閑話 月と共に輝く花
再生暦5019年12月
小瀧昴流――22歳
鳳祠知尋――24歳
――そんな昔語りを終えたころには、日はとっぷり暮れていた。南部地方の国とはいえ、さすがに十二月の日の入りは早い。昴流は長居してしまったことを詫び、巴愛の部屋を出た。
幼いころの昴流は、どこか鬱屈していて、それが直っても口調は皮肉っぽくて。友人をからかうことも多かった。そんな昴流が想像できない、と巴愛は驚いていた。確かに最近はそんな風に誰かに接することはなかったし、あったとしても巴愛の前では絶対にそんな態度をとらなかっただろう。
今のように底抜けに明るいのは、昴流の素だ。だが同時に、友人や同僚に接する昴流は今でも子供のころとあまり変わらない。そちらも、昴流本来の姿である。世間では「可愛い」なんて喜んでいいのか分からない形容をされるが、彼は計算高くあくどいという、黒い顔も持ち合わせているのだ。
巴愛さんは、そういった僕の一面を知ったら、受け入れてくれるだろうか?
「昴流!」
煌々と光の神核に照らされた廊下を歩いていると、横合いから声をかけられた。小走りに駆け寄ってきたのは同じくらいの背の、同い年の青年だ。
――ほら、僕がもうひとつの顔で接する友人が来た。
「こんな時間まで、次期皇妃さまのお部屋に入り浸っていたのか?」
「入り浸るって、誤解を招くような言い方はやめてくれる?」
昴流は肩をすくめる。彼は「悪かった」と笑う。
「大典こそ、どうしたんだ? 君が皇城にいるなんて珍しい」
「御堂団長に呼び出されてさ」
勢賀大典。騎士学校を卒業したと同時に、騎士団に入団した、昴流の十年来の親友。
昴流は卒業した次の日には四年間背負ってきた『訓練生』という肩書をとられ、御堂隊に配属された。大典はそれから訓練生として過ごし、一年遅れて同じく御堂隊に配属された。これは、裏で瑛士の手が働いていたとしか思えない。この国の騎士団長は揃って自由な人だな、と昴流は苦笑したものだ。
昴流と大典は同い年ながら、大典が入団六年で、昴流は入団して丸十年だ。二十二歳という若さで入団六年目も相当長いから、十年目の昴流などはもはや古参と言っておかしくはない。そんな古株のふたりだが、昴流が巴愛の護衛に抜擢されてから大典とは疎遠になってしまっていた。
彼は今年の夏、玖暁が青嵐に征服された際は御堂隊のひとりとして皇都防衛にあたっていた。しかし玖暁軍は敗北。殆どの騎士は捕虜となったが、大典は数人の仲間とともに運よく脱出に成功した。皇都から出た大典らは近くの街に身を潜めながら玖暁を放浪し、真澄が天狼砦で挙兵するという報を聞いて駆け付けたのだ。だから昴流と再会したのは、天狼砦でのことだった。
そのまま大典は玖暁奪還の戦いに身を投じた。彼にとっては二度目の解放戦争である。しかし彼はもう十年前の少年ではなく、立派な騎士だった。敵部隊の指揮官を斬り捨てるなど、輝かしい武勲をたてた。
そして終戦し、平穏な生活が戻ってきたいま。大典はやっぱり変わらず、御堂瑛士の下で騎士を続けている。
ふたりは肩を並べて廊下を歩きだした。堅苦しいのを嫌う大典はあまり皇城に近づかないので、こうして城内をふたりで歩くのは久々だった。昔は見上げるほど高い位置にあった大典の顔も、今は昴流の顔の真横にある。
「団長に呼び出されたって、なんで? 何かやらかした?」
「どうしてすぐ俺を問題児扱いするかな」
「確率の話だよ」
「何もやらかしてねえって。ただ、今後の人事で相談されただけだ」
それを聞いて、昴流にはぴんと来るものがある。だが気付かないふりをした。
「昴流、今度部隊長に昇進するんだって?」
「内定だけどね」
「団長は確定だって言っていたけどな。すぐ教えてくれなかったのは納得いかないが、ともかく、おめでと」
大典の素直な賞賛に、「有難う」と昴流は答える。正直自分でもまだ実感が湧かないので、なんとなく大典にも言いそびれていたのだ。
昴流が部隊長となる部隊は、巴愛を守るために編成される親衛隊だ。何の後ろ盾のない平民の娘である巴愛を皇妃にするからには、何かと敵が増える。そういった者から守るため、昴流はさらに巴愛の護衛を強化しなければならない。
「それでさ。新しく創設される昴流の部隊に加わらないかって、団長に提案された」
「……なんて答えたの?」
「『勿論やらせていただきます』」
大典はにっと笑う。
「これから俺は昴流の部下だ。よろしくな」
「君はそれでいいのかい? 同い年の僕の部下になって」
「むしろ嬉しいけどな? やっぱ昴流と一緒は落ち着くし」
