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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
玖暁―――輝ける陽光の国
23/43

夏の花火と贈り物1

再生暦5020年5月

鳳祠真澄――24歳

鳳祠巴愛――20歳


※この話はR15と思われる表現を含みます。

 再生暦五〇二〇年五月――鳳祠真澄と九条巴愛は夫婦となり、巴愛は皇妃となった。


 婚礼の儀は無事に終わり、月も中点を過ぎたころ、巴愛はひとり寝室のベッドに腰掛けたまま堅くなっていた。室内には誰もいないのだが、これから来る人と行われることを想像すると、嫌でも身体が堅くなる。


 ちなみにこの部屋は、巴愛があてがわれていた皇妃の部屋ではなかった。真澄の部屋でもない。ではどこかというと、寝所の棟で歴代の皇が使っていた部屋だ。真澄と知尋というふたりの皇がいるので、どちらかひとりがこの部屋を使うというのは躊躇われたのである。が、これからのことを考えれば仕方がないことだ。ふたりが同じ部屋で過ごすことができるほどの規模があるのは、この部屋だけなのだから。


 ――厳密に言うと、そんなことはない。少なくとも二十一世紀の日本の一般家庭に育った巴愛に言わせてみれば、前に使っていた部屋でさえ三、四人は暮らせる広さだったと思う。やっぱり、皇族とは価値観が違う。


 で。


 巴愛は晴れて真澄と夫婦になったこの日から、この馬鹿みたいに広い部屋で毎日真澄と過ごすのである。


 緊張するなというほうが無理だ。そもそも男性とふたりきりになった経験すら、まともにない。


 巴愛は婚礼の儀の準備の段階で、瑛士に聞いたことを思い出す。あれは確か二か月ほど前である。


「真澄さまって、知尋さま以外に兄弟はいらっしゃらないんですか?」


 真澄と知尋、瑛士の四人でお茶をしていた時のことだ。真澄と知尋が急な謁見客ということで呼び出されていってしまい、残った瑛士に巴愛は前々から疑問に思っていたことを尋ねたのだ。瑛士は珈琲を飲みながら首を傾げる。


「なんだ、急に?」

「いや、その……皇さまって、たくさんの側室を抱えていて、たくさん子供がいたり……っていうのが普通かな、と思っていたんで……」

「ああ、まあそうだよなあ。多分真澄さまは、お前以外の妃など娶らんだろうが」


 真澄さまは巴愛一筋だからな、と瑛士は笑う。大声でそう言われてしまうとさすがに巴愛も恥ずかしい。


 皇として、真澄も知尋も型破りなのである。真澄は側室など迎えないだろうし、知尋はそもそも結婚して子供を作るつもりすらない。そういう点で言えば、隣国の狼雅(ろうが)もまだ独身である。


「……も、もしかして、前皇もそうやって皇妃さま一筋の人だったとか……!?」


 悪政皇と呼ばれた人が、そんな一途な人だったとは想像できないが、他に考えようがない。そう尋ねると、瑛士は首を振った。


「いや。聞いた話では……前皇はたくさんの側室を召し抱えていたらしいぞ」

「え? そうなんですか?」

「ああ。それで玲華(れいか)さま……皇母さまが真澄さまと知尋さまを生んだときに、他の側室たちをすべて皇城から追い出したんだ」

「追い出した……!?」


 瑛士は頷く。


「前皇にとって重要だったのは世継ぎをつくることなんだ。いや、それすら皇には関心がなかった。前皇の興味は戦にのみ注がれ、結婚だ世継ぎだというのは廷臣たちにうるさく言われて、仕方なくやったことなんだよ。で、言われた通り子供を作ったから他の女性は必要なくなった。むしろ邪魔だと考えたんだろう……殺さなかっただけマシ、と言う者が大半だがな」


 そんな風にいとも簡単に切り捨てられてしまうなんて。まるで大奥みたいだな、きっと熾烈な女の争いがあったに違いない。「子供を産んだ者勝ち」ということだ。


 だが、そうして真澄と知尋を生んだ皇母は、たった二年ほどで命を落としてしまった――。


「真澄さまはそんなことはしない。女性に免疫がなかった分、真澄さまは一途だからな、安心しろ」


 瑛士はそう言って巴愛を励ましたのだった。勿論巴愛は真澄を疑ってなどいない。


 そう、確かに真澄は優しいし、巴愛を大切にしてくれる。――どこまで、そうしてくれるのだろうか? 昔、男はみんな獣だ狼だと脅された記憶が――。


 扉がノックされた。巴愛は回想を強制的に打ち切らされ、飛び上がった。


「は、はい!」


 裏返りかけた声でそう応じると、寝室の扉が勢いよく開いた。


「遅くなってすまない、巴愛! 狼雅殿がなかなか解放してくれなくて……!」


 真澄は相当急いで来てくれたのか、息を切らせていた。披露宴会場からここまで、歩いて『十五分』ほどかかる。それを一気に駆け抜けてきたのだろうか――?


