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和装の皇さま ~Another Story   作者: 狼花
玖暁―――輝ける陽光の国
14/43

少年の日の思い出13

再生暦5009年5月

 深夜零時。反乱軍もとい解放軍は粛々として進軍を開始した。昴流ら数名の騎士たちが綿密に調査したルートの中からもっとも守備の薄い場所を選び、下町から皇城へ進んでいく。


 鳳祠真崎は武皇である。四十代も半ばである皇だが、今でも青嵐との戦争となれば最前線に立つ。安全なところに守られていないというのは、評価すべき点であろう。それは桃偉や矢須も含めみなが認めているが、「皇ではなく騎士として生まれるべきだった」とか「戦うために生きている男」とか、廷臣たちの間では囁かれている。


 だが彼が戦いを知りつくし、また類稀なる剣士であることに違いはない。まともに戦ったら、桃偉ですら勝てるかどうか。だとすれば寝込みを襲うしかない。


 けれど――見目に反して慎重で思慮深い桃偉にしては、いささか短絡的な作戦ではないだろうか? 昴流はその思いを禁じ得ない。この大所帯で誰にも見つからずというのは不可能だし、騒ぎになれば当然皇も起きてしまうはずだ。


 ――桃偉には、誰にも話していない秘策でもあるのか――?


 そう思いつつも、昴流は黙って桃偉に従った。


 皇城には、皇族たちの緊急用脱出経路などが様々に張り巡らされている。それを熟知している真澄の案内で、彼らは呆気なく敷地内への潜入に成功した。


 すると、何やら派手な爆発音が深夜の皇城に響いた。ぎょっとした真澄に、瑛士が笑みを向ける。


「あえて騎士団に残していた者たちですよ。あいつらが騒ぎを起こして、敵の目を引きつけます」

「そうだったか……これで少しでも戦いを回避できればいいが」


 味方による援護だということを、昴流もすぐに見抜いていた。だが、やはりどこか腑に落ちない。あらぬ方で騒ぎを起こせば確かに兵士たちの目はそちらに向けられるが、逆に皇の身辺警護は厳しくなるのではなかろうか。


 城内を熟知している者たちが多いため、皇の寝所に近寄るのは容易かった。巡回兵もきっちり把握済みらしいし、それでなくともさっきの爆発のほうに駆り出されているのだろう。城内に入ったところで部隊をいくつかに分け、様々な順路を通って少人数で進んでいく。戦力の均等を重視したため、昴流の同行者には、知り合いが真澄しかいない。しかも知り合いといっても、話しかけることすらできない。ほか数名は顔しか知らない程度だ。


 重苦しい緊張と沈黙で窒息しそうだ。そう思っていると、なんと真澄から声をかけてきた。


「大丈夫か?」

「えっ……あ、は、はい」


 昴流が頷くと真澄は微笑んだ。


「力を貸してくれて有難う。本当に感謝している」

「いえ、そんな……ただ、僕にもできることをしたいと思っただけですから」

「……君は強いんだな。私も、もう少し早く……」


 真澄がぽつりとつぶやいたとき、前を走る騎士が声を上げた。


「殿下! 前方から刃鳴りが聞こえます」

「……ここで合流予定だったのは知尋がいる部隊だ。急ぐぞ」


 真澄の言葉で、彼らは足を速めた。すぐ近くの廊下で、知尋を含む三十名ほどの部隊と、数名の私兵騎士がもみ合っている。真澄らの登場で、彼らは挟み撃ちとなっていた。


「たっ、退却!」


 私兵騎士がそう言って身を翻す。ここはT字路になっており、私兵騎士たちは残された最後の道に駆け込もうとする。と、前方の部隊から知尋が飛び出した。


「――逃がしません、よっ」


 その言葉と同時に、知尋の手に握られていた光の槍が投じられる。槍は一直線に飛び、逃げ出したふたりの私兵騎士をまとめて貫いた。残り一人は駆け出した真澄が斬り捨てる。刀を下ろした真澄が振り返る。


