夏に行われていた花火大会では場所取りに出遅れることが多く、人の波に押されて殆ど花火は見えなかった。少し離れた友人宅のマンションの屋上に陣取っても、予定外の高層ビルが目の前に立ちはだかって音だけしか聞こえなかったりと、幼少時の巴愛には花火をまともに見た記憶がない。こんな風に目の前で、しかも他の誰の邪魔もない場所で花火を見られるなど、夢のようだ。
手すりの上に乗せていた巴愛の手を、真澄の大きな手がそっと包み込んだ。真澄を見上げると、色とりどりの花火の光で横顔を照らされながら、何かを言う。大音量の花火に負けないように声を張っているが、それでも少し聞こえにくい。巴愛はなんとか音を拾いつつ、真澄の唇を読んだ。
「気に入ってくれたか?」
その質問に、巴愛は何度も頷く。真澄は微笑んだ。
この花火は夜更けまで続く。巴愛と真澄はたっぷりと花火を堪能し、室内へ戻った。祭りは始まったばかりで、夜はまだ長い。ここで「よし、出かけよう」ということになったのである。
ふたりとも着の身着のまま、財布だけ懐に突っ込んで部屋を出る。なんて簡単なのだろう。とても皇と皇妃の外出とは思えない。ここ最近は仕事づめだった真澄が皇城から出るのも久々である。
――という後姿を見送ったのは、当直の警備にあたっていた御堂瑛士と天崎李生である。騎士団長と主席部隊長が直々に警護するというのも奇妙なことであるが、部下たちを祭りに送り出してしまった手前、ふたりが務めざるを得なかったのである。ふたりとも気楽な独り身だが、さすがに見送るのは切なかったりもする。
「警護対象が出かけてしまいましたが、俺たちはどうします?」
李生が首を捻って瑛士を見やる。瑛士は腕を組んだ。
「知尋さまは早々に昴流を捕まえて祭りに行ってしまったからなあ」
「最近、やたら小瀧が知尋さまに振り回されている気がしますね」
「昴流は融通が利くから、お忍びで連れ歩くのに丁度いいんじゃないのか? 一緒にいれば知尋さまが不用心と咎められることもないだろうしな」
「……今頃散々、知尋さまの無茶ぶりに付き合っているのでしょうね。可哀相に……」
「仕方がない、俺も李生も通ってきた道だ」
本人がいないところでかなり酷いことを言っているが、別にふたりは気にしない。瑛士は腕を天井に向けて突き上げて伸びをした。
「さあて、じゃあ俺たちもたまには出かけてみるか?」
「遊びに?」
「遊びと言うな。あくまでも、真澄さまと巴愛の警護さ。遠くから気付かれないように見守っていればそれなりに恰好はつく」
「それもそうですね」
李生は苦笑いし、瑛士とふたりで廊下を歩き始めた。
「真澄さまと知尋さまがお生まれになって二十五年。俺がお傍に仕えるようになって十二年。……そして俺は今年で三十歳。嫌だねえ、年月が経つっていうのは」
ぼやく瑛士をなだめつつ、丁度二ヶ月前に二十五歳の誕生日を迎えた李生は瑛士の背中を押して行った。内心では、そろそろ「おじさん」と呼ばれてもおかしくない年だな、という危機感を李生も抱いていたのだが。
そんな悩める騎士ふたりより一足先に街へ下りた真澄と巴愛は、人の流れに身を任せて露店を見て回っていた。打ち上がる花火を背景に、大通りはその音にも負けないくらいの活気で溢れている。皇都の民の慣習に従って、巴愛も葵生とともに昼間ここを訪れたが、やはり夜のほうが雰囲気がある。
「すごい人気……!」
「そうだな。さすがにここまで歩くのが困難なほど混み合っているのは、俺も初めてだ」
真澄はそう言うと、さりげなく巴愛の手を握った。はぐれないようにか、繋ぎたかったのか。まだ恥じらいが抜けない巴愛は赤面し、俯きつつ真澄に手を引かれて歩いていく。
お祭りの露店といえば、食べ物の屋台、娯楽の屋台、装飾品を売る屋台など様々ある。勿論玖暁のこの祭りでも似たようなものだ。さすがに焼きそばやお好み焼きはないし、輪投げやヨーヨー釣りもないが、それに限りなく近い。
「兄皇陛下、お誕生日おめでとうございます!」
「陛下、皇妃さま、ご結婚おめでとう!」
