少年の日の思い出12
再生暦5009年5月
時間が経てば経つほど、相手方の防御は堅くなる。いま真澄と桃偉を中心とした解放軍に必要とされていたのは迅速さだった。だから彼らは急ぎルートを確認し、人員を増やし、作戦を練った。人員の増加は、瑛士は少しずつ騎士団から騎士を引き抜いてきている。おかげで戦力としては十分になってきた。
貴族の私兵団というのは、騎士と違ってろくな修練を積んでいない。先日昴流が斬って捨ててしまったように、きちんと稽古をしていれば子供ですら勝てる相手だ。正規の騎士団の敵ではない。だが厄介なのはその膨大な人数である。騎士ひとりひとりが私兵の十人に勝るといっても、それにも限度がある。
いかに敵と遭遇せず、皇である真崎の前までたどり着けるか――。
桃偉が逃げたというのは、真崎も承知済みだろう。そして真澄と知尋。彼ら二人が、皇城ではどのような扱いになっているのだろうか。「桃偉に殺された」「行方不明」のどちらかだろうが、前者の可能性が高そうだ。なかなかに有能で人望のある真澄と知尋が邪魔で殺そうとしたのだから、これで逃がしてしまったと報告したら作戦を実行した貴族の面子に関わる。ならばいっそ死んだことにして更なる悪事を働くほうがよほど効率がいい。
だから貴族が追っているのはあくまでも桃偉のはずだ。皇子ふたりを殺し、騎士を引き連れて逃亡している極悪人。彼らは桃偉が真澄と知尋、そして矢須を擁して反乱軍を立ち上げていると考えるか。そしてそれが皇にも伝わるか。それ次第で、今回の暗殺作戦の成功確率に大きく関わる。
何より、国内の政治や息子の状況に関心のない真崎だ。まさか把握してはいまい――。
そう願って桃偉は作戦を練った。もし伏兵がいたとしても、斬り破るまでであって、作戦の変更はない。
まずは先発隊を組み、進路の安全を確認する。そして第二陣として主力を投入する。さらにその後ろには第三陣として、精鋭たちの背後を守るように人員を配置する。昴流はこの第三陣に編成された。自分の実力が騎士たちに遠く及ばないことをちゃんと分かっていたので、これに不服はない。むしろ戦力に数えてもらえただけありがたいくらいだ。咲良はさらにもっと後方で、協力を申し出た軍医とともに後方支援にあたる。
第二陣の指揮は桃偉がとり、その補佐を瑛士が務める。真澄も戦線に参加する。そして昴流と同じ第三陣に、神核術士の知尋が入る。
狙うは深夜、皇が眠っている時期を見計らう。もっとも基本的な暗殺手法だ。
そしてその出撃を十二時間後に控えた日の正午、昴流はあの酒場の厨房で咲良とともに大慌てで食事の用意に追われていた。人員が増えたといっても多いわけではないので、やはり昴流と咲良はこういうこともしなければならないのである。しかも作るのは三桁の人数分の食事だ。咲良が出来上がった料理を運びに行ってしまったので、さながら戦場と化した厨房で昴流はひとり戦っている。そこへ桃偉がひょっこり顔を出す。
「何か手伝うことあるか?」
「あれっ、桃偉さん。殿下とのお話は?」
「もう済んだ。だからこっちの手伝いをと思ったんだが……」
「桃偉さんが厨房に入るといちから料理を作り直す羽目になるんで、いいですよ、見学していて」
「……はいはい」
料理が下手という自覚はあるので、桃偉は大人しく酒場のカウンター席に座った。そこに座ると丁度正面に、忙しく働いている昴流の様子が見えるのだ。
「なんか悪いなあ。お前ら以外に、まともに料理ができる奴がいないもんだから」
「大丈夫ですよ。忙しく働くのは、嫌いじゃないですし」
話しながらも昴流は動きを止めることなく、大盛りの肉野菜炒めの仕上げに入る。その見事な手際を見ながら桃偉は告げる。
「……相手方の主戦力は、どうやら早坂公爵らしい」
「でしょうね。公爵は皇都じゃ最大規模の私兵を有していましたし、何より政治に無関心な皇が殺されては困るでしょうから」
「お前が前に斬ったのも、公爵の私兵だったな」
「相手は気付かなかったみたいですが……ま、侍従と私兵は滅多に仕事が重なりませんから」
淡々と昴流は答える。まるで心が冷えてしまったかのように――。
「……昴流。本当は、お前が騎士になったときに教えようと思っていたことがある」
「そんな重要なこと、この状況で?」
昴流が微笑む。確かに、真面目な話をする状況ではない。
「真面目に話するなんて、俺の柄じゃない。これでいい、だが聞き流すなよ」
「はい」
「刀ってのは……殺人の道具なわけだ」
「そうですね……」
「斬る人間がいなきゃ、刀は道具として成り立たない」
「……そうですね」
桃偉は勝手に貯蔵庫からワインを取ってきた。いつもなら止めるところだが、生憎いまは手が離せない。
「たとえば、お前が山賊を斬って捨てたとするだろ。そいつは山賊らしく貧しい村に暮らす人々から食料や金を奪い、そして無残に殺したんだ。間違いなくお前にとっては『悪い人物』だ」