「逃がした者はいないな?」

「はい。すべて討ち取りました」


 騎士が答える。戦場となったこの廊下には、十名ほどの私兵騎士の死体が転がっていた。どこかさっぱりした表情の知尋が右手を腰に当てた。


「この場で出会ったことが運の尽きですね。ま、私の術から逃れられるわけがないですが……」


 真澄はそっと知尋の肩に手を置いた。


「無理をしなくてもいい、知尋……」

「っ……」


 知尋はそれまでの余裕な表情を呆気なく崩した。苦しそうに眉根を寄せ、真澄から顔を背ける。初めて知尋はその術で人を殺したのだろう――昴流はそう察する。


「行こう。皇の寝所はこの先だ……」


 合流した二部隊は、離れにある寝所に向かった。当然のことここから先は警備も特別きつくなる。そしてこの離れに到着したのは、真澄らが最初だったようで――。


「し、侵入者だ!」


 警備の者に鉢合わせ、あっという間に乱闘になった。


「侵入者? 極めて不本意な呼び名ですね……」


 知尋の瞳に鋭利な光が宿る。外見に反して血の気の多い知尋は、早くも身構えている。真澄も刀を抜いた。


「桃偉らと合流できていないが、やむをえまい。攻撃開始!」


 真澄の号令のもと、騎士たちが駆けだす。それは一方的な殺戮というべき戦いだった。呆気なく警備を打ち倒すと、真澄は刀を納めることなく皆に告げた。


「騒ぎを聞きつけて増援が来るかもしれない。駆け抜けるぞ」


 真澄が先頭になって駆けだす。皇の寝所など普通の騎士は立ち入りを許されないので、この先の案内は真澄と知尋でなければ無理だ。


 皇の部屋の扉の前には数名の警備が控えていたが、声も上げる暇さえ与えずに斬り伏せる。そして真澄の頷きに応じ、騎士の一人が扉を開ける。真澄が室内に一歩足を踏み入れた。


「悪政皇――!」


 その瞬間、真澄は凍りついた。広い広い皇の私室に埋め尽くされていたのは大量の私兵騎士。前列に並ぶのは刀を構えた騎士で、後列は神核術士。数十人の私兵騎士は、このとき真澄の首を狙って身構えていた。


 部屋の奥にあるソファに、悪政皇と呼ばれる皇、鳳祠真崎はゆったりと座ってくつろいでいた。手にはワイングラスがあり、テーブルにはその瓶が置かれている。真崎はちらりと自分の息子の姿を確認すると、ソファから立ち上がった。


「遅かったな、真澄……」

「くっ……どうして」


 真澄は一歩もその場から動けず、他の者たちも動けない。少しでも動けば、真澄が即座に殺される。


「お前たちが私を殺そうとしていたのは、とっくに知っていた。だからこうして出迎えてやったのではないか」


 真崎は四十代の半ばだが、実年齢よりずっと若く見える。そしてその顔は、驚くほど真澄と似ている。


 昴流は味方の隙間から、皇の傍に見知った顔があることに気付いた。それは早坂公爵だった。つまりここで刃を向けているのは早坂公爵家の私兵。いつの間にやら皇の側近にまでなりあがったようだ。


「息子の分際で父に楯突こうとは、大それたことをしたものだな」


 真崎が顔をゆがめる。真澄は刀を握りしめた。


「……貴方が生命の親であるからこそ! 民に害を成すその暴挙を、私が阻止しなければならない!」

「ふん、大言壮語を。その報いをくれてやる」


 真崎が手を上げる。と、神核術士たちが一斉に術を放った。数十発の火球が真澄めがけて飛来する。真澄がはっとして刀を構えた瞬間、知尋の結界壁が発動した。真澄を守るように張り巡らされた透明な壁は、火球を霧散させてしまう。


「真澄に傷がつけられるとお思いですか」


 知尋が不敵に微笑む。すると真崎も笑う。


「ああ、思っているとも」

「……なに!?」


 真崎が自ら【集中】し、同じような火球を打ち出した。知尋が結界壁を張って身を守る。結界壁に火球がぶつかった瞬間、なんと知尋の結界壁が脆くも崩れ去った。驚愕した知尋の身体を、その火球は直撃する。倒れた知尋を、昴流が支え起こした。


「殿下!」

「だ……大丈夫。身体を打ちつけただけです……」


 そう言いながらも知尋の呼吸は荒い。


「知尋、お前の魔力の性質は、お前自身より私のほうが詳しいだろう。お前が異常なまでに闇属性の術に弱いことも、知っているぞ?」

「っ……それにしても、おかしい。私の結界壁が、あんなに脆く崩れるなんて……」

「当たり前だ。私の神核術にぶつかったら術を解くように、お前の魔力は設定されている」

「!? 設、定……?」


 知尋が愕然とした様子で呟く。真崎は腕を組む。


「幼いころからお前に施していた術のひとつだ」

「ど、どうしてそんなことを……!?」

「お前と真澄が、いずれ私の敵になると分かっていたからだ」


 双子の皇子の教育係が矢須になり、騎士団長となった桃偉が傍に仕えるようになったときには、こうなることを真崎は予想していたのだ。


「真澄の剣術など児戯に過ぎん。知尋の神核術は封じた。そしてお前らの味方も、この軍勢の前には雑魚同然。反乱分子は力でねじ伏せる――今も昔も変わらぬ、これが私のやり方だ」