昴流は苦笑いした。
「……こき使うよ?」
「体力仕事は任せとけ」
「頼りにしてる。……そういえば、小瀧隊の人員引き抜きは団長がしてくれているけど、その隊員の編成はある程度僕が任されているんだ」
「へえ、部隊長権限って奴だな」
「ああ、最近はずっとその書類を書いているんだけどさ。いま、決めた。勢賀大典を、小瀧隊の副長に据えるよ」
大典が「は?」と素っ頓狂な声を上げる。昴流は微笑んだ。
「僕は用兵は得意だけど、武芸の稽古をつけるのは得意じゃない。だから君に、僕の不得意な分野を補う相棒になってほしいんだ。こんなことを任せられるのは、やっぱり大典しかいない。本当のことを言うと、団長が君を引き抜かなかったら、僕から直談判するつもりだった」
少年のころのまま、強さを追い求めて騎士になった大典は、最近は後輩の新人騎士たちの剣術指南を手伝ったりもしている。昴流はそれを望んでいるのだ。驚いた大典だったが、すぐに自信満々の笑みを見せる。
「了解だよ、部隊長」
「よろしく、副長」
ふたりは足の向くまま歩き、空中庭園に出た。皇城の屋上に造られたこの庭園はちょっとした憩いの場で、城勤めをしている者なら誰でも入れる。四季折々の花が咲き乱れ、噴水もある。この城には空中庭園がいくつもあるが、その中でも美しいのは昴流らが訪れたこの庭園だろう。
昴流は割とここに来るが、騎士団本部のほうにばかりいる大典は初めて来たようだ。夜の庭園は昼とは違ってまた幻想的で、芸術的センスの欠片もない大典でも見惚れるほどだ。辺りを見回していた大典だったが、ふと「あれ?」と声を上げた。
「昴流、あそこにいるの……」
「! 弟皇陛下」
昴流が声をかける。やや円形の庭園を縁取るように並べられた花壇の前に、弟皇の知尋がしゃがんでいたのだ。知尋は振り返ると、昴流を認めて笑みを浮かべた。
「ああ、昴流。こんばんは」
皇らしくない挨拶を口にした知尋はゆっくりと立ち上がる。まさかこの庭園に皇がいるとは思わなかったふたりは緊張しつつ挨拶を返す。知尋は手についた土を払い落とした。どうやら手入れでもしていたらしい。ここには専属の庭師がいるというのに、どうしたことだろう。
知尋は現在、二十四歳。昴流らより二歳年上だが、そうとは思えないほど落ち着いた物腰だ。だが長いこと彼と旅をした昴流は、知尋が優しいだけではなく、巴愛流にいえば「サディスティック」な一面があるということをよく知っている。
「そちらは?」
知尋が大典に視線を向ける。大典は知尋に敬礼をする。
「初めて御意を得ます、弟皇陛下。私は玖暁皇国騎士団御堂隊所属、勢賀大典と申します」
彼でもその気になれば、このくらいの自己紹介はできるのである。知尋は少し考え込み、「ああ」と顔を上げる。
「十年前のクーデターで助力してくれた、騎士学校の子でしたね?」
「え!? 陛下は俺をご存じで?」
驚いた拍子で一人称が「俺」に戻った。知尋は微笑んで頷く。
「瑛士がよく話してくれたし、小瀧隊の編成表は私も確認しましたからね。君の名前は知っていましたよ」
「こ、光栄です」
大典は深く知尋に頭を下げる。昴流が首を傾げる。
「ところで、こんな時間に何をされていたんですか?」
「これだよ」
知尋が指差したのは、花壇に植えられている白い花だった。その花はぼんやりと仄かな輝きを放っている。
「月光花、ですね。月の光を浴びて、自ら光を放つ花……」
「さすがに博識、良く知っているね」
知尋が微笑む横で、「へえ、そんな花もあるのか」と大典が感心して月光花をまじまじと見つめている。
「この花とこの場所には、ちょっとした思い出があってね。夜中にふと思い立って、ここに来るんだ」
「思い出……ですか?」
「ああ。……無力で愚かだった頃の、痛い思い出だ」
知尋の声に並々ならぬ感情がこもっていることを感じ、昴流は沈黙した。知尋はそっと花壇の前にしゃがみ、一輪の月光花を手折った。手折られてなお輝くその花を持って、彼は庭園の中央にある噴水を囲むように置かれた長椅子に歩み寄る。丁度月光花の花壇の真正面だ。
知尋はそっと月光花に口づけると、花を長椅子の上に置いた。そして目を閉じた。それは黙祷のようだった。まるでこの場所で死んだ誰かに、祈りを捧げるように――。
「……君の目から見て、今の私と玖暁はどうなんだろうね。あの頃より、少しは良くなったでしょう?」
知尋が囁くような声で誰かに語りかける。そして大切そうに紡いだその名前は、顔を見合わせる昴流と大典の耳には届かなかった。