「はあ……」
「でもその山賊には嫁さんがいて、子供がいた。そいつらは揃ってお前を『人殺し!』と呼んで憎む」
「……それは、痛いですね」
「ああ。だが逆に考えろ。その山賊が生きていたら、また別の村を襲ってたくさんの人を不幸にしたはずだ。お前が斬ったことで、不幸になったかもしれない多くの人が助かったんだよ」
昴流は肉野菜炒めを大皿に移し替える。――詭弁だ。現実見てないだけだ。そう考える自分がいるけれど、桃偉の言葉で救われる自分もいる。
「そんなに……自分にとって都合のいい部分だけ見て、いいんですか」
昴流はそう問いかける。桃偉はワインを口にしながら言う。
「良いわけじゃない。殺した相手も自分と同じ人間で、そいつには未来があって、家族がいる。それは絶対に忘れちゃいけない。だが……いちいちそれを考えて罪悪感に囚われてしまったら、まず大抵の人間は精神的に耐えられない。前に言っただろ、騎士ってのは『人間』じゃなきゃいけないって」
「……」
「だからお前は、人を斬った分だけ助かった人間がいるっていうことだけを考えろ。守れる命のために戦え。断罪はどんな形であれ、いつか必ず行われる。その日までお前は、自分が殺した人間の分も生きろ」
「断罪……って?」
「そいつは人それぞれだな。……けどな、昴流。世の中には、裁かれなきゃいけないのに裁けない人間ってのが、案外多いもんなんだ」
昴流は火にかけていた巨大鍋に入っているスープを、下から掬い上げるようにかき混ぜる。
「それは貴族のことですか?」
「そうだな、貴族はその代表ってところだ。本来、人が人の罪を裁くことは許されない。人を裁くのは法律だ。いまの玖暁は法律も裁判制度も整っていないから駄目だが、真澄さまはきっと放ってはおかない。あの人が皇となれば、そういった面は改善されるだろう。が……」
「それまで、待てない?」
「ああ。だから俺は刀をとった。不正の証拠を手に入れて投獄させたこともあるし、自分の手で斬って捨てた奴もいる……つまり俺が言いたいのは、お前はお前の意思で戦えということだ。命令なんかに従う必要はない。お前の気持ちに従え。いつか刀がいらなくなって、騎士なんて存在もいらなくなって、平穏な世が訪れるまで……な」
昴流は鍋の火を止める。桃偉がグラスに入れたワインを飲みほした。
「分かったか?」
「……はい、分かりました」
昴流はゆっくりと厨房から出て、桃偉の座るカウンターへ向かう。
「僕があの時、私兵を斬っていなかったら……大典が、死んでいたかもしれないんですよね。僕が大典を、守ったんですよね……?」
「ああ、そうだ。お前はあの子の未来を守ったんだ」
昴流が俯く。床に、ぽつぽつと涙の滴が落ちた。桃偉は黙って昴流を抱きしめた。昴流は桃偉の肩に顔を押し付け、声を押し殺して泣いた。
昴流がここのところやけに淡々としていたのは――人を殺したという重さに、どうしたら良いかが分からなくなっていたのだ。騎士たちのように吹っ切ることもできず、だが今の状況を考えるとうじうじと悩むこともできない。だからどこか冷めた物言いで、強くあろうとしていたのだ。
勿論、桃偉はずっとそのことを分かっていた――。
「……俺さ、子供のころから夢があったんだ」
「……夢?」
「ああ。良い嫁さん見つけて、良い親父になりたいって夢だ」
「……ぷっ。何、それ……」
「笑うなよ。俺は自分の父親が大嫌いだったから、ああはならねえ、絶対に良い父親になってやるって決めてたんだ。ま、女性運がないから叶ってなかったんだが……でもそれが、叶ったんだよ。咲良っていう可愛い娘と、昴流っていう自慢の息子がさ、できたから」
桃偉は顔を見られたくないのか、更に強く昴流を抱きしめる。
「お前たちと出会って、まだたったの一年だけどな……俺はお前らにとって、良い親父だったのかな?」
「……僕には、父親との思い出なんてないから……よく分からないけど……でも桃偉さんと出会えて、幸せでした。きっと、姉さんもそう思っています……」
「ほんとか?」
「学校で桃偉さんのこと話すとき……僕、いつも『父さん』って呼んでましたよ……?」
学校で桃偉さん、と呼ぶのはさすがに躊躇われたため、父さんと呼んでいた。もしかしたら、「まだ父親の年齢じゃない」とか言って怒るかな、とも思ったのだが。
「なんだよ、じゃあそれ面と向かって言ってくれよ」
「良いんですか?」
「ああ。いや、むしろ是非。それと、親に対して敬語を使う息子はいないぞ?」
昴流は微笑んだ。そしてぽつっと呟いた。
「……父さん」
「おう」
「お酒、飲みすぎ。しかも昼間っから。出撃前なんだから控えてよ」
「うぐっ……」
痛いところを突かれた父は、それでも照れたように笑ったのだった。