 真崎が腰に佩いた刀を抜き放った。真澄がじりじりと後退し、知尋の身体を昴流が守る。


 神核術士たちが再び火球を放つ。騎士たちが躍り出て真澄を庇い、その術を振り払おうとした瞬間――巨大な結界壁が現れた。知尋のものではない。真澄がいちはやくその正体に気付く。


「桃偉!」


 悠々と姿を現したのは、神谷桃偉騎士団長その人だった。声を輝かせた真澄とは対照的に、桃偉の表情は険しい。


「真澄さま、撤退してください」

「え……?」

「後方から大軍が押し寄せてきています。瑛士が退路を確保していますので、早く」

「だ、だが……ここまで来て……?」


 真澄が渋るのも分かる。憎き皇は目の前にいて、桃偉の実力ならば室内にいる私兵団など敵ではない。勝利は目前なのだ。


「たとえこのまま皇を倒したとしても、背後を突かれ我々も力尽きます。そうなっては意味がない。俺たちは負けたんです」


 負けた、の一言が真澄を打ちのめした。真崎がふっと微笑む。


「良い判断だが神谷、私が逃がしてやるとでも思っているのか?」

「いいえ、まったく。ですから提案です」


 桃偉は怯むことなく敵の前まで進み出ると、右手に持っていたものを床に放り投げた。


 ――それは、血濡れた刀だった。


「首謀者はこの俺。両殿下をたぶらかしたのも、俺の罪。というわけで、俺の首で許してはもらえませんかね?」

「父さんッ!」


 思わず昴流が叫んだ。桃偉は両手を軽く上げ、昴流を肩越しに振り返って笑う。


「すまんな昴流。咲良のこと、しっかり守ってやれよ」

「嫌だッ……どうして!? ねえ、父さんッ!」

「昴流……」


 縋り付いてきた昴流を、桃偉は軽く抱きしめてやる。


「俺はな。お前が二度と貴族のしがらみに巻き込まれないようにしてやりたいんだ。お前が兄貴に誘拐されたときから、ずっと決めていた」

「父さッ……ん」


 昴流の首筋に、桃偉の手刀が叩き込まれた。気を失った昴流を、桃偉は傍にいた騎士に渡す。


 真崎は無言でそのやり取りを見ていた。殺そうと思えばできたはずだが、桃偉が刀を捨てたというのが真崎にとってもかなりの驚きだったのだ。


「……私には、お前の考えがさっぱり分からんな。神谷」

「分からないだろうさ。民意を顧みなかった悪政皇にゃ、永遠に分からない」


 痛烈な批判に、真崎は片眉を持ち上げただけで何も言わない。桃偉が両手を広げ、後方にいる仲間たちを促した。


「さあ、早く逃げろ! おい、そこの。真澄さまと知尋さまを引きずってでも行け! これは団長命令だ!」

「はっ、はい……」

「ちょっ、ちょっと待て、離せ! 桃偉っ!」


 真澄が騎士に抱きかかえられるようにして部屋を出て行く。と同時に桃偉は捕縛された。真澄らを追撃しようとした私兵騎士たちだったが、それを制止したのは真崎だった。


「追わなくてもいい」

「はっ……」

「反乱軍の要は神谷だ。神谷がいなければ、真澄と知尋ではどうしようもならん。放っておけば勝手に瓦解するだろう」


 その言葉に、桃偉は鼻で笑う。


「甘いな」

「あんな幼子に、人を統べることなどできん」

「できるさ」

「そう言い切る理由は?」

「俺のご主君だからさ」


 言い切った桃偉に、真崎はそれ以上何も言わなかった。と、早坂公爵が怪訝そうに声をかけた。


「……なぜ小瀧が、お前を父と呼ぶのだ?」

「なぜって、俺はあいつの父親だからに決まっているだろう」


 当然のように言い切った桃偉に、早坂公爵もまた言葉をなくしたのだった。



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 解放軍の拠点である下町の地下は、すっかり意気消沈していた。桃偉を失い、真澄と知尋、瑛士が覇気を失ってしまった。そんな彼らの様子を見て、騎士たちも絶望してしまったのだ。もう一度やり直すなど不可能だった。


 市街の偵察に行っていた騎士が血相を変えて戻ってきたのは、襲撃に失敗して2日目の朝のことだった。


「た、大変だ! 今から街の広場で、かっ、神谷団長の公開処刑をするって……っ」


 その言葉に真っ先に反応したのは昴流だった。桃偉に気絶させられてここまで戻ってきた彼だったが、彼は極めて不本意だった。それなのに、桃偉の処刑だと? そう思うと、いてもたってもいられなかった。昴流は拠点を飛び出し、全速力でその広場に向かった。