「だ、大丈夫ですよ。そんなに急がなくても……」


 真澄が息を切らせるなんて滅多にないことだ。巴愛は慌てて水をコップに入れ、真澄に渡す。真澄は礼を言ってそれを受け取る。巴愛はそそくさとベッドから二人掛けのソファに移動した。


「いや、初日から待たせるのはどうかと思ってな。……とかいう割には、思い切り待たせてしまったわけだが」

「っ……!」

「? 何を想像したんだ?」


 笑みを浮かべながらの言葉に、巴愛はかあっと赤くなる。真澄は寝室の入り口に佇んで、改めてリビングを見やった。壁際には、料理好きな巴愛のために簡易キッチンが備え付けられている。それを抜きにしても、走り回れるくらいに広い。


「……しかしまあ、これだけ広いと、さすがに落ち着かないな」

「ま、真澄さまでも落ち着かないんですか?」

「俺はどちらかというと、小ぢんまりとした家屋のほうが好きだ。二十四年もここに住んでいるが、いまだに俺には不釣り合いな場所だと思っている」


 真澄の言葉が次第に砕けてくる。


「家具が少ないから、無駄に広く見えるんだな。もう少し何か置いたほうがよさそうだ……巴愛も、何か欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ」

「あたしはキッチンを取りつけてもらっただけで、とりあえず満足です」

「また菓子でも焼いてくれるのか?」

「はい! 真澄さまが言ってくださるなら、ご飯の用意も」

「それは有難いが、良いのか? 俺はあまり遠慮しないから、下手をすれば毎日要求するかもしれないぞ」

「全然! むしろそのほうがあたしも嬉しいです」


 そう意気込むと、真澄は笑みを浮かべた。


「君はまったく……俺を太らせたいのか?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「冗談だよ。有難う、楽しみにしている」


 真澄は寝室の扉を閉めると、ソファに座っている巴愛の隣に腰を下ろした。いきなりの超至近距離接近に、巴愛の心臓は破れてしまいそうである。


 ――もうっ。散々一緒にいたのに、どうしていまだにこんなにどきどきするのだろう? 巴愛はそう自分に問いかけたい。それどころか日に日に酷くなっているような気がする。


 真澄はちらりと、かちこちに緊張している巴愛の横顔を見やった。そしておもむろに口を開く。彼が話し出したのは他愛のない世間話だった。さっき狼雅にこんなことを言われたとか、明日の天気は良さそうだとか、玖暁にはこんな観光スポットがあるんだ今度行かないかとか、そんなことばかりである。その脈絡のない話に相槌を打つうちに巴愛の緊張も緩んできた。


 こんなはずじゃないよなあ、と巴愛は内心で首を捻る。長い長い婚礼の儀が終わり、やっと二人きりになれたのに、するのは世間話って……いや別に、何を期待しているわけでもないが。


 ただ、小さいころから少女漫画が大好きだった巴愛としては、甘い展開を想像したくもなるのである。


「……とまあ、そんなことがあったわけだ」

「すごいですね、それ!」

「だろう? ……」

「……」


 話が一段落する。と、ふたりの間に気まずい沈黙が流れてしまった。


(な、何か話題……!)


 巴愛が焦りながら話題を探す。すると真澄は、急にくすくすと笑い始めた。巴愛が驚いて真澄を見る。


「えっ、な、何か変でした!?」

「……可愛いな」

「へっ!?」


 可愛い。その単語を真澄の口から聞いたのは初めてのような気がする。


「君が今どんな状況なのかが、手に取るように分かるから。その変化を見ているのは、結構面白い」

「た、例えば?」

「最初は緊張で固まっていただろう。俺が話しはじめると緊張も和らいだようだし、今の沈黙では何か話題をと焦っていた」

「う」


 図星を刺されて巴愛は呻く。真澄は心底楽しそうに笑っている。


「そうやってころころと感情を変える君が、なんだかとてつもなく愛おしくなったんだ」

「っ……ま、真澄さま。言っていて恥ずかしくないんですか?」

「……恥ずかしいよ、すごく。だが、やはり思ったことは口に出してこそ伝わると思うからな」


 恥ずかしいなどと言いながら、巴愛と惹かれ合いはじめた頃とはやはり違う。あのころは真澄も、何か浮いた言葉をひとつ口にするだけで真っ赤になっていた。今は赤面すらしない。


 どうしてこんなに早く慣れるのだ?