行く先々でそう祝福の言葉をかけられたが、民衆たちは真澄と巴愛を寄ってたかって取り囲もうとはしなかった。真澄も巴愛も皇都の人々にとっては身近な人だし、今日この日は皇といえども祭りを楽しむ一市民だ。みんなで楽しめればそれでいいのである。
花より団子とはよく言ったもので、巴愛には今のところ食に対する興味しかない。太るという問題は、今日という日だけは捨て置くことにする。食い意地が張っていると言われない程度に、玖暁北部産のソーセージをパンに挟んだもの――要するにホットドックを食べ、夏の風物詩であるかき氷を食べる。いつも食べているものと何ら変わりがなくとも、やはり雰囲気とは大事である。真澄はこの祭りを熟知しているので、「ここのこれは美味しい」とか「あれは少し辛いが、なかなかいけるぞ」ということを色々と知っている。
通りを歩いていると真澄に腕を引かれ、指し示された先には「浅田の手作りプリン」という看板がたっていた。にやにやと笑っている真澄の表情を見て、巴愛が確認するように尋ねる。
「あのプリンって、知尋さまが好きだっていう……?」
「そう、そのプリンの店だ。……折角だから食べてみるか?」
かなり面白がっている様子で真澄がプリンを買ってきた。頻度的には知尋が真澄をからかうことが圧倒的に多いのだが、真澄も真澄で知尋のことをネタにする。この双子はお互いをからかって楽しんでいるのだ。仲が良くて巴愛にはうらやましい限りだ。
フルーツもクリームも乗っていないプリンを、スプーンですくって口に運んでみる。その味は、本当に家庭で作るカスタードプリンそのものだ。巴愛にとってはどこか懐かしい味で、ありふれたものであるはずなのにとても美味しく感じる。
「な、なんかすごく美味しい」
驚きに満ちた感想を述べた巴愛に、真澄は苦笑を浮かべる。
「どこも特別なところはない、普通のプリンなんだけどな。これが午前中で売り切れることも多い人気のプリンなんだ」
「売り切れちゃうのも納得って感じね。……あ、知尋さまに教えてあげたほうがいいかな?」
巴愛が尋ねると、真澄はにやりと笑った。
「あいつがこの店を見逃すわけがないだろう? もう買って行ったらしいぞ」
「そ、そうなの?」
「実際に買ったのは昴流だったみたいだけどな。あいつはどうしてか、ここのプリンが好きだということを隠したがる。俺たちにも店の店主にもばればれだから、少し滑稽だな」
そんな話をしながら、ふたりは道なりに大通りを進んでいく。それまでは食べ物の屋台ばかりだったが、このあたりから輪投げができる店やら装飾品の店やらが軒を連ねている。それらに目を奪われつつさらに進むと、大きな広場に出た。いつもは子供用の遊具が置かれているが、この日は遊具を片付け、代わりに大量のテーブルと椅子が出されている。そこはほぼ満席だったが、あるひとつのテーブルに見知った顔があることにふたりは気付いた。
「知尋。それに昴流も」
「ああ、ふたりとも。ふたりも小休止ですか?」
知尋が微笑む。知尋と昴流の前には酒が入っていると思わしきグラスが置いてあるが、それを前にした昴流はしきりに財布の中をまさぐっている。
「どうしたの、昴流?」
巴愛が尋ねると、昴流は肩をすくめた。
「それがですね……ここに来るまで色々食べたり飲んだりしたんですけど、それ全部僕の自腹なんですよ……おかげで財布が底を尽きますって」
「全部昴流に奢らせたのか?」
真澄が呆れたように知尋を見やる。知尋は微笑んだ。
「瑛士も李生も通ってきた道です。諦めてと最初に言っただろう?」
どうやらそのことは知尋も自覚しているらしい。昴流ががくりとテーブルに突っ伏す。彼も酒が回っているのか、皇の目の前でそんな態勢をとることなど普段の彼ならまずない。
「少しは遠慮してくださいよ、もう……!」
真澄と巴愛が気の毒そうに顔を見合わせたとき、彼らの背中に声がかけられた。その声は低い男性の声だったが、ただ地声が低いだけではなくどこか不機嫌な響きを含んでいた。
「兄皇陛下。こちらで新しい祭りの娯楽を始めてみたのですが、1度やっていきませんか」
「……ん?」
どこかで聞き覚えのある声だ。そう思って真澄が振り返った瞬間、真澄は目を見張った。それほど、思いがけない男の登場だったのだ。




