閑話 守るべきささやかな幸せ
再生暦5019年12月
鳳祠真澄――24歳
鳳祠知尋――24歳
思い出に浸っていると、いつの間にか昴流と大典の姿はなくなっていた。気を遣ったのか、それとも知尋に近寄りがたいオーラが出ていたのか。ともかく、尋ねられても説明のしようがない気持ちがあるので、そっとしておいてくれたふたりには感謝する。
知尋は花を置いた隣に座り、満点の夜空を見上げる。屋上にいるだけあって、いつもより空は近い。
今の私を君が見たら、「未練たらたら」だとでも言うだろうか? 言いそうだ、と知尋は苦笑した。無用な混乱を避けるために誰とも結婚するつもりはないと言ったが、心の奥には初恋を忘れられないという気持ちがある。
私のことなんて忘れて、早くいい人を見つけてくださいよぉ。彼女の声が耳元で聞こえるように、知尋はその声をよく覚えている。
だが、やはりこれで良いのだ。戸田梓の兄と、彼女本人の命を奪ったという罪は、知尋にとってあまりに重い。命の大切さを知っている知尋だからこそ、重く考える。殺した彼女が、知尋が初めて好きになった人だから重く考えているのだ。
旅の途中、不可抗力だったとはいえ真澄たちを傷つけてしまった知尋は、こういう過去があったから過剰に償いを求めた。償いの答えを見つけるために、仲間たちと話をして回った。
先日、知尋は彩鈴の騎士団長である時宮黎と会った。彼は旅の仲間で、己を失って暴走した知尋を止めてくれた人間だった。彼がいなければ、知尋は真澄を殺していたかもしれない。
『生きる意思が見つかりましたか?』
黎はそう尋ねた。罪悪感に駆られるばかりで生きることを放棄しかけた知尋に、黎は生きろと言った。そのために償いを探せと。知尋は初めて黎を向かい合い、彼に頷いて見せた。
『――はい。私は生涯、私が命を奪った人々のため、私を守ってくれた人々のため、私が守るべき人たちを全力で守り抜きます。これ以上の争いを起こさせない。民たちに寄り添える皇になる。それが私の意思で、償いです』
そういうと黎は笑みを見せ、「それでいいのです」と頷いた。黎が認めてくれたというのは――なんだか純粋に嬉しかった。教師に褒められたような気がしたものである。
「知尋。こんなところで何をしているんだ?」
不意に真澄の声が聞こえた。そちらを見やった知尋は庭園に出てきた兄を認めて、笑みを浮かべた。
「――やれやれ。人が思い出に浸ろうとしているのに、今日は客人が多いですね」
「何か言ったか?」
「いえ、なんでも」
知尋の呟きは真澄には聞こえなかったようだ。
「冬の星空は、綺麗ではないですか。少し眺めていただけです」
そつなく答えると、真澄が腕を組む。
「奇遇だな、私もだ。……とはいえ、真冬の夜風にあまり当たりすぎるなよ」
「ほんとに、真澄は心配性ですねえ」
「お前が、素直に具合が悪いことを教えてくれないからだ。常に気を配っておかなければ、いつ倒れてしまうか分からない」
憮然としている真澄を見て、知尋は微笑んだ。
「……すみません。これからは意地を張らず、調子が悪いときは真っ先に真澄に伝えます」
「……? やけに聞きわけが良いな。どうしたんだ?」
「そんなに不思議がられるほどですか?」
真澄の心底驚いた顔に、今度は知尋が憮然とする。すいっと真澄から視線をそらし、花壇の花々を見つめながら言う。
「人々に寄り添う皇になるには、何よりもまず自分の健康が第一だと思っただけですよ。考えてみれば、私は私の身体を酷使してばかりで、自分から好きで倒れていたようなものですからね。反省します」
「……熱でもあるのかと疑いたいくらいだが、知尋がそうやって自分を省みてくれたのは嬉しいよ」
真澄がそう言うのも無理はない。何せそれだけ知尋の考えは今までと正反対だったのだ。
根底にある「人々のために尽くしたい」という気持ちは、前と変わらない。変わったのはどうやって尽くしていくかということだ。今までは『己の身を犠牲にしても助けられる命を助ける』という考えだった。神核術、それによる治癒という奇跡の術を使えるのは知尋のみ。知尋にしかできないのだから、知尋がやらなければならない。そんな自暴自棄と紙一重の使命感だった。だが今は、『多くの人々を助けるため、自分はなるべく健康でいなければならない』と言った。それだけ彼の視野が広くなり、軟弱だと罵る己の身体に鞭打つのではなく、労わろう、向き合っていこうとしているのだ。
「何か、歴史に残るような大きなことでなくていいんです。みなの小さな……本当にささやかな幸せを、守る手伝いをしたいなって……そう思うんですよ。少しでも人の記憶に残れるような存在になりたい」
「そうだな。そうありたいものだ」
真澄が頷く。知尋はそんな真澄に笑みを向ける。
――さしあたって、私がいま守るべきささやかな、いや、玖暁にとっては大きな幸せはただひとつ。
知尋の楽しそうな笑みを見た真澄は、びくっとして身体を引いた。知尋のこの笑みに身体が条件反射で引いてしまうとは、さすが双子の兄か。
「な、何を考えている?」
「いえ、別に? ただ、真澄は近々妻となる御方を放って、こんなところで油を売っていていいのかな、と思いましてね」
「なんで急に俺と巴愛の話になる!?」
動揺のあまり、真澄の一人称が崩れた。知尋は顎をつまんだ。
「そうそう、先日巴愛に婚礼の儀の衣装を試着してもらったんですが……やっぱり巴愛は着物が似合いますね。本当に、美しいというよりは神々しいと形容すべきですよ」
「お前、俺より先に巴愛の衣装姿を見たのか!?」
「私は真澄と巴愛の婚礼の儀の仕立て役ですよ。これでも私はちゃんと仕事をしているんです」
知尋は衣装や会場すべてをひっくるめたプロデューサーである。確かに知尋が巴愛の晴れ姿を見ても別におかしくはない。真澄が釈然としないのは、なぜ婚約者である自分より先に知尋なのだ、ということだ。
「旦那にはやはり当日に見てもらうのが良いんじゃありません?」
「ぐっ……そうだとしてもだな……!」
「真澄にも後で試着を頼みますからね。堅苦しくて嫌でも、我慢してくださいよ。間違っても着崩したりしないように」
「勿論、それは我慢するが……」
「ふふ、楽しみですね。婚礼の儀」
なんだか怖いな、とぼやく真澄の横で、知尋は星の美しい夜空を見上げる。
――最高の婚礼の儀にしてみせる。知尋にとって大切なふたりが、幸せになれるように――。
知尋はそう誓いを新たにした。
波乱に満ちた再生暦五〇一九年は、残り数日で終わりを迎える。
国内外から大勢の来賓を招いて行う予定の婚礼の儀まで、あと五か月である。