「巴愛。こっちを向いてくれ」


 恥ずかしさのあまりに俯いていた巴愛に、真澄がそう呼びかける。おずおずと顔を上げて横にいる真澄に顔を向けた瞬間、ふわりと真澄が巴愛の華奢な身体を抱き寄せた。そしてそのまま、ゆっくりと唇を塞がれる。


「っ……! 真澄、さま」


 唇が離れた瞬間に、巴愛が呟く。真澄は微笑んだ。


「――昔から、知尋に心配されていたんだ」

「え……?」

「俺がこういうことに、あまりに興味を示さなかったから……だがどうやら、俺にも人並みに男としての感情があったらしい。いま、それを認識した」


 真澄はもう一度巴愛にキスをする。今度は準備ができていたので目を閉じて受け入れたが、さっきとは比べものにならないほどに激しい口づけに、巴愛は驚いた。いつだって優しく触れるだけだったのに、いまは深く深く巴愛を味わっている。溶けてしまいそうだ。


 さすがにこれ以上息が続かないという状況になって、ようやく真澄は巴愛から離れた。慌ただしく呼吸をする巴愛だったが、あまりのことに全身から力が抜け、真澄の腕の中にしなだれかかってしまう。


 すると真澄は巴愛の肩に手を回し、もう一方の手を膝の裏に入れ、ひょいと持ち上げてしまった。何度目のお姫様抱っこであろう。いや、いまの巴愛は姫と呼ばれても、決しておかしくはないのだが。根っからの庶民である巴愛には、いちいち驚きである。


 真澄は抱き上げた巴愛を、天蓋付きの豪奢なベッドに仰向けに寝かせた。真澄もベッドの上に乗り、巴愛を見つめる。


「……今まで、散々我慢してきた。やっと夫婦になって、ふたりきりになれた。――もう、いいよな?」


 巴愛を見下ろす真澄の目は、いつもの彼とはどこか違った。皇として臣下たちをまとめる時の瞳ではないし、巴愛に優しい言葉をかけてくれる時の瞳でもない。どこか、その青い瞳の奥に炎がくすぶっているような色がある。それを見た巴愛は、どんなに優しくてどんなに爽やかな人でも、男は男なんだと改めて実感する。


 今まで散々我慢してきたらしいが、それが本当なら真澄はかなりのポーカーフェイスであり忍耐家だ。だが我慢しなければならない理由はちゃんとある。普通、男女が身体を重ねるのは結婚してからだというのが、この国での暗黙の規律だったのだ。側室を抱える皇ともなればそんなことは関係ないが、庶民の間ではそれははしたないことだとされている。真澄もきっちりそれを守っていたのだ。


 巴愛が小さく頷くと、真澄は少し笑った。


「巴愛。最初に言っておくけれど、俺は子が欲しい」

「子、供……」

「ああ。世継ぎがどうとかこうとかは、関係ない。俺と巴愛の子なら……俺は心から、その子を愛することができると思う。俺の子を、産んではくれないか?」


 要するに、避妊はしないと。当たり前だ、真澄はどう言っても世継ぎを設けるために身体を重ねるのであって、避妊してしまっては何の意味もない。


 巴愛はまだ二十歳だ。母になるには若いし、ちゃんと親になれるのかは心配だ。だがそれでも――。


「はいっ……あたしも、真澄さまの子供と会いたいです……っ」


 そう言うと、真澄は心からほっとしたような表情で頷く。


「有難う。……ところでその、喋り方なんだが」

「え?」

「いつまで俺にそんな他人行儀な口を利くんだ?」

「こ、これはもう癖で……」


 弁解すると、真澄は不敵な笑みを浮かべた。


「……今日は、君が俺を呼び捨てるまで、寝かせてやらないからな」

「そっ、そんなぁ、真澄さま……」

「言っている傍からそれか? 減点一だ」

「!」


 案外この人はSなのかもしれない。巴愛はそう直感で感じ、そしてそれは真実だった。



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 身体の左側が暖かい、というのが、ゆるゆると覚醒した巴愛の感想である。窓から差し込む光に目を細めつつ、ちらりと視線を上げる。そこには真澄の寝顔がある。巴愛が枕にしていたのは真澄の右腕で、彼女はぴったりと真澄に身体を寄せて小さくなって眠っていたのだ。