 広場にはすでに民衆が集まっていた。昴流は人々をかき分けて前に進む。広場の中心には皇、多数の私兵騎士、そして――手足を拘束された桃偉がいた。思わず声を上げそうになった昴流の口を、何者かが後ろから塞ぐ。それは真澄だった。民衆にも貴族にもあまり顔を知られていない真澄である、帽子を被っただけの軽装だ。


「ひとりでは危険だ」

「殿下……」

「他の皆も、少数で分かれてこの場にいる。助け出すにしても、もう少し様子見だ」


 真澄は冷静だ。昴流はそれで冷静になり、先走った己を恥じた。


「静まれ!」


 早坂公爵が声を張った。その声でざわめいていた民衆はしんと静かになる。真崎が口を開いた。たいして大きな声ではないが、腹の底に響くような重みがある。


「これより、皇の命を狙い、国の和を乱さんとした謀反人、神谷桃偉を処刑する」


 胡坐を掻いて座っている桃偉を、真崎は見下ろした。


「何か言い残すことは?」

「それではお言葉に甘えて」


 桃偉は処刑を待つ人間とは思えないほど堂々としていた。そして桃偉は民衆を見回した。


「この皇都に住むみなの願いを俺が引き受けたが、俺にはちと荷が重かったようだ。不甲斐ない騎士団長を許してくれ。そして願わくば、俺の仇をとってほしい」


 民衆がまたざわめきだす。解放軍騎士たちでさえ、動けなかった。


「俺にはできなかった。だが、みなが力を合わせればきっと未来は拓かれる。恐れるな! 今の生活を嫌う者は、立ち上がれ! お前らの未来は、お前らが掴みとるもんだ!」


 神谷団長、という声が聞こえる。庶民的な騎士団長は、街の人間と非常に親しかった。誰もが彼に一縷の望みをかけていた。その希望の英雄が、いま目の前で殺されてしまう。


 一息ついた桃偉は、大きく息を吸い込んだ。そして――近年稀に見る大声を張り上げた。


「昴流――ッ!」


 その言葉に、微動だにできなかった昴流の身体がぴくりと震える。真澄がそっとその肩を支える。


「俺の意図は、もう分かったなッ!? 俺は、お前に次の望みを託すッ!」


 桃偉は、自分を取り囲む群衆のどこかに昴流がいると、信じていた。そしてこの声が届くと、信じていたのだ。


「戦いを、続けろッ! やめることは許さん! これが、正真正銘、最期の団長命令だ――ッ!」


 真崎が刀を抜いた。皇自らが、騎士団長の首を落とすつもりだ。私兵騎士がふたり、桃偉を処刑台に押し付けた。真崎の刀が桃偉の首筋に当てられる。


「お前のことは気に食わなかったが、騎士としての力は本物だった。だから私が直々にその首を刎ねてやろう。有難く思え」

「はんっ。いつまでそんなことを言っていられるかね? 近々あんたは、息子たちに皇の座を引きずりおろされるぜ。……俺はその場に立ち会えないから、先に言っておく」


 真崎が刀を振り上げる。それを見た桃偉はにやりと笑った。


「――ざまあ見やがれ」


 民衆の中から悲鳴が上がる。


「……っ。桃、偉……」


 真澄が苦しげにつぶやく。その隣で、昴流は大きく目を見開いたまま硬直している。真崎が血濡れた刀を日の光に翳す。


「見たか! 皇に刃向う者はみなこうなる! それを心に刻め!」


 真崎が踵を返す。真澄はその背中を睨み付け、昴流を見やる。


 昴流の双眸から、涙があふれ出した。真澄がなんと声をかけてやればよいかに悩んでいると、昴流はぐいっと涙を拭った。そして呟く。


「……分かったよ、父さん」

「昴流」


 拭ったはずの涙が、また零れる。昴流は耐え切れず、地面に膝をついた。ぽたぽたと地面に涙が滲みこんでいく。


「分かったからっ……ちゃんと、受け取ったからっ……だからっ……!」


 あちこちで嗚咽が聞こえる。それは民衆たちの泣き声だ。桃偉の死を誰もが悲しみ、皇に対して怒りをあらわにしている。


 ――これが、桃偉が命を懸けて残した「種」。


 彼らの声が、昴流の嗚咽を掻き消していた。


「父さんッ――! ぁ……う、ああああぁッ!」


 再生暦五〇〇九年五月。


 神谷桃偉騎士団長は、皇都・照日乃で処刑された。


 だが後世の歴史書は、彼を「謀反人」とは記さない。


 誰もが、「英雄」と称した――。

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