 なんて無防備な寝顔なんだろう。こんな間近で彼の顔を見たのは初めてだ。いつだって臨戦態勢で心休まる時間など一時もなかった真澄は浅い眠りを繰り返すだけで、ぐっすり眠ったことなど子供のころ以来あまりないのだそうだ。それなのに、真澄は優しく巴愛を抱き寄せたまま規則正しい寝息を立てている。これは熟睡モードだ。


 昨日、厳密に言うと日付は変わっていたので今日だが、このベッドの上で繰り広げられた情事を思い出すと、顔から火が吹き出しそうに恥ずかしい。真澄の言葉と動作に責められ、自分でも耳を疑うような甘い嬌声を上げさせられた。耐え切れなくなって「真澄」と呼ぶと、それまでの激しさは急に鳴りを潜めて真澄は優しくしてくれた。それからはほっと安心できるような、それでも波のように襲ってくる快楽に身を委ね、真澄を受け入れたのだ。


 ――本当にこの人、あれが初体験だったのか?


 そう疑いつつもう一度真澄を見上げると、視線を感じたのか真澄が小さく身動きした。そして目を開けた真澄は、信じられないほど掠れた声でぼんやり尋ねた。


「……いま、何時だ?」

「え? えっと、朝の七時半」

「……しまった、寝過ごしたな……」


 真澄は基本的に朝の五時だか四時半だかに起きている。彼からすれば、七時半は大寝坊である。


 ふわ、と欠伸をした真澄は、もう一度目を閉じてしまう。


「まあ、いいか……たまに寝坊するくらいは」

「い、いいんですか……?」


 昨日の婚礼の儀に出席した来賓の多くが、この皇城に宿泊している。真澄は彼らの相手があるはずだが、真澄は頷く。


「知尋がなんとかするだろ。それくらい気を遣ってくれなければ困る。もう少し、だらだらしていたいな」


 欠伸をしたり、だらけていたいと言ったり、普通の真澄からは想像できない一面だ。そう思って真澄を見上げていると、真澄は目を開いた。


「なんだ、そんなに物珍しそうな顔で」

「真澄さまがだらだらって、ちょっと想像できなくて」

「俺だってできることなら毎日だらけていたいぞ」


 本音がだだもれだ。と、真澄はくるりと態勢を変えた。それまで仰向けだったが、腕枕している右腕はそのまま、右側を向いて巴愛と向き合う形になる。


「で、なんで一度できたことができなくなっているんだ?」

「……え、あっ、えっと。ま、真澄……?」

「まったく……」


 真澄は苦笑した。そしてベッドの上に身体を起こす。もう少し寝ていたかったようだが、どうやら目は完全に覚めてしまったようだ。乱れた髪の毛を掻く。


「仕方ないな、起きるか……」

「う、うん……」


 巴愛がばっと身体を起こす。と、下半身に鈍痛が奔った。思わず顔をしかめて呻いてしまう。


「あぅっ……」

「! おっと」


 巴愛の肩を、真澄が支えた。真澄が不安そうに尋ねる。


「大丈夫か、巴愛? すまん、酷くやりすぎたようだな……」

「う、ううん、平気……」


 首を振ったが、真澄は困ったような笑みを浮かべて首を振る。


「無理をするな。痛みがなくなるまでゆっくり寝ていてくれ」


 真澄は巴愛をそっとベッドに横たえ、その着物の前を直してやった。真澄がそうしてくれるまで巴愛は着物の胸元をはだけさせていて、今更になって羞恥心で真っ赤になる。


 真澄が寝着から着替えるときの逞しい身体つきを惚れ惚れしながら眺め、真澄がものの三分ほどで身なりを整え終えてしまうと、なんだか急に寂しくなった。真澄は仕事があるのだから引き留めてはいけないと思いつつも、ついつい呼び止めてしまう。


「……もう、行っちゃうの?」


 真澄はそれには答えず、無言で巴愛の唇を塞いだ。それは限りなく優しかった。いつもの真澄だ。


「時間が空いたら必ず戻ってくる。だから大人しく寝ているんだぞ?」

「うん……分かってる。行ってらっしゃい、真澄」

「……ああ。行ってきます」


 真澄は嬉しそうに微笑むと、部屋を出て行った。


 執務室では、真澄に代わって知尋が業務をこなしていた。入ってきた真澄を見た知尋は、ふっと愉快そうな笑みを浮かべる。


「――昨夜はお盛んだったようですね?」

「うるさい、ほっとけ」

「はいはい……でも、ほどほどにしておいてくださいよ? 彼女に何かあったら、昴流と葵生(あおい)がぶち切れますからね」


 この弟には何もかもお見通しなのだ。真澄はやっと、いつもの不器用な青年へと立ち戻っていった。

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